24.アリシア
砦に来て五日間。私は癒しに奔走した。
六日目になると、クエント軍はセルバ地方内でもクエント領に近い位置まで後退し、ノベーラ軍は一時的な勝利の歓声をあげて安堵し、つかの間の休息を喜ぶ。
怪我人の大半が回復できたため死者は異例の少人数で済み、砦は戦いのあとにしては楽天的な空気に包まれる。私もルイス卿から「どうなることやら、ひやひやしました」と言われつつも、一息つくことができた。
「さて、と」
私はルイス卿に頼んで部屋に一人にしてもらい、書き物机に日記帳をひろげる。
交換日記をはじめた(らしい)といっても、この五日間は癒しに集中し、戦の行く末も見通せない不安もあって日記どころではなかった(たぶん、また文句を言われる)。せいぜい、その日に癒した人数を記録した程度だ。
けれど今日は久々に落ち着いた雰囲気なので、さっそくちゃんとした日記をつけてビブロスに送ろうと思う。記念すべき初・こちらから日記を送る回である。
「うーん…………」
私は羽ペンを手にとるが、ペン先は宙に浮いてばかりだ。この八年間で思い知っているが、私には書き物の才能はないようで、とりあえず日付を記したあとは『クエント軍後退』くらいしか思いつくことがない。
「他に書くこと…………周囲の状況と言われても…………」
いつの間にか目を覚まして、窓辺からこちらをにらんでいるトキの視線が痛い。
唸りながら、この五日間のことをあれこれ思い出してみた。
『砦はせまくて薄暗くて、なんとなく換気も良くない感じ。あなたの好きな本もなさそう。図書室や書庫もないみたい、ルイス卿が言っていました。
あ、あと、ご飯があまりおいしくない。塩だけふって、あとは「丸ごとパン! 丸ごと肉! 丸ごとニンジン! 焼いただけ!!」という感じ。せめてお菓子でもあれば、気分も変わると思うんだけど。リンゴが丸ごと出てくる程度かなぁ。ちなみに私は、リンゴは生よりバターでじっくり焼いたほうが好き派。はちみつ漬けや干した物も好き。冬の数少ない楽しみ。
ビブロスはリンゴは焼き派? 生派? 干しリンゴ派? はちみつ漬け派? それとも魔王はリンゴは食べない派?』
「こんな感じかなあ…………」
自信はないが、一応まとまった行数になったと思う。
私が誤字脱字を確認してペンを置くと、窓辺にいた小さなトキが飛んできて机にとまった。
「これをビブロスに届けてほしいんだけど…………どうすればいいの?」
するとトキはぱさり、と飛びあがったかと思うと、両足で日記をつかんで天井へと向かう。
「えっ…………」
天井に衝突する寸前、すうっ、とトキは日記ごと姿を消した。たぶん、ビブロスのところに行ったのだろう。
「これでいい…………のかな?」
自信はなかったが、ひとまずペンとインク壺を片づけていると羽音がして、トキが戻ってくる。足に日記をつかんでおり、私が慌てて両手を出すとその上に日記帳を置いて、窓辺の定位置に戻った。
「え? もう? もう返事をもらってきたの? 交換日記って、一日おきなんだけど…………」
驚いたが、あの魔王の筆記速度を考えれば不思議でもない。
「また『早く返済しろ』って書かれているのかな…………」
期待はすまいと思いつつも(どんなことを書いてくれたんだろう)と、やっぱり期待がふくらんでしまう。
魔王の日常って、どんな感じだろう。なにか良い事を書いてくれていたりするのだろうか。それともやっぱり、返済のこと?
