人斬り令嬢《ブルートザオガー》
「キレイ……」
少女は産まれながらに異端であった。
少女はただの異物で、そして――――――――
「こんなキレイなもので自分を斬ったらどうなるのかな」
真紅の色が誰よりも似合う純粋無垢な怪物であった。
――――――――
吹雪く白銀の豪雪地を進軍する人の群れが一つ。
北王国軍中隊。
魔導帝国の国境を越え、北方領に陣取らんとするべく、白い息を吐きながら深い雪を押し分けて進む。
「ああ、くそっ。足先がかじかんできやがった。なんて雪だ」
「指先も感覚が無くなってきたな」
「我慢しろ。もうすぐ帝国だ」
「失礼いたしました隊長!」
「こんな雪でもなければ、これだけの人数で帝国に気付かれずに侵入など不可能だったろう。上手く帝国に入り込めた際は、酒と風呂を手配しよう」
「はっ! 恐縮であります!」
「隊長、女も欲しいところですね。帝国の女は具合がいいと窺っておりますから」
「諸君らの指揮が上がるなら吝かではない。本日の夕刻までに国境沿いの村に辿り着いた暁には、村の女は好きにしてよいものとする」
「聞いたかみんな! 隊長のお許しが出た! 国境までもう少しだ! 熱き魂で奮い立とう!」
中隊は高揚した。
国境を越えれば待つ酒池肉林に熱り立った。
小高い丘陵を登り、ようやく国境を越えたいうところで、隊を率いる隊長がいち早くそれに気付いた。
「?」
雪風より白い銀の髪を靡かせる一人の少女に。
「こんなところに――――――――女?」
視線が交差した一瞬。
本人でさえ気付かぬほど速く、自然に。
首が飛んだ。
「へ?」
誰一人として反応出来ず、隊長の頭が埋もれた雪が赤く染まっていくのを見て、やっと悲鳴が上がった。
「う、うわぁぁぁ?!!」
「たっ隊長?!」
少女は風で飛びそうになった軍帽を押さえながら、爛々と輝く紅と蒼の目を彼らに向けた。
そして、
「ごきげんよう。ようこそ魔導帝国へ。北の田舎者の皆様に歓迎と感謝を。斬られに来てくれてありがとうございます」
淑やかな容貌からは想像もつかない歪んだ笑顔で、握り締める剣を横薙ぎに振った。
一つ、二つ、と首が宙を舞う。
阿鼻叫喚の人混みの中を駆け抜け、斬って、斬って、斬って、斬る。
返り血すら置き去りにするスピードで。
「こ、このっ!!」
混乱する隊の中には銃を向けて応戦する者もいた。
が、引き金を引くより剣がすり抜ける方が早い。
銃ごと身体を斬り裂かれ、男は無念を感じる間も無く死んだ。
「鉄の硬さも斬り甲斐はあるんですけどね。無機物を斬るっていうのはつまらないです。やはり生きているものを斬ってこそ」
「おおおおお!!」
「剣は剣足り得ます」
剣で向かって来る者に対しては特に嬉々とした。
斬り合いこそが生を実感する瞬間だと言わんばかり。
仲間が次々と血しぶきを上げて散っていくのを、最後尾の男は震えながら眺めていた。
とうに戦意は喪失し、冬の寒さとは別次元の悪寒に歯を鳴らす。
「悪夢だ……」
「夢なんかじゃありませんよ」
「ひ、ひいいい!」
へたり込んで後ずさる男の正面にしゃがみ、少女は小首を傾げて微笑んだ。
「あなたたちが我が国の領土を侵犯したのも、この冬の猛烈な寒さも、命を握り締められる感覚も、全部本物で現実です。本当はあなたも斬りたいんですけど、一人は連れて帰ってこいという命令なので。このまま捕縛しますね。……その前に一つお願いがあります。北王国の兵隊さん」
「お、お願い……?」
「抵抗してくれませんか?」
「な、なんで……」
「だってほら」
その所作はさながら、恋する乙女の如く。
可憐でいじらしく愛らしいおねだり。
「そしたら正当防衛で斬れるじゃないですか」
だから抵抗してください、と少女は血に濡れた剣を手に朗らかに笑った。
「ね? お願いします。まあ、捕虜になったところで拷問されて情報を聞き出した後は殺されると思いますから、遅かれ早かれだと思いますけど。どうせ死ぬなら最後にこの願いを聞き入れてはもらえま――――――――」
「う、うわぁぁぁぁ!!」
「ありがとうございますっ」
男が半狂乱になりながら銃口を向けたのに対し、少女は至近距離の弾丸を躱し、感謝と共に男の身体を真っ二つに斬った。
