謁見
新年祭を迎えた日の昼前。
ツルギにとっては深夜二時の就寝から九時間後のこと。
「おはようございますお嬢さん。お迎えに上がりました」
「ふぁい……?」
「皇室より登城の命が下りました。どうかご足労を」
部屋の前に立っていたレーヴェに、ツルギは寝ぼけ眼で返事をした。
「人の安眠を邪魔する不届き者に主の裁きがあらんことを……ふあ。用があるならそっちが来なさいと、お伝えくださ……ふあぁ」
パタン
レーヴェは扉を閉められて呆然とした。
ツルギ=ヴォルフラム、休日の侵害を拒む少女。
何者にも縛られない唯我独尊の鑑である。
新年祭は年が明けて三日間続き、その間大抵の職は休日となる。
職業軍人である彼らは通常業務だが、ツルギに関してはその限りではない。
世間が休みなら自分が休んではいけないはずがない、と。
その理念の下、しっかりと休息を取った。
「おはようございますお嬢さん」
「おはようございます、レーヴェさん」
ようやっと業務再開。
剣を腰に、レーヴェと共に登城した。
年明け四日目の昼過ぎのことだ。
帝都の中心に居を構える城は、皇族やその関係者、そこに従事する者たち以外、入場は許可が必要となる。
ツルギのような一兵卒が登城出来るのは稀なケースだ。
通常ならば身が引き締まり畏まるもの。
「お城というのは楽しいところですね」
ツルギは辺りをキョロキョロしながら、絵画や美術品、柱の一本一本に目を輝かせた。
「斬ってみたいものがたくさんあります」
レーヴェはそんな少女に困り顔を浮かべた。
「今持ち上げている花瓶一つでちょっとした一軒家が買えますよ」
「まぁ。それなら一軒家を斬った方が満足度は高いですね。それで、私は何故呼ばれたのでしょう」
「身に覚えはあるかと」
「もしかして、手に余っている罪人の処刑を秘密裏に頼みたいとか、そういうことでしょうか」
「相変わらずユニークですねお嬢さん。敬服します」
「それほどでも。そうだレーヴェさん、今度一緒に訓練しませんか? ノクトさんに申し出ると、一等星将だからと断られるんです」
「私もその一等星将なのですけど」
「レーヴェさんならお願いを聞いてくれるかなと」
「お嬢さんの願いは叶えたいのは山々なのですが、軍規の抵触は憚られます。どうかご容赦を」
「残念です。レーヴェさんは斬り甲斐がありそうなのに」
「褒め言葉と受け取ります」
和やかに談笑すること数分。
その後玉座の間へと到着し、二人は皇帝への謁見を果たした。
「よくぞ参った。シュナイダー大佐、ヴォルフラム一等、兵……」
皇帝同様、多くの臣下がどよめいた。
皇帝といえば魔導帝国を治める、崇めるべき者。
軍人はその国の守護者であり、皇帝の手足も同然。
にも関わらず、膝をつくレーヴェとは対照的に、ツルギは膝をつくどころか退屈そうにあくびをしているのだから。
これには臣下から怒声が飛んだ。
「不敬な!! 皇帝陛下の御前であるぞ!! 貴様如き一介の軍人がお目通りを叶うことなどあり得ぬお方なのだ!! 学無き態度、恥を知れ!!」
ツルギは臣下の男を一瞥。
興味無さげに視線を外した。
その無礼な態度が神経を逆撫でしたようで、男は憤慨してツルギを指さした。
「シュナイダー大佐!! その痴れ者を排除せよ!!」
重度の女性尊重者であるレーヴェにそんな命令をする愚かさに周囲は呆れたが、それよりも男の右腕が斬り飛んだ――――――――と錯覚するほどの殺気に、その場の全員が硬直した。
「ひっ?! ひいいい?!!」
男は腰を抜かすが腕は無事。
混乱する男の前にツルギがしゃがみ込んだ。
「失礼。あなたの声が気に障ったもので」
柔らかで朗らかな声色。
しかし男の耳には、それが鞘内を走る刃の音に聞こえた。
「皇族の臣下というのはいいですね」
と、ツルギは男の腕を掴んだ。
「ふくよかで、程よく脂が乗っていて。上質……とまではいかずとも、斬り応えがありそうで。ちょっと試しに斬っても、いいですかぁ?」
そこで男の意識は途切れた。
泡を吹いて気絶するのを見て周囲からは悲鳴が上がった。
レーヴェの指示の下、第二部隊の隊員が臣下らを避難させるのに要したのが数分。
空間にはツルギとレーヴェ、そして皇帝のみになるという異例の事態が起きた。
「話に聞いていたとおりだな……」
頭が痛い素振りをして、皇帝は玉座から腰を上げた。
ツルギの機嫌を損ねないよう細心の注意を払い前に立つ。
「我は魔導帝国皇帝、アルバート=ヴェルトリーチェである。相見えたことに感謝いたします、ツルギ=ヴォルフラム殿」
