40.ニコラス
「言いすぎですよ、ニコラス」
「一つの案として述べただけだ。怒るほどのことではない」
「言ったほうの台詞ではありませんね」
アリシア・ソル聖神官の耳には届かない会話が、公太子の学友二人の間で交わされる。
話題は大学新設の件から公太子を襲った犯人の件へ移り、イサークがニコラスに問うた。
「セレス嬢は…………どうしておられますか?」
「公爵家だ。例の宴の夜から、一度も宮殿に伺候されていない。噂では、自室にこもったきりだそうだ」
「よほど衝撃だったのでしょう。心から慕う殿下に、あのように手酷く冷淡に拒絶されたのですから。ですが、殿下の乱心は魔術によるものと、伝えられたのでしょう?」
「あの晩の事情聴取に来た役人とデラクルス公爵から、説明されたはずだ。だが『心を落ち着ける時間がほしい』と」
「お気の毒です。殿下と直にお会いさえすれば、すぐに誤解は解けるでしょうに…………」
「それだけか?」
「え?」
「他に、気になっている事があるんだろう?」
「…………」
「第三皇子のことか?」
「…………っ」
イサークは『図星』と顔に出た。
ニコラスも小さく息を吐き出す。
「ヒルベルト殿下は、イストリア皇国から送られてきた、いわばお目付け役だ。ノベーラがイストリアに叛意を抱いていないか、イストリアの脅威となりうる現状か、探りを入れに来たのが実情だ。故に、粗略には扱えないし、セレス嬢は次期公太子妃だ。イストリア皇子殿下と、友好的な関係を結ぶ必要性と義務がある。それは事実だが…………」
それだけでは説明しきれないものが、あの夜の二人の様子、セレスティナの態度にはあった。そう思えてならない。
「私は――――セレス嬢を、公太子妃にふさわしい令嬢と信じてきました。抜きんでて美しく聡明で教養も深く、白銀色の聖魔力を発現させてからは、間違いなく次代聖女はあの方だろう、と――――。ですが、セルバ地方から戻ってからの、あの方の評判を聞いていると…………」
たんに、癒しの数が少ないというだけではない。
「王立学院の退学は、もとから決定していたことですが、それで空いた時間になにをされているかといえば…………連日のパーティーや夜会に、そのためのドレスや宝石の新調。挙句は、まだ聖女と認定されていないのに、聖女のような装いで公の場に出席されて…………貴族の令嬢としては普通でしょうし、将来の公太子妃として、貴族達とのつながりが重要なのも理解しています。けれど大神殿で癒しに励むソル聖神官を見てしまうと、どうしても…………」
イサークは語尾に悔しさをにじませる。
「あんな人ではないはず」「あんな人であってほしくない」
そんな、セレスティナに対する歯がゆさがニコラスにも伝わってくる。
実は、ニコラスにも秘密があった。
重要すぎ、かつ不確定すぎて、まだ父にもイサークにもロドルフォにもレオポルド公太子にも、誰にも言えていない秘密が。
国境から公都に帰還して、数日後。
デラクルス嬢が新設するという図書館の話と、彼女のもとに集まっているという大量の書物の噂に惹かれ、蔵書狂のニコラスはデラクルス公爵邸を訊ねた。
公爵邸は、公都でも屈指の広さと豪華さを誇る建物だったが、最近はますます客が増えて、彼らが置いて行く土産が山積みになり、保管用の倉庫からあふれて、セレス嬢の茶話室にも宝飾品や香水など、本人が使用する予定であろう品が、ところせましと並べられていた。
召使いの女が茶菓子の支度をする間、なんとなくそれらを観察していたニコラスは、テーブルの隅、大きな白磁の花瓶の影に隠れるように置かれていた、小さな箱に釘付けとなる。
(似ている…………?)
