31.アリシア
「なぜ、私が?」
砦の責任者であるデレオン将軍からクエント側の言葉を聞かされ、私は首をかしげた。
「クエント兵の捕虜を癒してもらった、その礼を述べたいそうだ。あちらは現在、第四侯子が総大将として派遣されており、その侯子がソル聖神官との面会を望んでいるらしい」
私は驚いたが、デレオン将軍も明るい反応ではない。なにかの罠ではないかと疑っている。
ルイス卿も渋い反応だったが、私は将軍と話し合って同行を決めた。
(ひょっとして、これがビブロスのいう『自然な公表』工作の一環かも)
そう推測したからだ。その場合、話にのったほうが、事がすんなり進むだろう。
報告をうけて駆けつけたセルバ辺境伯が「承知」の返事をしたため、使者に持たせる。
数日後。前回の捕虜交換の時と同様、ノベーラ側の砦とクエント側の砦の中間地点である、セリャド火山のふもとの岩だらけの原っぱに、両軍が向かい合った。
ここは百五十年前の噴火前までは『ブルカンの街』があり、噴火によって大半が灰と溶岩に埋もれて、街の人々も避難して新しい場所に街を作って以降は、残った建物が遺跡のような扱いをうけている場所だそうだ。
私はルイス卿と共に交渉の場に案内され、クエント側の総大将、クエント侯国第四侯子と対面する。
「はじめまして、アリシア・ソル聖神官。クエント侯国第四侯子にして第二騎士団長ルイ・エルネストです」
エルネスト侯子は、ノベーラ公太子とはまた違った趣の『絵に描いたような王子様』だった。
レオポルド公太子がいかにも豪華で凛々しい王子様なら、エルネスト侯子は育ちと頭の良さを感じさせつつも、あたたかな雰囲気をまとった『優しい兄』風味の王子様だ。やわらかな金茶色の髪と瞳が、ますますその印象を強めている。
私がいそいで胸の前で腕を交差させて神官式の礼の形をとって挨拶すると、エルネスト侯子は恐れ多くも私達の前までやってきて私の手をとった。
「帰還した捕虜達から報告をうけました。ソル聖神官は、ノベーラ軍の上官から強い反対をうけながらも、我が国の民に癒しの慈悲をかけてくださったとか。心より感謝を述べます」
「あ、いえ、これが仕事なので…………」
(うわあぁ…………きらきらしている…………! 王子様だ…………!!)
私は眼前の優しいほほ笑みから放たれる光に目を焼かれながら、なんとか返答をしぼり出す。
形式だけとも思えぬ心のこもったお礼が済み、その場を離れようとした時。
重い岩がぶつかり合う音が十数秒間響いて、兵達の悲鳴があげる。かすかな地鳴りも感じた。
「何事だ!?」
将軍達が報告を求め、やがて「廃墟になっていた建物の一つが崩れ落ちた」と知らせが届く。
いったん交渉を中断して、辺境伯や侯子が現場へ向かった。私もルイス卿と共に同行する。落下物にあたったり下敷きになったりして、怪我を負った人間がいるのでは、と予想したのだ。
しかし幸いなことに、聖神官の出番はなさそうだ。
「廃墟ですし、今回のように崩壊の危険もありましたので、近づかないようにしておりました」
そう兵士達から告げられ、胸をなでおろす。
「ですが、また崩れるやもしれません。閣下達もこの場をお離れになったほうが」
誰かの副官だか侍従だかが進言し、私達もその忠告に従おうと踵を返した、その時。
「きゃ…………!」
「うっ!?」
急に足元が崩れ、私は岩だか土だかの上をすべって闇の中へ落ちた。
「アリシア様! 聞こえますか、アリシア様!!」
気づくと、ルイス卿の呼び声が上から落ちてくる。まぶたを開けているはずだが周囲は真っ暗で、頭上からわずかな光が射し込んでくるばかりだ。
「ここは…………?」
ゆっくり上体を起こすと、私の下で男性の呻き声がした。
「え? あ! 誰か、乗っかってしまっていますか!?」
申し訳ないことに、私は一緒に落ちた誰かの体をクッションにしていたらしい。
「すみません! お怪我は…………!!」
