最終話『パナケイア聖騎士団』 前
「……様、エイル様!」
呼びかけでエイルは目を覚ました。視界が真っ赤に染まっている。頭痛がひどい。
えっと、いま、ここは、どこだっけ?
「エイル様! エイル様! よかった、目を覚まされましたね!」
「ラウラ、さん?」
「はい、ラウラでございます。良かった本当に……」
エイルはラウラの腕の中で意識を取り戻した。ラウラは片腕でエイルを抱え、もう片手で治癒魔法をかけ続けている。魔法甲冑の兜のみが外され、エイルは顔面を外気にさらしていた。
急速に記憶が戻ってくる。思わず立ち上がろうとして、エイルは強いめまいを感じた。
「つつ……」
「!? 無茶しないでください! 傷は塞ぎましたが頭部を打ってるんですよ!」
「ん、ありがとうラウラさん、もう大丈夫」
膝に力を込めて立ち上がる。不安そのものの表情でラウラが見つめてくるので、エイルは無理をして笑った。
「大丈夫、ラウラさんのおかげで助かったよ、ありがとう」
「エイル様……」
本当だった。すでに身体のどこにも痛みはない。立った当初はふらついたけど、めまいも吐き気も消えていた。
やっぱりヒュギエイアさんに頼んでおいてよかったな、とエイルは思う。
◆◆◆◆
――出撃前、エイルはヒュギエイアから痛覚を軽減する麻痺魔法をかけてもらっていた。
全身に魔法をかけ終えた後、ヒュギエイアは沈鬱そのものの表情で言った。
「エイルさんが感じる痛みを10分の1にするよう調整してかけました。違和感はありますか?」
「大丈夫だよ。触覚とかは全部そのまま。かけてもらったのは初めてだけど、すごいね」
服を着直したときの肌感覚の変化を確認したり、手を握ったり閉じたりして感触を確かめながらエイルは感心する。当然ながら、ヒュギエイアは褒められてもまったく喜ばなかった。
「――この麻痺術式は、私が開発したものです。この術式を完成させた時、本当に嬉しかったんです。患部を直接切り取らなければならない外科手術治療が、患者さんに負担をかけずできるって。他にも歯科治療や、苦痛軽減やたくさんの医療分野に使用され活躍しました」
「……うん」
「――決して」
「……………」
「決して、こんなことに使うために、私はこの魔法を作ったんじゃないのに……」
ヒュギエイアが手で顔を覆ってしまう。エイルは何も答えられず沈黙した。
子供のようにうずくまる聖女の姿は確実にエイルの心の内側まで届き、傷をつけていたけれど、そこから生まれる痛みすら麻痺したかのように無視をして。
何を言っても嘘になってしまう気がした。だけど、でも。たとえそれがどれほどふわふわして頼りないものだとしても。
「必ず帰ってくるから、待っててね」
「……死んだら許しません」
「うん」
すぐ消える泡のような約束を、エイルはしたのだ。
◆◆◆◆
痛みは、身体からの警告だ。
エイルは今それさえも無視し、膨大な魔力による治癒魔法で無理やり回復させて、戦場に立ち続けている。
エイルは《サンタ・マリア》の兜をおろした。兜内に画像が映り、甲冑各部の状態が示される。どうやら致命的な損傷はないようで、ほっと安堵した。さすがはパナケイア聖騎士団の工房部、ヴリトラの一撃で壊れるほどやわな作りではないらしい。
「んしょっと」
続けて翼を展開する。こちらも問題なし。飛行も戦闘も可能だ。
まだ、希望は潰えていない。
「んん、でもどうしたものかな」
問題は彼我の距離だった。ヴリトラから一気に1000メートル近く離れてしまった。もちろん飛べば一分とかからず戻れるが、エイルが飛行するのをヴリトラが黙って見守ってくれるか、大いに怪しい。僅かな傷をつけただけであれほど激高したヴリトラだ。おそらく完全に敵と認定されている。そのエイルが舞い戻ってくれば確実に迎撃するだろう。
ヴリトラには火球だけじゃない、広範囲を焼き尽くすブレスもある。エイルのスピードでもそれを避けきれるかわからないし、近づけないのでは攻撃ができない。
バカ正直に距離を詰めるのではいい的にされるだけだ。手っ取り早くほしいのはさらなる加速。ヴリトラが予想もしないような速度で一気に距離を詰めるのが望ましい。
なにか、なにかないかーー。
必死に周囲を見回したエイルは、ふと、本城郭に置かれたあるものに注目した。
「ラウラさん」
「はい?」
「やりたいことがあるんだ。手伝って」
