血の誓い
日の出もまだの薄暗い中、浅く積もった雪の上を皇族の紋章入りの馬車が進む。
警護が最低限なのは道中をスムーズにするためだろう。
万雷の喝采も祝砲の花火も無い。
それはまさに格好の好機であった。
その人物は時計塔からスコープ越しに馬車の中の少女を捉え、引き金に指をかける。
その瞬間。
「ごきげんよう、東共和国の密偵さん」
雪より白い髪を靡かせながら、ツルギ=ヴォルフラムは音も無く姿を現した。
「ああ、些か冷たい呼び方でしたか? カーティス中佐」
「……いや、そうでもねえ」
ライフルから手を離し、バニルは腹這いの状態から起き上がった。
「よう久しぶり……ってほどでもじゃねぇよな」
「フフッ」
「なんでここがわかった?」
「狙撃のことはよくわかりませんが、まあ高い位置から撃つ方が狙いやすいのかなと。あと、ここが一番死の気配を感じたので」
「死の気配?」
「死というと大げさでしょうか。敵意……害意……痛み? 第六感みたいなものです」
と、ツルギは右手のグローブを外し機械の手を見せた。
「私、一度死にかけたことがあるんです。その時から、自分や他人の死の気配を感じ取れるようになりました。弾丸の軌道も爆発も毒も、指先に針を刺すような小さな怪我まで、全部が見えるし感じ取れます。ちょっとした未来予測と思ってください。自慢ですがこれが結構正確で、今に至るまで外れたことが無いんです。誰にも内緒ですよ」
「なんだそりゃ。それもお前の魔術か?」
ツルギは何も返さなかったが、バニルはまぁいいか、と肩を落とした。
「ありがとよ。そんな内緒をおれなんかに話してくれて」
「カーティス中佐はいい人ですから」
「いい人、ね。死人に口無しの間違いだろ」
バニルはポケットのタバコを吹かした。
「おれを見て驚かねえってことは、最初からおれに目星をつけてたってことだよな。なんでおれが死んでないってわかった?」
「辻褄が合わないというか、色々と不可解なことが多すぎたのが原因ですね。カーティス中佐の勤務態度で、軍服を纏い夜間単独の警らはありえないのがまず一つ」
「酷い言われようだ。まぁ、そりゃそうか。無理があった。次は?」
「傷があまりにキレイすぎました」
「キレイすぎた?」
「あの突き傷です。背後から受けたものならいざ知らず、ノッくんに剣を教えるほどの腕前なら、正面から無防備にあんな傷を受けるはずがありませんから。他に争った跡が無かったのもあります」
「なるほどな。自分で自分を刺すってのは、なかなか気味が悪かったんだが」
「というかそもそも、あれが人間の死体じゃなかったというのが大きな原因ですけど」
バニルはクククと笑って、ポケットから小さなボールを取り出し、ツルギに向かって放り投げた。
ツルギがそれをキャッチすると、もう一つ何かを投げ渡した。
「ライター?」
「そいつに火をつけてみな」
言われるまま表面を火で炙ると、たちまち膨張してバニルの形になった。
「服を着せてねぇからあんまりまじまじ見ないでくれ。屍体人形。東共和国が開発した囮だ。髪、肌、骨、血管に流れる血まで、生命活動をしてない部分以外はほとんど人間と同じらしい。滅多なことじゃ見破られねぇって話だったんだがな。ったく、エセ科学者共め」
「すみません。そんな機密を見破ってしまって」
「気にすんな。最後の最後でおれが杜撰だったってだけだ。情けねえ。詰めが甘かった」
「少々お待ちを。お話の前に、これ斬ってみてもいいですか?」
「おう」
ツルギはニコリと、屍体人形の首を刎ねた。
「どうだ?」
「悪くありません」
「そりゃよかった。しかし、まいったな。四年越しの計画だったんだが」
転がった首を足の裏で止め、咥えたタバコを落として燃焼させ証拠を隠滅した。
「最初から、ですか」
「ああ。最初からちゃんと密偵だったよ。おれは東共和国軍の人間だ。皇女様を殺すためのな。目的は……まあいいか。興味は無いだろう?」
「はい。四年間潜伏し機会を窺い続けたのは」
