21.アリシア
急変したのは三日目だった。
この日、私は朝食を終えると、神殿長の許可を得て、買い物がてらルイス卿と街に出た。
最低でも、城門の位置とそこへの最短経路を頭に入れておくためだ。
ルイス卿は見習いだった頃に父兄が一時期この地域に派遣されており、ブルカンの街も何度か訪れていて、街の地理は一通り頭に入っている。
つくづく頼もしい護衛である。同性なのもありがたい。
その後は市場や店の場所を確認しながら、神殿長に頼まれた買い物を済ませていく。
「けっこう、新しい建物が多いですね。デザインも簡素なものが好まれるのでしょうか?」
「百五十年間、戦がくりかえされて、街の中も定期的に攻撃をうけていますから。建物の一部は破壊されたり焼かれたりして、建て直そうにも、どうせまた侵攻があると思うと、凝ったものを建てる気にはなれないのでしょう」
そんな会話をかわしながら神殿に戻ると、のんびりした空気は吹き飛んだ。
ブルカンの街からさらに南にノベーラ軍の砦が築かれているのだが、その砦の先でクエント軍と戦いになったと、昼頃に伝令の男が飛び込んできたのだ。
街は一気に暗いはりつめた空気に満ち、私もルイス卿に外出を禁じられる。
幸い、戦いは数時間で終わり、クエント軍もひとまずは後退して砦には平穏が戻った。
けれど戦いは戦いだ。
夕方、ブルカンの神殿には重傷者が運び込まれた。
「イサーク! 助けてくれ!!」
武装した燃えるような赤毛の大柄な青年が、怒鳴るように神殿に駆け込んでくる。彼自身はほぼ無傷だったが、彼のあとに仲間に肩を支えられたり、担架で運ばれる兵士がずらずらとつづいた。みな包帯を巻き、包帯には血がにじんで、矢が刺さったままや、意識を失ったままの兵士もいる。
「負傷者二十一名、うち十三名が重傷だ。重傷者だけでも頼む!」
赤毛の青年の言葉に、グラシアン聖神官が「十三人…………っ」と唇をかむ。
破格の聖魔力を持つ彼だが、それでも一日に十人が限界である。
「かまいません、全員運び入れて!」
私は腕まくりしながらグラシアン聖神官に、というより兵士達に指示を出した。
「あれ、お前…………」と、赤毛の青年が怪訝そうに私のストロベリーブロンドを見るが、かまう余裕はない。
「ぐずぐずしている暇はありません、すぐ癒しをはじめます!」
私はグラシアン聖神官の返事を待たずに手近な重傷者の横にかがみ、聖魔力を発現させる。
グラシアン聖神官もなにか言いたそうにしたが、すぐに私とは反対の位置に横たわった重傷者の癒しにとりかかった。
小さな古びた神殿の礼拝所に、何度も青い光と青白い光が輝く。
結果から述べると、十三人の重傷者は全員、回復した。
私とグラシアン聖神官が手分けして癒し、間に合ったのだ。
けれど残り八人のうち、二名が亡くなった。
私もグラシアン聖神官も「まだ余裕がある」と診て、後に回した二人が、重傷者を癒している間に容体が急変して、気づいた時には手遅れだった。聖魔力は死者には効かない。
兵士達からは礼を言われた。
助かった重傷者もそれ以外の六名も、みな私の手をとり、涙をにじませて感謝の言葉を告げてきた。グラシアン聖神官も赤毛の青年に何度も背を叩かれ、肩を組まれていた。
それでも私は、全員を助けることはできなかった。
二人が亡くなったのだ。
それは動かしがたい事実で、現実だった。
実のところ、人が死ぬのを見たのは初めてではない。
大神殿で、すでに何度か癒しの間に合わなかった例を目の当たりにしてきたし、私の聖魔力が目覚めたきっかけからして、家族の死だ。
それでも私はいまだに他人の死というものに慣れない。
夜、ベッドに入っても寝つけれず、何度も寝返りをくりかえした。
察したルイス卿に「なにか飲みましょう」と、厨房に連れていかれる。
夜中の厨房には当然誰もいないが、ルイス卿は「少々お待ちください」と、手早く竈の火を熾して鍋をかけた。
