可能性
バニルの遺体が見つかったのは明け方。
広場の噴水を赤く染めているのを、警ら中の第二部隊所属の兵が発見した。
「カー……ティス……」
事件を聞きつけた野次馬のざわめきに掻き消されるほどか細い声が、ノクトの口から漏れた。
いつまで呆然としていたかわからない。
第二部隊が現場を封鎖した後、レーヴェがノクトの前で敬礼した。
「早朝にご足労をおかけして申し訳ありません。事が事だったもので」
「いえ……。ご報告感謝します」
「詳しい検死の結果と犯行時刻は第三部隊の報告を待たねばなりませんが、死因はおそらく胸を一突きにされたことによる出血死でしょう」
「何故……カーティス……中佐が」
「ミューラー大佐、ヴォルフラム一等兵、兵舎の管理人が夜に彼と戻ってきたお二人を目撃しているようですが」
「夕食を共に。申し訳ありませんが、私は途中で眠ってしまったようなので、その後のことはよく覚えていません」
「そうですか。お嬢さん……ヴォルフラム一等兵は」
「私も先程までぐっすり眠っていました」
ふあぁ、と呑気にあくびを一つ。
第二部隊の兵に連れられやって来た。
「おはようございます、ノッくん、レーヴェさん」
重い瞼を堪え、噴水の脇に横たわるバニルに目をやる。
二人の脇をすり抜けたツルギは、バニルの傍らにしゃがみ込むと両手を組んだ。
「主よ、彼をお導きください。どうか安らかに。迷える魂に救済があらんことを」
数分の祈りを終えたツルギにレーヴェが問う。
「彼とは兵舎で別れたのが最後ですか?」
「ええ。ノッくんを部屋に寝かせて、私も部屋の前まで送っていただきました。その後のことはわかりません」
「つまり、最後に彼と話したのはあなたということになりますね」
「そうですね」
「お待ちくださいシュナイダー大佐。まさか、ヴォルフラム一等兵を疑っているのですか」
レーヴェは言いづらそうに言葉を続けた。
「カーティス中佐の遺体の傷は、見事すぎるほどキレイなものでした。聞けばヴォルフラム一等兵は剣の達人だとか」
「剣を扱える者ならいくらでもいる! 彼女はたしかに狂人と呼ばれる類の人種だが、それでも仲間を殺すような真似はしない!」
「彼女は入隊してまだ日が浅い。それほどまでに信頼出来るのですか。……私とて彼女を貶めたいわけではありません。ですが軍の関係者が、我々第二部隊が警護するこの街で殺害された。そこに私情は挟むべきでないにせよ、体裁を傷付けられたのは確か。第二、第三の事件が発生しないとも限りません。早急な事件解決のためにも、あらゆる可能性を網羅する必要があるということを言っているのです」
「だからと言って!」
「ノッくん、落ち着いてください。らしくありません」
当の本人はまたあくびをして口を挟んだ。
「もう少し冷静になるべきです。いつものノッくんなら、真っ先に私を疑うはずですよ」
「貴様、何を……」
「普段の素行、アリバイ、後は……動機ですか? 私なら斬りたいから斬ったで通ってしまうでしょうね。もちろん私は犯行に及んでいませんが、最も疑わしきは私です。私だって私を疑いますよ。もしかしたら夢遊病で、たまたま外出していたカーティス中佐を斬ってしまったということも考えられます。まあ、これはさすがに荒唐無稽ですけど」
「悪ふざけのつもりなら黙れ。今は貴様の軽口に乗ってやる余裕が無い」
ツルギは小さく肩を上下させた。
「レーヴェさん、事情聴取ということで私を連行しますか?」
「万に一つの可能性も見落としたくはありません。ご同行願えますか、お嬢さん」
「ではエスコートを。それと今日は一段と寒いので、ホットチョコレートの用意をお願いします」
「ヴォルフラム!!」
友人と遊びに行くようにニコニコと。
ツルギはノクトに手を振った。
「彼女を丁重に詰所まで案内するように」
「はっ! 来い!」
強くツルギの手を引いた兵の身体が吹き飛んだ。
「知能の低い猿か貴様は。それとも丁重にと言ったのが聞こえなかったか」
レーヴェは振り抜いた足を下ろすと、転がった兵の腕を踏みつけた。
「ぎゃあああ!!」
ミシッ……と骨が砕ける音。
「女性に乱暴を働く腕など要らないだろう。私の声に傾かない耳も」
「や、やめ――――――――」
男の右耳が炎に包まれる。
