2.アリシア
『アリシア・ソル!! お前は偽聖女だ!!』
黒髪の青年がストロベリーブロンドの少女を指さし、大声で責め立てる。
彼がもう一方の手で肩を抱き寄せるのは、長い銀髪の美しい少女。
『本物の聖女は、このデラクルス公爵令嬢セレスティナだ!! お前は卑しい平民でありながら、公太子とその友人達をたぶらかし、罪のない高貴なセレスティナに「悪役令嬢」の汚名を着せたばかりか、セレスティナを処刑して自分が公太子妃になろうと画策した!! よって、希代の悪女にふさわしい罰を下す!!』
紙に描かれた一場面。
ページの端に並ぶ『見開きカラー』や『クライマックス直前、大幅増ページ!』の文章。
見知らぬ文字のはずなのに、吹き出しの中の台詞も端の煽り文句もすべて理解できる。
(あ、これ『マンガ』で見た場面だ)
アリシア・ソル、十六歳。
王立学院入学式の日に、初登校の校門の前で。
そんな定番の一言と共に思い出した。
門の前には、リボンタイに、ふくらんだ肩と折り返し袖が特徴的な白の制服を着た銀髪の美少女。
そして彼女を守るように並んでこちらをにらみつけてくる、やはり折り返し袖のある白の上着とベストを着た、様々なタイプの美男子達。
(わかる…………思い出した、マンガの表紙イラスト――――!)
単行本の表紙に黒髪の美形に抱擁されるポーズで描かれ、クライマックスちかくではその黒髪の美形に守られるように立っていた、長い銀髪と青玉の瞳の美少女――――『悪役令嬢』セレスティナ・デラクルス。
彼女を囲む色とりどりの美男子達も、裏表紙に描かれていたキャラクター達だ。
では私は、その裏表紙の美男子達に囲まれていた焦げ茶色の制服の少女、クライマックスちかくでは黒髪の美形に指弾される、肩にかかる癖のないストロベリーブロンドにミントグリーンの瞳をした平民の奨学生こと『ゲームヒロインのアリシア・ソル』か!
(そういえば、名前や瞳や髪の色、髪型や身分も、みんな同じ…………!)
「大神殿の聖神官見習いにして奨学生、アリシア・ソルだな?」
呆然と立ち尽くす私にかまわず、美男子達の真ん中、ひときわオーラのあるきらきらした金髪の青年が口を開く。
ノベーラ大公国レオポルド公太子殿下の重々しい確認に、気圧されながら私がうなずくと、
「そうか」
と、公太子と他の美男子達が目で合図をかわしあった。
敵意を放つ四対の目が、いっせいに私を見る。
「さっそくだが、アリシア・ソル。私が愛しているのは、ティナただ一人。このデラクルス公爵令嬢セレスティナ・デラクルスこそが、私と大公陛下の認めた唯一無二の正統な次期公太子妃であり、未来の大公妃だ。君がいかなる卑怯な手練手管を用いようと、私の心はけしてゆらがない。今後いっさい、私にもティナにも近づかないように。もし、君がわずかでもティナに危害を加えたなら、即座に追放などでは済まない報いをうけさせると、ここで宣言しよう」
公太子殿下は長台詞を一息に言ってのけると、婚約者を抱き寄せた。
「行こう、ティナ。今までもこれからも、いついかなる時も私の心は君のものだ」
「レオ様…………っ、嬉しい…………嬉しいです」
銀髪の少女は涙ぐんで頬を染め、公太子と共に背を向け、去っていく。
「おい、待て」と残りの美男子達も慌てて追おうとするが、私に釘を刺していくことは忘れなかった。
「わかったらセレス嬢に近づくなよ、尻軽女。セレス嬢は、お前のような身の程知らずの性格ブスとは違うんだ」
と、赤毛の大柄な青年(少年というより青年の体格)。たぶん騎士団長の息子。
「まったく。愚鈍な平民の奨学生風情が、分不相応な野心に目がくらんで我々を篭絡しようとは、舐められたものだ。なにかあれば即報告するよう、生徒達には命じてある。くれぐれも行動には気をつけることだ。セレス嬢には指一本、触れさせないぞ」
これは眼鏡をかけた理知的な顔立ちの、鉛色の髪の少年。たぶん宰相の息子。
「なにゆえ、神はこのような低俗な人間に聖魔力を与えたもうたのか…………学院は婚活の場ではありません。貴女も神から祝福されたなら、下劣な野心は捨て、精進することです。セレス嬢の聡明さと清廉さを見習いなさい」
