49.セレスティナ
デラクルス嬢がヒルベルト皇子と駆け落ち(?)してからひと月ほど。
ふたたび状況は急展開を迎える。
「戦争…………!? というか、侵攻? イストリア皇国から!? え、ノベーラからレオポルド殿下が軍を出すのではなく?」
人払いしたソル大神殿長様の執務室で、私は目を回した。
「情報が多すぎる」「処理できない」とは、このことだ。
ソル大神殿長様が険しい表情で苦々しく説明していく。
「公太子殿下のイストリア侵攻案は、大公陛下に却下された。軍事力の差を考慮すれば、当然の判断だ。まず問題の手紙の主がデラクルス嬢かどうか、真偽の確認をいそぐ手筈になっていたそうだが…………イストリア側が先に宣戦布告してきた」
いわく、
『百五十年前のブルカン城伯の宣誓と教皇猊下の認定のもと、ブルカン城伯領の正統な領主はイストリア皇帝の子孫と判明した。したがって、不当にかの地を占領するノベーラ大公とクエント侯に、正式にブルカン城伯領とその地の所有権その他、諸々の権利をすべてイストリア皇帝に返上することを正式に要求する』
そして、
『この要求が認められない場合は侵攻も辞さない』
というのである。
「それは…………」
「例の宣誓書らしい」
私は頭から氷水を浴びせられた気がした。
******
ヒルベルト様の別荘に滞在して、そろそろ一ヶ月。わたくしはドレスの仕立てや、イストリア流の歌やダンスや楽器の演奏の練習に追われる日々を送っています。
ノベーラにいた頃から、大公妃教育の一環としてイストリアの歴史や文法を学んではいましたが、ヒルベルト様からイストリア人の教師が別荘へと派遣され、あらためて皇国の歴史や地理、古典、文法、皇宮の宮廷作法や年間行事など、様々な事柄を学びなおしていました。
ある日の昼過ぎ。予定より二日も早く、ヒルベルト様がお戻りになられます。
「久しぶりだ、俺の銀の百合。セレスティナと離れると、たった一日が一年にも百年にも感じられて仕方がない。貴女の顔が見たくて、予定を変更してしまった」
「まあ、ヒルベルト様ったら。お帰りなさいませ。今日お戻りになられると使者から聞いて、みな驚いて、いそいで支度を整えましたわ」
ヒルベルト様は待ち焦がれたようにわたくしを抱きしめました。
玄関では主人の出迎えのため、別荘中の召使いが勢ぞろいしていましたが、大胆なヒルベルト様は頓着なさいません。わたくしもヒルベルト様の腕の力強さ、強引さに、わたくしへの堪えきれない情熱を感じて、うっとりと広い胸に頬を寄せました。
「で、殿下…………」
遠慮がちに声が割り込んできます。
無粋な者がいたものです。皇子殿下と、その婚約者である公爵令嬢の久しぶりの再会に水を差そうとは。
けれどヒルベルト様は皇族らしい鷹揚さでその無粋を許され、わたくしに紹介してきました。
「土産だ、セレスティナ。懐かしいだろう」
「まあ、セルバ辺境伯の叔父上!」
「セレスティナ嬢…………っ」
信じられないものを見る目で立ち尽くしていたのは、セルバ辺境伯。
わたくしの遠縁にあたられる方でした。
「お久しぶりですわ、叔父上。セルバ辺境伯ともあろう御方が、どうしてイストリアに?」
「貴女に会いに来られたのだ、セレスティナ。俺の銀の百合」
ヒルベルト様いわく、わたくしがノベーラに送った手紙や髪だけでは「やはり本物の確信が持てない」という理由から、わたくしと面識のある叔父上が直々に確認にいらした、という事情でした。
「そういうことなら、遠路はるばるご足労でしたわ、叔父上。今宵はこちらに滞在されるのでしょう? ノベーラの皆のことを、ゆっくりお聞かせくださいな」
「セ、セレスティナ嬢…………っ」
