28.アリシア
「ルイス卿! ルイス卿は珍しい本を持っていませんか!? もしくは、持っていそうな人をご存じありませんか!?」
魔王との交渉をいったん中断して、私は、部屋に戻ってきた頼りになる女騎士に泣きついた。ルイス卿は菫色の目をみはって「は?」と首をかしげる。
手短に状況を説明した。
噴火前の国境線を記した正確な記録が見つかった、けれどそれを手に入れるには対価が、珍しい本や記録が大量に必要だ、と。
当然、ルイス卿はすぐには承知しなかった。
「その記録は本物でしょうか? 仮に本物だとして、アリシア様はどうやって、その存在をお知りになったのですか? 現物も確認せずに、この場で決めることはできかねます」
当然の返答だった。
特にルイス卿は、私の護衛。私が危険に巻き込まれないよう守るのが仕事の人だ。世間知らずの聖神官がうまい話にだまされそうになっているなら、止める必要がある。
だがビブロスとの関係を明らかにするのも抵抗がある。
異端審問とか魔女裁判はごめんだし、私自身が悪役令嬢漫画のヒドインだけに、そういう事態になれば処刑はまぬがれないだろう。
私が唸っていると助け船が現れた。
「品物の確認くらいはさせられるよ」
淡々とした声。白い髪に黒い服の青年が、肩に人間の目には見えないトキをのせ、律儀に(?)扉を開けて入室してくる。
「何者!? 立ち聞きしていたのですか!?」
ルイス卿は即座に険しい表情で私を背にかばい、腰の剣の柄に手をかける。
図書館の魔王ビブロスはまったく頓着せず「どうぞ」とばかりに紙の束を差し出してきた。
その仕草があまりに自然で力みがなく、ルイス卿はうっかり受けとってしまう。
そして少し迷った末、形だけ、という風に紙面に視線を落としたが。
「これは…………!」
見る間にルイス卿の表情が驚愕へと変わっていく。
「たしかに…………これがあれば、両国の紛争を終わりにできるかもしれません。それほどの内容です。ですが、これを購入となると」
「対価は本、もしくは魔力。ただし、二国間の紛争の原因になるほどの重要文書だ。等級は上の中。稀覯本か、それと同等の重要書類や記録の類でなければ受けつけない。大量に流通している印刷本は不可。本の内容は不問。魔術書に図鑑や詩集、料理本、大衆小説でもかまわないし、文字で記されているなら、記録や書簡の類も受けつけている。言語は問わない。楽譜はものによりけりだ」
ビブロスの淡々とした説明に、ルイス卿は目を白黒させた。
それはそうだろう。どれほど大量の金貨や宝石を提示されるのかと思いきや、こんな要求は初めてに違いない。
「お願いです、ルイス卿。ルイス卿は由緒ある家格の貴族ですし、いま彼が説明したような品に心当たりはありませんか? 私は一日でも早く、この戦いを終わらせたいんです。この地に住む人達のためにも」
私はルイス卿に訴えた。
聖神官の噂を聞きつけ、癒しを求めて砦にやってくる近隣の村や町の人々。彼らに共通するのは、度重なる戦に疲弊し、先が見通せずに希望を失いかけている暗い顔。
あの人達に少しでも明るい光を見つけてほしい。
「珍しい本、と言われましても…………」
普段しっかり者のルイス卿も、珍しく困惑をあらわにした。
「稀覯本か、それと同等の貴重な記録…………ですか?」
水色にちかい金髪がさらりとゆれ、少女めいた繊細な美貌が首をかしげる。
私とルイス卿はグラシアン聖神官に相談していた。ルイス卿の提案である。
「私も本には縁がないので。いっそ、グラシアン聖神官に相談されてはいかがでしょう?」
「グ、グラシアン聖神官に、ですか?」
「グラシアン伯爵家は、代々枢機卿を輩出してきた由緒ある家柄。神官は知識人でもありますし、将軍家の我が家より書物に慣れ親しんでいると思います」
それがルイス卿の意見だった。
ちなみにタルラゴ卿は端から候補に挙がっていない。
「アリシア様を追いかけまわしていた時ならともかく、今のタルラゴ卿は、アリシア様というだけで話を聞かないでしょう」
という理由からだ。私も同感である。
私は少し苦悩したあと、「背に腹は代えられぬ」と、グラシアン聖神官を人気のない場所に連れ出し、事情を説明した。
グラシアン聖神官は眉をひそめる。
「そんな怪しい話を真に受けて」
「いえ、物は確かです」
私はグラシアン聖神官に保証したし、なによりビブロスが彼に現物を確認させる。
「ルイス卿といい、さっきからずいぶん気安く見せているけれど、大丈夫?」
と、私がこそこそ小声で問えば、
「交渉が決裂した場合は、見た記憶を忘れてもらうので心配ないよ」
と、やや物騒な返答をもらった。
それはさておき。
現物を見ても、グラシアン聖神官はすぐには納得しなかった。
「これはたしかに重要な文書です。間違いなく、国境線の問題解決を左右するでしょう。ただそれは、すべてがノベーラの望みどおりにいく、という意味ではありません。それだけに、これを入手した貴女のほうが『余計なことをした』と、大公陛下達の不興を買う可能性があります。ソル大神殿長も、貴女をかばいきれるかわかりません。聖女認定に差しさわりが出る可能性もあります。それでもいいのですか?」
「かまいません」
私はうなずいた。