10分後、エイルは暗く狭い場所から魔法通信を発した。
「リフィア、聞こえる?」
『エイル! 無事なの?』
「なんとかね。それで、お願いしたいことがある」
『もう、少しはこっちの心配も……いえ、今はいいわ。なに?』
「もう一度攻撃したい。だけど今度はヴリトラから反撃される。だからお願い。どうにかヴリトラの気を逸らすか動きを止めて。一瞬でいいからスキを作ってほしい」
『そんなこと……いえ、わかった、やってみる』
「ありがとう」
無茶な頼みをしているのはわかっている。それでもエイルはリフィアに託した。時間がない。次の一撃を受ければセプテム城は丸裸になるのだ。
エイルは、ある狭い空間の中で、来るべきタイミングを待った。
◆◆◆◆
ヴリトラの足元にある戦場もまた、地獄絵図となっていた。
200人弱の聖騎士たちはヴリトラを中心に方陣を形成している。そこへ向かって黒波のような魔物の軍勢が押し寄せる。
「炎槍」
「雷嵐!」
「大地角砕!」
「大渦潮!」
「灼熱奔流!」
騎士の魔法剣から一斉に魔法攻撃が放たれた。正面にいた魔物が数百体、一撃で吹き飛ぶ。しかしモンスターの軍列は止まらない。目の前の仲間が焼かれ切り裂かれ水に飲まれ大地に沈んでも、決して怯えることなくしゃにむに突進してくる。
騎士たちもまた光剣を抜いて、突撃してくる魔物を迎え撃つ。
鬨の声と咆哮が同時に上がった。人間と魔物、どちらもが狂気じみた攻撃を繰り出し、血飛沫が上がり肉体の一部が飛び、悲鳴と苦痛の叫びが連鎖する。
追い詰められたパナケイア聖騎士団の戦いぶりは凄まじいものだった。亀竜の甲殻すら斬り断てる光剣が縦横無尽に振るわれた。もともと消耗戦を強いるのが作戦とはいえ、魔王軍側は凄まじい損害を出していく。ミスリル銀の魔法甲冑と全員が使える回復魔法によって、騎士団側の戦死者が極端に少ないのだった。
魔王軍は四度、方陣への大規模な突撃を試みたがすべて撃退される。流石にたまらず潮が引くように距離を取っていった。後にはモンスターの死骸が山積みとなっている。瘴気の霧散が間に合わないほどの数なのだった。
『はあ、はあ……、ヴリトラの動きを止める!?』
一息つけたメングラッドが、魔法通信越しにリフィアへ問い返す。
『本気かよ。この山みてえなやつをどうやって止めるっていうんだ』
『でも、できなきゃエイルが攻撃できないもの、やるしか無いわ』
背後のヴリトラを見上げてリフィアが言う。暴竜はいま次の大火球への魔力チャージ中だった。足元のパナケイア聖騎士団を鬱陶しく思っているはずだが(傷もつけられたから完全に怒っているはずだ)、攻撃してくる様子はない。おそらく魔王から大火球の発射に専念するよう言われているのだろう。実際次の大火球が放たれれば、セプテム城最後の防御結界が破られる。足元で起こる小事に構わなくてもいいのだ。
悠然とそびえるヴリトラに絶望的な思いをいだきながら、リフィアはつぶやく。
『エイルが攻撃するためになんとか、なんとかしないと……』
『だけど方陣は崩せねえぞ。今でさえ保ってるのが奇跡なんだ。ヴリトラに数を割くことはできねえ。やるとしたら――騎士隊長か』
『……私なら、なんとかできるかも』
返事をしたのはハイジーだった。手早く自分の作戦を語る。聞いたリフィアが顔を青くした。
『ハイジー、そんなことしてあなたが無事で済むの?』
『今はやるかやらないかだよ。それよりもリフィア、後をお願いね』
『……ええ、わかったわ』
硬い表情でリフィアが了承したことで作戦は決まった。
まずリフィアが戦列を離れ、魔法詠唱を開始する。
「呪文詠唱、究極魔法――」
朗々と詠唱が響く。長い、あまりにも長い詠唱文。上級魔法を超え、魔術を極めたものだけがたどり着ける魔法の到達点――究極魔法の詠唱だ。
リフィアが両手を天に向けて差し伸ばす。何かを請い招くように。それは詠唱と言うよりひとつの儀式だ。
騎士団内で最も魔法に長け、中級魔法までならば詠唱破棄さえ可能なリフィアが、全身全霊をかけて術式を練り上げていた。
続いてハイジーが、ヴリトラの前へと踊り出る。
後ろを向き、手に携えていた魔法槍を地面に突き刺すと、槍を背にした状態で向き直る。
「電爆加速大魔法、セット!」
魔法名を叫び、詠唱を開始する。
