39.アリシア
いろいろあった宮殿の宴から数日後。
ソル大神殿長様は宮殿に留められ、警備や捜査関係の役人や武官達から、魔術についての知識や意見をあれこれ求められているが、私は無事に解放されて大神殿に戻っている。
新年の祝祭期間も終わり、大神殿は副大神殿長の指示のもと日常が再開して、患者も待ってはくれない。
午前中の癒しを終え、ほっと一息ついていたら、宮殿から「公太子殿下を怪しい魔術から救った褒美」として、大公陛下の使者が金貨と宝石を持ってきた。
使者は鉛色の髪に眼鏡をかけた青年、ニコラス・バルベルデ卿である。
「ありがとうございます…………」
「たしかに渡した」
私は礼儀としてお礼を述べたが、バルベルデ卿の反応はいかにも「仕事だから」という感じで、たぶん目当てはグラシアン聖神官の顔を見ていくことだったのだと思う。
そのグラシアン聖神官は、私がうけとった金貨や宝石を見て、控えめに提案してきた。
「けっこうな額ですね。良い機会ですから、ドレスくらい仕立ててみては?」
「え。着ていく場所がありませんよ?」
「先日、宮殿の宴に招待されたばかりでしょう」
「あんなこと、何度もあることではないですよ。…………それより、使いたいことがあるんです」
「なんです?」
グラシアン聖神官とバルベルデ卿に見つめられ、私はちょっと緊張というか照れたが、白状してみる。
「実は…………大学を建てられないか、と思って。医者を育てたいんです」
漠然と考えていた事柄だった。
『聖女様が帰って来てくださって、本当に良かったです。聖女様がいない間、私達に癒しを施してくれる方はいませんでした』
公都に戻ってから、幾度となく聞いた言葉。
聖魔力はたしかに便利で強力だが、誰もが持っている能力ではない。私や聖神官が死ねば、その時点で失われてしまう奇跡なのだ。
私かデラクルス嬢が本当に聖女なのかどうか。それだって、いまだにはっきりしていない。
「聖魔力にばかり頼るのは危険だと、セルバに行ってから痛感しました。これからは、医学の発展にも力を注いだほうがいいと思うんです。医学を勉強する学校とか大学を建てて、貴族や富裕層だけでなく平民も通えて、正しい知識を持った医者を大勢育てられたら…………」
「いいと思います。賛成します」
グラシアン聖神官からは前向きな反応がかえってきた。
「私は来月から、またブルカンの神殿に戻りますが。すでにモンテス神殿長から、私達がいなくなって大勢の患者が困っている、早く戻ってきてほしい、という手紙が届いています」
「え、そうなんですか?」
「現在の医学は、知識がいい加減だったり不正確だったりと、不備が多いですが。それらを正して、正確な知識や技術を浸透させることができれば、大勢の患者の力になると思います。少なくとも、聖神官の癒しがうけられない大勢の平民には、大きな助けとなるはずです」
「ですよね!」
グラシアン聖神官に賛成され、私も気が大きくなる。
「たぶん、すぐには結果が出ないと思います。人を育てるのは、時間も手間もお金もかかりますから。でも一度、正しい知識や技術を持った医者の有益性が伝われば、社会のほうから医者を育てようという機運が育つと思うんです。ソル大神殿長様が戻られたら、相談してみようと思うんですが、グラシアン聖神官も手伝ってもらえますか?」
「もちろんです」
即答だった。
が、「良かった」と励まされる私とは対照的に、グラシアン聖神官はいただいた金貨と宝石を見おろし、やや顔を曇らせる。
「ですが、学校を作るとなると、これだけでは足りませんね。人材はむろん、もっと多額の予算が必要ですし、学校を開く場所もさがさないと。ソル大神殿長が、どこまで協力してくださるか…………」
「人材はともかく、資金に関しては、多少のあてがあります」
私は言いきった。
実は今、大神殿には、私あてに方々から物が届いている。神殿への寄付とは別の、私個人への贈り物だ。
身分に関わりなく患者を分け隔てなく癒し、セルバ地方の紛争を終結させるのにも一役買って、巷の評価と人気が右肩上がりの若く可憐な(なにしろ乙女ゲームのヒロインだ、容姿は保証されている)聖女候補には、癒しのお礼以外にも、大勢の信奉者や求婚者から、毎日なにかしら届くのである。
あとが怖いので、できる限り受けとらないようにしているものの、送り主の身分によっては拒否が難しかったり、何度注意しても神官が勝手に預かってきてしまう。
「高位の貴族からだと、送り返すのも失礼ですし。品物によっては傷んでしまうので、それならいっそ、そういう品をまとめて寄付や援助という形で、学校を作る資金に回してしまえば、送り主側の評価もあがって、私が持っているより有意義だと思うんです」