私が厨房の入り口に一人たたずんでいると、近づいてくる足音がある。一瞬どきりとしたが、厨房から漏れるわずかな光に色の薄い金髪が反射した。
「グラシアン聖神官」
私は思わず胸をなでおろす。むこうも同様だったようだ。
「なにをなさっているんですか、こんな時間に」
「厨房から音が聞こえた気がして、確認に来たんです。ソル聖神官こそ、何故ここに?」
私は返答に困った。眠れなかったからだが、それを素直に吐露してよいものか。
気まずい沈黙が流れる。
「…………明日も早いですし。用がないなら、早くお休みになられたほうがいいと思います」
「そちらこそ、早く寝るべきでしょう」
「…………」
「…………」
私がなにか言わなければ、と焦った時、グラシアン聖神官のほうから口を開く。
「…………昼間は助かりました。あなたがいなければ、確実に死者はもっと増えていたでしょう。――――感謝します」
思いのほか心のこもった声音だった。
つられて私も本音がこぼれる。
「――――まだまだです。あの二名が、まだ…………もう少し早く癒せていたら…………」
「…………それは、私に対する嫌味ですか?」
「は?」
「私がもっと強い聖魔力を持っていれば。あの二名を死なすことはなかった。そう、言いたいのでしょう?」
「なんで、そう解釈するんです? 純粋に、言葉通りの意味です。私が未熟だったせいで、助けられたかもしれない人達を助けられなかった。嫌味でもなんでもない。ただ事実を述べただけです、それがいけないんですか?」
「無限の聖魔力を持つ聖女候補が、聖神官が限界の私に『未熟』などと。嫌味にしか聞こえませんよ。実際、私はあなたやセレス嬢の足元にも及ばない!」
「いや、それとこれは別問題でしょう」
「同じです。私がもっと力が強ければ…………!」
「一日に十人は、十分強いですよ。公都の聖神官以上です。今日だって、私一人なら、もっと時間がかかって、もっと手遅れの人が出たかもしれないですし。というか、それを言ったら私だって、もっと強い力が欲しいです。もっと早く、一人一人にかかる時間が短縮できれば、あの二名だって…………っ」
「それが嫌味なんですよ!」
「違うって、言っているじゃないですか!」
私達は思わずにらみ合った。が、ふいに視線をそらす。
「――――やめましょう。今夜は、喧嘩をする気分じゃないです」
「…………同感です」
私達は互いに顔をそむけた。
喧嘩をするには、今夜の私は気力が削がれすぎている。
三度、沈黙が流れたところへ、三人目の声が割り込んできた。
「よろしいですか? アリシア様。お待たせしました」
ルイス卿だった。両手に一杯ずつ、湯気の立つカップを持っている。
「熱いので気をつけて。グラシアン聖神官も、どうぞ」
「いや、私は…………」
遠慮したグラシアン聖神官だが、ルイス卿にカップを渡されてしまう。
私はカップに口をつけた。温めた牛乳に高価なはちみつを少し溶かして、香りづけに香草とレモンの皮を少量。「あれ?」と気がついた。
「お酒が入っていますね」
てっきり、ホットミルク的なものと思ったのに。
「眠れない時はこれが一番です。あくまでも多すぎず、でも少なすぎず、がポイントです」
女騎士は菫色の目を片方だけ閉じ、「お姉ちゃん」という雰囲気でほほ笑んだ。
私とグラシアン聖神官はしばし無言で甘く温かい飲み物に集中し、飲み終えると短くあいさつして、それぞれの部屋に戻る。
私はベッドに入ってしばらくして、とうとつに、先ほどのグラシアン聖神官の『嫌味』発言は、彼も同じように己を不甲斐なく感じていたからではないか、という仮説に至る。
さらに、ルイス卿は自分と私の分の飲み物を作っていたはずなのに、ホットミルクを私とグラシアン聖神官に渡して、本人はなにも飲んでいなかったことに、今さら気がついた。
 




