22.アリシア
翌日。亡くなった兵士二名の遺体が、ブルカンの墓地に埋葬された。
私も聖神官として、葬儀を執り行うモンテス神殿長のうしろにグラシアン聖神官と並ぶ。
遺体は髪の一部が切りとられて、故人の形見として公都に送られた。
ブルカンの街に来て初めての、悔いの残る癒しだった。
けれど収穫もあった。
「グラシアン聖神官のことだけどね。予想よりずっと真剣に、患者さん達を助けようと思っているのかも」
一人の部屋で。私はトキのふわふわふした頭をなでながら、なんとなく語りかける。いつも窓辺で目を閉じているトキは、聞いているのかいないのか判然としないが、かまわない。
「ちょくちょく、グラシアン聖神官にお礼に来る人達もいるし。都の美少年だし、高位貴族だし、能力も高いから『そりゃモテるよね』くらいにしか思わなかったし、実際、玉の輿狙いっぽい女の子達もいるけど。それだけじゃない気もするの」
具合が悪すぎて神殿まで来られなかった、という患者とその家族が「わざわざ家まで来てくれたんです」と、グラシアン聖神官にお礼を告げて、ささやかな物品を置いて行く。
それは花や銀貨数枚だったり、わずかな麦や野菜だったりと様々だが、心からの感謝が込められているのが明らかであたたかい。
「…………仕事に関しては、認めていいのかも」
私はトキの羽毛を堪能しながら思った。
少なくとも癒しに関しては、グラシアン聖神官は真摯に向き合っている。一人でも多く癒そうと、奔走している。それは、置いて行かれた素朴なお礼の品々が物語っている。
そしてそれがわかれば、友人としてはアレでも、人を助ける聖神官同士、同僚としてなら最低限の協力はできる気がするのだ。
癒しに関して信用できるなら、それ以上のことは言わない、望まない。そう、割り切ろう。
(まあ、入学式の時のあれは忘れていないけど)
とにかく、あのホットミルクの夜は、私にもグラシアン聖神官にも変化をもたらした。
私は少なくとも聖神官としての彼の責任感は信用して「近寄るな」オーラが弱まったと思うし、向こうにもそれは伝わったようで、グラシアン聖神官も私を避けたり敵視するような態度は見られなくなっている。
というか、命がかかっている現場で、遠慮や敵視なんてし合っていられない。
私達の間には一定の交流が生まれ、一度に多数の癒しが必要な時には、進んで患者を分担し合えるようになっていく。
「そういえば。グラシアン聖神官って、たぶん将来は枢機卿だと思うけど、日記に名前を出しておけば価値が上がると思う? 有名人の若き日の情報とか、興味ある人はあるわよね?」
朝、前日の日記をつけながらトキ相手にそんな軽口を叩く。
トキは珍しく目を開けてこくり、とうなずくと、ふたたび眠りについた。
そんな風に過ごしていた半月後。
ふたたび戦端が開いた。
ブルカンの南、クエントとの国境地帯に防衛と偵察のため築かれた砦が襲撃されたという。
今度はさらに規模が大きく、当然、見込まれる死傷者の数も多い。
「聖神官様方はいつでも癒しをはじめられるよう、待機願います」
神殿に報告に来たノベーラ軍の伝令に言われたが、私は「足りない」と思った。
「――――私、砦に行きます! 向こうで直接、患者を癒します!!」
「なにをおっしゃるのです、アリシア様!!」
モンテス神殿長が仰天し、ルイス卿が即座に反対する。彼女の立場では当然だ。
でも、私も前言撤回することはできなかった。
「砦から負傷兵が運ばれてくるのを待っていたら、時間がかかります。間に合わずに亡くなる人が出ます。私が直接砦に行って、癒します。そのほうが助かる確率が高いです」
「理屈はわかりますが、それではアリシア様の身が危険にさらされます。護衛といえど、私一人では安全をお約束できません。ソル大神殿長閣下にも危険なことはしないよう、命じられたではありませんか」
