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1.アリシア

 燃え盛る炎が巨大な蛇となって、父と母と弟妹を呑み込む。


「やめて――――お父さん、お母さん、トマス、セリア――――――――!!」


 視界が真っ白になった。

 気づくと目の前も横も背後も炎が黒々と禍々しく燃え、熱せられた空気が少女の(やわ)い肌をあぶって喉の内部を痛めつける。


「なんだ、子供か」


 周囲の熱気が嘘のように冷えた声が耳に届いて、少女は顔をあげた。

 青年が立っていた。

 白い長い髪、青白い肌、裾の長い黒い服を着た、端正な顔立ちの見知らぬ青年だ。

 四方を火にとり巻かれているというのに、髪も肌もちっとも照り返しがなく、まるで雪の夜のように寒々しい静謐な空気を放っている。

 幼子を見下ろす瞳は、黒。なんの同情も感慨も映さない漆黒だ。


「悪いけど、無料(タダ)働きはしない主義なんだ。僕に手を貸させたかったら、対価を用意してくれ」


 今まさに炎に呑まれようとする幼子に、そんなことを言い放つ。


「対価は本、もしくは魔力。本の内容(ジャンル)は不問。魔術書に図鑑や詩集、料理本、大衆小説でもかまわないし、文字で記されているなら、記録や書簡の類も受けつけている。言語は問わない。楽譜はものによりけりだ。それじゃ」


 青年の一方的な言葉を、呆然と表情を失った少女がどこまで理解できたことか。

 少女は右手ににぎりしめた物を、背を向けた青年へかかげていた。

「あげる」というよりも「『文字』と言われたから見せた」、それだけの動作。反応。

 炎の燃える音にかき消されそうな紙の音を聞き逃さず、青年は立ち止まってふりかえる。すぐに眉をひそめた。「なんだこれ」という風に。


「これは本とは言わない」


 のぞき込んだ青年の評価は辛辣…………でもなかった。

 実際、少女が掲げたのは、偶然手に入った数枚の紙切れに少女自身が数種の香草(ハーブ)の絵を描き、習いたての字でそれぞれの名前を記して、糸で綴じただけの「子供のお遊び」の域を出ない代物だった。

 黒い瞳は呆れた様子で幼子を見下ろすが、言われた本人は理解できていないのか。ミントグリーンの瞳はきょとんと青年を見あげている。

 まあ、家族全員を失い、本人も焼死にさらされている子供の反応なんて、こんなものだろう。

 青年は数秒間、炎に囲まれた少女を見下ろし、ため息をついた。


「まあ、いいよ」


 白くて指の長い手が、掲げられた稚拙な紙の束をうけとる。


「大盤振る舞いだ。これも本と認めよう。文字と絵で記されているには違いない。かなりお粗末だけれどね」


 言うなり、青年は呆然としたままの少女を抱きあげた。

 次の瞬間には炎は消え失せ、周囲には星空がひろがっている。

 炎に熱せられていた頬に冷たい夜風が吹きつけ、足の下には街の灯りと影が黒々と広がっていた。

 すぐ目の前に青年の顔があり、少女は彼の左腕に座って肩にしがみつく体勢になっている。


「君、名前は?」


 白髪黒眼の青年の問いに、少女はぼんやり応じた。


「アリシア…………」


「そう、アリシア。アリシアか」


 確認するようにくりかえすと、青年は相変わらず淡々とした感情のこもらぬ口調で、家族を失ったばかりの幼子に要求した。


「じゃあ、アリシア。取引は成立だ。この僕、図書館の魔王・ビブロスの名において、これから君を安全な場所まで逃すから、君は今後せいぜい功成り名を遂げてくれるかな。君が有名になれば、この子供のお遊びそのものの紙の束も『あの高名なアリシア嬢の子供時代の作』として価値が出る可能性があるからね」


 そう言って右手に持つ紙の束をひらひらアリシアに示すと、少女を抱え直して夜空を飛んだ。






 あくる日。とある神殿に『アリシア』と言う名のミントグリーンの瞳の孤児が引きとられる。






「まあ、アリシア! それは聖魔力ですよ!!」


 普段、厳格な女神官が、珍しく大きな声を出して目を丸くした。

 アリシアが神殿の廊下の掃除中、孤児仲間の怪我を癒した時のことだ。

 かるいひっかき傷だったが、アリシアの放った青白い光はたしかに仲間の傷を消した。


「この年齢で、もうここまで聖魔力が使えるなんて! 今から修行すれば、立派な聖神官になれますよ、星の祝福です!」


 女神官の声はうきうきとはずんでいる。仲間は真似して手をかざすが、光は生じない。

 アリシアは光がおさまった自分の手の平をしげしげ見つめ、女神官に訊ねた。


「セイシンカンは、神官さまと違うのですか?」


「大違いです。神官は、優秀な成績を修めてある程度以上の実績を積めばなれますが、聖神官は聖魔力を発現できなければ、なれません。聖神官は大変少なく、ノベーラ大公国全体でも十人ほどしかいません」


「うーん」と少女は首をかしげる。


「セイシンカンになったら、有名になれますか?」


 少女のあどけない質問に女神官は眉をひそめた。


「そのような俗なことを望むものではありません。星々にせっかくの祝福をとりあげられたら、どうします。あなたも天に仕える身ならば、謙虚と無欲を体得なさい」


 そうお説教すると、女神官は「神殿長にご報告しなければ」と廊下を走って行ってしまった。

 ぽつんと残されたアリシアに孤児仲間が訊ねてくる。


「アリシアは有名になりたいの? なんで?」


「わかんない。でも、ならなきゃいけないの。あと、字もたくさん覚えなきゃ。それで、ニッキもたくさん書くの」


「ふうん?」と孤児の見習い仲間は首をかしげた。

 翌月。大神殿の聖神官候補の名簿に『アリシア』という少女の名が加わった。

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