ハイジーの背後から槍を中心に巨大な魔法陣が浮かび上がった。さらに魔法陣から金色をした筒状の光柱が伸びる。光柱は3メートルほども伸びたところで止まる。筒先は立ち上がっているヴリトラ、その後ろ足に照準を合わせていた。
魔法陣を背にしたハイジーは体を屈め四つ這いになって、獣が飛びかかる直前のような姿勢で大きく身体を弛める。
ハイジーの周囲に紫電が集い、いくつもの火花が散る。空気が帯電しまるで落雷寸前のような緊張感が走る。
詠唱を終えたハイジーが叫んだ。
「発射!」
背後の槍と魔法陣が強烈な光を放ち、爆散する。雷轟のような音が戦場に響き渡り、ハイジ―自身もまた雷のような速度で飛び出した。
電爆加速大魔法、ハイジーの強力な雷魔法による電流が生み出すジュール熱で、背後の導体をまるごとプラズマ化、その爆発によって突進と加速力を生み出す魔法。本来は軽く丈夫な素材を打ち出すための遠距離攻撃魔法だが、ハイジーは《St.ウルスラ》を装着した自分自身を砲弾にした。生じるプラズマは雷魔法が生み出す磁界によって密閉されている。この世界トップクラスの硬度を持つヴォルフラム鋼で作られた《St.ウルスラ》が、秒速3.2kmの高初速で打ち出された。
当然ながら、この魔法を自身に向けて使った術者はハイジー以外いない。術者の生命が危険にさらされるからだ。
『う、ううううううっ!』
飛翔しながらハイジーは奥歯を噛み締めて悲鳴をこらえる。発射時の衝撃と加速による高熱ですでに甲冑内の全身はボロボロだった。ただただヴリトラを倒すことだけを考えて、苦痛に耐える。
『待っててエイル。私が絶対隙を作るから――』
リフィアほどあからさまではないものの、ハイジーもエイルのことが好きだった。エイルはいつも、騎士団のみんなができる限り傷つかない作戦を立ててくれる。騎士団長になる前、前騎士団長の秘書をしていた頃から、ハイジーはエイルのことを評価していたし感謝していた。
ハイジーは、戦うことが好きじゃない。自分が傷つくことは我慢できても、傷つけることは嫌いだ。それが魔物であっても、倒すべき敵であったとしても。そんなハイジーのことを理解してくれたのは、エイルが初めてだった。
『中庭に花壇作りたいの? いいよ」
――え、 ほんとにいいの? 籠城中なのに。
『うん。野菜やハーブばっかりじゃ、さびしいもんね。ハイジーの育ててくれた花、私も見たいし』
こんな会話をエイルはもう忘れているかもしれない。何の気なく返答したに過ぎないのかもしれない。でもハイジーにとってそれは、命をかけるに値する言葉だった。
騎士と人の間でいつも悩むハイジーにとって、どちらも認めてくれるエイルは大切な寄る辺になっている。
『私はどうなってもいい。どうかエイル、ヴリトラを倒して――』
祈りとともにハイジーはヴリトラへと突進した。
ガラスの割れるような音とともに衝撃がハイジーの全身を貫く。最初にヴリトラの魔法障壁へと激突したのだ。
「こんな、ものおおお!」
三層あったヴリトラの魔法障壁だが、プラズマカノンの勢いを止めることはできなかった。何枚ものガラスが粉々に割れるような音を響かせ、ハイジーは三層全てを突破し暴竜に迫る。
「はあああああああっ!」
残った魔力をありったけつぎ込み全身に雷光を纏わせて、ハイジーはヴリトラの右後足へ突っ込んだ。プラズマによって加速されたヴォルフラム鋼の硬度と質量がまともに襲いかかる。それは着弾と同時、凄まじい高熱と雷撃も発生させ見るものの目をくらませるような閃光を起こした。
「グルオオオオオオオオオオ!」
ヴリトラが悲鳴のような咆哮を上げる。続けて右後足ががくんと力を失った。見上げるようなその巨体が初めて傾いで、大きく前へと倒れ込む。前足を地面につきどうにか地に伏すことは避けられたが、呼吸が荒い。
鱗を破壊することはできなかったものの中へ衝撃を伝え骨折したらしい。初めてヴリトラに重大な損傷を与えることができた。
その代償もまた大きい。力を使い果たし、ハイジーは膝から崩れ落ちた。ヴォルフラム鋼製の《St.ウルスラ》は表面がプラズマ化して見るも無惨な状態に成り果てている。
リフィアの魔法通信に、とぎれとぎれの声が届いた。
『エイ……ル……、私……やったよ……』
その言葉を最後に、ハイジーは地面へと倒れ込んだ。
お待たせしました。セプテム城攻防戦最終話の、前編です。本当は一気に投稿したかったのですが、ちょっと長すぎたので2つに分けました。後編は明日投稿します。