23.アリシア
この一件で私は一気に砦中の信用を得て、ぐっと過ごしやすくなる。
戦争中の砦というのはなにもかも不自由なものだが、その中でも私とルイス卿は食事その他、最大限に便宜を図ってもらえて、兵士も士官も顔を合わせれば挨拶が返ってきた。
砦では、日が昇っている間は兵が戦いに出て、夕方、生きていれば戻ってくる。
私は次々運び込まれる負傷者を夜まで癒しつづけて、翌朝は神官として葬儀に立ち合い、埋葬される兵士達に祈りを捧げる。
ここまで来ても死者が零になることはなかった。悔いは残った。
ただ「聖女様のおかげで助かりました」と、幾度となく兵士達から感謝の言葉をもらい、その時だけ少し悔いが和らぐ。
「――――なんで戦争って、なくならないんだろう」
私は一人にしてもらった部屋で簡素なベッドに横たわり、ぼんやり呟く。
思えば、前世もそうだった。こことは異なる世界、異なる文化の異なる国でありながら、戦争は存在していた。私が生きていた国の生きていた時代では直接、経験することはなかったけれど、それでも人と人の戦い自体は存在していた。遠い国で。
「どうせ違う世界なら、戦争くらいは存在しない設定にしておけばいいのに…………」
乙女ゲームを舞台にした少女漫画の世界にしては、設定がハードすぎる。
「この世界って、神様や仏様はいないの? 魔王や魔物は存在するんだから、神や仏だって存在してもいいのに」
「神々はすでに地上を去った。今は天上から星として見守っている。『ホトケ』というのは知らないな」
私の問いに淡々と、ページをめくりながら答えたのは図書館の魔王ビブロスだ。
私から呼んで来てもらったのだ。
昼下がりだが窓の木戸を閉めて薄暗い室内に、私とビブロスの声だけが響く。トキはビブロスの肩にとまり、時折、彼の髪に頬ずりしてはご機嫌そうだ。
私はベッドの上に体を起こす。
「神様も、人間が滅んだら困らない? 戦争が早く終わるよう、手を貸してはくれないの? 神様がお告げを下してくれれば、人間だって従うでしょう?」
「下したって、従わない奴は従わないから、今の世界になったんだよ」
魔王ビブロスは本から視線を外さないまま答えた。ちなみに彼の足は床についていない。長椅子に座るような体勢で、せまい室内の天井近くに浮いているのだ。
「太古の昔、神々は人々と共に地上に在った。けれどある時、ある人の王が神々の手から離れて、人だけの時代を創ることを選んだ。以降、神々は天に昇って星となり、地上は人と、それ以外の獣の手にゆだねられた。今の世界は人が選んだ結果なんだよ。神々に助力を求めるほうが無節操で虫がいいんだ」
そうして神々の祝福を失い、荒れるようになった地上では、人々がふたたび神々が地上に戻ることを願って、今更のように星乙女が伝え残した神々の教えを守りつづけている。
それが現在、大陸にもっとも広く浸透するアストレア教の成り立ちであり、星乙女が伝えた神々の言葉をまとめたものが聖典であり、神々が時折、地上にほどこす祝福が聖女をはじめとする聖者達なのだ。
神殿でも、そう習ったけれど。
「やっぱり納得いかない。それは、ずっと昔の王様が決めたことでしょ? 今の私達の選択や決定じゃないのに」
「だとしても同じことだ。君達人間は、同じ神に祈ってすら、心を一つにすることができない。神々を地上に呼び戻そうにも、その決定にすら反対する者は現れる。せいぜい、古の王の所業を愚行と嘲罵して、記録に残すことだね。できるのはそれくらいだ」
ビブロスは読んでいた本をぱたん、と閉じ、別の一冊を膝の上に開く。
「時間は巻き戻らない。人の争いは人が解決する、神は口を出すな。それが古の王の選択と決断なんだよ。君達子孫はその選択を貫く他ない。覚悟があろうとなかろうと関わりなく、ね」
私はため息をつき、膝を抱えた。
図書館の魔王は宙からペンを取り出し、膝の上の本に何事か書きつける。
