12.セレスティナ
さて。アベルの件は片付きましたが、別の大きな問題が待っていました。
レオポルド公太子殿下です。
「どう考えても、おかしいの。あ、いえ『おかしい』という表現は失礼ね」
言い換えます。
「わたくしの前世の記憶の中の殿下と、あまりに違いすぎるの」
人払いした、二人きりの午後のティータイムで。わたくしはアベルに訴えました。
一度明かした気楽さ。わたくしはアベルの淹れた紅茶や香草茶片手に、彼に前世や漫画の相談をするのが習慣になっており、今日も、高価な砂糖とバターをふんだんに用いたクッキーを、リラックス効果があって肌にも良いハイビスカスとローズヒップのティーでいただきます。
「漫画の記憶によれば、ノベーラ公太子レオポルドは、容姿こそ飛び抜けているものの、中身は大変お粗末だったわ。それこそ『どこぞの薄汚い破落戸の魂が間違って公太子の肉体に入ってしまった』と言われても、信じてしまえるほど。セレスティナは、どうにかして彼を立派な公太子に育てようと、厳しく接するけれど、彼女の献身は通じず、逆に公太子は他の女に逃げてしまうほどよ。けれど、わたくしがお会いした殿下はまったくの正反対だわ」
幼いながらも気品ある所作。学業は家庭教師がそろって誉めそやすほど優秀で、背筋をぴんと伸ばして馬を操る様は、天上の騎士もかくやの凛々しさと輝かしさ。いずれはノベーラ中の女が、あの方に恋することでしょう。
「なにより殿下は、わたくしに対して非常に紳士的で好意的なの!」
顔を合わせれば礼儀正しくあいさつし、わたくしの好きな花やお菓子や音楽を用意してくださったり、ささやかな品をひんぱんに贈ってくださったりと、なにかと気遣ってくださいます。
「特に、半月前のお茶会なんて! 教えたでしょう、漫画とはまるで違ったわ!!」
半月前。わたくしはノベーラ大公妃主催のお茶会に出席しました。
お茶会のメンバーは大公妃殿下とレオポルド殿下、そしてイストリア皇国大使夫人の四人。
『お茶会』という名の外交であり、ゆえに将来の公太子妃であるわたくしが招待されたのです。
季節の花が咲き乱れる庭園で、わたくし達は宮廷料理長自慢のお茶菓子を堪能し、頃合いを見て、わたくしはこの日のために用意した大使夫人への贈り物を披露しました。
「まあ、なんて美しい」
大使夫人の声が明るくはずみます。
わたくしが紹介したのはガラスペンでした。
女官に紙とインク壺を用意させてガラスペンを手にとり、すらすら字を書いて見せると、大使夫人は本気で目を丸くします。
「まあ、なんてこと! ガラスで筆記用具を制作できないか、試した工房はあるのですよ。でもガラスでは表面がなめらかすぎて、インクが流れ落ちてしまうので失敗した、と聞いた覚えがあります。このペンは、どうして書けるのかしら?」
「ペン先をご覧ください。ペン先に数本の溝を引いています。この溝を引くことで、インクが吸い上げられて流れ落ちるのを防いでいるのです」
「まあ、そんな単純なことで?」
前世、日本人だった時に知った知識ですが、今生で思い出せたのは幸いでした。
「線が均一なのがいささか野暮ですが。ガラス工芸で最先端をいくイストリア皇国の工房なら、さらに実用性と美しさを兼ね備えた逸品を製造できると思いますわ」
「まさに! このペンは間違いなく、皇国の新たな人気商品となります。本当に名案ですわ、デラクルス嬢。皇帝陛下もお喜びになられるでしょう」
「こちらもいかがでしょう」
わたくしはさらに、日本で『トライフル』の名で知られていたお菓子を紹介しました。
漫画におけるセレスティナはお菓子作りの名人ですが、実はわたくしも前世ではお菓子作りは大の得意でした。その時の知識が活きたのです。
