64.アリシア
「いい加減にして!!」
甲高い声に、私は物思いを覚まされる。
「聖女はわたくしです! わたくしこそ、聖女にふさわしい! わたくしはセレスティナ・デラクルス! デラクルス公爵令嬢で聖竜の妃で、星銀の聖魔力の持ち主! 世界に選ばれし高貴で神聖な存在!! それがわたくしの運命なのに、それだけの運命を背負ってこの世界に生まれてきたのに、どうして誰も認めないの!? わたくしは、わたくしにふさわしい扱いを求めているだけなのに何故、誰も彼もその女ばかり優遇するの!?」
デラクルス嬢の指が私をさす。
「その女は偽物!! わたくしの聖魔力を盗んだ魔女!! 男を手玉にとって、自分がちやほやされる逆ハーを作ることしか考えていない悪女なのに、みんなその女にだまされて!! どうして誰も、わたくしの高貴さや特別さを認めないのです!!」
「…………」
頭を振り乱してわめくデラクルス嬢の狂態に、私は反論する気もわかない。
「ティナ、それは」
「いいえ、負けないわ」
さすがに口をはさもうとするレオポルド殿下に耳をかさず、デラクルス嬢は一人でぶつぶつ、しゃべりつづける。
「男好きのする強欲なゲームヒロインが、次々攻略対象達をたぶらかして逆ハーレムを作るのは、悪役令嬢漫画の定番だもの。わかっていたことよ、わたくしは負けないわ。あなたがどんなに周囲をだましても、わたくしは高貴な悪役令嬢、あなたごとき下賤なゲームヒロインは最後には負けるさだめ! ブルガトリオ様だって、魔女や悪女にはだまされませんわ、真のヒーローですもの!!」
最後に、ぴしぃ!! と、指を突きつけてきたデラクルス嬢に教皇猊下はむろん、レオポルド殿下やルイス卿やエルネスト侯子も、なにも言えないようだった。
おそらく彼女の言葉が理解できていないのだと思う。
「…………聖女だの妃だの、称号には興味ありませんし、欲しければ持っていけ、というのが本音ですけれど」
私は進み出た。嫌だったけれど、このままでは話が進まないし、この中でデラクルス嬢の話が理解できるのは私しかいないのだから、しかたがない。
「いい加減、マンガから離れませんか? 正直、私はこのマンガの内容はよく覚えていないですけれど、そちらがそこまでぎゃあぎゃあ言うからには、今の状況は相当、本来の筋書きからそれているんでしょう。でも、おかしいと思いませんか? 私達には、あまりに自由意志や自由行動が許されている。もし本当にマンガどおりなら、そこまで展開に齟齬が生じるのは変だと思います。前世のマンガの知識があるとか、そういう水準を越えています」
「…………なにが言いたいの?」
「あきらめましょう、ということです」
私は言った。
「マンガに沿った展開はあきらめましょう、デラクルス嬢。断罪されるゲームヒロインの私にとってはそのほうが都合いいから、こう言えるし、主人公であるデラクルス嬢にとっては不都合極まりないことも、理解しています。でも、それでも『あきらめましょう』としか言えません。あきらめるしかないんです。理由はわからないけれど、私達にはマンガの展開を変える力が与えられている。だったら、私は変えるほうを選びます。断罪されたくないですから。全力で回避します。その時点で、どうしたってマンガどおりには進まないんです、絶対に」
「『マンガ』…………?」
誰かの不思議そうな呟きが聞こえる。
「私はマンガとは違う展開を選びますし、その中で、自分の望みを叶えて幸せになる道を探します。デラクルス嬢がマンガの展開を望むのも、そのために努力するのも勝手ですけれど、私は抵抗します。マンガの展開だからといって、断罪や娼館行きを受け容れることはできません。それに」
私は特に声に力をこめる。
「レオポルド殿下もタルラゴ卿もバルベルデ卿も、私の好みではないので、逆ハーレムとか不要です。グラシアン聖神官は同じ聖神官、仲間としては信用していますけれど、恋愛対象とは見ていませんし。そもそも私は、小さな頃から好きな男性がいるんです」
「え」「あら」と背後から女性の声が聞こえた。
生真面目で、私を聖女として美化しているふしがあるルイス卿は、私に「好きな人がいる」という俗っぽい一面があるとは思っていなかったのだろう。
