53.セレスティナ
有名な観光スポットだという植物園は、一般客の入園が禁じられていました。警備のためでしょう。
わたくしは魔王の力で園内の人気のない場所にアベルと二人、入り込みます。
「ヒルベルト皇子は、この先の薔薇園だね」
白髪黒服の魔王から教わると、その長い指の示す方向へと進みました。
「いっそ先にイストリア皇帝にお会いして、ご挨拶してしまうべきかしら? アベル。そうすればわたくしの存在も皇帝に認知されて、ヒルベルト様もわたくしを隠しつづけるわけにはいかなくなるわ」
しかし思いに反して皇帝らしき姿は見当たらず、薔薇の木に囲まれたささやかな広場では、見覚えある長身の青年と、見知らぬ緑のドレスの女が親しげに笑い合っていました。
「ヒルベルト様!!」
わたくしは思わず駆け出していました。アベルの制止も届きません。
「何者!?」
女がこちらをふり返りましたが、わたくしはかまわずヒルベルト様に抱きつきました。
「ああ、ヒルベルト様! やっとお会いできました、他の女など見ないでくださいませ!」
「セレスティナ!?」
わたくしの青玉の瞳は涙に潤んでいたことでしょう。
ヒルベルト様は驚きの表情と共に、広い胸にすがりついたわたくしを見下ろします。
「ヒルベルト様、おぞましい噂を聞きました。デラクルス公爵令嬢たるわたくしを貶め、愚弄する噂です。どうかヒルベルト様の口から『それは嘘だ』と、断言してくださいませ。ヒルベルト様の妃は、このわたくし。わたくし、セレスティナ・デラクルスこそ、イストリア皇国ヒルベルト第三皇子の唯一の婚約者だと、皇帝陛下と皇国の民の前で誓ってくださいませ!!」
「セレスティナ…………っ」
はじめて耳にする、ヒルベルト様の唸り声。普段の、威厳と色気と野性味が絶妙なバランスで調和した様からは想像もつかない、獣のような。
「セレスティナ・デラクルス。まあ。では、この方が」
女の声に、わたくしはふりむきました。
そして拍子抜けしました。脱力したと言い換えてもいいでしょう。
女は平凡な、平凡としか言い様のない容姿でした。
焦げ茶色の髪に、明るい茶色の瞳。醜女ではありませんが、美女というほどでもありません。外出用のドレスや帽子や手袋は高級品ですし、髪も艶やかで、化粧も腕のいい化粧師がほどこしたのでしょう、『見られる』仕上がりになってはいますが、それでも平凡の域を出ない女でした。
容姿だけなら、あのアリシア・ソルのほうが乙女ゲームのヒロインという設定上、よほど可憐で愛らしく作られています。
どう見ても、女としても皇子妃としても、むろんヒロインや主人公としても、特筆すべきところのない存在でした。皇子であり、次期イストリア皇帝であり、ヒーローであるヒルベルト様とは、まったく釣り合いがとれていません。
わたくしが思わず女を上から下までねめつけると、女は少し怯んだようでしたが、すぐに、にっこり笑って挨拶してきました。
「ごきげんよう、デラクルスさん。今日は、どのようなご用でこちらへ?」
口調こそやわらかですが、女は裾をつまんで挨拶するでもなく、『嬢』の敬称すらつけず、デラクルス公爵令嬢にして聖女たるわたくしに対して、無礼極まりありません。
「わたくしは――――」
なにか言ってやろうとすると腕をつかまれ、わたくしは強く後ろへ引っ張られました。
「アベル! セレスティナを連れ戻せ!! 何故ここへ連れてきた!?」
「まあ、ヒルベルト様。アベルは、わたくしの専属の侍従です。ヒルベルト様といえど、お叱りは――――」
「貴女も貴女だ、セレスティナ! 何故、おとなしく別荘にいなかった!? 何故こんなところまで、しゃしゃり出てきたんだ!!」
「っ!」
はじめて見るヒルベルト様の剣幕に、わたくしは思わずすくみます。
「ヒルベルト様ったら、そんな大きな声を出されて。せっかく人払いしたのに、警護や側仕えの者達が集まってきてしまいますわ。そちらのお嬢さんも、怖がっているではありませんか」
「公女」
「そのお嬢さんは、もうお帰りになるのでしょう? ならば、笑って見送ってさしあげなさいませ」