叔父上はなにやら衝撃をうけたような顔をしていましたが、わたくしは数日ぶりにヒルベルト様にお会いできた喜びでそれどころではなく、ヒルベルト様と邸に入ると、ヒルベルト様が外套を脱いでくつろぎ、召使い達がお茶菓子を用意する間に、部屋に戻って着替えます。
召使いの女の一人が、
「ご主人様から、お茶会ではこちらのドレスを、との仰せです」
と、仕立てたばかりの真新しい最高級の絹の薔薇色のドレスを勧められ、わたくしは婚約者の望みどおりに着替えて髪を梳き、香水をつけました。
「このドレスは肩や腕が寂しいので、昼間ですが、こちらの大ぶりの紅玉の首飾りと、金と真珠の腕輪でバランスをとりましょう」
センスが良くて皇都の流行にも詳しい、最近お気に入りの若い召使いの女が、うきうきと宝石を勧めてきます。
やがて上から下まで完璧に支度を整えると、わたくしは走るように茶話室へいそぎ、アベルが扉を開くのももどかしく、茶話室に飛び込みました。
「遅いぞ、セレスティナ。俺を待ち焦がれさせて石にする気か。なんと魅力的で罪深い悪女だ」
「ヒルベルト様ったら。その時は、わたくしのキスで人間に戻して差し上げますわ」
童話をもとにした戯言を言い合うわたくし達を、辺境伯の叔父上は目と口を丸くして凝視しています。普段、厳格なこの方がここまで呆けた表情を見せるなど、初めてかもしれません。
わたくしがヒルベルト様にエスコートされて席に就こうとすると、
「セレスティナ嬢、その格好は!? デラクルス公爵令嬢ともあろう者が、そのような浮ついた格好を…………! それに、昼間からそのようにゴテゴテと飾るとは…………!」
と、まるで前世の日本での生徒指導の教師のようなことを言い出しました。
「これは皇都の最新流行のドレスですわ。皇都では今、古代の女神をモチーフにしたデザインが流行していて、これからどんどん暖かくなる季節に合わせて、このような涼しげなデザインになっているのです。ドレスも宝石も、ヒルベルト様からの贈り物ですわ」
わたくしはにっこり笑って説明しつつも、鬱陶しい気持ちが芽生えていました。
(叔父上は厳格な御方。別荘にいる間くらい、好きなドレスを着させてほしいわ。ノベーラでは、ずっと白いドレスばかりだったのですもの。わたくしこそ正統な聖女と、周囲に知らしめるため、とは理解していたけれど…………)
今、わたくしが着ているドレスは、透けるような薄絹を幾重にも重ねた、体をしめつけないデザインのものです。動きやすく、見た目にも清楚で可憐ですが、袖が短く、腕や首周りも大胆に見せているため、叔父上のような保守的な男性には、過剰に肌を露出しているように見えるのでしょう。
今にも爆発しそうに真っ赤な叔父上から守るように、ヒルベルト様も説明してくださいます。
「セレスティナは恋人である俺を喜ばせようと、俺が贈ったドレスを着てくれたのだ。そう責めないでやってくれ。さあ、まずは一服しよう。約束通り、皇都の人気店の菓子を持ってきたぞ、セレスティナ」
「わたくしも、苺と薔薇のジャムのタルトを、いそいで焼きましたの。ご賞味くださいな」
わたくし達は席につき、ヒルベルト様付きの侍従が最高級の茶葉で紅茶を淹れましたが、叔父上は口もつけずに、ヒルベルト様へと身を乗り出します。
「ヒルベルト殿下! 説明していただきたい!!」
「見ての通りだ。皇宮でも説明したように、セレスティナはこの俺、ヒルベルトの恋人となった。この別荘の女主人でもある」
叔父上は愕然とされ、わたくしは恥じらいに頬を染めます。
「恋人とおっしゃいますが。セレスティナ・デラクルス嬢は我がノベーラ大公国の公太子レオポルド殿下の婚約者であらせられます。いくらヒルベルト殿下といえど…………!」