「それは可能でしょうが…………せっかくの贈り物です。自分で使おうとは思わないのですか?」
「お菓子やお酒や珍しい果物とかは、大神殿の厨房にまわして、皆で食べられるようにしてもらっていますよ。お花も礼拝堂に飾ってもらっていますし。でも絹やレースのリボンとか宝石は、使い道がないです。自室には置けないので、ソル大神殿長様に預かっていただいていますし。保管だけで一苦労です。それならいっそ、売って、学校を建てる資金にしたほうが有意義ですよ」
私は一応、個室をもらっているが、金庫などは存在しないし、部屋に鍵もかからない。宝石も大量の金貨も、個人で保管するのは危険なのだ。
「ですが、夏用と冬用で、宴用とお茶会用のドレス一式くらいは仕立てても」
「聖神官の正装があるから、大丈夫ですよ」
私は笑って、同僚の少年の提案を却下した。
グラシアン聖神官のこういう発想は、やはり貴族のご子息様だ。
「そういうことなら、薬草園の設立も加えたほうがいいだろう。医療行為に用いるにせよ、研究に用いるにせよ、数が必要だ」
宰相側近の文官、ニコラス・バルベルデ卿が会話に加わってくる。
王立学院きっての秀才と名高い彼は、医者の育成に理解を示した。
「ソル聖神官が公都にいない間、癒しを受けられない患者が続出して、何度か騒ぎになった」
「えっ」
「これまで、庶民は重篤な病を得た場合、あきらめるだけだった。しかしソル聖神官が現れてからは『聖魔力による癒し』という選択肢、希望が生まれた。いったん生まれれば、なかった頃には戻れない。ソル聖神官が公都を出たところで『癒しをあきらめる』という以前の対応には戻れなかった。そのため癒しを求めて、大神殿はむろん、デラクルス公爵家にまで大勢の患者とその家族が押しかけた」
「…………少し、噂を聞きました。庶民だと、けんもほろろに追い返された、と…………」
バルベルデ卿は淡々と説明をつづける。
「安全性を考慮すれば、未来の大公妃に、安易に大勢の身元不明の人間を近づけるわけにいかないのは、当然のことだ。が、今後も同様の事例がつづいては困る。デラクルス嬢の評判にも関わることだし、私からも父上に進言してみよう」
「お願いします、ニコラス。宰相閣下の賛同を得られれば、話が進めやすくなるでしょう」
宰相の令息の言葉に、グラシアン聖神官の表情もやわらぐ。
私も私情は抑えて「お願いします」と、神官式の礼をした。
「新しい医学の大学や薬草園を作るとなると、今ある大学や、そこの教授陣との折衝も重要になってくるな。教授の大半は貴族だ、そちらから伝手をさがしてみよう」
「ああ。新しく大学を作ったら、古い大学と喧嘩してしまう可能性がありますよね。…………私としては、お互いに切磋琢磨し合う方向に進んでほしいですし…………協力を求めることはできないんでしょうか?」
「医学に限らず、大学も教授陣による利権争いが激しい。あそこは、宮殿で役職を得られなかった貴族が、せめてもの名誉を得るためにしのぎを削っている場所でもある。協力を求めれば確実に、新しい大学の要職をいくつか都合しろと要求してくるだろう。そこの調整が必要だ」
「…………っ」
私は苦虫を嚙み潰した表情になったはずだ。
本来、世のため人のために知識を蓄えて教え広め、そのために予算を用いるべき場所が、そんな風にわかりやすく腐敗しているなんて。
だがバルベルデ卿はもっと追い打ちをかけてくる。
「薬草園も、商人ギルドや大学教授陣との折衝が不可欠だ。教授達が新しい薬の効果を保証し、保証された薬を売って儲けた商人達は、教授達に謝礼を渡す。そういう関係だからな」
「なん…………っ」
(最低)と、私は呆れた。
「人の命に係わる品物なのに、そんな風にお金儲けに利用しようなんて…………商売は否定しませんけれど、限度や節度ってものがあるでしょうに」
「そもそも連中の間で、ソル聖神官の評判は最悪に近い。医者いらず、薬いらずだからな。ソル聖神官の惜しみない癒しの大盤振る舞いのおかげで、公都の薬屋や医者の売り上げは大幅に下がったと、もっぱらの噂だ」
「それはそうでしょう。もともと医者や薬草の中には、効果が曖昧なものも多いですし」
「――――っ」
皮肉げなバルベルデ卿の言葉に、グラシアン聖神官も同調する。
私は利権をあさるような人間達にどう思われようと、心は痛まないが『医者いらず』という単語には引っかかりを覚えた。