「ね?」という風に『公女』と呼ばれた女は小首をかしげました。
女の言い様に、わたくしはどうしようもなく怒りをかき立てられます。
「いいえ、帰りませんわ!!」
「セレスティナ!?」
「皇帝陛下がいらっしゃるのでしょう? ならば、ご挨拶しなくては。はじめまして、公女様。わたくしはセレスティナ・デラクルス公爵令嬢。ノベーラ大公国デラクルス公爵の一人娘であり、次期聖女であり、ヒルベルト様の正統な妃ですわ。わたくし達は、もう夫婦同然なのです」
「セレスティナ!!」
ヒルベルト様は怒声と共にふたたびわたくしの腕をつかみ、問答無用でアベルへと、投げるように押しつけました。
「帰れ!! このことは、あとでゆっくり話し合うぞ!!」
「ヒルベルト様!!」
わたくしは思わず叫んでいました。
「何故です、ヒルベルト様! わたくしはヒルベルト様の婚約者、未来の妃です! 何故、皇帝陛下にご挨拶もさせていただけないのですか!? わたくしより、その女を選ぶとでも!?」
「当然だ!!」
「っ!!」
ヒルベルト様の返事は明確でした。
「公女は、エポス公国の第二公女。イストリア皇帝たる父上が決めた、正式な俺の婚約者だ。囲われ者とは比べるべくもない!!」
「囲われ者…………っ?」
女達が嘲っていた、ヒルベルト様の口からはもっとも聞きたくなかった単語が飛び出します。
ヒルベルト様は、さらにわたくしに追い打ちをかけました。
「当たり前だ!! 身分もない、後ろ盾もない、慎みも知性もない愚か者が、どうしてこの俺の妃になれると勘違いした!? やれ聖女だの皇子妃だの皇帝陛下への謁見だの、夢見がちな女とは思っていたが、まさか大公妃として教育を受けていながら、本気でここまで己の立場を理解せぬ愚か者だったとは! 取り柄は顔と体だけか!!」
「な…………」
わたくしは絶句しました。今、この方はなんと言ったのでしょう?
あれほど威厳に満ちた雄々しい方が、まるで化け物に変わったような変貌ぶりでした。
わたくしは一瞬、前世で娘が下賤の女に汚染された時を思い出します。
「わ、わたくしはデラクルス公爵令嬢です。父はデラクルス公爵、母は侯爵令嬢で、デラクルス公爵夫人で、わたくしはノベーラ大公国公太子レオポルド殿下の婚約者で、未来のノベーラ公太子妃で、初代聖女アイシーリアの再来で、次の聖女です。それを…………っ」
「はっ」とヒルベルト様は吐き捨てました。
「まだ気づかないのか。お前はもう、公爵令嬢でも公太子の婚約者でもない、ただの女だ!!」
「無礼な!! このわたくしの高貴を否定するなんて――――」
「お前は自ら、あの宣誓書をイストリア皇子に渡し、イストリア皇子のものになったと、あの辺境伯に宣言した。その時点で、お前はノベーラの裏切り者になったのだ。父親のデラクルス公爵はイストリアとの内通を疑われて、投獄された。公爵領の城にいた公爵夫人や跡継ぎの兄も捕えられ、公都の公爵邸や城に勤めていた執事や家令や、下男下女にいたるまでもが厳しい尋問をうけていると、ノベーラにいるイストリア大使から報告が届いている」
「っ! そんな、わたくしの家が…………お父様達が…………っ!!」
わたくしは雷に打たれた気がしました。
膝が折れかけたわたくしの肩を、アベルがすかさず背後から支えます。
「いじらしくもレオポルド公太子だけは、いまだに『ティナはだまされただけだ』と主張して、そなたを奪還しようと、イストリア侵攻を唱えているそうだがな。ノベーラ大公や大臣達にその気はないようだ」
「レオ様が…………!?」
わたくしは胸を突かれました。
(ああ、レオ様。こんなに遠く離れても、レオ様だけはわたくしを信じ、愛しつづけてくださっているのですね。わたくしも、レオ様が真の運命だったら、どれほど幸せだったことか。断罪されるノベーラの公太子ではなく、レオ様こそが、真のヒーローであるイストリア皇子であったなら…………わたくしは迷わずレオ様の胸に飛び込めたのに…………!!)
 