それはまるで街を、自身の矜持を汚された怒りを向けているかのようであった。
「立て。これが最後だ。彼女を丁重に案内しろ」
「は、はっ……!!」
男は折れた腕と焼け焦げた耳の苦痛に顔を歪ませながら、絶対的恐怖に身を従わせた。
「しばらく彼女には、重要参考人として勾留していただくことになるかと思います。けして手荒な真似はさせませんので、どうかご理解ください」
「……無駄な取り調べです」
「失礼します」
「……っ、あまりに不可解なことが多すぎる!! 何故カーティス中佐が殺害されたのか!! 何故カーティス中佐は夜間外出したのか!! 何故……何故……!!」
何故カーティスは殺されねばならなかったのか。
ノクトは友人としての言葉を、大佐として呑み込んだ。
明くる日、カーティスの葬儀が第一部隊のみでしめやかに執り行われた。
身寄りのない彼の遺体は帝都の共同墓地に埋葬されたが、葬儀にツルギの姿は無かった。
「カーティス中佐……どうして……」
すすり泣くオフィーリアの肩をドギーが抱く。
一同は悲しみに打ちひしがれた。
誰にも面倒見が良く、誰からも慕われる人望が伺える。
「それにしても、なんだってお嬢が……」
「重要参考人だという話だが」
「お嬢が中佐を殺すわけねぇだろ!」
ツルギは仲間だ。
しかし彼女の狂気は部隊の知るところでもある。
完全に潔白だと言い切れる理由の方が少なく、彼らは重く口を閉ざした。
更に翌々日。
ノクトは猛烈な勢いで本部に乗り込んだ。
「ツルギ=ヴォルフラム一等兵の釈放を要求します!」
嘆願の相手はシルベスター=ヴォルフラム中将。
ツルギの養父である。
「話は聞いているよ。まずは落ち着いて掛けたまえ」
「奴にはカーティス中佐を殺害する理由がありません!」
「理由か。たしかにそのとおりだ。しかし、そんなもの考え始めたらキリが無い。なんせ彼女にはカーティス中佐……いや、殉職による二階級特進で准将か。追い抜かれてしまったね」
ノクトは鋭い視線を向けた。
「失礼。彼女にはカーティス中佐を殺害する動機も、殺害して得られる利点も無いが、人を斬りたいという動機だけはある。たったそれだけだ。だが、何より大きな理由でもある。人斬り令嬢の異名は伊達ではないという証明で、それだけで周囲の目に疑わしく見えてしまうのは事実だ」
「そんなたられば……それこそキリが無いではありませんか!」
「若いな。部下を、友を殺められて熱り立つ気持ちはわかるが、冷静になりたまえ。彼女なら証拠不十分でいつか釈放される。君もそれはわかっているだろう。カーティス中佐を偲ぶなら、まずは君が落ち着いて物事を見定めるべきだ」
シルベスターはタバコに火を着けた。
「心配しなくても、事が終われば彼女の勾留は解ける」
「事?」
「これはまだ軍上層部と一部しか知り得ない話だが、近日中にエリザベート皇女殿下がご帰還なされるそうだ」
「?! たしかに巡礼が終わる時期かと存じますが、そんなに急に?」
「日程が前倒しになったらしい。皇女殿下は才媛であられるからね。すでに神聖国を出立し、明後日には帝都に凱旋なされる」
「しかし市民には」
「本来ならば祭り事だが、他国との戦時中に自分のために派手な催しを開くことは憚れると、皇女殿下のお達しでね。ひっそりとお戻りになり、頃合いを見て禊を終えた旨を発表するつもりらしい」
「それとヴォルフラム一等兵とどういう関係が?」
「万が一にも不安の芽は摘んでおきたいということだろうね。彼女はとにかく多方面から目をつけられているから。それは私もだが。第二部隊による勾留も、どこかから圧力がかかったのだろう」
「中将の一声でも叶わないということは、その上の」
「口は噤む時に噤まねば火種になるよ。ミューラー大佐、君が今やるべきことは真犯人の手掛かりを探すことだ。カーティス中佐の無念は君が晴らしたまえ」
ノクトは灰皿にタバコを押し付けるシルベスターに、無言で敬礼した。
一方その頃。
「コーヒーのお代わりを」
豪勢な三食と間食。
普段の寝床よりも立派な、シャンデリア付きの部屋。
勾留されているとは思えない高待遇を、ツルギは満喫していた。
「貴様という奴は……」
あまりにリラックスした態度に、ノクトは怒りを越えて震えた。
「住めば都と言いますが、まさしくです。これならもうしばらく勾留されてもいいかもしれません」