というか、もっと早くにこの事実を告げていれば、デラクルス嬢やレオポルド殿下に、あそこまで警戒されることもなかったのでは? 接点がなかった以上、しかたないけれど。
「私は、私の望む道を行く。デラクルス嬢は、デラクルス嬢の望む道を行く。それだけだと思いますけれど?」
私は結論づけた。他に言い様はない。
デラクルス嬢がなんと言おうと、マンガの展開がどうであろうと、はたまたこの世界の人々が、神様がなんと言おうと、私はゲームヒロインの「公太子と攻略対象達を篭絡して悪役令嬢を陥れようとし、失敗して断罪されて云々」という展開は受け容れられないのだ。
それが人としておかしいとは思わないし、そこに「運命どおりであるべきだ」と押しつけてくるものがいるならば、悪いけど逆らうまでだ。
だがデラクルス嬢は納得しなかった。
(気持ちはわかるんだけれど。あちらは悲惨な結末が待っている悪役じゃなく、ハッピーエンドが待っていたはずの主人公なんだもの。気持ちはわかる、けど…………)
「偉そうに…………っ」
ぎり、と歯ぎしりの音が聞こえる。
「あなたはヒロインだから、そんなことが言えるのよ! 誰からも愛されて、努力をしなくても生まれつき特別な力を持っていて、そのおかげで世界に必要とされて、ちょっと努力すれば必ず結果が出て、ただそこに在るだけで愛され、求められる!! ヒロインに生まれたというだけで楽に生きてきた人に、わたくしのつらさは理解できないわ!! わたくしは悪役!! 誰からも愛されないし、特別な力も持っていなくて、努力しても認められない! あなたがそんな風に言えるのは、あなたがヒロインだから!! 悪役のわたくしがどれほど苦しんできたか、わたくしの孤独も苦しみも理解できないくせに、偉そうに上から目線で指図しないで!!」
「ティナ…………っ」
「あなたねぇ…………」
私は、かっちーん、ときた。
「いい加減にしてよね! この世界はヒロインものじゃない、悪役令嬢ものでしょ!? 主人公なのも恵まれているのも、あなたでしょうが、セレスティナ・デラクルス!!」
肩をいからせ、大口を開けて怒鳴っていた。ツッコまずにはいられない。
「そもそも! 有力な公爵家の令嬢に生まれて、顔とスタイルと頭に恵まれて、幼い頃から公太子の婚約者に決まっていて! その時点で充分、勝ち組でしょ!? そのうえ婚約者には溺愛されていて、婚約者以外にも大事にされていて、逆ハーレム作っていたのは、そっちじゃない! それをなに!? 私のほうが『恵まれている』『そこに在るだけで愛される』って! 冗談じゃないわ!!」
だんっ!! と、力いっぱい地面を蹴る。
「あなたは幼い頃から、大きなお邸で大勢の召使いに囲まれて、食事も服も何不自由なく育ったんでしょ!? こっちは八歳で家族を失って神殿に入って、聖神官見習いになって個室がもらえるまでは、大勢の子供と一緒に大部屋暮らし、個室だってせまいし、食事だってつい最近まではパンとスープに、リンゴかチーズがつく程度。絹やレースのドレスなんて、一度も着たことないんだから!! 聖神官になれなかったら、一生、未婚のまま神官として生きるか、外に奉公に出るくらいしか選択肢がないのよ!? それでも私のほうが恵まれている、っていうなら、平民の暮らしを知らなさすぎでしょ、大公妃教育をうけていたくせに!!」
「なん…………っ」
「しかも『特別な力を持っていない』『努力しても認められない』、って!! 前世の記憶やマンガの知識は、充分アドバンテージでしょ、私は前世やマンガの記憶はほとんどなかったし、新しいケーキのレシピとかガラスペンとか、どう見ても前世の知識よね!? 充分、楽して結果を出して、みんなに褒められているじゃない!! 大公陛下を癒したあとは、新たな聖女候補だって、貴族達に称賛されていたし! 私は見たわよ!!」
「そ、それは…………貴族だから、お世辞は当たり前で…………」