「ガラスの器にスポンジやクリームやジャム、果物を層状に重ねることで、目でも楽しめるよう工夫したお菓子です。たとえばこちらは、苺ジャムの赤にクリームの白とオレンジピールを合わせて、大使閣下のご実家である伯爵家の家紋を。こちらはブルーベリージャムの紫にレモンの皮の黄色とミントの緑を合わせて、イストリア皇国の旗を表現しています。こちらは生の苺を半分に切り、断面を器の表面にはりつけて、外から見て楽しめるよう盛っております。どれも、ガラスの器に盛るからこそ、見栄えするお菓子ですわ」
「まあまあ! こちらも、なんて美しい! おっしゃるとおり、これはガラスの特性を活かした、ガラスだからこそ意味のあるお菓子ですわ。これも皇国で紹介すれば、貴婦人達の間で大流行するでしょう。本当に見事な贈り物ですわ」
そして大使夫人はにこやかに大公妃殿下とレオポルド殿下を見比べ、おっしゃったのです。
「本当に、ノベーラ公太子殿下は、優れた姫君をお見つけになられましたこと。この若さで、これほど美しく気品と教養を備えておられるうえ、頭脳まで秀でていらっしゃるなんて! 『才色兼備』とはデラクルス嬢のためにある言葉ですわ」
大使夫人の絶賛に大公妃殿下もご機嫌でした。
けれど、わたくしはレオポルド殿下の反応が気になってしかたありませんでした。
実は、このお茶会は、セレスティナがレオポルドに嫌われる原因の一つでした。
レオポルドは、母親である大公妃と大使夫人が、公太子である自分をさしおいてセレスティナばかり賞賛したことが気に入らず「頭の良さをひけらかして嫌味な女だ、可愛げがない」と彼女をなじって以後、距離を置くようになるのです。
レオポルドの良き妃になれるよう努力していたセレスティナは当然、深く傷つきます。
一方で、今回のガラスペンとトライフルのアイディアは、大使夫人によって皇国に持ち帰られ、トライフルはわたくしの名をもじって『セレスティ』という名で呼ばれるようになり、そこから漫画上のセレスティナの本当の運命の恋人である皇国の第三皇子がセレスティナに興味を抱いて…………という、本編への布石となる日でもありました。
お茶会がお開きとなり、わたくしは罵られる覚悟を胸に、殿下のお言葉を待ちました。
けれど。
「本当に驚きました。セレスティナ嬢が、あんなにすばらしい品物を用意されていたなんて」
殿下はわたくしの手をとり、まっすぐなまなざしでわたくしをお褒めになったのです。
「あのペンと菓子は、間違いなく皇国で評判になるでしょう。デラクルス嬢のおかげで、舵取りが難しい皇国との関係に、大きな貸しを作ることができました。大公陛下もさぞ喜ばれることでしょう。本当にすばらしい姫君です、デラクルス嬢は。可憐なうえにとても聡明で。私が即位しても、隣にセレスティナ嬢がいると思えば安心です」
と――――
「本当に、いったいどういうことなのかしら…………」
わたくしはローズヒップティーを置き、額を押さえました。
優秀な悪役令嬢に嫉妬して彼女を捨てるはずの、愚かな公太子。
けれど実際に会うレオポルド殿下は太陽のような笑顔を浮かべて、惜しみなくわたくしを賞賛し、芸術品に触れるように優しく接してきて、少年の手つきはわたくしを大切にしようという愛情に満ちている。
「どうすればいいのかしら、アベル。本当はわたくし、日本でいう『教育ママ』のように、断罪の時までレオポルド殿下を叱っておればいい、と考えていたの。でも実際には、殿下にはお説教しなければならない短所なんて見当らないもの、途方に暮れてしまうわ。それに――――」
殿下は間違いなく、わたくしと向き合い、わたくしを愛そうとしている。いえ、もう愛しはじめているのかもしれない。その予兆が少年の紫水晶の瞳にのぞいて見えるのです。
わたくしはいつの間にか、この幼い少年の宝石のような瞳に見つめられるたび、どぎまぎするようになっていました。
親が一方的に決めた婚約者。愛情など無かったはずの関係。