「神聖国は完全中立国だからな。手出しは出来ねぇ。この国を出る前に殺れりゃそれでよかったんだが、何せあの人が厄介すぎた」
「レーヴェさんですか。ああ、だから人形を使ったんですか」
「とにかく隙が無い。少しでも手が回らなくなってくれりゃそれでよかったからな。もちろんおれという存在を頭の中から除去するのもあったけどな。絶好のタイミングだったんだがなぁ……はぁ。嫌な予感がしてたんだ」
「わざわざ剣で殺害を偽装したのは、私に罪をなすりつけるためですか?」
「勾留……いや監視か。そりゃただのラッキーだ。結果的にそうなっただけのな。怪しまれたのは日頃の行いだ」
意趣返しのようにバニルは笑った。
「まあ、元を辿れば牧歌領の件なんだがな。新兵器の試射だかなんだか知らねえが、あいつらが出しゃばらなきゃ密偵の存在が露呈することも無かったんだからよ」
「どこの世界にも、武勲を挙げて自己を証明したい方は居ますから仕方ありません。人は誰しも他人に認められたい生き物なのです」
「お前もか?」
「さあ、どうでしょう」
「……もう一本だけ、吸ってもいいか?」
「はい。その自決用の毒入り以外なら」
「なんだ、そんなことまでわかるのか」
機械室の歯車が重く動く中、バニルはホルダーの拳銃をツルギに向けた。
「様式美だが、こんなことをしても無駄なんだろうな」
「引き金を引いても当たりませんし、弾丸が放たれる前に斬れます」
「だよな」
バニルは拳銃を放り捨てた。
「安心しろ。この期に及んで命乞いはしねぇ。抵抗もな。皇女様を殺れなかった時点で詰んでる。好きにしていい」
「最初からそのつもりで来たんです。でなければ一人で来たりしませんとも。同情も躊躇いも無く、あなたを斬ります。ですが、その前に訊きたいことがあります」
「?」
「視線の揺らぎ、緊張による体温の上昇、発汗、心音……それらを感じ取ることで私には相手の嘘がわかります。ですがカーティス中佐からは何一つ感じ取れませんでした。第一部隊で過ごした時間、ノッくんとの思い出、それらに嘘は無かったと。そういうことでよろしいのでしょうか」
「ハッハッハ、教えてなんかやんねぇよ」
「クスクス、残念です」
「おれからも最後に訊いていいか?」
「はい」
「屍体人形を発見した時点でおれの目論見はバレてたんだろ。なら何故、そのタイミングでミューラーたちに報告しなかった?」
「だって、そしたら斬れないでしょう?」
ポタリ
「好きな人の……大切な友人を斬る機会なんて……そんな悲劇!! いや喜劇ぃ?! 滅多に巡り会えないじゃないですかぁ!! ねぇ、カーティス中佐!! カーティス中佐カーティス中佐カーティス中佐ぁ!! ねぇ、ねぇ!! ねぇねぇねぇねぇねぇ!! 私ずっっっと!! ずーーーーっと!! ずっとずっとずっと我慢してたんです!! 誰も斬らず何も斬らずこの時のためにこの一瞬の甘露を最大限味わいたいがために!!」
肉を目の前に垂らされた飢えた野良犬のようによだれを垂らし、瞳孔は開き切っている。
そんなツルギをバニルは変わらない態度で笑った。
「狂ってんなぁ。けどまぁ、それがお前なんだから仕方ねぇよな」
「はい!! 仕方ありません!!」
ツルギは剣を抜き払った。
「この飢餓は!! 渇きは!! もう誰にも止められません!!」
「やるならちゃんと仕留めてくれよ」
「もォちィろォォォん!!」
時計塔が揺れたかと思うほど、ツルギの一足は激しかった。
バニルの首を斬ろうというところで、甲高い音が一つ、それを阻む。
「あっれぇ? あれれぇ?! 抵抗しないんじゃなかったんですかぁ?!!」
「お前のことだ……袖にナイフを仕込んでることくらいわかってただろ……!! させろよ、悪あがき!!」
「大歓迎です!!」
ツルギは身体中に満ちる狂気のまま剣を振った。
そこそこの人生。
彼の求めるものはそれだけだった。
軍人になったのも、国のためなどという大それたものでなく、そこそこの人生を叶えるために具合がよかったというだけ。
幸いなことに彼は強かった。