皇帝が一介の軍人に礼をする。
その異常性が露呈しないよう、レーヴェは他の者を下げさせた。
尤も異常なのは皇帝すら気圧させてしまうツルギ本人だが、アルバートは直感で理解した。
目の前の少女には権威も法も何の意味も成さないと。
「そう畏まらなくて結構ですよ。私は軍人ですから。軍人は国のために、皇帝陛下のために、です。なのでいきなり陛下の首を斬るなんてことしませんから。…………たぶん」
「……寛大な心遣い感謝する」
「それで、呼び出された要件は何でしょう。お茶の約束でしたら喜んで」
「そうだな。立ち話もなんだ。部屋と茶を用意させよう」
「軽くつまめるものも一緒にお願いします。お昼ご飯がまだなので」
食堂でウエイトレスにでも話しかけるように。
ツルギはいつもの態度でアルバートに臨んだ。
テーブルにサンドイッチとフルーツティー、口直しのチョコレートが並べられ、ようやくアルバートは話を始めた。
「用というのは他でもない。我が娘、エリザベートのことで頼み事があるのだ。先日の新年祭で共に過ごしたと聞いている」
「?」
ツルギが頭に疑問符を浮かべたので、レーヴェがすかさずフォローを入れる。
「リゼと名乗られたフードのお方です」
「ああ、あの」
ベーコンとトマトのサンドイッチからトマトを抜いて一口。
「エリザベートと出会いどのように思っただろうか」
「妙な方、とは」
「妙?」
「大きな声で口外することではありませんが、人が人を斬るのを見て平静を保てるなんて普通ではないでしょう? 皇族がそれだけ貧民街の命を軽視しているのはともかく」
「……あれは」
「帝位継承権の第三位。不慮の事故で崩御された第二皇后ドロテーア殿下の忘れ形見。でしたか?」
「驚いた」
アルバートがそう言ったのはツルギの勤勉さでなく、他に興味を持つことがあるのかと、そういう意味だ。
「ドロテーア殿下は市井の出身だとか。皇族に召し抱えられ愛し子を授かり、さぞ幸福な人生を送ったことでしょう」
「幸福か……そうであったならどれだけ心安らかであったことか。もう十年だ。ドロテーアが我の前から消えてから」
「気を落とすことはありません。市井の女性を可愛がる陛下をおもしろくなく思う輩が、少なからずいたというだけのことです」
「滅多なことを言うな」
「フフッ、失礼。不慮の事故、でしたね。殿下を乗せた列車が偶然崖下に転落しただけの」
ツルギは口元を拭き祈りを捧げた。
「……話を戻そう。用というのは、そなたにエリザベートの世話係を任せたいということなのだ」
「お断りします。私が軍に籍を置いているのは敵を斬るためであって子守ではないので。だいたい、皇族の警護は第二部隊の仕事でしょう」
「第二部隊には、いや……他の誰にも任せられない理由があるのだ」
「他の方に任せられず私には任せられると? 私のことをよく知りもせず? 少々無礼が過ぎるのではありませんか? ねぇ、陛下」
「言い分は尤もだ。しかしそなたしか頼めぬのも事実なのだ。エリザベートはそなたを気に入ってしま――――――――」
コンコン
何の変哲もないノックに、アルバートはこれ以上なく戦慄した。
「失礼いたします、お父様。あの方についてお話、が……」
「ごきげんよう、リゼさん。ああいえ、エリザベート殿下」
「ブ、ブル……ブルー様……」
動揺に金色の視線が泳ぐ。
髪を靡かせて駆け、エリザベートはツルギを抱擁した。
もちろん避けることは出来たが、敵意も悪意も無いその行動にツルギは黙した。
「ブルー様……ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ブルー様ァァァァァァ!! なんで、なんでここに?! 私に会いに?! 会いたくて?! そうなんですねそうなんですね嬉しい嬉しい嬉しい!!」
しかし身体がへし折れそうになるほど強く抱きしめられ、豊満な胸に顔を埋められ息も苦しく、更には頭にヨダレが落ちてツルギは辟易した。
「エヘッ、エヘヘヘェ!! ブルー様細いですいい匂いです!! このままずーーーーっと抱きしめてあげますね!!」
「鬱陶しいです」
首根っこを掴んで引き剥がすも、細身に似合わない腕力で押し返してくる。
「ブルー様ァ!! だぁい好きいいいい――――――――ひ」
エリザベートに不快感を覚えた。
それと同じだけ人斬りとしての血が疼いた。
もう斬ってしまおう、ツルギがそう思ったときにはすでに、刃がエリザベートの首を通り過ぎていた。