「ルイス卿の言う通りです。ソル聖神官になにかあれば、困るのは貴女ではなく、大勢の患者達です。少しは自分の影響力を自覚してください」
意外にも、グラシアン聖神官までもがルイス卿に同意して反対してきた。彼のまなざしは真剣で、演技や偽りには見えない。
私はちょっと意外だったし、嬉しくも感じたし、だからこそ承知できないことが申し訳なくもあった。けれど。
「ルイス卿やグラシアン聖神官のお気持ちは、ありがたいです。けれど、状況的に負傷者が先日より増えるのは、確実です。私は聖神官として、一人でも多くの人に生きて家に帰ってほしい。私は砦で待機します、ルイス卿、ついてきてください!」
「アリシア様!!」
「では、せめて私も…………!!」
「それは駄目です。グラシアン聖神官まで砦に行ってしまったら、ブルカンの街の患者が困ります。グラシアン聖神官は今までどおり、この神殿で癒しにあたっていてください」
「しかし…………!」
「心配しないでください。私も勝算なく、こんなことを言っているわけではありません」
「勝算とは?」
ルイス卿が厳しい表情で問うてくる。
有り体に言えば魔王だ。
私から八年前の対価を受けとり終えていないあの魔王にしてみれば、私が死ぬのは不都合なはず。積極的に助けてくれはしなくとも、私が「助けて」と頼めば、耳を貸してくれる可能性は高い(たぶん)。仮に駄目でも「もう一度、助けて」と頼めばいい。対価と引き換えに。
ただ、ルイス卿やグラシアン聖神官やモンテス神殿長に、それを説明することはできない。
ただでさえ魔術は禁忌なのに、聖神官が魔王と契約していると知られれば、異端審問や魔女裁判どころではない。
なので、私は不安がる三人にこう答える他なかった。
「大丈夫です。突きつめれば、ええと、借金は重ねてなんぼ! ということです!!」
三人が絶句する。
私は支度を整えるため、いそいで部屋に戻った。
途端、いつも窓辺で目を閉じているトキが、カカカカ、とキツツキのようにくちばしで攻撃してくる。
やっぱりあの魔王、絶対、聞こえている。
それから慌ただしく準備を整え(日記も持っていけ、とトキがうるさかった)、私は砦に戻る使者に同行して、街道を駆けた。供はルイス卿。それと、仰天したモンテス神殿長が泡を食いながらも伝手を総動員して、どうにか四人の護衛と馬をつけてくれた。
私は騎乗するルイス卿のうしろに乗り、彼女の背にひたすらしがみつく。
日が暮れはじめる頃、私は死人のようにふらふらになりながら、どうにか砦に到着した。
砦にはすでに怪我人が運び込まれていた。
「無茶です、アリシア様。せめて少しお休みなってから」
私の顔色を心配したルイス卿にとめられたが、私は、
「一秒の差で結果が大きく変わりますから」
と、押し切る。
申し訳ないが、砦の責任者への挨拶はルイス卿に丸投げし、私は負傷兵が運び込まれた救護室に飛び込んで即、兵士達の癒しをはじめた。青白い光が何度も室内に充満する。
怪我人は次々運び込まれて気づけば深夜も過ぎ、私は寝る間も惜しんで癒しに奔走した。
不幸中の幸いかヒロイン特典か。私の聖魔力は本当に底なしらしく、半年以上、現場で鍛えつづけた今では、一日に三十人以上癒しても、まだ余裕がある。
おかげでこの日は、運び込まれた怪我人の誰一人として落命させずに済ませることができた。
「なんと…………噂には聞いていたが、これほどとは。本当にありがたい。部下達にかわって礼を言う。まさに初代聖女アイシーリアの再来、次期聖女にふさわしい逸材だ」
「ありがろうございまふ…………」
明け方。砦の最高責任者だという半白髪の壮年の将軍の感謝と絶賛の言葉を、私はへろへろな状態で右から左に聞き流す。さすがに疲れ果てて眠気が我慢できない。
ルイス卿の手を借り、急遽用意してもらった高官用の一室で休息をとった。
私は死んだように眠り、夕方にようやく目を覚まして、とてつもない空腹感に襲われた。




