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4.アリシア

 秋のはじめ。例の入学式から半年経つか経たないか、という頃。

 私は狩猟大会に呼ばれた。

 公都の北にひろがる大公家所有の広大な森で催される、毎年の恒例行事だ。主催はむろん、ノベーラ大公。

 大公国中の主だった貴族と重臣が招待されるこの大会に出席できるか否かで、今後の立場や出世が左右されるという、貴族にとっては非常に重要なお祭りの一つだった。

 普段は宮殿に詰める五人の聖神官達も、この日は全員、森の入り口に設置された天幕に待機している。

 その天幕に、何故か私が加わっていた。

 大神殿に大公陛下から招待状が届いたのだ。


「狩猟大会では毎年、数名の負傷者が出る。だが聖神官の聖魔力には限りがあるため、大公陛下や公太子殿下を優先して、貴族達の治療は後回しになっていた。大公陛下はそれを憂えて、今年の大会には、無限の聖魔力を持つと評判のソル見習いに参加を求めておられるのだ」


 それが、招待状を持ってきた偉そうな使者の説明だった。

 使者が帰ったあと、最近やけに忙しそうなソル大神殿長様が、裏の説明を足してくれる。


「おそらく大公陛下は、公太子殿下の立場を憂えておられるのだ。そなたの評判が公都中にひろまり、学院では、なぜ公太子がそなたを非難したのか、首をかしげる者ばかり。次期聖女と噂されるようになったそなたと公太子が不仲なのは、外聞が悪いのだ。要は『仲直りせよ』という命令だな」


(ええええええ…………)


 思わず顔をゆがませてしまった。


「なんとか欠席できませんかね?」


 ソル大神殿長様は首を左右にふった。


「あちらから仲直りの手をさしだしているのに、こちらが応じなければ、むこうに『大公家への叛意有り』と解釈する材料を与えてしまう。これも世渡り、政治的判断というものだ」


「…………嵐で中止になりませんかね?」


 私の小学生並みの願いとは裏腹に、狩猟大会の日は気持ちいいほどの快晴だった。

 大公の宣言で大会がはじまり、馬にまたがった貴族の殿方達が次々森に飛び込んでいく。

 彼らの夫人や令嬢達は、森の外に何脚も整えられたテーブルに集まり、白いクロスに盛られた菓子や紅茶や香草茶(ハーブティー)を楽しみながら、世間話に花を咲かせていた。

 私も天幕でソル大神殿長様に、紫の長衣に白の神官服を重ねた王宮勤めの聖神官五人と引き合わされる。聖神官のうち二人はソル大神殿長様が後見しており、しばらく立ち話に花が咲いていたが、ソル大神殿長様も枢機卿やら、あちこちの都市や地方の神殿長との挨拶に呼び出され、天幕には私一人で残された。

 ささやかだが、用意された菓子の甘さに感動していると、外から「怪我人です」と呼ばれる。

 獲物を追っている内に枝で引っかいたり、馬が躓いて落馬したりと、怪我の原因は様々だ。

 私はさっそく癒しにとりかかった。手をかざすと青白い水のような光があふれて、十を数える間に怪我人五人が回復する。

 見守っていた他の聖神官達からも「なんて早い」「しかも一度に五人も」と驚かれた。

 ひとまず、私は菓子を断念して癒しに集中することにした。

 それが私の仕事でここに呼ばれた理由だし、断罪を回避しなければならない以上、貴族達に「悪女ではない」と私の有用性を強調しておくのは有益なはずだ。

 今年最初の狩りはおおいに盛りあがり、怪我人も次から次へと運ばれてくる。

 どうやら「怪我してもすぐに癒してもらえるから平気、平気」と、大胆になっているふしがあり、中には頭を強打して意識不明になった殿方もいて、この時はさすがに肝を冷やした。

 正午。談話中にお茶をこぼして軽い火傷を負った貴婦人を癒し終えた私は、天幕にむかう。


「お腹すいた。そろそろ昼ごはん…………あれ?」


 突然、足が動かなくなった。

 爪先が地面から持ちあがらない。


(え? どういうこと?)


 爪先に力を込めるが、両足とも地面にへばりついている。

 ふと気配を感じた。

 重い、暗い、目に見えないがたしかにそこに在る気配を。


(なに…………なにか――――いる?)


