悪癖
「んー♡ おいしい〜♡」
少女はアイスが乗ったベルリーナーを頬張り、嬉々とした声を上げた。
「喜んでいるようで何よりです。ご馳走した甲斐がありました」
「はしたなくてごめんなさい」
というわりに、すでに牛串やらポテトやら、優に五人前は平らげている。
「長いこと……もぐもぐ、こういったものを……パクパク……食べけほけほっ!」
「食べてからでいいですよ」
数分、食べることに集中。
胃が落ち着いてから、リゼはツルギに頭を下げた。
「ごちそうさまでした。長いことこういったものを食べなかったので、つい」
「貧しそうには見えませんが」
「ちょっと事情があって。ブルー様は」
「何でしょう?」
「ああ、いえ」
目が合ったと思えばすぐ逸らす。
ツルギはリゼの緊張と動機を感じ取っていた。
「私が怖いなら、無理に一緒にいる必要は無いんですよ」
「あっ、ち、違うんです! ブルー様が怖いだなんてそんな! そうではなく……いえ、人が目の前で死んだことは驚いたのですけど」
本心だ。
ツルギはますますリゼを訝しんだ。
人斬りを目撃して尚、この少女はその事実を平常のものとして受け入れていたから。
「こんなことを言うとおかしく思われるでしょうが……美しく見えたのです。世紀を渡った名のある絵画よりも、稀代の名優が演じる歌劇よりも、心を揺さぶったのです。……やはり変でしょうか、こんな。人が死んだのは確かなのに」
「わかりますよ」
ツルギは自分の右手をさすった。
「感動は誰にも止められません」
「ブルー様も経験がお有りなのですね」
「ええ、まあ。面白おかしく語ることでもありませんけれど。ところで」
「?」
「十五……十七……二十三……ああ、あそこの屋根の上。煙突の陰にもいましたからこれで二十四ですか。数分前からあなたを監視している方々がいらっしゃるようです」
「まぁ……」
「ところで、あなたお尋ね者だったりしませんか?」
「あぁ……だったらどうしますか?」
「そうであったらいいなぁ、と。それなら彼らより先に私が斬れますから」
ニコリ、ツルギはケーキでも前にしているような笑顔を浮かべた。
それから素早く左手でリゼの細い首を鷲掴みにする。
フリをした。
「一瞬殺気が強まりました。どうやら警戒されているのは私のようです」
「あ、あの」
「失礼。向こうが悪者、という線も捨て難かったのですけど。この火薬の匂いは、どうやら軍で使っているものと同じようですし。彼らはあなたを護る立場と見て間違いないでしょう」
リゼは沈黙した。
この帝都において、もとい魔導帝国において、軍が個人を護るケースはほとんど存在しない。
では何故この少女にこれだけの警護が敷かれているのか。
それが何を意味するのか。
ツルギはそれが事の答えであることを察していた。
「安心してください。今のところ国賊になりたい願望は無いので。その首は繋げたままにしておきます」
そろそろ帰ろうと立ち上がったとき、リゼも立ち上がってツルギの袖を掴んだ。
「……ブルー様、またこうして一緒にお喋りしていただけますか?」
「気が向いたときで構わなければ」
「はい! 約束ですよ!」
リゼが差し出した右手の小指に、左手の小指を絡める。
少女の嬉しそうなこと。
広場にはいつしか人だかりが消えていて、やがて一人の男性が姿を現した。
「遅い登場ですね、レーヴェさん」
第二部隊隊長、レーヴェ=R=シュナイダーは、苦そうな笑みで小首を傾げた。
自分がいることをわかっていたのですね、と言いたげに。
「魔術師は気配が独特ですからすぐにわかります」
ツルギに何も返さないのは、先にツルギに声を掛けるのが無礼であることと同時、自分が何よりも貴ぶべき存在がそこにいたからだ。
レーヴェはリゼの前で敬礼した。
「お迎えに上がりました」
「お出かけの時間は終わりですか。せっかく見逃してもらえたのに」
「お戯れを」
「ブルー様……あれ?」
