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暴竜ヴリトラ

 10月21日、昨日までの総攻撃が嘘のように魔王軍は散漫な攻撃を行っていた。ゴブリンやゾンビと言った低級の魔物を使って、第一城壁へのろのろと突撃を仕掛けている。しかも数は100にも満たない。本気で城を落とすための攻撃ではない。

 セプテム城側も迎撃は限定的だった。ゴブリンやゾンビの集団であれば中級魔法一発で跡形もなく消し飛ぶが、その魔力する惜しいのか近づいてきたものを矢と剣で排除するのみだった。そもそもゴブリンやゾンビでは城壁も乗り越えられない。典型的な擾乱攻撃――嫌がらせ程度と受け取ったのかもしれない。

 魔王第二軍司令部もまた、昨日までの忙しさが嘘のように静かだった。弛緩してすらいる。指揮官席に座る魔王もまた、眠るように目を閉じていた。

 その魔王がなにかに気づいたように目を開けた。すかさずシャルルが話しかける。

「陛下」

「――きたな」

「はい」

「我らの勝ちだ」

 


 突然、下から突き上げるような揺れがセプテム城を襲った。

「なになに!?」

「地震!? こんな時に」

 指揮所に詰めていた騎士団員たちは慌てて手近な机や椅子の下に隠れる。エイルも魔法甲冑の兜を閉じると、身体を丸め床にうずくまった。

 しばらくして――ずいぶん長く感じたがおそらく数十秒のことだったろう――揺れが収まる。幸い地震は大きなものではなく、家具が倒れたり魔法器具が破損するようなことはなかった。エイルは立ち上がり、近くにいた騎士に指示をする。

「避難所待機の騎士に、避難民の安全を確認して。それから騎士団総員の安全確認と点呼後、城内各所に今の地震で破損や事故が起きてないかの連絡をお願い」

「わかりました」

 騎士が魔法通信を使って連絡を取ろうとしたとき、瘴気探知機の前にいた別の騎士が叫び声を上げた。

「えっ、ええっ!?」

「どうしたのっ!?」

「――セプテム城から五キロの地点に巨大な瘴気反応!!!」

「五キロ! そんなに近く!?」

 エイルは思わず聞き返した。瘴気探知機の索敵範囲は三〇キロはある。なのにどうして五キロの距離に近づくまで気付けなかったのか。

 地震の揺れに乗じた? いや、そんな時間はなかったはずだ。

 ともかく、五キロなら視認できるはず。エイルは索敵室の窓を開け、首を伸ばしながら尋ねる。

「敵の方角は?」

「南西です」

「南西? 何も見えないけど」

「違います。方角は南西ですが、敵のいる場所は地上ではありません。下です、地下からすごい勢いで巨大な魔物が昇ってきます――」

 再びセプテム城が揺れだした。だが、今度は地震ではないとはっきりわかる。揺れはまたたく間に強くなり、ついには甲冑でも立ってられなくなる。

 その時、城から南西に見える山が突如内部から爆発した。

 火山の噴火、そうとしか思えないような光景だった。城から五キロほど先にあるその山は、山頂がまるごと消し飛び大量の噴煙と噴石と火砕流を撒き散らしている。しかしその山はたしかに活火山ではあるものの、噴火の兆候はなかったはずだ。

 なぜ突然噴火したのか、その答えは噴煙が僅かに薄れ始めた頃、暗灰色の煙越しに姿を表した。

 ――大きい、途方もなく巨大なドラゴンだった。砕けた山頂から頭部と長い首のみを突き出しているがそれだけでも山の大きさと引き比べると慄然とする。

 竜はゆっくりと、まるでトカゲが卵から孵るように山からその巨体を引き出していった。少しずつ、身体が出てくるたびに周りに溶岩が流れ出し、噴煙がもうもうと立ち上る。

 それはもはやドラゴンというよりも、地獄から世界を滅ぼす邪神が這い出してくるような光景だった。

 山頂の端に亀裂が走り、砕け、ドラゴンが肩から上半身を出していく。両腕が地上に表れたことでさらなる自由を手に入れたドラゴンは身体を出す速度を増した。

 胸、腹、後ろ足、と続けざまに胴体部を火山から表し、ついにその長大な尾まで全て引きずり出したとき、竜は天に向かって高々と咆哮した。

「ゴルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 聞く者の背筋を総毛立たせるような、悪意と残虐さと不吉さをはらむ声だった。臆病なものが聞けばそれだけで心臓が止まりそうな凶声。