「レオポルド殿は、セレスティナとの婚約を自ら破棄した。ノベーラ大公も見ていたはずだ。俺はセレスティナに愛を告げ、セレスティナも俺にさらわれることを願った。それだけだ」
叔父上はわたくしに向き直りました。
「セレスティナ嬢。公太子殿下の乱心は悪しき魔術によるものであり、殿下の本心ではないと明らかになっている。大公陛下もお認めになられた。レオポルド殿下のお心は、今もセレスティナ嬢のもとにある。何故、それを信じられない? 政略でさだめられた婚約とはいえ、あれほど仲睦まじかったお二人ではないか。私と共にノベーラに帰ろう」
「できません」
わたくしは首をふりました。
「レオポルド殿下の運命は、わたくしではありません。殿下は近い将来、別の女に心を奪われます。わたくしにはわかるのです。そして、わたくしもヒルベルト様と結ばれるのが、真の運命なのです」
「セレスティナ嬢!」
「手紙に書いたとおりです、叔父上。わたくしは、もうヒルベルト様の妃。わたくしが愛しているのも、ヒルベルト様なのです。ヒルベルト様は、いずれイストリア皇帝となられるお方。わたくしは聖女にして皇后、聖皇后と呼ばれるようになります。それが神の導きなのです」
「なん…………めったなことを!!」
叔父上は青ざめ、眉をつりあげて鋭く指摘なさいます。
「ヒルベルト殿下は第三皇子。殿下の上には、まだ二人の皇子がいらっしゃる。そなたの言い様は、お二人への叛意あり、と解釈されてもしかたない! ヒルベルト殿下も同意を疑われるぞ!?」
「セレスティナは少々夢見がちなだけだ。本気にうけとるほうが、どうかしている」
「まあ、ヒルベルト様ったら。わたくしは――――」
ヒルベルト様の人差し指がわたくしの唇を押さえて、それ以上の反論を封じます。人差し指は唇のやわらかさ、なめらかさを楽しむように、何度も押されました。
「セレスティナの唇は甘いだけでなく、やわらかくて艶やかだな。貴女はどこもかしこも、存在自体が極上の蜂蜜や砂糖より甘く、魔女より蠱惑的で罪深い」
「まあ…………おやめくださいませ、ヒルベルト様ったら。恥ずかしいです…………っ」
「なにが恥ずかしいものか。白い肌が赤く染まっていく時も、息も絶え絶えに見上げてくる時も、セレスティナはいつでも麗しく艶やかだ。まさに『解語の花』。ノベーラ最美の姫とは間違いなく貴女のことだ、セレスティナ」
「もう…………っ」
「おやめください!!」
叔父上が大きな声を出されて、わたくしは甘美な夢から覚まされる心地を味わいます。叔父上はいっそう険しい表情で、テーブルを叩かんばかりの迫力でわたくし達を責めてきました。
「デラクルス公爵令嬢ともあろう者が、そのように浮ついた言葉に喜び、惑わされ、道を誤るとは!! 今の有様をデラクルス公爵やレオポルド殿下、ノベーラ大公陛下がご覧になれば、どれほど嘆かれることか。いい加減、正道に戻られよ!!」
わたくしはむっ、としました。
わたくしにとっては、いえ、世界にとってはわたくしとヒルベルト様が結ばれ、イストリア皇帝と皇后の座に就くことこそが正道です。
なにも知らないが故のこととはいえ、叔父上の言い様はさすがに不快でした。
「わたくしは…………!」
反論しようとしたわたくしを、ヒルベルト様が手で制します。
「俺の別荘にいる俺の恋人が、セレスティナ・デラクルス公爵令嬢であること、あの手紙が本物であること、これで証明も確認もできただろう。これ以上セレスティナを侮辱するだけなら、帰ってほしい、セルバ辺境伯。俺は自分の恋人を目の前で罵られて黙っていられるほど、寛容でも臆病でもない。くりかえす。セレスティナは俺の恋人だ」
ヒルベルト様はわたくしの肩を抱き寄せ、王者のごとき威厳と共に宣言されました。