記憶が刺激され、ニコラスは失礼と自覚しつつもそれを手にとり、ふたを開ける。
はたして、中に収まっていたのは淡紅色の淡紅色の珠だった。
脳裏に数日前の光景がよみがえる。
アリシア・ソル聖神官がクエント第四侯子から下賜され、暗殺者に強奪されたという、クエント侯国特産の真珠。
ニコラスも間近で見た、その色や大きさと、それを収めていた小さいが上等な箱。
見れば見るほど、同一に思える。
(っ、――――まさか)
細工されていなければ、真珠はどれも似たりよったりだ。色や大きさ、光沢の輝きで見分けるしかないし、逆にいえば色や大きさが酷似していれば、見分けるのは困難となる。一粒一粒に名前が書かれているわけでもなく、そもそもニコラスは宝石類の目利きには通じていない。
だが海のないノベーラでは、真珠はクエント侯国から輸入するしかない希少品で、白以外の色となると、さらに数が限られる。
そのうえニコラスは、誰にも言っていないが、ある場面を目撃していた。
天幕が燃え落ちて宣誓書が失われた、あの国境での火事の夜。
デラクルス嬢の忠実な侍従、アベル・マルケスに酷似した人物が現場から離れる姿を、数秒だが、たしかに見ていたのだ。
あの時は見間違いだ、気のせいだと、忘れてしまっていたが。
(――――同じ夜だ。ソル聖神官が暗殺者に襲われ、下賜された真珠を奪われたのは)
鼓動がはやまる。
「ごめんなさい、お待たせしたかしら、ニコラス」
しとやかな声に、ニコラスは心臓が飛び出すかと錯覚した。
部屋の主が、セレス嬢が入室してくる。絹のレースとリボンをあしらった贅沢な室内着を着て、それらに見劣りせぬほど上品で優美だ。
セレス嬢はいつものお気に入りの侍従を、アベル・マルケスを連れている。
知らず、緊張が這い上がってきて、ニコラスは動揺を押し殺して、そっと、持っていた小箱をテーブルに戻した。
「整理が追いつかなくて。見苦しくて、ごめんなさい」
セレス嬢が恥ずかしそうに笑い、アベルが紅茶を淹れはじめる。最高級の茶葉の香りが茶話室にひろがる。ニコラスも平静を装った。
「みな、セレス嬢と誼を結びたくて仕方ないのでしょう。なにしろ次期ノベーラ公太子妃で、聖女候補です。国中から――――いえ、国外からも客が訪れているようですね」
「ええ、そうなの。各国の大使とか、宮殿でお会いすることもあるけれど、個人的に邸を訪問されることも多くて。皆さま、色々手土産を置いて行かれるのよ」
「異国情緒にあふれていて、見るからに興味深い物が多々あります。――――こちらは真珠ですね。クエント産ですか?」
「たぶん、そうね。ノベーラで真珠と言えば、九割がクエント侯国からだもの」
「見事な淡紅色です。こちらの真珠はどなたから?」
「え? さあ…………誰だったかしら? 最近は次から次へと贈り物が届いて、贈り主を確認するのも一苦労なの。どうして?」
「いえ。実は今度、父が世話になった方に礼をすることになって。その方の細君が真珠を好まれるそうなので、金色か淡紅色の真珠をさがしているところなのです。これだけ上等の真珠を扱っている商人なら、是非紹介していただきたいのですが」
「ああ、そういうこと」と、セレス嬢は笑った。
「あとでアベルに名簿を調べさせて、報告させるわ。少し待ってもらえる?」
「恐縮です」
セレス嬢に指示をうけたアベルはうなずくと、完璧な所作でティーカップをニコラスの前に置き、恭しく一礼して部屋の隅に下がる。いつものお仕着せを着た侍従は、いつもどおり冷静沈着で、ニコラスの問いにも動揺した様子は微塵も見受けられない。
その後、セレス嬢との茶話を終えて退室したニコラスは、帰り際、他の召使い達に声をかけ、例の野営地での火事の日の前後、アベル・マルケスが長期間、邸を出ていた形跡はないか、さりげなく探ってみる。
召使い達は口をそろえて「アベルが半日以上、邸を空けた日はございません」と答えた。
「最近ますます、お嬢様に会いに来られるお客様が増えて。中には、不届き者や不埒者もまぎれているかもしれませんでしょう? 旦那様が側仕えの数を増やして用心しているとはいえ、あのアベルが、お嬢様のおそばを長く離れるはずはございません」
それが彼らの言い分だった。
現実問題、公都からあの国境地帯までは、往復で数日間かかる。アベル・マルケスに数日間、公都を離れた形跡がない以上、どれほど怪しい状況でも「偶然、よく似た人物を見かけただけ」で終わる話なのだが、ニコラスは例の『悪魔の芋』の件もひっかかっている。
(ソル聖神官が国境地帯で『悪魔の芋』が食用になると証明したのと前後して、セレス嬢が神のお告げを受けたと主張している。――――偶然か? もし、アベル・マルケスが国境地帯で芋の噂を耳にして、セレス嬢に報告したなら――――)
真珠の件については、あのあとすぐ、名簿を確認したというアベル・マルケスから「クエント侯国の貴族からの手土産」「送り主の母親の形見のため、入手元ははっきりしない」と報告をうけている。
個別に見ていけば、不自然な点はない。はずなのだが。
「ニコラス?」
イサークに呼ばれ、記憶を反芻していたニコラスは我に返る。頭を一つふって、もたれていた壁から背を離した。
不安そうな少年を励ます。
「セレス嬢も来週には伺候されると聞いている。なんといっても、あの婚約破棄宣言は、魔術による乱心の結果と、お前やソル聖神官の尽力で立証されて、大公陛下もそれをお認めになられているんだ。殿下とセレス嬢の婚約は、今も継続している。すぐに、またいつものように仲睦まじい様子が見られるはずだ。――――今後の殿下は、セレス嬢の尻に敷かれようになるかもしれないが」
最後の一言は、ニコラスには珍しい彼なりの軽口だ。
「そうだといいですが…………」
グラシアン聖神官も、己を励ますようにうなずいた。
だが願い虚しく、そうはならなかった。
麗しき未来のノベーラ公太子妃、品行方正で才色兼備の聖女候補、セレスティナ・デラクルス公爵令嬢は国を出たのである。
イストリア皇国第三皇子、ヒルベルト皇子と共に。
 