こちらは水色っぽい金髪の、少女のように繊細な顔立ちの少年だった。たぶん枢機卿の息子だ。断片的な情報がちかちか、脳裏に閃く。
美男子達はそれぞれに捨て台詞を残すと、公太子と公爵令嬢を追って行ってしまった。
あとには呆然と立ち尽くした私アリシアと、事態を見守っていた生徒達が残される。
その生徒達も一人、二人と入学式の会場である大ホールへ向かいだし、私は覚えのある声に肩を叩かれた。
「おはよう、アリシア。なんだか災難だったわね」
声のほうを向けば、黒髪が情熱的な印象を与える大人びた美少女が立っている。
「ラウラ」
一歳年上の彼女は一年早く奨学生として学院に入学していた、大神殿の見習い仲間だ。
「今のって公太子殿下でしょう? あなた、知り合いだったの?」
私はぶんぶんと首を横にふる。
「そうよねぇ。神殿育ちの聖神官見習いと、公太子殿下その他だもの。接点なんかあるはずないし、誰か別の人と勘違いされているとしか考えられないわよねぇ」
ラウラはあえて大きめの音量で話して『人違い』を周囲に強調してくれる。が、記憶のよみがえった私に、彼女の気遣いに感謝する余裕はなかった。
「ラウラ。私、休む」
私は決めた。
「気分が悪くなったの。欠席する。先生方に、そう伝えておいて。お願いね」
「え、ちょっ、アリシア――――!?」
ひきとめる友人兼先輩の声をふりはらって踵を返し、脱兎のごとく学院から逃げ出す。
なんということだろう。私は悪役令嬢が主役の世界に転生してしまったのだ。
それも彼女に断罪される、ゲームヒロインとして。
○月×日 快晴
学院入学式。校門前でレオポルド公太子とセレスティナ・デラクルス公爵令嬢、他数名の男子生徒に待ち伏せされ「近づくな」「お前の誘惑にはのらない」と宣言される。
この世界が、前の人生で読んだマンガの世界と思い出す。
即、帰る。
「…………」
学院の入学式をすっぽかして、大神殿に逃げ帰ったあと。
せまい自室で、制服も脱がずに小さな書き物机に向かい、とにかく気持ちを落ち着けようと、幼い頃からつづけている日記をつけてみたが。
どう読んでも、頭のおかしい文章だ。
私は肩をおとして羽ペンを置いた。
この世界は『オトメゲーム』の世界だ。設定ではそうなっている。
しかし私の記憶が正しければ「オトメゲームの中の悪役令嬢に転生した主人公を描いたマンガ」の世界の中だと思う(ややこしい)。
たしか『婚約破棄されたけれど、私は皇子に溺愛されている悪役令嬢です!』みたいなタイトルそのままの、悪役令嬢に転生して、ゲームヒロインに心変わりした公太子に婚約破棄されて断罪寸前のところを、皇国の第三皇子に助けられて求婚され、公太子と国を捨てて皇国へ行く~という、悪役令嬢を主人公としたマンガでは定番の筋書きだったと思う。
私はこの「公太子が心変わりしたゲームヒロイン・アリシア」になってしまったらしい。
「たしかアリシアって…………典型的な『ヒドイン』じゃなかった?」
ニホンから転生してきて、自分がオトメゲームのヒロインであると自覚しているため、逆ハーレムエンドを狙って公太子と彼の側近である美男子達を次々篭絡、公太子と悪役令嬢の婚約を破棄させた挙句に彼女を冤罪で処刑して、自分が公太子妃になろうともくろむ、身勝手で強欲なキャラクターだったはずだ。
私は、あの自己顕示欲と自己中の権化のようなキャラクターに転生してしまったのだ。
「あ゛~…………」と、木の小さな書き物机に突っ伏す。
「いやでも私、そんなにひどい人間だった?」
昨日までの人生をざっと振り返る。
たしかに、幼い頃に家族を失ったせいか寂しがりやな傾向はあると思うが、美男子に囲まれたいとまで望んだ覚えはない。記憶にあるマンガの中のアリシアと今の自分は、けっこう差があると思う。
「ひょっとして、私は本当のアリシアではない…………とか? それとも間違っているのは、マンガのほう…………? あるいは、マンガに似た別の世界、とか…………」
仮説を立てるが、立証の術はない。さしあたって結論は保留するしかない。
それよりも、問題は。
(私…………このマンガの内容、ほとんど覚えてない! たぶん、友達からすごく勧められて一回だけ貸してもらって、全巻読み通しただけ…………!!)
