42.セレスティナ
「なんて腹立たしいの! たかが平民の孤児にすぎないのに、アリシア・ソルが貴族だなんて!!」
レオ様とのお茶会がお開きになり、デラクルス公爵邸に帰宅したあとの、夕食前の一時。
わたくしは人払いして、アベルに訴えました。今も昔も、前世や漫画の件を相談できるのは彼だけです。
「あなたも聞いたでしょう、アベル。ニコラスやロドルフォからの報告を。アリシア・ソルは、やはり魔女。世間に見せる清い姿は偽り。この漫画の悪役令嬢最大の敵、最悪の悪女だわ。わたくしの聖魔力ばかりか、わたくしの手柄のことごとくを横取りして…………!!」
頭をふって嘆くわたくしをアベルが慰め、励まします。
「案ずることはございません、セレスティナお嬢様。セレスティナお嬢様は、この世界の主人公。アリシア・ソルはしょせん脇役です。セレスティナお嬢様の敵ではありません」
言って、アベルは部屋のあちこちに置かれた箱の山の中から小さな一箱を手にとり、わたくしの前に戻って来て、その箱を開きます。
中に収まっていたのは、大粒の淡紅色の真珠。
「いささか変則的な流れではありましたが、セレスティナお嬢様が得るはずだったクエント侯子からの真珠はこうして、アリシア・ソルのもとからお嬢様のもとに参りました。お嬢様が懸念していた例の文書も、お嬢様のもとにあります。『悪魔の芋』が食用になることも、神のお告げとしてセレスティナお嬢様の功績とすることが叶いました。いずれ近いうちに、本当の未来が引き寄せられるでしょう。万一、そうならなければ、私が引き寄せてごらんにいれます。ですから、心配なさる必要はございません」
「そう…………そうね」
わたくしはアベルの言葉と大粒の真珠の光沢に、昂っていた気持ちが落ち着いてきました。
「わたくしが発見するはずの記録をアリシア・ソルが発見した、と聞いた時は、どうなるかと心配したけれど。アベルがとり戻してくれたものね。きっと、大丈夫だわ。ありがとう、アベル。あなたは最高の侍従だわ」
「もったいないお言葉です。私はいついかなる時も、セレスティナお嬢様の下僕です」
アベルは恭しく頭をさげます。
本当に、「漫画でセレスティナの忠実な執事だったから」というだけの理由で助け、雇った彼ですが、期待以上の働きをしてくれています。
アベルの忠誠と献身に報いるためにも、この世界のためにも、わたくしが聖女に選ばれ、イストリア皇国の皇后となるべきなのです。
(そう、口先だけのきれいごとしか言わない、あざといヒロインには負けない。わたくしは悪役令嬢。高貴で気高く神聖な、本物の聖女、本物の皇后なのだから――――!!)
わたくしの脳裏に、一人の台詞がよみがえります。
『口先だけのきれいごとしか言わない、あざといヒロインなんて嫌い。気高く上品な悪役令嬢のほうが格好いいわ――――』
それは、前世でのわたくしの娘が、まだ幼かった頃の台詞。
クラスで流行っているという漫画を読み、母親のわたくしの「どのキャラクターが好きなの?」という質問に答えた時の言葉でした。
思えば、あの時の娘の言葉は、わたくしの現状にぴたりとあてはまります。
そう、本当に読者に慕われ望まれるのは、薄っぺらいきれいごとしか口にしないヒロインではない。
いくら人々を癒したところで、あの女の本性は悪女。真に気高く高貴なのはわたくし、悪役令嬢のほうなのです。
まして彼女がふるう聖魔力は本来、セレスティナのもの。
近いうちに必ず馬脚をあらわすでしょう。
お気に入りのソファに身を沈めて、わたくしはしばし彼方の過去の記憶に浸りました。
前世での学生時代。わたくしには留学経験がありました。
わたくしの立場では当然のことですが、それを理解できなかったある女に、妬まれたことがあるのです。
『留学は人生を左右するかもしれない、大事な機会なのに。その価値を理解しない、特に目的もなくて「面倒くさい」なんて言う人が、実家が太かっただけで留学できて、本当に目的を持って留学したい人が経済的事情で叶わないなんて、不公平すぎるし、本末転倒じゃない!』
たしか、そんな主張だったと思います。
その女は成績こそ悪くなかったものの、家庭が貧しかったために留学を希望しても叶わず、その苛立ちを赤の他人であるわたくしにぶつけてきたのです。
不愉快ではありました。
彼女が留学できないのも教育にお金をかけられないのも、彼女の親の責任であって、わたくしの責任ではありません。彼女の経済力も、わたくしがあの家に生まれたことも、わたくしの意思ではなく、天の思し召し。
世の中には『できない』と認め、受け容れるしかない現実がいくつもあるのです。それが分をわきまえる、ということなのです。
けれど若かった彼女はそれが理解できず、無関係なわたくしに八つ当たりしてきました。本当に理不尽な言いがかりでした。
けれど、わたくしは黙っていました。
高貴な家に生まれたわたくしには、この手の妬みや言いがかりは日常茶飯事で、このような人間になにを言っても火に油を注ぐだけだ、と経験上わかっていたからです。
やがて友人らしき女がやって来て、その八つ当たりの女はなだめられながら、どこかに行ってしまいました。
そのしばらくあと。わたくしは偶然、その二人を見かけました。