「――魔力紋、照合完了」

 誰もが言葉を失う指揮所の中で、索敵担当の騎士の引きつったような声が響いた。

「〈暴竜ヴリトラ〉。……伝説の古代竜です」

 暴竜ヴリトラ、エイルも名前しか知らない神話上の存在だ。その強さと生命力に千年前の勇者すら討伐を諦めたと謳われる。

 魔大陸の奥地をすみかにしていると噂される古代竜が、どうしてここにいるのか、疑問をいだいている暇はなかった。

「ヴリトラの魔力反応増大! 大量の魔素を吸収し始めています。敵、火球を放つ公算大!」

「は……?」

 エイルは今度こそ絶句する。隣でメングラッドが驚愕に目を見開いていた。

「届くってのか? あそこから? グレートドラゴンですら火球の射程は七〇〇メートルなんだぞ」

 確かめている時間はなかった。もはやエイルの目にも明らかに、ヴリトラは大量の火魔素を口から吸い込んでいる。集まられた魔素が濃すぎてヴリトラの周囲に赤く輝く空気が滞留しているようにすら見える。

 エイルは無我夢中で叫んだ。

「防御結界能力最大! 全騎士団員! 敵竜正面に向かって魔法障壁を全力展開! 急いで!」

 エイルの命令を聞いた騎士団員が、次々と城から外へと飛び出す。ヴリトラのいる真正面に向けて障壁を展開した。エイルもまたメングラッドとともに本城郭の歩廊に上がると、全ての魔力をつぎ込んで障壁を創った。エイルの白の障壁、メングラッドの赤い障壁は、隣同士重なり合ってすぐに淡いピンクの障壁となる。騎士団員が展開する障壁はパズルのピースが埋まるように組み上がっていき、やがて城壁を守る光り輝く強固な一枚の壁となる。

 その間にヴリトラの額から突き出る二本の角が、白から黄色、オレンジへと移り変わった。あの角が全て赤に染まったとき、火球が放たれるのだとエイルは直感した。

「エイル、第一城壁のやつらが」

 メングラッドの言葉でエイルは第一城壁に視線を送る。今日の魔王軍の攻撃はほとんど嫌がらせ程度の散漫なものだったので第一城壁にこもっていたのは第二騎士隊の250名だけだ。彼女たちもまた城壁上で巨大な魔法障壁の展開をしている。指揮しているのはリフィアだった。

「やべーぞ、リフィアたちは障壁展開より先に脱出させるか?」

 コンマ数秒思考して、エイルは頭を振った。

「たぶん火球が来るまであと一分もない。今は騎士団の全力で障壁を作ろう」

 障壁が南西の空を覆うばかりとなったとき、ついに敵側の準備も完了した。紅玉のように角を真っ赤に輝かせたヴリトラが、上体を大きく反らす。口の端からは爆発するような炎が吹きこぼれているのが見えた。

「来るよ! みんな備えて!」

 一度のけぞったヴリトラが勢いをつけて身体を戻すと同時、ガパリと開かれた顎から、目の眩むような灼熱の光弾が吐き出された。

 それはまさに火山の噴火のようだった。真っ赤な炎の塊は五キロの距離を物ともせず飛び、セプテム城、その前に貼られた魔法障壁に着弾した。

 一瞬、火球はその進行を阻まれた。聖騎士団は誇っていいだろう。彼女たちが作り上げた最強の防御魔法障壁は、伝説の邪竜の火球にすら数秒耐えたのだから。

 しかし、それだけだった。

 一拍置いて、この世のものとは思えない爆発が起こる。騎士団の魔法障壁がたわみ、軋み、粉々に砕け散る。エイルの視界は白と赤の斑に染まった。

 凄まじい轟音が衝撃波となって騎士団員の体を叩いた。続いて熱波が、騎士団の魔法障壁ですら吸収しきれなかった焦熱がエイルたちの肌身を炙る。城壁をすべて石材で作っていたのは幸いだった。木造の歩廊を作っていたら、たちまち火災が広がっていただろう。

「そんな、一撃かよ」

 メングラッドが呻く。騎士団員が全力を注ぎ込んだ魔法障壁は、ただの一撃で破壊されてしまった。団員の多くは、限界まで魔力を振り絞った反動で地面に崩れ荒い息をついている。次の魔法障壁を貼る力は、もう無い。

 エイルの兜内に悲鳴のような通信が届いた。

「だ、団長、ヴリトラがまた魔力をチャージしています!」

 それは悪夢のような光景だった。暴竜ヴリトラが再び魔力を吸い上げている。赤い魔雲がヴリトラの周囲に立ち込め、体内に吸収されていく。

 目が眩む思いだった。脇目も振らず胸壁際に駆けたエイルは、第一城壁に向かって叫ぶ。

「第一城壁、総員待避ーーー!!!」

 魔力を出し切り、倒れ込んでいた第一城壁上の騎士たちが弾かれたように立ち上がる。よろめく足取りで、気力を振り絞って後方の乗り場へと移り、滑車にぶら下がり次々と本城郭へ向けて脱出を開始する。