どきどきしながらページをめくってみると。
『『バエス料理辞典』
イストリア暦1503~1537年のイストリア皇国の宮廷料理人、ヴィクトル・バエスの著作。
それまでの料理本と異なり、食材の種類、それぞれの分量、調理の一つ一つの手順を詳細に記している点で画期的な一冊。
「誰が作っても本物にちかい味を再現できる」点が高評価を受け、公都の富裕層の料理人を中心に大流行して、当時としては異例のベストセラーとなる。
『料理本』という新しいジャンルを生み出し、この一冊以降、レシピは詳細な記述を載せる形式が定着した、という点でも革命的な一冊。
百年以上過ぎた現在でも、定期的に出版・研究がつづいている。』
さらに下には『原本』『複製本』『書写本』ごとに、それぞれの等級が記されており「欲しければこれだけ払え」とばかりに対価の例まで書かれている。
「本の紹介…………」
日記ですらない。
私は肩をおとした。
そもそも今現在、返済が滞っている相手に、何故さらに本を紹介してくるのだ。借金を背負った人間にさらに貸して、一生とり立てようとするヤクザの手法か。
「リンゴの返事も書かれてない…………あ、いや」
よく見れば、私の書いた『魔王はリンゴは食べない派?』が、大きく楕円形で囲まれている。
「…………っ」
そっけなさすぎだ。
「やっぱり相手にされてない…………しつこい、って嫌がられてないかな…………?」
窓辺のトキを見やるが、トキは目を閉じたまま、聞いているかも判然としない。
私は相も変わらず流麗な筆跡を指でなぞる。
自分はおそらく、どこまで行ってもあの魔王には『子供』で。それが、ちくん、と切なくて。
でも紹介文の分だけでも、彼が自分のために時間と手間をさいてくれたことが嬉しくて。
まだまだ当分は、この交換日記をやめられそうにない。
七日目は葬儀だった。
これまで戦闘中だったため、遺体は遺族に送るための遺髪を切って祈りを捧げると一か所に集められていたが、兵士が交代で墓穴を掘って、一人ずつ丁重に埋葬していく。
砦常駐の神官が祈りを捧げて、砦の責任者である将軍や辺境伯が死者へ賞賛と労いの言葉を贈り、兵士全員で見送って正式な葬儀としての形を整える。
私も神官として、死者一人一人に祈りを捧げて花を手向けた。
「ご苦労でした。お疲れでしょう。なにか飲み物を調達してまいりますので、アリシア様は先にお部屋にお戻りください」
そう気遣ってくれたルイス卿と別れて部屋に戻ろうとすると、私は廊下である人物とはちあわせた。
先日、ブルカンの街の神殿に怪我人が運び込まれた時にも同行していた、燃えるような赤毛の大柄な青年。いるのはわかっていたけれど、気づかない、見ないふりをしていた人物。
大公陛下の信頼厚い騎士団長の子息で、剣術も馬術も抜きんでた将来有望な騎士ロドルフォ・タルラゴ卿。
例の悪役令嬢のとりまきの一人で、あの入学式の時に、
『わかったらセレス嬢に近づくなよ、尻軽女。セレス嬢は、お前のような身の程知らずの性格ブスとは違うんだ』
と、あの中で一番頭の悪い罵倒をしてきた人物だった。
もともと大柄な青年だったが、この半年でさらにたくましいスポーツマン系というか、乙女ゲームでは人気が伸び悩みそうなタイプに成長している。
実はこのタルラゴ卿、五日間の戦いで一度、大怪我を負い、私の癒しをうけている。
正直、思うところはあった。一方的に罵倒された相手だ。しかも向こうは権力を持つ複数人で、こちらはたった一人の平民。思うところがないほうがおかしい。
だが、その時は緊急事態。そのうえ彼は指揮官としては優秀らしく、ここで彼が脱落した場合、部下の兵士達が無用に命を落とす羽目になりかねない。
私自身、彼の父親である騎士団長からあれこれ言われて、ソル大神殿長様の立場にも関わるかもしれない。