「だいいち、なに!? 『孤独だった』とか『誰からも愛されていなかった』とか! なら、レオポルド殿下の存在はどうなるの!? レオポルド殿下にあれほど溺愛されて、タルラゴ卿達にも慕われて、だからこそ、入学式の日にあれほど私を敵視したんじゃない! それも無かったことにするの!? 殿下はあなたがイストリア皇子と駆け落ちしても、大公陛下や他の人達が見捨てても、殿下だけはあなたを信じて、あなたは悪くない、だまされた被害者だ、って庇ってくれていたのよ!? それすら、お世辞だった、って言うの!? 殿下が今日まで、どれだけ肩身のせまい思いをしてきたと思っているのよ!!」
「そ、それは…………」
「ティナ」
レオポルド殿下が進み出る。
「帰って来てくれ、ティナ。君がそんなに悩んでいたこと、苦しんでいたこと、一人で寂しい思いをしていたこと、すべて、気づかなかった私の責任だ。守ると、あれほどくりかえしておきながら、私は君の気持ちを何一つ理解していなかった。本当にすまない」
レオポルド殿下は王子様らしく、愛するただ一人の令嬢の前に跪き、彼女の白い手をとる。
「君を救えなかった私が、こんなことを望む資格はないのかもしれない。だが、それでも言わせてくれ。帰って来てほしい、私と共にいてほしいんだ、ティナ。初めて出会ったあの日から、ずっと君に恋していた。愛している。この数ヶ月間、私がどれほど君に焦がれていたか、身をもって思い知らされたんだ」
「レオ様…………っ」
さすがのデラクルス嬢も狼狽する。
「いけませんわ、レオ様。わたくしは、もう…………っ」
「君とヒルベルト皇子の件は、大公陛下にも大臣達にも、いっさいなにも言わせない。私も忘れる。だから戻って来てくれ、ティナ。私には君以外の妃なんて考えられない」
「レオ様…………っ」
デラクルス嬢の青玉の瞳が涙に潤む。
「わたくしをそこまで深く愛してくださったこと、本当に嬉しゅうございますわ、レオ様。でも駄目なのです。わたくしは悪役令嬢。この世界でもっとも高貴で神聖な存在になるべしと、世界にさだめられた身分です。ゲームヒロインに惑わされて断罪される、愚かな婚約者とは結ばれぬ運命なのです」
デラクルス嬢は本当に苦しげな切ない表情で、レオポルド殿下から顔をそむけた。
「ああ。本当に、レオ様が真のヒーローだったら。ヒルベルト皇子ではなく、レオ様がイストリアの皇太子だったなら。いっそ聖なる存在だったなら。わたくしは何も悩むことなく、レオ様と結ばれておりましたのに…………っ」
「ティナ。さっきから君の言う、運命だのヒロインだの悪役令嬢だのというのは…………」
「要は、脇役では嫌だ、ということでしょう」
私は、つい口をはさんでしまっていた。
「レオポルド殿下より格上の皇子が現れたら、そっち。そっちに振られたら、もっと格上の聖竜様。けっきょく、自分が一番好条件の男を手に入れたい、それだけですよ。中身はどうでもいいんです。重要なのは、自分が一番上に立てるかどうか。だから『レオポルド殿下が聖竜だったら』なんて言い出すんですよ、殿下自身を愛しているなら、ノベーラの公太子のままで問題ないはずなのに」
「無礼な!!」
デラクルス嬢が反論した。
「わたくしは間違いなく、レオ様を愛しておりましたわ! 運命故に結ばれぬことが、どれほどつらく苦しかったか! 逆ハーレムが好きなだけで、真に誰かを愛したことのないゲームヒロインに、なにがわかるというの!?」
「それほど愛しているなら、運命をはねのけて結婚すればよかったのでは? 少なくとも、このマンガの運命は強くないみたいですから、本気で抗えば、どうにかなったと思いますよ? それに、あなたが殿下と結婚していれば、殿下はマンガの悲惨な結末を回避することもできたかもしれないのに。そうしなかったのは、そこまで殿下を愛していなかったからでは?」
「――――っ!!」
「ティナ…………そうなのか? 君は、私を…………私は君に嫌われて――――っ」
「ブルガトリオ様!!」
デラクルス嬢は、無言のまま見守っていた緋髪の男にすがりつく。
「お願いですわ、ブルガトリオ様。あの最悪の魔女に、なにか言ってやってくださいませ!」
デラクルス嬢に頼まれ、緋髪の男は「ふむ」と、デラクルス嬢と私を見比べた。
「『マンガ』とは何だ? どういう意味だ?」
「え…………」
「そっち?」
デラクルス嬢でなくとも、肩透かしをくらったと思う。