 思わず周囲を見渡す。

 すると足の硬直は解け、足の裏が地面から解放されて、反動で体勢を崩しかけた。

 時間にして五十秒ほどだろうか。


「なんだったの…………?」


 首をかしげながらも、あらためて天幕へ戻ろうとする。と。

「うわああ!!」と悲鳴があがった。それも複数。

 いそいで天幕に駆け込むと、五人の聖神官のうち三人が敷物の上を転がっている。


「蛇だ! 毒蛇が天幕に入ってきて、三人噛まれた!!」


 無事な一人が説明し、もう一人が果敢にも菓子を盛っていた皿を投げつけ、天幕の隅を這っていた蛇の頭を潰す。

 私は即、手近な聖神官の脇に屈みこんだ。

 幸い、私の癒しは毒にも効果がある。この半年間、間違えて毒キノコや毒草を食べてしまった患者や、食中毒の患者も癒すことができた。

 しかし。


「大公陛下がお倒れになりました! すぐに陛下のもとへ!!」


 大公付きの侍従が息せき切って飛び込んできたかと思うと私の手首をつかみ、天幕から引っ張り出されてしまった。

 先に聖神官達を癒しておく間もない。聖神官と大公では当然、大公陛下が優先だ。


「すぐに戻ります!」


 私は天幕にむかって叫んだが、聞こえたかどうか。

 五人のうち二人は無事だった。彼らに凌いでもらう他ない。

 侍従に引っ張られて森の中の小道を少し走ると、大きな木の下に、側近に囲まれて蒼白な顔で脂汗をかく乗馬服姿のノベーラ大公の姿があった。

 かたわらには入学式以来の、同じく乗馬服姿の金髪紫眼の美男子、レオポルド公太子がいるが、かまう余裕はない。


「陛下! お気をたしかに! 聖神官が参りましたぞ!!」


(見習いだけれど…………)


 私は心で呟きながら、大公を囲んでいた数名が退いて空いた隙間にすべり込む。


「陛下が馬を降りた際に、茂みから毒蛇が現れて…………すぐに癒しを!」


 側近の一人が教えてくれた。


(こっちも蛇?)


 私は苦い思いでいつもどおりに患者に手をかざし、聖魔力を発現させようとした。が。


(? え?)


 発現できない。

 いつもの青白い光が、普段の半分も出てこないのだ。


(どうして? 癒せない…………!?)


 私は焦った。

 こんなことは初めてだ。(落ち着け)と己に言い聞かせながら、いっそう意識を集中する。

 そして気づいた。


(なにかが…………抑えつけている?)


 暗く重い、目に見えず触れもしないなにかが私の全身を包み込んで、聖魔力が体外に出ないよう封じ込めている。


(この気配…………さっき足が動かなくなった時の…………?)


「大公陛下!!」


 悲痛な声が飛び込んできて、私は我に返った。


「ティナ!」


「レオ様! 陛下が蛇の毒にお倒れになったというのは、真ですか!?」


 露出を控えた上等の茶会用ドレスに、帽子と手袋を着けた銀髪の令嬢が駆け寄ってくる。

 セレスティナ・デラクルス公爵令嬢。この世界の悪役令嬢(主人公)の登場だ。

 デラクルス嬢は私の存在に気がつくと、途端にけわしい表情になって問い詰めてきた。


「陛下の容態はどうなのです!? まだ癒えないのですか!?」


「…………っ、今、癒しの最中です…………っ」


 こんなに返しづらかった答えはない。

 自分を敵視する人間からの詰問だから、という以上に、患者と患者を案じる人々の気持ちに応えられていない、というのが、私にとってはほぼ初めての経験だったのだ。

 デラクルス嬢は「見ていられない」とばかりに、私を押しのけるように大公の脇に屈み、冷えた手をとる。


「陛下、セレスティナですわ。どうか、お目覚めを。レオ様も妃殿下もみな、心から陛下を案じておりますわ」


 涙混じりの声に私の胸も痛む。


(どうして聖魔力が発現できないの…………どいて!!)


 目に見えぬなにかに怒鳴りかけた、その寸前。


「え?」


「なんだ?」


 側近達がざわめき、私は隣から強い聖魔力を感じる。


「なんだ、この輝きは…………!?」


 デラクルス嬢から銀色の星のような光があふれて、きらきらと大公陛下へ降り注ぐ。


(聖魔力? でも、私や聖神官達とは色が違う――――)


「見ろ、陛下の顔色が…………!」


 土気色に変化していた患者の顔色が見る間に血の気をとり戻し、呼吸も安定する。十秒と経たずにノベーラ大公は瞼を開いて、上体を起こした。


「ここは…………余は、意識を失っていたのか?」


「父上!!」


「陛下! お目覚めですか!!」


 公太子と側近達がいっせいに大公をとり囲む。

 大公付きの侍医が主君の脈をとり、異常がないことを宣言した。


「なんと…………これはデラクルス嬢のお力…………?」


「銀色の聖魔力…………まさか、『星銀の聖魔力』…………!?」


 大公や側近達の視線がデラクルス嬢に集中する。

 公太子が婚約者を「高い高い」をするように抱えあげた。


「すばらしい! なんて奇跡だ、君こそ本物の聖女だ、私のティナ!!」


「まあ、レオ様ったら。畏れ多い…………」


 婚約者の絶賛にデラクルス嬢は恥じらったが、すぐに苦しげな表情を見せたかと思うと「あ…………」と呻いて気を失ってしまった。


「ティナ!!」


 ほっそりした体を、いそいで公太子が抱える。「姫を守る理想の王子様」もかくやの颯爽とした凛々しさだ。


「すぐ戻る! デラクルス公爵にも知らせを!!」


 公太子は背後の侍従達に命じた。よく見ると、侍従に混じって高位貴族の令息達――――入学式の日に、私に嫌味や罵声を飛ばしてきた赤毛と鉛色の髪の子息もいた。緊急事態に遠慮して、離れて見守っていたのだろう。