「お気に召していただき光栄です」
レーヴェ自らコーヒーを給仕する始末。
部屋の外には見張りが立っているが、部屋には鍵一つかかっていない。
あまつさえ帯剣を許可しているともなれば、最早賓客である。
「外出が禁じられているのが不愉快ですが」
「当たり前だ」
「ミューラー大佐、コーヒーは?」
「結構です。その後捜査に進展は?」
「何も。部下に貧民街まで足を運ばせましたが」
「貧民街の人間は好き好んで表に関与しませんよ。例外は、せいぜいがゴミ漁りか、切羽詰まったスリや置き引き程度。自分たちを差別する人間がどうなろうと、どうしようと、彼らには関係がありません」
ツルギの言い分が正しいことを、ノクトたちは理解している。
貧民街は無法という法に守られた、謂わば帝都とは別の街。
軍とDUST’が君臨することで双方の治安は保たれていると言っていい。
言い換えれば、わざわざ貧民街の人間が軍の関係者を殺害する理由が無いということだ。
「カーティスを殺害した犯人が貧民街に逃げ込み潜伏している、という可能性は」
「無くは無いでしょうね。貧民街ほど隠れ蓑に適した場所はそうは有りませんから」
「カーティス中佐の件といい、密偵の件といい、私が居ながら何という……」
眉間に皺を寄せ唇を噛むレーヴェに、ノクトはハッとした。
「密偵……カーティスは、その密偵に襲われたのでは……。偶然何かを発見し、口封じのために殺害された……もしそうなら!」
「ノッくん」
ツルギは口を付けていたカップを置いてノクトを宥めた。
「全て可能性です。根拠がありません。推測の域で物事を測るのは愚の骨頂ですよ」
ノクトはひたすらに冷静なツルギに苛立ち胸ぐらを掴んだ。
部下に手を上げる。
軍人として忌避すべき愚行を犯すほど、彼女の頭は沸騰していた。
「貴様に……貴様に何がわかる!! ただの人斬りの分際で!! 私の何が!!」
「何も。心中察するとは言いません。ですからこれはただの進言です。光明の見えない可能性に縋る……それで救われるのならいくらでもそうすればいい。べつにそれは悪いことではありませんから。けれど感情に支配された頭で何を考えても、自分に都合の良い解釈しかしない。そんなことくらい、あなたならわかるはずです」
「っ!!」
ノクトが拳を握ったのを見て、それを振りかぶる前にレーヴェが手を添えて止めた。
「女性同士の諍いを聞くのは耐えかねます。どうか」
「……失礼しました」
ツルギの襟首から手が離れる。
か細い声ですまなかったと告げると、ノクトは部屋から出ていった。
「羨ましいです」
「羨ましい……とは?」
「感情を剥き出しに出来て」
胸元を正すと、ツルギはレーヴェに訊ねた。
「私の釈放はいつになりますか?」
「詳しい日程はわかりかねますが、皇女殿下の凱旋の後ということで、おそらくは一週間ほどになるかと」
「そうですか」
「不便をおかけします」
窓の外を眺めて呟く。
「また雪が降り始めましたね」
空から落ちる淡い白に、ツルギは一人静かに胸を高鳴らせた。
誰にも気付かれないように。
『光明の見えない可能性に縋る……それで救われるのならいくらでもそうすればいい』
ノクトはツルギの言葉を思い出し、壁に強く手を打ち付けた。
「そんなこと……!!」
わかっている。
けれどどうしようもない。
友人が死んだ悲しみはどうしようも。
「くそ……!!」
下げた腕が剣の柄に当たったとき、ノクトはあることに気付いた。
「勾留されて三日……ヴォルフラムが何も斬っていない……?」
抑制されて苛立ち興奮している様子も無かった。
むしろ落ち着いているようだった。
ツルギという人物のことを全て理解しているわけではない。
しかし、何も斬らないという常識的な不自然は、あまりにもノクトに疑念を抱かせた。
まるで我慢をしているようだ。
何を……決まっている。
次に斬るものを、だ。
ならば何を……とノクトは考える。
自分が知らない何かをツルギは知っている。
そして、待っている。
絶好の獲物を。タイミングを。
最高の快感を得られる瞬間を。
言い様の無い漠然とした不安と確信を胸に、ノクトは雪が降る空を見上げた。
そして、それから四日後。
雪が全ての音を吸い込む静寂の早朝。
一台の馬車が帝都に到着した。