「体に大きな異常はないよ。少し気を失ってもらっただけだ」
「ビブロス!」
暗闇に、浮き上がるように明瞭に白髪黒服の魔王の姿が現れる。
「さっき地面が割れたのは、あなたの仕業? ここはいったい――――」
「神殿の地下だよ。天然の洞窟に、緊急時の避難場所として手を入れ、その後は食料貯蔵庫としても使われていた。百五十年前の噴火で地上の神殿部分が埋まり、当時の神殿長も死んで以降、ここの存在を知る者はいなくなった」
ビブロスの手から、ふわり、と白い光の玉が現れ、低めの天井近くまで浮き上がって全体を照らし出す。
「おいで」
指の長い白い手が差し出され、私はおずおずと彼の手を借りて立ち上がった。頬が熱い。
ビブロスはそのまま私の手を引き、地下空間の奥へと私を導いた。
「これは…………石像? 初代聖女アイシーリアの像?」
岩壁に囲まれた空間にぽつんと、等身大の石像が立っている。
「旧神殿の中庭にあったものと、似ているみたい」
「同時期に彫られた物だよ。そこの額飾りの真ん中の石に触れてごらん」
「これ?」
言われたとおり、丸い石にそっと触ってみる。
「? 動く? 外れそう…………」
「外したら左右にひねってごらん。開くよ」
丸い石はぽろり、と石の額飾りから外れた。何度か持ち直して上下左右にひねってみると、本当にぱかり、と石が二つに割れる。
出てきたのは丸い石だった。
「なに? 水晶? ガラス?」
宝石には詳しくないが、灰色にくすんだ、見るからに質の悪そうな石だ。けれど。
「持って行くといい。たぶん、いずれ必要になる。君か僕かは、わからないけれど」
「これが? どうして私か、あなた?」
私は手の上の石を見おろし、首をかしげてビブロスにその石を見せるが、図書館の魔王はちらりと手の上を見ただけで話題を変える。
「それじゃあ、僕は戻るよ。これで依頼は果たせたはずだ」
白髪黒服の魔王の姿はすっと闇に溶け、白い光も失われる。
唖然としていると、騒々しい声と足音と光が近づいてきた。
「アリシア様! そちらですか、アリシア様!!」
「ルイス卿!」
「ああ、良かった! アリシア様、ご無事ですね!?」
ルイス卿が私へと駆け寄ってきて、松明を掲げた兵士数名がそのあとにつづく。
「デレオン将軍閣下! いらっしゃいますか、閣下!!」
「侯子殿下!! ご無事ですか、エルネスト殿下!!」
ノベーラ兵とクエント兵が松明を左右に振り、さっき私が体を起こした場所へと駆け寄る。
なんということか。私は将軍閣下か侯子殿下、もしくはお二人を一緒にクッションにしてしまっていたらしい。とんでもなく高貴なクッションだ。
「よもや、遺跡の地下にこのような空間があったとは…………」
「ここに住んで長い我々も、まるで気づきませんでした」
目を覚ましたデレオン将軍が驚いたように立ち上がり、兵士達も同意の声をあげる。
ビブロスの説明通り、本当に知られていない場所のようだった。
「戻りましょう、アリシア様。皆様も。ここも、いつ崩れるかわかりません」
ルイス卿が忠告して、他の兵士達も上官をうながすが、エルネスト侯子が一点を指さす。
「あそこに石像が」
全員の視線が集中する。例の聖女像だった。
「なにか持っているぞ」
松明を持った兵士が近づく。
言葉通り、先ほど見た時は、両手を祈りの形に組んでいただけのはずの聖女像が、今はその手と胸の間に押し込まれるように、一つの箱を抱えている。
ビブロスが置いて行ったのだろうか。
私は周囲が止めるのも聞かずに石像に近寄り、そっとその箱を引き抜いた。
松明の光の下でふたを開けると、出てきたのは紙だ。
見覚えある紙の束。
「なんでしょうかね、これは?」
松明を掲げる兵士も覗き込む。農民出身のため、字が読めないのだ。
私がなにか言う前に、読み書きが当たり前に身についた高貴な方々が、その表紙の題名を読み上げてくださった。
