すべての弱き人々のために
通信が切れた。ニコはかるく言っていたが、賢者の石の使用というのは言葉以上に重い。不老不死の源、生命の水の源泉、錬金術師がその生涯をかけて達しうる最高傑作。それをニコは差し出したのだ。防御結界の魔力炉として。
正直、彼女がそれほどパナケイア聖騎士団のために尽くしてくれるとはエイルも思っていなかった。『なあに壊れたらまた作るからいいよ』と飄々として言っていたが、それが簡単でないことは誰もが知っている。
ニコは自身の全存在とも言えるものを、パナケイア聖騎士団の未来にかけたのだ。
エイルは軽く周囲を見渡す。仲間の顔はおぼろげにしか見えない。暗い穴蔵の中は狭く息苦しかった。
「地上はなんとか持ちこたえている。みんな、やるよ」
エイルが言うとうなずく気配が返ってくる。エイルは魔法剣を引き抜くと、斜め上へと向けた。甲冑の魔力探査機能を最大にし、地上の様子を捉える。
「――よし、ここ」
狙いを定めると、破壊力の高い上級魔法の詠唱を開始する。刀身が光魔法の白色に輝き始める。それを見て周囲の騎士たちも自身の魔法剣を抜き払い、エイルと同じ方向に向けて詠唱を開始した。
魔法剣に宿る光によって周囲の様子がぼんやりと照らし出される。暗い土の中には二百名の騎士がいた。皆魔法剣を一点に向けて掲げ、呪文を詠唱している。
全員の集中が極限まで高まった。詠唱が終わり、魔法剣が最大の輝きを放つ。
エイルが最初に呪文を放った。
「尽滅烈光!」
土の天井へ向けて極太の光条が発射される。それを合図に他の騎士たちも一斉に魔法を放った。
虹のような彩光は頭上の壁を粉砕し、その上にいる魔物たちをも吹き飛ばした。
◆◆◆◆
「ヴリトラ様の正面に巨大な魔力反応! 敵の魔法攻撃と思われます!」
「なに? 防衛部隊はすぐに退避を」
「間に合いません!」
シャルルが焦ったように叫ぶ直後、ヴリトラの前方にある地面が突如下から盛り上がり、爆発した。光、水、火、土、雷、風、属性も様々な魔法の華が咲き乱れ、その上にいた魔王軍もろとも消し飛ばす。
「なんだ? 何が起こった!?」
「わかりません! これは、地下から? 魔法攻撃が突然……」
疑問の答えはすぐに得られた。魔法攻撃によって開いた巨大な大穴から、白銀の騎士たちが現れる。魔王軍の悪夢、恐るべき敵、セプテムの魔女ども。
パナケイア聖騎士団。
魔法甲冑を身に着けた完全武装の騎士たちが、ヴリトラまでわずか100メートル足らずの場所に現れた。
「馬鹿な」
ヘルムートが低くうめく。
「奴らは城に籠もってなどいなかったということか? 一体どうやってあそこまで近づいたというんだ」
「っ! わかりました、おそらく私達が掘った坑道を逆用されたのです。崩してつかえなくした坑道をもう一度掘り返し、ここまで地下を通ってきたんです」
「城の防御射撃は陽動で、本命は200名の騎士による突撃というわけか」
魔王軍は深さ10メートルという堀に対応するため、セプテム城に向けてかなり長く深い坑道を掘っていた。魔王軍の本陣近くから掘ったものもある。そのうちの一本をパナケイア聖騎士団に使われたのだった。
あまりにも奇抜な作戦。しかしそれは諸刃の剣でもある。
最初の混乱から立ち直ったヘルムートは冷静に言った。
「さすがはセプテムの指揮官だ。驚かされたが、それだけだ。命令を発する必要すらない。あそこには我が全軍が、何よりヴリトラがいる」
「はっ、奴らは自ら袋のネズミになったも同然かと」
魔王はマントを翻し、椅子へ冷厳と座り直す。
「パナケイア聖騎士団には最後まで本当に驚かせてもらった。シャルル、ここで彼女達の最期を見届けようじゃないか。騎士団が滅びるさまを。セプテム城が灰と化す光景を」
「はい、陛下」
◆◆◆◆
わかっていたことだ。覚悟していたことだ。
それでも地上に出た時、エイルは震えるのを抑えられなかった。
隣でリフィアがつぶやく。
「これ、全部が魔王軍……」
見渡す全てが敵だった。ブラッドベアがいる、ワイバーンがいる。スライムが、オートマタが、アース・ドラゴンがいる。
エントが、スケルトンが、大ムカデが、サーベルタイガーが、トロールが、サイクロプスが、ヘルハウンドが、レッサーデーモンが、オーガが、キメラが、マンティコアが、グールが、オークが、ゴブリンが。
この世のあらゆるモンスターがそこにいる。
前も後ろも左も右も、地上も空もすべて魔物が埋めている。あらゆる場所に敵がいる。あらゆる敵が襲ってくる。
なにより。
正面に――暴竜ヴリトラがいる。
暗い坑道を必死に掘り進みここまでたどり着いた騎士たちは、地上の光景に絶句した。一騎当千の聖騎士たちが、眼前の敵に怯えだす。これまで何百回と魔物と戦ってきた古参の騎士までもが身震いする。
戦う?
これから、この魔物の大軍と?
神話のような暴竜と?
誰が――私達が。
常識外の奇襲作戦。敵が最も混乱している値千金の時間を手にしながら、騎士たちは数瞬動けずにいた。目の前の光景のあまりの現実味のなさに呆然としていた。
騎士団の怯えは敵にも伝わる。騎士団の近くにいる魔物から、徐々に混乱が収まってきた。笑みを浮かべるモンスターさえいる。
そう、ここは地獄の底に他ならなかった。無数の悪鬼羅刹を前に、ちっぽけな人間が立ち向かおうとしている。
あまりにも――あまりにも、絶望的な戦い。
蟷螂の斧。無謀な挑戦。
勝てるはずのない戦い。
でも、それでも、
爪が食い込みそうなほど拳を握りしめる。胸を張り、顔を上げ、勇気を奮い起こす。
気づけば、エイルは叫んでいた。
「パナケイア聖騎士団、聖唱ッ!!!」
はっとしたように騎士たちが顔を上げる。エイルに続いて、誓いの言葉を紡いでいく。
「我らの剣は!」
『すべての貧しき人々のために!』
「我らの盾は!」
『すべての悲しき人々のために!』
「我らの祈りは」
『すべての病める人々のために!』
「我らの命は!」
『すべての弱き人々のために!』
エイルが光剣を抜いた。白く輝く刀身を掲げ、正面へと振り下ろす。
「目標前方、敵全軍! パナケイア聖騎士団――突撃っ!!!」
「マスハアアアアアアルッ!!!!」
鬨の声が響き渡る。200名の騎士は一斉に大地を蹴った。守るために。戦うために。
己の存在を証明するために。
人間で、あるために。