怪我人や病人が減るのはいい事だが、医者だって食べていかなければならないわけだし、真面目に治療にあたっている人達を路頭に迷わせたいわけではない。
「いっそ、すでにいるお医者様には、学生として、新しい大学に入ってもらえないでしょうか? そこで、あらためて正確な知識や技術を身に着けて、市井に出てもらえれば、お医者様にとっても患者にとっても、いい結果となると思うんですけれど」
「これからの折衝次第だな」
宰相付きだけあって、バルベルデ卿と話していると、漠然としたイメージがどんどん具体性を帯びていく。
「新しい薬や治療法の研究とかも、大学で進めてもらって。…………結果が出るまでに時間がかかりそうですけれど、それまで、なんとか維持するしかないですよね」
前世のニホンでも、新しい薬や治療法の確立には膨大な資金や時間や、なにより実験が必要だったはず。安全性を考慮すればしかたないことではあるが、知識や技術が遅れているノベーラでは、さらに時間がかかるだろう。
そう予想したが、学院きっての秀才様の発想は違った。
「そうとも限らない。ソル聖神官が協力するなら、研究を短縮する方法はある」
「私ですか? どうやって?」
「患者に新しい薬や治療法を試していく。それで効果を確認する」
「それじゃ、人体実験でしょう! もし効果がなかったり、間違った薬で患者を死なせでもしたら、どうするんです!?」
「その時のために、ソル聖神官が待機しておく」
「――――っ!」
「なんなら、それ用の罪人を用意すればいい。たとえば、重罪人に傷をつけて試作段階の傷薬を塗り、それが本当に効果があるかどうか、経過観察する。効果があれば良し、なければソル聖神官の出番だ。いっそ、そういう刑罰を作ったほうが早いな。罪の軽重に合わせて、実験体となる期間を決定する。罪人は、薬や治療法の確立を通じて世間へ貢献できるし、患者は、より効果的で安全な治療を得ることができる。良い事だらけだ」
「最悪!!」
私は相手の身分や地位を忘れて怒鳴っていた。
「すみません、ニコラスはこういう男なのです。悪気はないのです、ただ情や気遣いが足りないだけで」
グラシアン聖神官がフォローするが、あまりフォローになっていないと思う。
バルベルデ卿はさらり、と話題を変えた。
「なんにせよ、まずは協力者の募集からだ。人が集まらなければ資金が集まらないし、金が集まらなければ人材も集まらない」
「私も、父に頼んでみます。貴族の間から寄付を募ることができればいいのですが」
グラシアン聖神官の言葉に、私はちょっと不安がよぎる。
「あまり高額の寄付を受け付けると、お金を出す人達の意向に左右されそうで、不安ですけれど…………まあ、いざとなれば、私が身を売ってでもお金を作ります」
私が胸の前で拳をにぎると、グラシアン聖神官が頬をうっすら染めて「なんてことを!」と声をあげた。
「貞潔であるべき神官、それも聖女候補が、そのような不道徳な行為を行おうとは!」
「違います! 『身を売る』って、たとえば髪を切って売る、という意味です!」
私は自分のストロベリーブロンドを摘まみながら、純情な少年に説明した。
「私も聖女候補として、だいぶん有名になりましたから。私の髪を切って『健康お守り』とでも銘打って売り出せば、それなりに良い値がつくと思います。髪は切っても、また伸びますから、少ない元手で大きく儲けられるでしょう?」
「ああ、そういう…………」
「商品にするなら、もっと長くしたほうが良くないか? 今のままでは、少し短い」
私の髪をしげしげ見て、バルベルデ卿が横槍を入れる。
「聖神官といえども、神官ならこれくらいが普通ですよ。基本的に肩までです」
ノベーラに限らず、この世界では長く美しい髪が女性の魅力の一つとされる。
それゆえ、世俗の未婚女性は髪を結わずに垂らして、その美しさを見せつけて男性にアピールし、結婚の道を捨てた神官は、その証として髪を短く切るのだ。私も聖神官見習いとなって以降、肩より下に伸ばしたことはない。
「それは知っているが、短いと在庫不足になる可能性が高い。だいいち若い娘の髪にしては、パサついて艶も不足している。売り物にするなら、まず、毎日もっと質の良い櫛とブラシを使って、髪油や蜂蜜も塗って品質を向上させないと――――」
「ニコラス!」
グラシアン聖神官が制止の声を上げるが、もう遅い。
私は「患者が来た」と呼ばれたのをいいことに、肩をいからせ、足音高くその場を離れた。
ちなみにその晩。
魔王ビブロスとの交換日記に、バルベルデ卿に言われた言葉を記したら、彼からは髪を含めた美容術の本の紹介文が返ってきた。
泣きたい。
 