 エイルは魔法通信をリフィアに繋げた。

『リフィア! 第一城壁には何人残っている!?』

『240名。今私の班で中に取り残されてる部隊がいないか確認してるわ』

 リフィアは他の全騎士団員が退去するまで第一城壁に残るだろう。急かしても意味ないと知りつつ、エイルは叫ばずにはいられなかった。

『第一城壁は即座に放棄する。食料も武器も全部置いて、とにかく全員早く戻ってきて。お願い! 早く!!!』

 十人……二十人……三十人…。次々と第一城壁から騎士団員が渡ってくるが、城壁上の団員は少しも減ってないように見える。ジリジリと心臓をあぶられるような焦燥を感じながらエイルには見ていることしかできなかった。

 百人。ヴリトラの角はすでにオレンジに色づき始めている。エイルは胸壁を砕けそうなほど強く握りしめていた。周りの騎士団員も「早く、早く」と叫んでいる。

 百五十人。ようやく半分以上が本城郭に帰ってくる。リフィアが腕で大きな丸を作ってみせた。もう城壁内に残された者はいないという意味らしい。リフィアの班が待避列の最後尾につく。

 二百人。城壁に残っているものはあと僅かだ。だがヴリトラの角もまた、すでに赤く染まりつつあった。

 神様、一秒でもいい、ヴリトラの魔力充填を遅らせて。エイルは祈らずにはいられなかった。

 二百二十人。ついに城壁上に残っているのはリフィア班と他に三班だけとなる。次の滑車移動で全員が帰ってこれる。

 しかしその時、ついにヴリトラの角が先まで真っ赤に染まった。

 そこからの光景は、エイルにはまるで時が遅くなったようにゆっくりと動いて見えた。

 邪竜が大きく体をそらす。口端から大火球の火の粉が吹き出した。最後尾にいたリフィアが立ち止まる。振り返り魔法障壁を展開しようと両腕を伸ばした。

 そうだ、リフィアはそうする。ノブレス・オブリージュを体現した人だから。もっとも高貴な自分が、真っ先に犠牲になるべきだと考えている。

 エイルがなにか叫ぶより先に、リフィアに近づく人影があった。セレーヌだ。彼女は数瞬リフィアとなにか言い交わした後、突然雷撃魔法を放った。魔法甲冑越しでもさすがに痺れたのか、リフィアの身体が力を失ったように崩れる。その身体を抱えて別班の騎士に受け渡したセレーヌは、残りのリフィア班員とともにヴリトラのいる正面へと身体を向けた。

 最後の滑車が動き出す。その乗り着き場を守るようにリフィア班の四人が前に立つ。十分に勢いをつけたヴリトラが、巨大な顎を開き再びあの大火球を放った。

 リフィアの従士たちが魔法障壁を展開する。その時、エイルの魔法通信に確かにセレーヌの声が届いた。

『リフィア様を、どうか頼みます』

 直後、第一城壁に大火球が襲いかかった。

「セレーヌ、さ……」

 世界が赤く染まるような閃光、爆発、轟音。大火球がすべてを焼き尽くす。

 魔王軍の投石や魔法を何度も弾き返し、五百頭の竜撃にすら耐え抜いた第一城壁が一撃で粉砕される。幅10メートルの城壁は砕け散り、後には紅蓮の火柱が立つ。

 セレーヌたちが守ろうとした乗り着き場もまた吹き飛んだ。糸が外れリフィアを抱えた騎士の滑車があらぬ方向へと飛び出す。エイルはすぐに本城郭から飛び上がり、地面へと落ちていくリフィアと騎士を空中でキャッチした。

 リフィアともうひとりの騎士は無事だった。リフィアの意識はまだ戻っていないが、命に別条はない。

 だが、セレーヌ達四人は……。

 エイルは二人を抱えたまま、地獄の業火に満たされたような第一城壁を呆然と見つめていた。




 暴竜ヴリトラの示した圧倒的火力を、魔王ヘルムートは満足げに見つめた。

「勝ったな。次の目標はセプテム城本城郭。これであの城も終わりだ」

「はい。――お待ち下さい陛下。ヴリトラ様の方で、なにか」

「どうした?」

「――はい、――はい。陛下、ヴリトラ様が念話で今日はこれ以上撃てぬと伝えてきました。マグマの中を泳いだ影響で体内に熱がこもり、このままだと骨が溶けかねないそうです」

 ヘルムートは特に落胆した様子もなく頷く。

「わかった。なるほど考えれば随分無茶をさせたな。ヴリトラは本営へと移り休息するように伝えてくれ。なに、どちらにしろ次の竜撃で全て決着する」

「は」

 シャルルは魔王の命令をヴリトラに伝えた。それから念の為と言った調子でヘルムートに尋ねる。

「陛下、今第二軍団の全力であの城を攻めれば、おそらくすぐに落とせますが」

「そうかも知れないが、こちらにも犠牲が出るだろう。せっかく攻略作戦を変更してまでヴリトラを連れてきたんだ。兵の無駄な消耗は避けたい。心配しなくてもこの戦はもう勝ちだよ」

 微笑をたたえた魔王は、余裕のある態度で呟いた。

「随分と抵抗してくれたが……これで終わりだ。パナケイア聖騎士団」

 

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