降伏か、死か
弔いのミサを終えた夜、セプテム城団長室にはエイル、リフィア、ハイジー、メングラッド、ラウラ、ヒュギエイア、ニコの七名が集まった。首脳部会議で今後の方針を決めるためだ。
しかし実のところ、ただ集まっただけだった。誰も一言も発さない。
ずっとエイルのことを支え続けたリフィアは掛ける言葉を見つけられなかった。メングラッドは会議でお決まりのようにやっていたリフィアとの口論を忘れたようだ。ハイジーは普段の明るさが嘘のように沈み込んでいる。ラウラもヒュギエイアも沈痛な表情をし、ニコですら硬い表情で押し黙っていた。
そして、エイルの顔は真っ白に憔悴しきっている。
「……どうすれば」
片手で顔を半分覆ったまま、エイルがポツリと呟いた。
「……どうすれば、いいと思う?」
それは、まるで小さな子供に戻ったように頼りない、儚げな声だった。今まで騎士団の団長として常に明快な方針と作戦を示したきたエイルが、初めて途方に暮れていた。
誰も答えない。答えられなかった。暴竜ヴリトラの火力はあまりに圧倒的で、絶望的で、対抗する術さえわからない。騎士として最も戦歴の長いリフィアも、冒険者として豊富な経験を持つメングラッドも、三〇〇年従士として戦ってきたラウラですら、これほどの敵と対峙したことはなかった。
痛いような沈黙が続く。永遠に続くかのように思われた膠着の中、最初に口火を切ったのはラウラだった。
「エイル様、まずは状況を整理してもよろしいですか?」
よろよろとエイルが顔を上げる。気遣わしげな表情を浮かべるラウラへ、力なくうなずいた。
「うん、お願い」
「ありがとうございます。ではまず、目下最大の脅威である暴竜ヴリトラについてです」
ラウラはさっと指をふる。空中に輝く線が現れ、ラウラの指の動きに合わせてセプテム城とヴリトラの位置関係を示す絵図面を作り出していった。
「ヴリトラは伝説と謳われる古代竜です。体長は百メートル近く、体重は五百トンを超える陸上最大の巨竜です。最大の脅威は大火球攻撃。本日一撃目は騎士団総員による魔法障壁で防げましたが、二撃目で第一城壁は全壊。崩れた城壁の残骸によって堀は半ばまで埋まり、本城郭はむき出しの状態となっています」
ラウラは話しながら小さく数値を書き込んでいく。
「分析班で魔力を精査した結果、ヴリトラの大火球は本城郭の防御結界でも二撃目で破壊可能という予測が出ました。ヴリトラは今日、火球を二発しか放ちませんでしたが、これが通常の限界数ではないと考えられます。ヴリトラが火山のマグマを通り長距離を移動したことによる体熱の上昇、5キロという距離を飛ばすための出力強化のため、この数で打ち止めとしたのでしょう。ヴリトラの能力を推し量った結果、ヴリトラは1キロの射程であれば、日に30発は大火球の発射が可能という結論が出ました。これよりさらに強大である可能性もございます」
空中に次々とヴリトラのスペックが書き込まれていく。エイルたちは息を詰めてそれを見守った。
「次にヴリトラを倒す方法について。先程も述べたとおり、ヴリトラはマグマの中を何キロも進んでセプテム城まで現れるという生物の常識から逸脱した能力を持っています。これは体表面を魔力障壁で覆っているためだと思われますが、耐火、耐熱性能はもちろん最高でしょう。おそらく、炎系の魔術は一切効かないレベルだと思われます」
炎魔術を得意とするメングラッドが、小さく舌打ちする。
「鱗の防御力も古代竜だけあって頑強です。上級モンスターの皮膚を紙のように切り裂けるライトサーベルでさえ、傷つけるのはほぼ不可能と思われます。ただ……」
そこでラウラがエイルの事を見た。
「エイル様の光属性魔法は唯一竜種の弱点となる魔法種です。エイル様の魔力出力とライトサーベルでしたら、傷をつけられる可能性はあると思われます」
初めて全員の表情に僅かな希望の光が浮かんだ。特にエイルはようやく頬に赤みがさす。
ですが、とラウラは申し訳無さそうな表情で続けた。
「ですが、ヴリトラと直接戦うことはもちろん近づくのですら容易ではありません。観測班の情報から、現在ヴリトラは魔王軍本陣へと移動し、その間を魔王軍の兵士が固めています。魔王軍の兵数は増援によって勢力を回復しており、十万の魔物兵がヴリトラを守っている状態です。明日、おそらくヴリトラは城から1キロの距離まで前進し竜撃を開始すると思われますが、そこまでの道は魔王軍によって埋め尽くされると予想しています」