「セルバ地方、国境線の記録――――!?」
エルネスト侯子とデレオン将軍の言葉に、兵士達も「えっ!?」と一様に目をみはる。
こうして、百五十年にわたるセルバ地方の紛争、その原因である国境線の正確な記録が、ノベーラ軍の将軍とクエント第四侯子によって偶然、神殿の地下から発見されたのである。
一帯は騒然となった。
「本当に、この文書を神殿の地下で発見したのか?」
急遽、張られた巨大な天幕の中で。『発見』された文書の一枚一枚を机にひろげながら(途中、机が足りなくなった)、セルバ辺境伯が、ルイ・エルネスト侯子殿下やデレオン将軍閣下や私に確認する。
辺境伯はあの場にいたものの落下は免れたため、現場の目撃には至らなかったのだ。
侯子殿下や将軍閣下は、地下にすべり落ちた際にできた擦過傷やかるい打ち身を、私に癒してもらいながら、興奮気味に「そうだ」と断言する。
「地下空間に聖女像が一体だけ置かれていて、その像がこの箱を持っていたのだ。救助に来た兵士達も証言するだろう。地下に落ちる前、我々は手ぶらだったのも知っているだろう」
デレオン将軍の説明に、セルバ辺境伯も重々しい表情で机の上を凝視する。
私もその場にいた、という理由で状況の説明を求められたが、事情を知らぬ兵達は「長年、地下に隠されていた」という推測を疑ってもいなかった。
「これは…………間違いなく、正式な公文書です。国境線の位置だけでなく、それを認める当時のノベーラ大公とクエント侯、双方の印章と署名もそろっている。しかし…………」
癒しを終えたエルネスト侯子殿下がひろげたのは、紙に記された記録の束とは別に、一枚だけ添えられていた大きな羊皮紙だった。
簡単にまとめると、百五十年前、セルバ地方はブルカン城伯に統治されていた。『城伯』とは城一つとその周辺を治める地位で、現在は廃止されて伯爵や子爵に統合されている。ブルカン城伯位もセルバ辺境伯位に吸収され、かつてのブルカン城伯は現在のセルバ辺境伯のご先祖様の一人だそうだ。
このブルカン城伯殿、なにを考えたか、要約すると「ブルカン城伯領は未来永劫、イストリア皇帝のもの」という誓約書を作成していたのである。
「誓約書の体裁は整っています。当時のブルカン城伯の署名も印章もある。これなら現在も公文書として通用する――――いえ、してしまうでしょう」
侯子殿下の説明に、私は基本的な疑問を呈する。
「当時のブルカン城伯は何故、そのような誓約を交わしたのですか?」
「…………誓約書によれば、城伯領をイストリア大皇国に捧げる対価として『ブルカン城伯の子孫をイストリア皇家に連なる者として認める』…………と、あります。当時のブルカン城伯はイストリア皇帝の甥の孫娘を妻に迎えており、その縁を根拠に、ということのようです。皇帝の代理人として、その甥の署名と印章もあります。この人物と取引したのでしょう」
あとでセルバ辺境伯の家系図や代々の日記や記録を調査して判明することだが、このイストリア皇家の血を引く女性が外国の一地方の城伯と結婚したのには、紆余曲折あったらしい。
問題は、ノベーラはむろん、イストリアでも法的に重視されるのは父方の血筋である、という点だ。たとえば皇女や大公女の産んだ子でも、父親が平民なら、世間の評価はともかく法律上は平民となり、皇家の財産の相続権などもいっさい認められない。
つまり百五十年前のブルカン城伯の「イストリア皇家の傍系である妻が産んだ子を、イストリア皇家の傍系と認めて」という要求は、どちらの国の法律にのっとっても認められないところを「うちの領地をあげるから認めて」と、やってしまったのである。
「どうして、そうまでしてイストリア皇族の身分を…………城伯が勝手にそんなことを決めていいのですか? 当時のノベーラ大公やクエント侯の許可は得ていませんよね?」
私の問いに、クエント侯子やセルバ辺境伯もそろってうなずく。