軍人として性格に難こそあれど、その砕けた性格が由来し密偵を命じられた事実もある。
程々の優秀さを発揮し手柄を挙げ中佐の地位を、愛想を振りまき周囲からの信頼を得た。
かけがえのない友人も。
「なぁツルギ!!」
「なんですかぁ?!!」
「前におれが言ったこと、覚えてるか!! 軍人ってのは、そこそこ立派で、そこそこ誇れて、そこそこ稼げるちょうどいい仕事だって!!」
「それがぁ!! どぉしましたぁ!!」
ツルギの剣をナイフ一本で凌ぎながら、バニルは時計塔の窓を破って外に飛び出た。
仕込んだワイヤーを使って屋根の上へ飛び移り体勢の立て直しを策るも、ツルギは身一つで跳躍し鍔迫り合いを演じた。
「我ながら、立派にやれてたんじゃねぇかってな!! ちゃんとあいつらの仲間を演じてた!! そんな軍人らしいおれが誇らしかったよ!! 任務も命令も、東共和国の軍人だってことを忘れそうになるくらいな!!」
「何よりです、ねぇ!!」
鍔迫り合いを避けて距離を取ろうとするが、ツルギの方が格段に速い。
その上、至近距離にも関わらずナイフの方が剣に押されている。
バニルは思わず苦笑いしてツルギの首根っこを掴み、屋根から飛び降りた。
そのまま頭を地面に叩きつけてやろうという最中、ツルギは蹴りを脇腹に見舞い、猫のように空中で身を翻し身体を入れ替えた。
建物から建物に掛けられた洗濯用の糸に捕まり落下の勢いを殺したバニルに対し、ツルギはそのまま地面に着地し無傷。
バニルだけが疲労に息を荒くしていた。
「はぁ、はぁ……なぁツルギ……お前が居なけりゃ、もしかしたらおれは……」
東共和国人であることを忘れ、この国でそこそこの人生を過ごしたかもしれない。
友人と酒を酌み交わし、もしかしたら家庭を持つこともあったかもしれない。
バニルはそんな妄想を口にするのをやめた。
「恨み節ですか? 聴きますよぉ! 聴いてあげますよぉ!!」
「恨み? ……ハハ、んなもんねぇよ」
お前が居たおかげで、おれは軍人として本懐を遂げられるのだと。
言うつもりのない言葉を再び胸に。
「ありがとな」
「こちら、こそ――――――――!!!」
何があったというわけではなかった。
虫の知らせだったのだろう。
夜明け前にも関わらずノクトは飛び起きた。
足は導かれるように動いた。
積もった雪に足を取られながら、路地の裏を駆け抜ける。
闇が覆う貧民街の一角で、その赤色だけがやけに眩しく煌めいた。
振り抜かれた剣と、それを握る少女の狂気的な笑み。
斬られた男の満足げな顔がやけに対象的だった。
「――――――――!!」
言葉が出ないまま、ノクトは呆然と立ち尽くした。
「ああ……ああ……あああ!! 主よ、主よ!! 主よぉ!! アハッ!! アハハハハハハぁ!!」
歓喜に空を仰ぐツルギの声に、ようやく唇が動いた。
「カーティス……?」
バニルは壁に背中を預け、ずり落ちながら座り込んだ。
「よぉ……ミューラー……」
「カーティス……カーティス!! 何故貴様が……生きて、なんで……」
「騒ぐなって……うるせえな……。ああくそ、死に損なった……ちゃんと仕留めろって、言ったのによぉ」
感動に身震いし、ひとしきり余韻を味わって、ツルギはいつもどおりの穏やかな笑顔を見せた。
「カーティス中佐が存外しぶとかっただけです。心配しなくてもちゃんと主の元へ召されますよ。もう痛みは無いでしょう?」
「……ハハハ、ああ」
「楽しかったです。一人斬って満足するなんて初めての経験です」
「そうか……」
「カーティス……」
「ツルギを……責めるなよ……。何があったかは、察してるだろ……」
「喋らなくていい!! すぐに第三部隊を呼ぶ!! しっかりしろ!! しっかり……」
ミューラーは夥しい量の血溜まりに言葉を途切れさせた。
「バカ……裏切り者を……助けようとなんか……するんじゃねぇよ」
「バカは貴様だ……!! なんで……なんで……」
「おれにも……軍人らしさがあったんだろ……。軍人として、そこそこやり切った……その末路がこれなら、まぁ……悪くはないんじゃねぇか……ゴボッ!!」