「はぁ……さいっこーです」
手に残る感触に、全身を貫く快感に、余韻の最後の一瞬まで堪能して。
ツルギ=ヴォルフラムは血溜まりの上で身体を火照らせた。
魔導帝国。
国と国が争う混沌の時代に於いて、魔導帝国はかつて魔術と呼ばれる神秘の力によって栄え、科学の発展と共に築かれた強大な軍事力を有する国家として、周辺諸国から常に警戒と侵略を受けていた。
侵攻、防衛の役目を担っているのが帝国軍。
帝国直轄の軍務局では、兵士たちが日々国のために汗水を垂らし、心血を注いでいる。
そんな兵士たちの中に在って、その人物だけは異質であった。
「天にまします我らの主よ。あなたは今日も私に恵みをお与えくださいました。飢え乞いる貧しき者を他所に恵みをいただく罪深き私をお許しください」
粗野で野蛮な連中が多い軍人たちの中、食事の前の祈りを欠かさない。
他の者が薄いベーコンとスクランブルエッグ、固い黒パンをかじっている中、ステーキ肉の付け合せに厚切りのベーコンを、焼き立てフワフワの白いパンを湯気が立つ具沢山のシチューに浸して優雅に食している。
デザートにはシロップたっぷりのパンケーキまで付いている始末。
「んー♡」
たとえ食事に差があろうと、それが自分たちより年下の少女であろうと、ましてやそれが階級を持ってすらいないただの士官候補生であろうとも。
誰もその異常な光景に不満を漏らすことをしない。
彼女が何者かを知っていればこそ。
そう、彼女が何者かを知っていれば。
「おい貴様」
この後起こる大惨事は回避出来たのだ。
「ここはいつからレストランになったんだ? 我々軍人様が豚の餌を食ってるってのに、貴様のようなガキが大層美味そうなのを食ってるってのはどういうことだ?」
「もぐもぐ……ごくっ。失礼ですが、あなたは?」
「上官を相手に座りながら、敬礼も無しとはいったいどういう了見だ」
「はぁ」
「ふん。どうやら本部は随分甘い指導を課しているようだ。このような軍人と疑わしい者がのさばっているとは。帝国軍第六部隊、ハッセル=ガフ少佐だ。覚えておけ」
「どうも。ツルギ=ヴォルフラムと申します。用件はお済みですか? 申し訳ありませんが、今は食事中なので。火急の用でないのであればお静かにお願いします」
再びステーキにナイフを入れようとしたとき、ハッセルの払った腕がトレイを床に落とした。
「ああ……主より与えられし糧が」
「階級無し。見たところただの士官候補生だな。一丁前に外套なんぞ羽織って軍人ごっこか? それとも慰安婦が仕事に来たか。そういうことなら相手をしてやらんこともない。部屋に来い。百人斬りと謂われた私の剣で礼儀というものを教えてやる」
「百人斬り!」
その言葉を聞いた途端、ツルギは細めていた目を開いて爛々と光らせた。
「百人斬りなんて! それはすごいですね! ぜひお相手をお願いします! さぞ立派な剣とお見受けします!」
「お、おお。物分かりがいいではないか。ふむ、なかなか見目も悪くない。ついて来い。可愛がってやろう」
「はいっ! 喜んで!」
二人が食堂を去った後。
兵士たちは波立たないようヒソヒソと声を潜めた。
「おい、誰だあのデブ」
「第六部隊っていったらあれだろ。最近まで修道院領に遠征に出てた」
「ああ……だから知らないのか。よりによってあの人斬り令嬢に声を掛けるなんて」
「おっかねぇ。どうなっても知らないぞ」
「じゃあ止めてやればよかったじゃねぇか」
「バカかよ。戦争でもないのに死にたくねえよ」
「いや、逆に羨ましいのかもな。あいつを女として見られるなんて」
「女? あれは女の形をした――――――――剣だろ」
「ああ゛ぁあァァァァァァ!! 私のッ!! 私のォォォォォ!!!」
「なんですか……ちょっとだけ期待したのに。はぁ……こんなものに時間を取られるなんて」
ツルギは手に持った……もとい、ナイフで斬り落としたそれを床に放り捨てた。
「どうしようもなくつまらない人ですね。今回は見逃しますが、また嘘をついたら次は怒りますよ」
血生臭い部屋を後に開口一番。
「お肉、まだ残ってるでしょうか」
泣き喚くハッセルにはもう毛ほどの興味も無く、食べ損ねた朝食を思い腹の虫を鳴かせるのであった。