「むろん、クエント侯は預かり知らぬ事実です。知っておれば、百五十年も悠長に争ってなどいなかったでしょう。本来なら無視してよい文書ですが――――教皇の印章と署名がある」
侯子殿下の指が、ひときわ存在感のある印章を示した。
教皇。神聖レイエンダ帝国の元首で、現在、大陸でもっとも広く浸透するアストレア教の最高指導者にして最高位の大神官。
帝国そのものはかなり国力を落としたとはいえ、ノベーラもクエントもアストレア教を国教とさだめている以上、その最高指導者の権威を無視するのは、できないわけではないが外聞が悪い。なにより。
「アストレア教を国教とするのは、イストリア皇国も同じ。この誓約書の存在を知れば『神と教皇猊下への忠誠を示す』という大義名分のもと、喜んで正統なブルカンの領主に名乗りをあげるでしょう」
セルバ地方と皇国は国境を接してはいる。が、両国の間にはセリャド火山が鎮座しているため、セルバ地方は皇国からの侵略を免れている。セリャド火山を中心に、西側がイストリア皇国、北東がノベーラ大公国、南東がクエント侯国、と分かれているのだ。
これまでは火山が邪魔でセルバ地方への侵攻をひかえていた皇国が、もし本気でブルカンの街を攻めたら。そのままセルバ地方全体へ侵攻して、ノベーラやクエント侵攻の足掛かりとするだろう。
かつての大皇国時代より衰退したとはいえ、イストリアはまだ大国。ノベーラもクエントも真っ向から戦って勝てる相手ではないし、セルバ地方の豊かな土壌がイストリアに抑えられるのも痛手だ。
「…………」
重苦しい沈黙が天幕に充満する。
ノベーラ代表とクエント代表。双方が共に押し黙り、相手の出方を見計らう。
「――――あの。いったん保留にしませんか?」
私は口をはさんだ。
ルイス卿が思わず瞠目したが致し方ない。このままでは黙ったまま日が暮れてしまう。
「いったん、お互いに陛下にお伺いを立てて。この文書が本物か、鑑定も必要では?」
私の提案に侯子と辺境伯も重々しくうなずきあう。
「同感です。まだ真偽が確定したわけではありません」
「内容が内容だけに、我々だけで話を進めることはできませんな」
口に出すタイミングを見計らっていただけで、私に提案されるまでもなく最初からそのつもりだったのだろう。ノベーラ代表とクエント代表は少々大仰にうなずき合い、私やルイス卿も「くれぐれも口外しないように」と念押しされたうえで、今日は解散となった。
天幕を出た私は開放感に伸びをして、原っぱを歩く。もう夕方だ。
「これで一気に、停戦とか和平までいってくれると、いいんですけれど」
「まだ確実とはいえません」
ルイス卿は慎重だった。
「たしかにあれは、セリャド火山噴火前の国境線の記録です。ですが、まずは両国間での入念な鑑定が必須ですし、本物と認められても、双方が素直に記録上の国境線を受け容れるかは、別問題です。最悪の場合、記録は偽物とされて、ふたたび戦端が開くかもしれません」
「要は、なかったことにする、ということですか? あんなに苦労したのに…………」
「文書が発見された事実は、両国の兵士達に知れ渡っています。仮に上が偽物と宣言しても、兵の間で疑惑が残るのは確実でしょう」
エルネスト侯子もセルバ辺境伯もデレオン将軍も、ルイス卿と一緒に地下に潜った兵士達に「まだ決まったわけではないので、口外しないように」と厳命してはいた。が、こういうことは、上が止めたところで必ず漏れる。いつの時代どこの世界にも、他人にしゃべらずにはいられない人間、というのは存在するのだ。
まして百五十年にわたる戦に決着がつくかもしれない、となれば。
「セルバ地方出身の兵は、すでに『戦争が終わるかもしれない』と喜びの声をあげています。これで『偽物だった』と伝えれば、深刻な不満が生じるでしょう」
「うかつなことはできないはず」と、それがルイス卿の見立てだった。




