62.アリシア
「ティナ! 本当に君なのか!? ティナ!!」
「レオ様…………!?」
古代の女神めいた衣装をまとって現れたデラクルス嬢が、驚きに目をみはる。レオポルド殿下は「信じられない」という表情で、今にも駆け出しそうだ。
緋い光がデラクルス嬢の横から放たれる。
巨大な竜の全身が緋い光と黒い影に包まれ、溶けるように縮まって光が収まる。
竜が姿を消し、かわりに緋い髪を長くなびかせた長身の男が現れた。
「竜が…………人に?」
ルイス卿が呆然と呟く。
「ふむ」と、緋い髪の男が私を見た。
「あれが今のアンブロシアか。まだ開花前のようだが。アイシーリアとはずいぶんかけ離れた容姿だな」
黒の瞳がこちらに据えられる。
向こうにとっては何気ない仕草だったかもしれないが、それだけで私は背筋に冷汗が流れた。ルイス卿が庇うように私の前に立つが、その彼女の肩も震えている。
「まあ!」と、デラクルス嬢が声をあげた。
「アンブロシアはわたくしです! あの女は偽物、わたくしの聖魔力を奪って我がものとした、盗人ですわ!! そう説明しましたのに!!」
「そうだったな」
男の袖をつかんで憤慨するデラクルス嬢に対し、緋髪黒眼の男は泰然と流す。
デラクルス嬢は私達のほうを向き、ちらりとレオポルド殿下を見てから表情をあらためた。
「アリシア・ソル。その《聖印》をわたくしに献上なさい。それは聖女の証。偽物が持っていい品では――――!?」
デラクルス嬢の声が止まる。
「どうした?」
「《聖印》が…………二つ!?」
デラクルス嬢は私の手の中を凝視し、白い石が二つ、のっている事実に気がつく。
「――――! セリャド火山の、麓の神殿の分か!」
男も目つきをやや鋭くして私を見た。
「セリャド火山? ああ、そういえばあなたは、セルバ地方でのわたくしの手柄も横取りしていましたわね、アリシア・ソル。そう、その時に《聖印》も盗んでいたのですね」
「手柄? デラクルス嬢の?」
私は首をかしげる。
「セルバ地方で、埋もれた神殿の地下から国境線の記録や宣誓書を発見し、ノベーラとクエントの戦争を終結させる英雄となるのは、わたくしの未来のはずでした! それなのに、あなたはわたくしの聖魔力ばかりか、功績まで盗んで…………! いい加減、わたくしの力を返しなさい!!」
「…………はあ」
「! なんて…………反省の色もないなんて、なんて邪悪な魔女…………!!」
「いや、そう言われても。私の聖魔力は、小さい頃に火事がきっかけで覚醒しただけで、あなたから盗んだ覚えは微塵もないし。記録や宣誓書の件も、発見したのはエルネスト侯子殿下やデレオン将軍です。『わたくしの功績だった』なんて言われても『現地に来てもいない人が、なに言ってるの?』としか思えません」
本音だった。
マンガはどうか知らないが、あの地で苦労したのも、火事で死ぬ思いをしたのも私、アリシアだ。『盗人』なんて言われる覚えはない。
けれどデラクルス嬢は細い眉を吊り上げ、激しい口調で私を指弾してくる。
「あなたの聖魔力は、わたくしのものです、アリシア・ソル!! レオ様をたぶらかし、イサーク達を篭絡してわたくしを罠にかけ、わたくしを殺そうとした!! その罰として、神はあなたから聖魔力をとりあげ、わたくしの魂の気高さや高貴さを認めて、わたくしに聖魔力を移して次代の聖女と認める! それが真の未来です!!」
なるほど、マンガではそうなっているのか。
うすうす気づいていたが、やはりマンガの知識はあちらのほうが豊富らしい。
ただ私達に限っては、結果を見ると、それが逆に足を引っ張ってしまった感がある。
「悪役令嬢ものの定番ですね。たしかに、私は断罪されるゲームヒロインのようですし、あなたは主役の悪役令嬢のようですけれど、私はレオポルド殿下達に近寄らなかったし、あなたを罠にかけた覚えもない。神様から罰をうけなければならない理由は、ありませんけれど?」
ルイス卿やレオポルド殿下達が、私とデラクルス嬢の顔を見比べる。
デラクルス嬢の言い分だけでも「?」と思っていたところに、私が普通に話が通じているようなので、ますます不思議がっているのだろう。
「それこそ、あなたの陰謀でしょう、アリシア・ソルっ!!」
デラクルス嬢の顔が悔しげにゆがむ。
「わたくしが…………わたくしが、悪役令嬢なのに! あなたが転生者で、漫画の知識を使って邪魔をしたから! だから、わたくしは聖魔力を手に入れられず、聖女と認められるのも、こんなに遅れてしまった! あんな皇子にもだまされ、侮辱されて…………っ。わたくしはセレスティナ・デラクルス、次代聖女でイストリア聖皇后なのに…………っ!!」
にぎりしめた拳をふるわすデラクルス嬢に、レオポルド殿下が戸惑いを露わに問いかける。
「イストリア…………皇后? なにを言っているんだ、ティナ。皇子とは、ヒルベルト皇子のことか? 君はやはり、あの傲慢な男にだまされていたのか!?」