ラウラが空中の絵図面にさっと魔王軍を書き入れる。図面だけで目を置いたくなるような魔物の群れだった。
「ヴリトラ自体の戦闘力も脅威です。火球の射程も常識外ですがブレスも百メートル先まで届くと言われています。その火力は魔法甲冑ですら直接浴びるのは危険です。巨体による接近戦も得意としており、牙や爪だけでなく尻尾のひと薙ぎでも大型魔獣を百体以上屠ったとされています」
ヴリトラの強さはもはや魔物というより自然の猛威そのものだった。災害が形となって顕現したようだ。
「弱点と呼べる弱点のないヴリトラですが、一つ、飛行能力を持たないという欠点があります。あまりの巨体のためその莫大な魔力を持ってしても自身を浮かび上がらせることができないのです。ヴリトラが地下のマグマを通っていたのも、この飛行ができないためであると考えられます。――現状把握は、以上です」
そう最後に付け加えてラウラは説明を終えた。改めて絶望的な現実に目を覆いたくなる。
ラウラは、あえて沈黙させないように言葉を継いだ。
「魔王は、降伏するならば騎士団も避難民も殺さないと通達しています」
「魔王軍の捕虜に、奴隷になるってことでしょう。殺さないって言うけど私達が今治療している怪我人は? 病人は? 魔王軍は働けないものを助けたりなんかしない」
魔王軍での人間奴隷の扱いは、エイルが一番良く知っている。自由も生命の保証もない。降伏は人間性の否定と相違ない。
といって戦えば、騎士団も避難民も確実に全滅するのだ。
降伏か、死か。
「エイル様、恐れながら」
後ろからラウラが、そっとエイルの肩に口元を寄せて、言った。
「騎士団一同、皆死ぬ覚悟はできています」
それはエイルがこの戦争で一番聞きたくない言葉だった。間髪入れずに振り返る。
「いやだよ!」
それをしないためにがんばってきたのに。一人でも多く生き残って、みんなで騎士団本部に帰るためにがんばってきたのに。
そのために、騎士団長を引き受けたのに。
パナケイア聖騎士団が、その騎士たちがどれほど高潔かはエイルもよく知っている。知りすぎるくらい知っている。弱い人を守るために、平気で命を投げ出すことを知っている。
騎士団長なんて器じゃないと思ってた。リフィアやメングラッドのほうがよっぽどふさわしいと。それでも受けたのは、エイルが一番騎士団のみんなを守れると思ったからだ。人を守るために平気で危険に身を晒す騎士団員を、一人でも多く助けたいと思ったからだ。
私の命を救ってくれた騎士団。私の人生を変えてくれた騎士団。
私の大好きな騎士団。そこにいるみんな。
今、エイルの大好きな人達が、喜んで命を投げ出そうとしている。
パナケイア聖騎士団は普通の軍隊じゃない。修道騎士団なのだ。みんな弱者のために命を投げ出すことを、当たり前と思っている人の集まりなのだ。
エイルはしがみつくように強く自分の腕を掴んだ。どうしてこの人達は「こう」なのだ。みんな逃げてくれない。怯えてくれない。命を大事にしてくれない。
生きようと、してくれない。
エイルは、パナケイア聖騎士団員のそんなところが大嫌いで、大嫌いで、大嫌いで。
でも、だから、エイルは今ここにいて。
降伏か、死か。
……本当はもう一つの道がある。逃げられる者だけで逃げるという道が。
だけどパナケイア聖騎士団は絶対に逃亡を選ばない。城の避難民を見捨てて逃げることなんてできない。たとえエイルが「逃げろ」と命令しても、絶対にそれだけはしない。
エイルのできることはもうなにもない。騎士団の全員を地獄の戦場へと導いて、魂を天上へと連れ去るしかない。
それが騎士団長の役目だと信じて。
パナケイア聖騎士団では最終的な決定権は全て騎士団長に委ねられている。会議を開き討論を交わしはしても、最後の決定は団長が行い他の騎士はそれに「服従」する形となる。降伏か、徹底抗戦か、最後に決めるのはエイルでなければならない。
「ごめんみんな、もう少しだけ考えさせて」
エイルはつぶやくような声で、一旦会議を打ち切った。