私は彼のためというより、我が身と彼の部下やソル大神殿長様のため、騎士ロドルフォ・タルラゴ卿を癒した。
そして用が済んだあとは、二度と関わるまい、と心に決めていたのだが。
「俺のものになれ」
「は?」
砦内のせまい廊下で。私はタルラゴ卿に命じられた。告白というより命令の口調だ。
タルラゴ卿は一方的に語ってくる。
「この五日間、いや、ブルカンの神殿で再会した時から、ずっと見てきた。兵士を癒し、葬儀で祈りを捧げるお前はたしかに、尻軽だったあの頃とは違う。野心を捨て、性根を鍛え直すため、どれほど努力を重ねたか、俺にはよくわかる。今のお前は聖女と呼ばれるにふさわしい。俺のものになれ、アリシア・ソル。今のお前にはその資格がある」
「…………」
私は深く深く脱力した。見当違いにもほどがある。
「要りません、そんなもの。疲れているので失礼します」
勘違いを正すのも面倒くさく、私は手短に否定して背を向けた。
が、相手は追ってきた。
「卑下することはない。平民といえど、これだけ実績があれば、我が家の妻として迎えるのに差し障りはない。貴族と縁づく聖神官など普通だ」
これは事実というか、現実だった。
なにぶん、医術が発展していない世界。魔法のごとき癒しが実現できる聖神官は神殿や大公家以外にとっても垂涎の的で、『結婚』という形で手に入れる例も多い。
貴族や富豪は自分達の家名や財産を餌に聖神官を誘い、聖神官もそれらを求めて彼らとの結婚を受諾するのだ。
神殿側も止めない。むしろ神殿としても、強い聖魔力を持った聖神官がどんどん生まれてほしいので、聖神官は一般的な神官と違って公に結婚が認められている。
平民で能力的にも末端だった聖神官が、それでも余裕で中流貴族や大富豪の商家に嫁入り婿入りした、という話は珍しくない。貴族出身の美男美女なら、言うに及ばずだ。
それらの前例を考慮すれば、平民の孤児とはいえ大神殿長を後見に持ち、聖神官として充分な実力と実績を兼ね備えた私が、代々騎士団長を務める名家の子息である彼に嫁ぐのも、そこまで無理筋な話ではない。
が、問題はそこではないのだ。
「嫌です!!」
あなた自身が。
私は腹の中で追加の一言を添えると、逃げ出した。
とはいえ神官の長衣は裾が踝まであるので、早歩きが限界だ。
「待て!!」
タルラゴ卿は追ってきた。
長身なだけあって向こうは無駄に足が長く、大股で余裕で追ってくる。
筋肉質な腕を伸ばしてこちらの腕をつかもうとしてきたので、とっさに叫んだ。
「あなたはデラクルス嬢に忠誠を誓っているのでは!? 私への求婚は、彼女への裏切り行為ですよ、騎士の風上にも置けない!!」
「っ!」
タルラゴ卿の動きが止まる。
その隙を逃さず、私は長い裾をつかみ上げ、廊下を全力で走った。
部屋で深呼吸をくりかえしていると、戻ってきたルイス卿が不思議そうに菫色の目をみはる。
「どうされました、アリシア様」
私は彼女に「こういうことがあった」と包み隠さず報告した。
なんといっても相手は高位貴族で、公太子とその婚約者の取り巻き、未来の重臣候補だ。下手に隠し立てするより、きちんと事情を明かしたほうが我が身のためだろう。
ルイス卿は驚き、顔をしかめた。
「そんなことが。――――確認しますが、アリシア様にその気はおありではないのですね?」
「まったくありません!!」
「わかりました。私からも彼の上官に報告しておきましょう」
「ありがとうございます、ルイス卿。お願いします」
平民の私より、貴族で騎士位も持つ彼女に伝えてもらうほうが、言葉に重みがあるはず。
私も念のため、モンテス神殿長と公都のソル大神殿長様へ、報告の手紙を送っておいた。
ストーカーや勘違い男は初期の対応が重要。
これだけ手を打っておけば大事にはならないだろう、と一息ついたのだが。
 