 私はやっと我に返り、慌てて「癒しを」と公太子殿下に声をかけたが、殿下は目もくれず「先に失礼します」と父親に断るのももどかしそうに、子息や侍従達を引き連れて行ってしまった。


(…………まあ、いいか)


 私も今回は結果を出せなかった。

 肩を落とすと、ソル大神殿長様がやってきて慰めてくれる。


「気に病むでない。そなたも朝から癒しをつづけて、調子が狂っていたのであろう」


「あ、いらしたんですか、ソル大神殿長様」


「最初からな」


 大神殿長様はちょっと「むっ」としたようだが、すぐに頭と表情を切り替える。


「それにしても、公爵令嬢の先ほどの力は…………」


「あれは聖魔力でした。それも、私より強力な…………」


「たしかか?」


「はい。私や聖神官達と色は違いましたけれど、間違いなく聖魔力です」


 私はうなずいた。

「悪役令嬢が実は聖女~」という展開は、悪役令嬢マンガの定番の一つだった気がする。デラクルス嬢もそのパターンなのだろうか。

 唸り、はた、と別の事柄を思い出す。


「そうだ! 聖神官達も、毒蛇にかまれたんです!!」


「なに!? 聖神官達が!?」


「私、失礼します!!」


 私は長い裾を摘まみあげ、走り出した。

 もと来た道を駆け戻り、聖神官の待機する天幕に飛び込む。


「容態は!?」


「ソル見習い…………っ、早く癒しを…………っ」


 天幕には三人の聖神官が横たわり、患者一人につき一人ずつ聖神官が聖魔力を注いでいた。

 もともといた二人の聖神官に、水色っぽい金髪の神官が加わっているが、気にする余裕はない。患者の顔は土気色だったが、聖神官達が癒しをつづけていたおかげで、癒えてこそいないが悪化も避けられていた。

 私は手近な患者のかたわらにしゃがみ込み、手をかざす。

 集中すると、すぐにいつもの感覚がよみがえり、青白い水のような光があふれて患者に降り注いだ。


「楽になった…………」


 聖神官は信じられない様子で起きあがる。

 私はすぐに二人目、三人目にとりかかった。

 どちらも数秒間で問題なく癒し終える。

 毒が抜けた聖神官達は笑い合い、癒しにあたっていた聖神官達も、汗まみれで脱力した笑顔を浮かべた。

 私は自分の手をしげしげと見つめる。


(どういうこと…………?)


 さっきはたしかに、聖魔力の発現を邪魔されていた。それも外側から。

 首をかしげたが「新たな怪我人が出た」と知らせが来たため、ひとまずそちらを優先することにした。


「ちょっと行ってきます。聖神官様達は、念のため無理しないでください」


 そう言い残し、私は天幕を出た。

 水色っぽい金髪の神官が声をかけたそうにしていたが、まるで気づかなかった。






 このあと狩猟大会は「デラクルス公爵令嬢が新しい聖女だ!」という話で持ちきりになる。

 私は、公太子その他との『仲直り』演出が忘れ去られ、ほっとしていた。






****






「では、ティナ。私は狩りに戻るが、君はよく休むように。絶対に無理しないでくれ」


「はい、レオ様。お気遣い、ありがとうございます」


 レオポルドが大公家専用の天幕に婚約者を残して出て行くと、隅にひかえていた黒髪の侍従が、すうっと簡易な寝台に横たわるセレスティナに近づく。


「いかがでした? セレスティナお嬢様」


「成功だったわ!」


 セレスティナは声量を抑えながらも、ここまでの不調が嘘のように明るい表情で起きあがり、自分付きの侍従に活き活きと教える。


「計画どおり、わたくしが先に大公陛下を癒してさしあげられたわ、アベル! あの悪女は出る幕もなかったの!!」


「おめでとうございます、さすがはセレスティナお嬢様」


 青玉(サファイア)のごとき瞳を嬉々と輝かせる主人に、下僕も黒い目を細めて応じる。

 セレスティナはさらに『アベル』と呼んだ侍従の反対側の隅に立っていた人影にも声をかけた。


「あなたにもお礼を言わないと。あなたがあの魔女(アリシア・ソル)を止めてくれていたおかげよ、魔王ビブロス」


 立って本を読んでいた青年が、ちらりとセレスティナを見る。

 裾の長い黒い服に、対照的な青白い肌と白い長い髪。

 つまらなさそうな漆黒の瞳をした、端正な顔立ちの青年だった。

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