血の気が引く。
しばらくうんうん唸ったが、やはり「典型的な悪役令嬢マンガだった」というイメージ程度の記憶や確信しかわいてこない。
「…………っ」
途方に暮れた。
が、悩んでいるうちに、さしあたってやるべきことが見えてくる。
ひとまずは――――
「バッドエンド回避、よね」
うろ覚えだが、ゲームヒロイン・アリシアには悲惨な未来が待っている。
公太子達を篭絡して悪役令嬢の処刑をもくろんだアリシアは、第三皇子の返り討ちによってこれまでの罪を暴露され、最終的に公太子は王位継承権を剥奪されて、側近ともども強制的に出家させられて、遠い荒れ地の神殿に幽閉。
アリシアは顔に大きな傷をつけられたうえで国外へ追放され、最下級の娼婦として花街に落とされ、病を移されて苦しみながら死んでいく…………みたいな結末だったはず。
そして星の祝福である聖魔力はアリシアから、気高く慈悲深い悪役令嬢へと移り、彼女が『アンブロシア』と呼ばれるこの世界特有の聖女として新たに覚醒するのだ。たぶん。
とにかく「アリシアがひどい目に遭う」これは確実だ。なにしろ典型的な悪役令嬢マンガなのだから。ゆえに、そこは全力で回避しなければならない。
「できるだけマンガと違う行動を…………あ、でも原作の強制力とかあったら…………?」
だが、さっきは入学式をサボることができた。
もし強制力が存在するなら、そんなことはできなかったはずだ。
悪役令嬢や公太子達も、初対面でゲームヒロインを敵視するという、マンガにはなかったと思われる動きを見せている。
「あれ…………? そういえば、表紙のヒーローは黒髪だったような…………?」
クライマックスちかくの見開きカラーページでゲームヒロインを指弾していた美形も、黒髪だった記憶がある。金髪の公太子はゲームヒロインに心変わりして断罪される側のはず。
「悪役令嬢が、先に公太子達を攻略して自分の味方にしている…………ということ? …………ということは、あのデラクルス嬢もマンガのことを知っている元現代人? …………私、勝ち目ないじゃない!」
むこうは公太子と名門公爵令嬢、さらに良家の子息が複数。
こちらはたった一人、それも孤児の平民。
「…………むこうに、こちらもマンガの記憶があって、公太子その他に近づく気はないと伝えれば…………いや、無理かな。完全にこちらをヒドインと思い込んでいるからこそ、警告してきたんだろうし…………」
様子をみようとすらしなかった連中だ、迂闊な接触は逆効果になりかねない。
「逃げよう」
結論は出た。
私はそのまま自室を出て、大神殿の最高責任者、ソル大神殿長様の執務室に直行し、退学を申し出た。
「なにを世迷言を」
ソル大神殿長様ははじめ、とりあおうとしなかった。
「王立学院への入学が決定したあと、そなた自身も『公太子殿下とお近づきになってしまうかも~♪』などと浮かれていたではないか」
「年頃なら、誰でも一度は通る道です。夢です。妄想です。むしろ今日、憧れも妄想も吹き飛びました」
私も命と貞操がかかっている。ありったけの力を込め、公爵令嬢や公太子その他から投げつけられた台詞を詳細に説明した。
「このノベーラ大公国の、未来の大公陛下と大公妃殿下にあそこまで嫌われては、学院に通うのは不可能です! せっかくの奨学生ですけど、私は辞退します! 退学します!!」
ちなみにソル大神殿長様は、孤児の私が学院に通うにあたって、身元保証人になってくれた後見人だ。『ソル』という姓も大神殿長様からいただいた。そこも徹底的に突く。
「大神殿長様や、大神殿を守りたいんです! 私のせいで大神殿長様まで大公家に嫌われてしまったら…………ただでさえ、神殿と大公家の関係は難しいのに…………っ」
なけなしの演技力を限界まで絞り出して泣き崩れるふりをし、どうにかソル大神殿長様から「確認するから、ひとまず明日は休みなさい」という言葉を引き出す。
自室に戻った私は、書き物机の粗末な椅子に座って思案した。
せっかく得た奨学生の資格や、勉強の機会は本当に惜しいけれど。
「学院は退学するとして…………そのあとはどうしよう?」
私には夢というか、目標があった。
(有名人になりたい)
理由はわからないが、気づくと私の中には「大きくなったら有名にならなければ!」という思いが存在しており、聖魔力を覚醒させた時も、聖神官見習いとして大神殿に引きとられた時も、この思いを忘れたことはなかった。
幸い、私にはかなりの聖魔力が眠っているようで「このまま修行をつづければ、聖神官は確実」と、聖神官長様にも太鼓判を押されている。
普通に考えれば「有名人になるために聖神官に」というのが妥当に思えるが。
「聖神官になると、宮殿勤めの可能性が高くなるのよね…………」
この世界は、前世で暮らしていたニホンのように、医術や科学の技術が発達していない。怪我や病気は、多少の薬草とまじないや祈祷で治すのが基本だ。
なので、魔法のように傷や病を癒す聖魔力を発現できる聖神官は引っ張りだこであり、大神殿からは常に五人もの聖神官が宮殿に派遣されて、大公陛下とその後継その他の健康管理に一役も二役も買っている。そういう形で大公家に恩を売っているのだ。
私自身も「力が強そうだから、聖神官になったら宮殿勤め」と言われていた。
それゆえ「王立学院で礼儀作法や教養を身に着けてくるように」と命じられたわけだが。
あれだけ公太子その他に敵視されたあとだ。無理に伺候しても「将来の禍根を断つため」と、暗殺されるような未来しか見えない。
「やっぱり宮殿勤めは無理! このまま不登校の道を突き進もう!」
だが聖神官にはなっておきたい。聖魔力以外とりえのない私の、唯一の可能性だ。
「――――よし!」
私は思いついた。