けれど現実にこのように真摯に誠実な態度で接してこられれば、人の良いわたくしは拒絶することなどできません。
「殿下が優秀な方であれば、少なくとも無用な説教は避けたほうが賢明かと。劣等生に注意するのは周りも『いたしかたない』と納得しましょうが、優等生に注意すれば周囲は難癖とみなし、セレスティナお嬢様の評価が下がります」
アベルの勧めもあり、わたくしはけっきょく、この齟齬を受け容れる道を選びました。
婚約者としてレオポルド殿下と向き合い、打ち解ける努力を重ねる。
いずれ皇国の第三皇子と結ばれる展開のわたくしにとって、レオポルド殿下に愛される選択は悲しい結末だけをもたらすことでしょう。
けれどそれでも、いずれ捨てられる身であれば、今はただ、この美しい少年の無垢な愛情に浸っておこう。そう決めたのです。
おかげでわたくし達の関係は常に良好であり、いつしか「ティナ」「レオ様」と愛称で呼び合う距離になり、周囲も「将来は、さぞ仲睦まじい夫婦となられるでしょう」と、ほほ笑ましく見守っていました。
ノベーラの宮殿で、わたくしの幼い婚約者はどんな高価な宝石よりも美しく高貴に、才能にあふれて成長し、わたくしは未来の妻として、その変化を余すところなく見届けたのです。
その後、わたくしはレオポルド殿下の学友に選ばれた、三人の子息とも出会いました。
騎士団長の長男で、赤毛で大柄な武芸に秀でたロドルフォ・タルラゴ卿。
鉛色の髪の、怜悧で成績優秀な宰相の長男ニコラス・バルベルデ卿。
水色っぽい金髪の、聖者ではないけれど強い聖魔力を持つ、枢機卿の一人息子イサーク・グラシアン聖神官見習い。
「どうするべきかしら、アベル」
わたくしはふたたびアベルに相談していました。
実はこの三人、漫画の序盤でセレスティナを裏切るキャラクター達です。
幼い頃こそ、セレスティナの美しさや気高さ、教養深さや秘めた優しさに感銘を受けて思慕を抱きながらも、共に王立学院に通いはじめると、ある悪女と出会って殿下共々篭絡され、悪女に協力してセレスティナの排除を画策するものの皇国の第三王子に阻まれ、最終的には全員、辺境の神殿に送られる…………という愚か者達なのです。
「口でなんと言おうと、いずれ卑しい女のみだらな手練手管に負けてしまう男達だもの。とても信用できないわ。味方にいてほしくもない」
「たしかに、裏切るとわかっている者達と友好的に接するなど、お気は進まぬでしょう」
アベルも一度はわたくしに賛同します。
けれど彼の意見はわたくしとは異なりました。
「ここは『マンガ』の世界です。『マンガ』の筋書きは、この世界において、いわばさだめられた運命のようなもの。そこに逆らえば、どのような反動が生じることか」
「…………子息三人を遠ざけることは可能でも、そうすると漫画の展開どおりに話が進まない可能性が生じてしまう。そう言いたいのね?」
わたくしの言葉にアベルはうなずきます。
「『マンガ』におけるセレスティナ・デラクルスというキャラクターは、窮地に立たされながらも、その麗質ゆえに優れた皇子に救われ、神から聖魔力も授かって、人々から『皇后にして聖女』と崇められる、選ばれし主人公。セレスティナお嬢様にふさわしい生き方ですが、実現するには『マンガ』どおりに話を進める必要がございます」
「――――いたしかたないわ」
わたくしはいったん彼らを受け容れることにしました。
漫画の記憶を頼りに、悪女が彼らを篭絡した時の台詞、行動を真似て彼らを慰め、励まし、時には叱咤して、それぞれの心をつかみます。
いずれ裏切るとはいえ、今はまだ、人より多少才能を見せるだけの純粋な子供達。
わたくし達はやがて定期的にお茶会を開き、わたくしの作ったお菓子をふるまうまでの関係になりました。
そしてこうまでしても、わたくしにはまだ最大の問題が残っていたのです。