すると本はふわりと宙に浮き、私の前まで飛んできて手の中に収まった。
魔王の肩にとまっていたトキが、私の肩にぱたぱたと移動してくる。
「用が済んだなら、僕は帰るよ。今度呼び出す時は、まとまった返済があることを期待している。それじゃ」
白い長い髪がさらりとゆれて、黒い服を着たうしろ姿が宙に消える。
私はなんとも言えぬ気分に襲われた。
会えて嬉しくないわけではない。呼んで来てもらえたことは本当にありがたい。
でも、もう少し違う言葉がほしかった。
同情も慰めも励ましもないのは、魔王という属性上、当然なのかもしれないけれど――――
「なんだろ、この本」
彼からうけとった本を見下ろせば、ただの私の日記だ。
「返済を忘れるな、ってことかな…………」
がっくり肩を落として思い出す。
「なにか書いていたけど…………まさか、日記を添削していたの!?」
恐ろしい想像が脳裏をよぎり、私は慌てて該当ページをさがす。
それは最新の日付のあとにあった。
今日の日付の下に、相変わらずの流麗な文字が並んでいる。
『〇月×日
精神的に不安定と推測。返済が滞ると困るので、不本意ながらも呼び出しに応じる。もう少し割り切って役目に徹してほしいが、十六歳の子供では難しいとも思われる。やむなし。仕方ない。特例。返済のため』
「これって…………」
(え。まさか、ひょっとして日記? さっき書いていたのって、これ!?)
つまり。
「交換日記…………してくれる、ってこと?」
私は落ち込んでいた気分が浮上するのがわかった。
人間はたしかに現金だ。というか。
「こんなに『しかたない』って、くりかえす必要ある?」
ちょっと唇を尖らせつつ、先を読む。
『仕方ない。特例。返済のため。
というか、さっさと返済しなよ。しろ。
魔王をやって長いけど、ここまで貸した側に協力させる借り主は初めての例。ある意味、図太い。しかも、さらに借りる気満々。正直、日記どころか魂をもらっても割に合わない。釣り合わない気がする。さっさと返済してほしい。というか、しろ。
恋文でもなんでもいいから、とにかく書いて寄こしてほしい。
トキだって、まだ一度も働いていないんだけれど?』
「…………」
私の肩の上で、トキが片足で頬をかく。
あんな短時間でこんな長文を書いていたのか、言いたい放題だ。
「そりゃ、たしかに借りっぱなしだし、場合によっては、もっと助けてもらうつもりだけど…………」
ぼろくそだった。
「はあ」と、私はベッドに倒れ込む。
そしてもう一度、書かれた文面を読み返した。
字は相変わらずきれいで流れるように整っていて、見つめているとじわじわ胸に熱が込みあげてくる。指で文章をたどると、自分の気持ちに変化がないことを思い知った。
魔王の文章の一部に視線を固定する。
『――――もう少し割り切って役目に徹してほしいが――――』
助けきれないのは、つらい。死者を出してしまうのは、言いようもなく心苦しい。
でも、そこにばかりとらわれていてはいけない。どこかで線を引いて気持ちを切り替えなければ。
次の癒しに支障を出さないためにも、引きずってはならないのだ。
たぶん、前世のニホンの医者や看護師と同じ覚悟が、聖神官にも求められている。
「悲しむのは…………すべて終わったあと。癒す時は目の前の患者に集中する」
薄々わかっていたことだけれど、口に出したことで明確になる。
私はその先の一文を見た。
『――――十六歳の子供では難しいとも思われる――――』
(…………無理じゃない、って証明して見せる)
絶対、一度は「もう子供じゃない」と認めさせるのだ。
私はベッドを降りて書き物机に向かい、ひとまず日記に短く返事を書いた。
『心配しなくても、ちゃんと返済します! 絶対、有名になったうえで!』
「有名に、ならないとね」
肩のトキに笑いかけると、トキは「当然だよ」という風にすまして目を閉じた。