「カーティス!!」
血の塊を吐く。
熱が失われるに連れ、ノクトの焦りは肥大化した。
「ダメだ……ダメだ!! 死ぬな!! カーティス!!」
「無茶言うなよ……」
白む視界。
遠くなる声。
「後悔……ばっかだ……」
薄れる意識。
「悪いな、ミューラー」
二十一歳という若さで、彼は今度こそその生涯に幕を閉じた。
まるで眠っているかのような酷く安らかな顔で。
バニル=カーティス。
一人の軍人として生きた男であった。
いつまでバニルの手を握っていたか、むせ返るような血の匂いにハッとし、それから怒りを込み上げさせた。
剣を抜いて首に添えるもツルギは微動だにしない。
「殺意の無い剣に興味はありません」
「何故……何故だ……!!」
「軍人として密偵を始末した。それ以外に理由が必要ですか」
「カーティスは仲間だった!!」
「でも敵でした。だから、斬りました」
「なにが……だから、だ……!! 使命よりも快楽を優先したわけではないと!! 貴様は心からそう言えるのか!!」
「言いませんよ。だって事実ですから」
「ふざけるな!!」
「仲間を斬った私を斬りたいですか? いいですよ。どうぞ。ほら」
「――――――――ッ!!」
「フフ、ノッくんの人間味のあるところ、結構好きですよ。私なら斬ります。どんな理由をも押し退けて。迷わずに刃を振るいます」
ツルギはバニルのポケットからタバコを取り出した。
咥えて慣れない手付きで火を着け煙を吸い込むが、マズくて咳き込んだ。
「けほ、ごほっ。こんなものがおいしいなんて」
タバコをバニルの口に数秒。
それから力無く垂れた手の上に乗せた。
「カーティス中佐、言ってました。軍人とはそこそこ立派で、そこそこ誇れて、そこそこ稼げるちょうどいい仕事。そして、そこそこ頑張って吸うタバコがおいしいと。天へと続く白き旅路が、少しでも華やかにならんことを」
立ち上がりノクトに向き直る。
「斬った全てが私の糧です。私の狂気は本物ですが、感謝もまた本物です。私は生者を斬ることを至上命題と唱えこそ、死者を冒涜したことは一度足りとてありません」
「口だけなら何とでも言える」
「じゃあ何故、その指輪を使わなかったんですか? それを使えばカーティス中佐は斬られずに済んだのに。あなたは理解していた。私が理由無くカーティス中佐を手に掛けるわけがないと。信用していたんです。私と私の中の狂気を。ねぇ、ノッくん。共に戦場を駆けた裏切り者の友人と、職務を全うした人斬りの私。あなたの目に映る悪は、いったいどちらでしょう」
ツルギは左手で刃を握った。
血が滲んで地面に垂れる。
静かな威圧感にノクトは沈黙させられた。
「私を赦せないと言うのなら、その怒りはずっと胸の内で燃やし続けてください。それを糧にいつか、いつの日か、心ゆくまで斬り合えるように」
正論、純粋な心境、それらを耳にしノクトは強く歯噛みして壁に拳を打ち付けた。
「今なら少しだけ貴様の気持ちがわかる……軍人でなければ、貴様を殺していた……。貴様のやったことは正しい行いだ……。だが、それでも……カーティスは仲間だった……。けして……けして忘れるな。貴様が奪った命を。悼み、偲び、尊び続けろ。貴様が心を忘れ真の狂人になったとき……その時は、私が貴様を殺す」
「了解です。その誓い、絶対に忘れないでくださいね」
ツルギは血が滴る左手の親指で、自分の唇をなぞった。
魔導帝国に古くから伝わる習わしだ。
血を分かち合うことでその誓いを不変のものにし、それを破った時は死を以て償わなければならないというもの。
ノクトもまた親指を噛み切り唇をなぞる。
どちらからでもなく、二人は唇を重ねた。
「このことは口外するな」
「二人だけの秘密ですね、ノッくん」
嬉しそうにするツルギに、ノクトは唇を拭って言った。
「名前で呼べ。そのふざけた呼び方は不快だ」
「はい。ノクトさん」
いやに寒い、とある冬の日の出来事であった。