レオポルド殿下の表情に希望の光がさす。
デラクルス嬢もようやく彼のほうを向いた。
「レオ様…………聞きましたわ。レオ様が、ヒルベルト皇子にだまされて、さらわれたわたくしを助けるため、イストリアへの侵攻を進言していた、と。それなのに大公陛下や大臣達はイストリアに恐れをなし、レオ様の訴えを黙殺していた、とも…………レオ様だけです、イストリアを恐れず、あの国でそこまでわたくしを愛し、信じてくださったのは――――」
「ティナ…………!!」
レオポルド殿下の凛々しい美貌が苦渋に歪む。
「やはり…………やはり、君はだまされていたのか! あの、皇子とは名ばかりの下劣な男に無理強いされ、侮辱され…………それなのに、私は君を守ることもできず…………っ」
「レオ様…………っ」
胸をしめつけられるような、美男美女による切ない場面だった。
ここだけ切りとれば。
「えー、でもレオポルド殿下が魔術の薬で婚約破棄した時、デラクルス嬢、ノリノリでヒルベルト皇子の求婚を受けていませんでした? 『わたくしをさらってくださいませ』って」
私があえて乾いた口調で口をはさむと、ルイス卿は「それ言っちゃいます?」という顔になったし、教皇猊下やエルネスト侯子も「あ、そうなの?」という表情になる。
「言っていませんわ、そんなこと!!」
デラクルス嬢から今までで一番強い否定が返ってくる。
「いや、言いました。あの場には大勢の人がいたし、大公陛下もいらしたのですから、聞けばわかります」
「いいえ、言っていないわ!! 勝手に記憶を捏造しないで、卑怯者!! ああ、まさにあなたのやり方だわ、アリシア・ソル! 嘘の噂を広めて悪役令嬢の評価を落とすなんて、あざといヒロインの定番!! 間違いなく、あなたは最悪の魔女だわ、下劣な悪女!!」
「無礼な!!」
デラクルス嬢の罵倒に、反応したのはルイス卿だった。
「先ほどから何をおっしゃっておられるのか、私には見当もつきませんが。あの宴の夜なら、私も現場におりました! 理由はどうあれ、ヒルベルト皇子の申し出をうけ、皇子と共にあの場を去ったのは、デラクルス嬢ではありませんか!! アリシア様は公都でもセルバ地方でも大勢の人々を癒し、戦争終結に奔走して、全力を尽くされました。そのアリシア様が発見された誓約書をイストリアに献上して、あらたな戦争の火種を作ったのは、そちらでしょう!? あなたのような売国奴に、アリシア様を罵る資格があるとでも!?」
「この…………無礼者!!」
肩をいからせ踏み出したデラクルス嬢に、ルイス卿も一歩踏み出し、かまえる。
「やめろ、ティナ!!」
レオポルド殿下が割り込むように、デラクルス嬢の前に出た。
「私とノベーラに帰ろう、ティナ。父上にも大臣達にも、誰にもなにも言わせない。今度こそ、私が君を守る。絶対に、何者にも手を出させない。だから…………!!」
レオポルド殿下が大きな手を差し出す。
デラクルス嬢は躊躇を顔に浮かべて後ずさった。いやいや、とばかりに頭をふる。
「レオ様…………それは駄目なのです、レオ様」
青玉の瞳に涙を浮かべて、デラクルス嬢は訴える。
「わたくしは次代の聖女であり、聖竜の妃とさだめられた身分です。本来なら、レオ様には愛されることすらなかった運命なのです。すべては、この世界のさだめ。わたくしには逆らうことなどできません。レオ様がいまだにわたくしを愛し、守ろうと心砕いて、その女には篭絡されていない事実。それだけで、わたくしは充分ですわ」
「その『聖竜の妃』というのは、どういう意味なんだ? セルバ辺境伯の報告では、君は『将来、聖女にしてイストリアの皇后になる』と言っていた、と聞いている。君はまさか、本当にヒルベルト皇子を利用して、イストリアの皇帝位を簒奪するつもりでいたのか!?」
「いいえ、そんなはずありませんわ。わたくしがそのような人間でないこと、レオ様が一番よくご存じでしょう。ヒルベルト皇子の件は過ちでした。わたくしが聖女となるため、天から課された試練だったのです。イストリア聖皇后というのは、もう適切ではありません。わたくしは真の運命を見出したのですから」
「真の運命!? 何のことなんだ、それは!」
デラクルス嬢は、ずっと無言で彼女のななめ背後に立ち、どこか他人事なまなざしで成り行きを見守っていた緋髪の男をふりむいた。彼の腕に自分の腕をからませ、レオポルド殿下に、いや、私達全員に見せつけるように紹介する。
「ご紹介します。イストリアの、いえ、この大陸の守護神ブルガトリオ様。わたくしの夫です。わたくし、セレスティナ・デラクルスは聖なる竜の妃、聖竜妃となったのですわ」
「守護神…………!?」
レオポルド殿下をはじめ、その場にいた全員が息を呑む。
私も目まいに似た絶望を覚えた。
大国の皇子に捨てられたと思ったら、次は人外。
さすが悪役令嬢だ、どんどん厄介なものに愛される。