「望みどおりにならないのは、クエント侯国も同じでしょう。でも互いに譲り合って、それで百五十年の争いに決着がついて、この地域から戦がなくなって、ここの人達がのんびり暮らせるようになるなら、それでいいじゃないですか。聖女認定なんて後回しです」
本心だった。
「私は戦を止めたいんです。もう人が死ぬのは、まっぴら。聖魔力だってすべての人を救えるわけではないのに、これ以上、犠牲を出す必要がありますか? 大事なのはこれ以上、人が死なないこと。平和に暮らせるようになることでしょう?」
「…………」
グラシアン聖神官は言葉を吞み込み、紙面を凝視する。
「『珍しい本』と言いますが。具体的に、どのような物を指すのですか? たとえば歴史書か哲学書か、それとも…………」
「なんでもかまわないよ」
ビブロスは説明した。
「本の内容は不問。歴史書や哲学書はむろん、魔術書に図鑑や詩集、料理本、大衆小説でもかまわないし、文字で記されているなら、記録や書簡の類も受けつけている。言語は問わない。楽譜はものによりけりだ。ただし印刷本は価値を低く設定してある。大量に流通しているからね」
「つまり書写本のほうが貴重だと?」
「著者直筆の原本が最高に設定してある」
グラシアン聖神官は不審のまなざしで、ビブロスのすまし顔をにらむように見つめる。
そして記憶を確認するように、ぽつぽつ語った。
「我が家は貴族ですが、神殿と縁が深いので、一番多いのは宗教関係の書物です。それに、過去の先祖の枢機卿や神官が記した、手書きの書物なども保管されていたはずですが…………」
「それは君の本かな?」
図書館の魔王が確認する。
「断っておくけど、僕が交換に応じられるのは、取引相手自身が所有する本に限る。たとえ親子だろうと次期当主と認められていようと、それらの本を正式に相続して、君自身が持ち主と認定されていない限り、受けとることはできない。そういう掟だ」
正論だった。
「それは…………」と、グラシアン聖神官も困惑に眉根をよせる。
私も訊ねた。
「え。じゃあ、たとえばあなたを公都の王立大図書館とかに連れて行って、そこで好きな本を選んでもらうのは…………」
「図書館の本は君の本じゃないだろ」
一刀両断だった。
「ついでに、大神殿の書庫の本も君の物じゃない」
そんなこともあったっけ。
「いつの話なの、もう…………」
呆れる私に、グラシアン聖神官が唸るように説明する。
「私がまだ家督を継いでいない以上、家宝として伝わる本はすべて、当主である父の財産です。私自身が所有する本、となると…………」
「ありませんか?」
「何冊かありますが、すべて印刷本です。学院の授業や、神殿での修練で用いた教本や聖典。それに、印刷本が出回っている宗教本や哲学書などです」
念のためグラシアン聖神官は、それらの本の題名と著者名を思い出せる限りビブロスに伝えてみたが、図書館の魔王は「稀覯本とは認められない」と、にべもなかった。
「ちなみに、グラシアン聖神官は日記はつけていませんか? 内容によっては、日記も価値を認められるんですが」
「日記、ですか?」
「著名な人物の直筆の日記や手紙は、稀覯本の一種として認めているよ。仮に一般人でも、その時代の風俗習慣や歴史的大事件、その前後の様子などを詳細に記したものなら、後世の重要な研究資料として、価値を高く設定している。つけているかい?」
「…………先祖の日記は何冊かありますが、これも家宝なので所有者は父です。私自身は、日記はつけていません」
私とルイス卿はそろって肩をおとす。
ルイス卿は業を煮やして魔王にくってかかった。
「あの。あなたがどれほど高名な商人かは、存じませんが。ことは国の一大事です。あなたの持つ文書一枚で、今後の戦死者の数が、ひいては我が国やクエント侯国の行く末が左右されるのです。商売が大切なのはわかりますが、もう少し状況を考慮していただけませんか? あなたの選択一つで、大勢の命が救われるやもしれないのですよ!?」
「それは『人の命がかかっているから、無料で寄こせ』という意味かな?」
漆黒の瞳が女騎士の菫色の瞳を見下ろす。
「僕には僕の掟と在り方がある。他者の都合一つで変えることはできない」
図書館の魔王ビブロスは相変わらず雪の夜のようで、魔王だった。
「あなたは…………!」
私はルイス卿を制してなだめた。気持ちはわかるが、本当にわかるが、相手は魔王で、本と取引に関しては、魔王ビブロスは絶対に譲らない。子供相手に対価を求めるうえ、返済のためなら八年間も待つ忍耐強さだ。
たぶん彼を説得するより、彼の望みどおり対価をそろえたほうが話は早い。
私は手を合わせて頼み込んだ。
「今よりもっと有名になって、日記もどんどん書くから! 手紙とかも書いて、価値をあげるから! だから、お願い! なんとか、二十年くらいの分割払いで手を打ってほしいの!!」
「え。アリシア様――――」
「まず君は、今すでに返済を抱えている現実を直視しなよ」
両の頬を魔王の細い指につままれて引っ張られた。
一応、聖女候補と言われる人間なのに、どうして魔王に正論を説かれるのだろう、私は。
「おやめください、アリシア様になにを!」
私とルイス卿の騒ぎにとりあわず、沈思黙考していたグラシアン聖神官が口を開く。
「本となると…………やはり彼に…………」
「彼?」
「――――一人、あてがいます」
グラシアン聖神官が断言した。
 