人気のない裏庭のような場所に並んで座り、八つ当たりの女は目を赤く腫らして、落ち着くまでもう一人の女が慰めていたようでした。
『大丈夫よ、アリサ。私達、まだ大学生じゃない。人生はこれから。この先、いくらでも逆転のチャンスはあるわよ。がんばって結果を出して、神様や偉い人達に「アリサにチャンスをあげたほうが有意義だった」って、後悔させてやればいいの。アリサにはその力がある』
慰め役の女は屈託なく笑い『アリサ』と呼ぶ女を励まします。
『私のこういう勘は、けっこう当たるの。私は信じている。アリサはきっと、誰より高く遠くに飛べる人――――』
『コトコ…………っ』
あとで訊くと、わたくしの友人の中にも彼女らを知る者がいました。
『意識高い系、っていうのかしら? 「卒業したら、海外で困っている人達の役に立つ仕事をしたいの~」って、本気で言っている人達よ』
『偽善っぽいわよね。いい子ぶっている、とでもいうか。「私、あなた達とは違うの」感を演出しているのよ。まあ庶民ですもの、そんなところでしか自己主張するしかないんでしょう』
友人達の言葉に、わたくしも納得します。
そう、あれはただの強がり。
わたくしのように選ばれた存在でない彼女らは、そうやって自分達の身の上を慰め合うしかない。弱者の傷の舐め合いです。彼女らこそ、現実というものをわかっていない。
その後、わたくしは人づてに慰めていたほうの女――――『コトコ』が事故により、大学を卒業することすらなく死んだ、と知りました。
むろん、夢など叶えようがありません。
その話を聞いた時、わたくしは肩透かしのような気分を味わい、ついで爽快感にも似た勝利感のような感情と共に確信しました。
どれほど偉そうな言葉を並べようと、あの薄っぺらい、きれいごとで友人を励ましていた女は、なに一つ成し遂げることなく己の人生を終えた。
あの女――――コトコはまさに口先だけの人間、偽善者。それこそ娘の言う『口先だけのきれいごとしか言わない、あざといヒロイン』とは、あの女のためにある表現でしょう。
わたくしの中で、前世で会ったあの女と、今生で出会った魔女アリシア・ソルが重なります。
アリシア・ソルもまた、偽りの善行で本性を隠した偽善者だからでしょう。そういえば、一見無害そうな男好きのする可憐な雰囲気が(乙女ゲームのヒロインですからね。容姿だけは恵まれているのです)、アリサよりコトコにちかかった気もします。
「アリシア・ソルには負けられないわ。あざとい偽善者のヒロインなんて、真に気高く高貴な悪役令嬢の敵ではないもの」
わたくしは己に言い聞かせます。
魔術に通じた忠実な下僕アベルに、わたくしを愛する輝かしきノベーラ公太子のレオ様。
さらに、わたくしを溺愛するデラクルス公爵の父や、将来の宰相ニコラス、将来の騎士団長ロドルフォ、将来の枢機卿イサークに図書館の魔王ビブロス、わたくしの本来の運命の恋人であるイストリア皇子ヒルベルト殿下など、わたくしを愛し、求め、力となりたがる者達は大勢います。
彼らの愛に守られてわたくしが悪女を打ち破り、真の聖女、比類なき皇后として人々に崇められるようになるのは、さだめられた運命です。
アリシア・ソルに負ける理由はありませんし、負けられないのです。
わたくしは気をとりなおし、あらためて心に誓いました。
やがてクエント侯国との戦争が終わり、出兵していたノベーラ兵達も帰還します。
あの悪女アリシア・ソルも、兵と共に公都に戻ってきて、大公陛下直々のお言葉と貴族位を授かるため、平民でありながら辺境伯や将軍ともども宮殿にまでやってきたのです。
狩猟大会以来でしょうか。久々に見たアリシア・ソルは相変わらず、ぱっと見はいかにも清純可憐でしたが、よく見れば特徴的なストロベリーブロンドはぱさぱさ、顔も少しやせて、白と紫の聖神官服も端々に旅の汚れが残り、優美な宮殿にはいかにも不釣り合いで「やはり、しょせんは庶民」と納得してしまう有様です。
一方で、貴族位の授与がよほど嬉しいのでしょう、しゃんと胸をはる態度は平民にしては生意気なほどで、わたくしは、たかだか最低位の貴族の位で、そこまで自慢に思える彼女が惨めでもあり哀れでもあり、同時に(やはりこの女は強欲な野心家、悪女なのだわ)と再確認させられたのでした。
大公陛下がアリシア・ソルにお声をかけ終えると、次はレオ様の番となります。
レオ様は魔女になどだまされませんでした。
レオ様はきっぱりと「お前を認めない」と断言し「真の聖女は私の愛するセレスティナ・デラクルス嬢ただ一人、お前は偽物だ」と、居並ぶ重臣達の前で宣言され「ティナは私が守る」と、わたくしを抱き寄せられたのです。
ああ、やはりレオ様は、そこらの愚民とは芯から異なる御方。
下賤な魔女の魅了になど惑わされぬ、高貴な力をお持ちの方なのです。
(まさに王族――――さすが、レオ様だわ)
わたくしの胸は甘い喜びに満たされ、レオ様をこのうえなく凛々しく頼もしく感じます。
魔女アリシア・ソルは何事か抵抗する、と予想しましたが、特にそのようなことはなく、意外にもおとなしく大神殿に戻っていきました。
ややこしいので、セレスティナの前世の知人女子二人、名前をつけました。
肝心のセレスティナ(前世)自身は無名のまま……。
 




