3.アリシア
翌日。私は大食堂での朝食を終えると、大神殿の正面玄関へ走った。
正面玄関にはすでに大勢の人々が並んでいる。多いのは祈りや供物や寄進を捧げに来た信者達。そして聖神官の癒しを求めて来た患者と、彼らの付き添い達だ。
現在、国内の聖神官の半数は宮殿に、残りは大神殿にいるので、癒しが必要な大公家以外の患者は大神殿に来るのが一般的だ。が、こちらの癒しも曲者で。
実のところ聖神官による癒しは、重症患者だと一日に一人か二人、多くても三人が限界だ。大神殿にいる聖神官は五人なので、一日に癒せる患者は十人に達するかどうか、というところ。
この十人も、公平に振り分けられるわけではない。
神殿に多額の寄付ができる人、上層部に太い伝手を持つ患者が優先的に選ばれる。つまり金持ちとか貴族階級だ。
それ以外の患者は彼らのあと、聖神官に余力があれば癒してもらえる。
つまり運次第であり、たいがいの患者はその運に恵まれずにいた。
私は並んでいる患者の先頭の一人に声をかけ、胸の前で腕を交差させる神官式の挨拶をすると、癒しを申し出る。
「まだ見習いなので、たいしたことはできないと思いますけれど」
今、私が着ているのは焦げ茶色の奨学生の制服ではなく、簡素な見習いの服。
ノベーラの国教であるアストレア教では、神官は比較的安価な青で染めた長衣を着て、その上に裾や袖が一回り短い白の神官服を重ねて、青の帯を締める。
神官長だの神殿長だのと位があがるにつれ、長衣と帯が藍色、紺色、と濃くなっていき、逆に見習いは水色の長衣と帯だ。つまり色の濃さで地位の高低がわかる作りになっている。
これが聖神官だと、白い神官服は同じだが、長衣と帯は紫。
見習いの私は白の神官服に薄紫色の帯と長衣だが、それは話しかけた相手もわかっているはずで、それでも相手は「お願いします」と、すがってきた。
私は患者に列から離れて座ってもらい、いつもの修行どおりに手をかざす。
手のひらから青白い光が水のように流れ出て、痛みを訴える患部に降り注ぐ。
「あなた!」
「父ちゃん!」
十秒後、患者がすっきりした表情でしゃんと立ちあがり、付き添っていた細君と幼い子供達が、半泣きで元患者に抱きついた。家族は私の手をとり、何度もお礼を言って大神殿を出た。
単純な人助けは単純に気分が良い。
私も胸をなでおろし、自分の聖魔力が実践で通用することを確信、安堵する。
喜び合いながら帰って行く家族の姿に、幼い頃、業火に奪われた光景が重なって胸がちくりと痛んだが、感傷に浸っている暇はなかった。
事態を見守っていた他の患者達がいっせいに私のもとにやってきたのだ。
私は片っ端から癒していき、この日だけで二十人以上の患者を癒して、最後にソル大神殿長様や聖神官長様達に「勝手なことをするな」と叱られた。
これはしかたない。
見習いが独断で癒しを施すのは越権行為だ。ニホンで、正規の医者をさしおいて研修生が治療を行うようなものである。
だが今の私は切実な事情を抱えている。
「あの人達は具合が悪いのに、最後の希望にすがって長時間、並びつづけているんです。それを放っておくなんて、私には…………っ。天上の神様だって、お望みではないと思います!」
「言い分はわかるが、泣き真似はやめよ」
ソル大神殿長のお説教を右から左に聞き流して、私は翌日も、さらに翌日も、癒しの無償提供をつづけた。
(とにかく『ヒドイン』の設定を壊さないと)
その手段として『善人』の評価をかき集めることにしたのだ。
幸い、私には聖魔力という、天から授かった優位性と武器がある。この世界ではいくらでも需要がある能力だ。
極端な話、癒しつづけてさえいれば『悪女』の評価は避けられるだろう。有用性をアピールしつづけることで「処刑や娼館送りにするには惜しい」と思う人も増やせるはずだ。その人達が私の味方となる。安直だが、私の頭ではそれくらいしか思いつかない。
(マンガの詳しい展開を覚えていないから、どう動けば未来を変えられるか、見当もつかないし。とにかく、ひたすら治して善人の評価を定着させて、悪役令嬢達とは関わらずにいるしかない。まだ見習いだとか、気にしていられない!)
私は毎日、勝手に癒しをつづけて実践で聖魔力を鍛え「聖魔力の癒しを惜しみなく貧民に授ける、心優しい見習い聖神官」という評価と評判、そして不登校の実績を積みあげていく。
ヒロイン(実際にはヒロインではないけれど)特典なのかなんなのか、私の聖魔力は使えば使うほど上達して、自分でも「上限がないのでは?」と疑うほどだ。
「普通の聖神官は、一人癒すだけでも相当な気力と体力を消耗する。十人も癒して平然としているほうがおかしいんだ」
「我々の青い聖魔力より、ソル見習いの聖魔力は白っぽい。ひょっとしたら、聖女のみが発現させるという『星銀の聖魔力』、その前段階かもしれない」
大神殿勤めの聖神官達からもそんな風に分析され、噂は噂を呼んで、一日ごとに患者の数は増えて、入学式から三ヶ月も経つ頃には、私はすっかり公都の有名人だった。
ちなみにこの間、ソル大神殿長は王立学院に赴いて、例の入学式の件について学院長や公太子達と何度か話し合っていたが、私はラウラに頼んで退学届を出してもらっていた。
学院に通いつづけるラウラによれば、入学式直後は公太子一味の宣言のせいで「あれほど非難されるなんて、アリシアとやらはどれほどふしだらな女なんだ」と、生徒間で噂になり、公爵令嬢周辺がさらにそれを助長させるような噂をばらまいていたらしい。
「けど、最近は『家族や親族をあなたに癒してもらった』って生徒が増えてね。もっぱら下級貴族とか平民の富豪の子女だけど、彼らが『そこまでひどい女には見えなかった』って言い出して。まして今は聖女候補だもの。今は殿下達のほうが『なにを根拠にあそこまで非難したんだ』って、いぶかしがられているわ」
それがラウラの報告だった。
最近では「聖なる乙女に会ってきた、可憐だった」と騒ぐ生徒も増え、私の再入学を望む声も大きくなっているそうで、学院長からは「公太子殿下達と顔を合せぬよう、時間割その他を融通する」という手紙が届き、ソル大神殿長様からも「学院長がここまで気を遣ってくださるのだから」と、婉曲的に登校を勧められた。
それでも私は拒否した。
まだまだ全然、断罪を回避できた確信が持てなかったし、
「ここまで知れ渡ってしまったのに、今さら『登校するので癒しは中止します』とは言えません。患者達はさぞ落胆するでしょう」
という気持ちがあったのも事実だ。
神殿側も、回復した患者達が納めていく寄付の額が増えるにつれ、何も言わなくなった。
私は癒しをつづけ、入学式から四ヶ月が過ぎる頃には世間では「新たな聖女が誕生した」と噂されるようになっていた。