面倒事を避けたのだろう。
ツルギの姿はもうそこには無かった。
多数の監視の目をすり抜け、唯一感知出来たのはレーヴェのみ。
「シュナイダー大佐、あの方は」
「彼女はツルギ=ヴォルフラム。帝国軍第一部隊所属の一等兵であり、ヴォルフラム中将の娘です」
「…………」
「さあ、ここは冷えます。城に戻りましょう。エリザベート皇女殿下」
フードを脱ぎ太陽のような金髪を露わにする。
帝位継承権第三位、エリザベート=ヴェルトリーチェ第二皇女はレーヴェらに護送され城へと戻った。
「シュナイダー大佐」
「はっ」
「あの方について、詳しく教えていただけますか?」
レーヴェは一瞬言葉を詰まらせた後、かしこまりましたと一礼した。
ツルギに対し一抹の申し訳無さを抱いて。
城へと戻った彼女は、レーヴェを始めとした警護や侍女たちを下がらせ、自室のベッドに倒れ込んだ。
転がり仰向けに、天井をボーッと見つめながら、刃が触れた首すじに指を這わせる。
「ブルー、様……」
不意に名前を呼んだ次の瞬間、外気で冷えたはずの身体が燃えるように火照った。
「ブルー様……ブルー様……ブルー様ァ!!」
思い返すのはツルギが人を斬ったシーン。
血しぶきの向こうで煌めく美しさが網膜に焼き付いて離れない。
バタバタとひとしきり暴れて、あまりの熱さに着ていたものを全て破り捨てた。
「なんて、なんて美しいお方……! ああ、あああ!! 美しい!! 尊い!! カッコいい!! いい匂ひでしたぁぁぁん!!」
天使の笑顔。
福音たる声。
血の香り。
純粋無垢な残虐性。
高揚はそのまま炎となってエリザベートを焼いた。
引き千切れそうになるほど身を捩り、どうしようもないくらいに悶える。
「ああ、ああ、あああああ!!」
ときに、皇族にはとあるしきたりがある。
永世中立国である神聖国にて、四年に渡り心身を清めるための巡礼の修行を行い、皇族足り得る品格と振る舞いを身につけるというものだ。
皇女エリザベートも例によってそのしきたりを課せられたわけだが、彼女に関しては少し経緯が違う。
現皇帝は、彼女にこう命じた。
「そなたは危うすぎる。神聖国にて己の業を払拭せよ」
エリザベートには幼少の頃よりとある悪癖があった。
一目惚れ症ともいうべきものだ。
きっかけは対象によるが、一度炎が宿ったが最後、夢中になり続けてしまう過剰恋愛者。
問題は興奮による周囲への破壊行為と、同じだけの恋愛感情を相手にも求めること、そして相手が壊れるまでそれが続くこと。
最初はお付きの侍従長。
次に護衛。
庭師、料理長、侍女。
二十四時間のストーキング、手紙の交換、血入りの手作り菓子……彼女の被害にあった者たちは悉く彼女から逃げるように姿を眩ませている。
侍女に至っては強姦未遂にまで。
この僅か十歳の少女による愚行……もとい犯行が公になっていないのは、皇室及び軍務局が総出で隠蔽している他ない。
神聖国への巡礼は、その業から身を解放するためのもので、事実巡礼の四年間は悪癖が発症することはなく、皇帝を始め彼女を知る周囲の人物は安堵に胸を撫で下ろす思いだった。
しかし、
「好き……好き、しゅきっ、好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き!! 愛、愛、愛しています!! ブルー様ァァァ!!」
彼女が覚えたのは感情の制御のみ。
悪癖は治まるどころか、四年の抑圧で更なる強まりを見せていた。
斬られた傷をより感じられるように、自分で自分の首を絞めるくらいには。
「はぁはぁはぁはぁ……こんな、気持ち……初めてぇぇぇ!! あなたに、なら……殺されてもいいいいい!! あなたが……欲しい……私をォ、あなたものにしてくださいいいいいいいい!! アハッ、アハハハハハハハハ!!」
開いた小さな傷から流れる血を舐めながら、エリザベートはベッドに液を滴らせた。
あ、はい。
ヤンデレ枠です。




