激戦を抜けて
「――限界だな」
魔王第二軍指揮所から戦況を眺めていたヘルムートはポツリと呟いた。そばのシャルルに指示を出す。
「参謀長、攻撃を中止しよう。これ以上やってもあの城は落とせいようだ」
「は、ですが、」
魔王相手にも関わらず、シャルルは一瞬反論しかけた。これほどの戦力を集めた総攻撃も失敗……その事実が認められなかったからだ。
ヘルムートがシャルルの言葉を手で押し止める。
「500頭の竜撃、3日に渡る歩兵突撃、坑道も全て潰された。もはやどうしようもない。夜になればいくらかこちらに有利になるかと思ったが、敵は日が落ちてからも嫌になるほど正確に射撃してくる。魔力探査の類か? ともかく、これ以上攻撃を続けても落とせる見込みがない。何より兵たちが限界だ。攻撃は中止しよう」
「……承知、いたしました」
唇をかみしめたまま、シャルルがうなずく。伝令に、攻撃中止命令を出す。
今度こそ勝利を、そんな思いがまたも儚く潰えたことで、シャルルの顔色を蒼白だった。
それを見て取ったヘルムートがやさしく慰める。
「そんな顔をするな参謀長。何も負けが決まったわけではない。確かに予想以上に苦戦したが、我らの勝利は揺るがない」
「は、私も陛下の作戦指揮を毛筋ほども疑っておりませぬが……しかし、まもなく冬がくるというのにこれではいつ落とせるか」
暗澹たる表情でつぶやくシャルルに、ヘルムートは自信満々で言い切った。
「安心しろシャルル。あの城は明日落とす」
「は?」
「先程私に念話通信が入った。気難しいやつだから命令に従ってくれるかやや不安だったが……どうにか間に合いそうだ。明日我が軍の最高戦力が到着する」
訝しげに眉根を寄せていたシャルルが、急に腑に落ちたような顔をする。
「陛下、まさか、あれを?」
「その通りだシャルル。何も問題ない。この攻城戦は、明日全てにけりがつく」
「魔王軍、撤退します」
10月20日、三日間の猛攻の末魔王軍はついにセプテム城攻略を諦めた。総攻撃を行っていたおびただしい数の魔物が、本営からの合図を受けて撤退していく。
城から歓呼の声は上がらない。皆疲労困憊してそれどころではなかった。ただ、戦闘が終わった、それだけだった。
騎士団から死者が出ていないのが奇跡だった。騎士団員の豊富な魔力と戦闘経験、そして医療部門の尽力のおかげだった。騎士団員の9割が重傷を経験している激戦だった。
セプテム城の堀は魔物の死骸で埋め尽くされていた。しかしみんな魔石を拾うどころではない。魔王軍の一部が、死体の山の中から高位魔族の遺体を探し出して回収していたが、セプテム城からはそれに対して矢の一本も放たれなかった。第一城壁は三日間の攻撃でどこもボロボロだったが、補修作業にすら入れないでいた。
皆、泥のように眠った。宿舎にたどり着けず配置場所でそのまま眠る者さえいた。皆ただただ、まだ生きていること、城が健在なことを喜んだ。
しかしこんな防戦が続けられるはずもない。『次来たら保たない』エイルは冷静にそう考えた。彼女もまた疲労の絶頂にあったが、指一本動かせなくとも頭だけは動かした。なにか、なにか考えないと。このままでは冬が来るまで持ちこたえさせられても、死者が出ずにはすまないだろう。
『あと10日、10日何とかしなくちゃ……』
まどろみとも意識消失ともつかない曖昧な思考の中で、エイルは必死に考え続ける。
たった三時間、盗むような睡眠を取っただけでエイルは活動を再開した。まず城で唯一元気を保っている人を呼ぶ。
「ニコさん」
「はいはーい! 呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん、みんなの頼れる錬金術師、ニコさんだよー!」
満面の笑みで団長室にやってくるニコ。彼女もまた戦闘中は壁の修理と補強、ゴーレムの補修などで多忙を極めていたはずだが疲れた様子もない。賢者の石のおかげかもしれない。
「頼みがあるんですけど、今夜中に壁の補修ができますか? 壊れた箇所だけでいいので。それも大変だってことはわかっているんですけど、明日にはすぐ攻撃が再開されるかもしれないし」
「ふっふっふ〜、私を誰だと思っているんだい! 天才錬金術師ニコさんだよ。もちろん考えているに決まっているじゃないか! 壊れた箇所の補修と言わず全面的に壁を補強し直してあげよう」
「そんなことできるんですか!?」
「一時的なものになるけどね。これを見てくれ」
ニコが机の上に図面を広げて、説明する。
「これはパイクリートという特殊な氷材なんだ。14%の木材のパルプと86%の水を混ぜ合わせて凍らせたものなんだけどね、通常の氷と比べて熱伝導率の低さによる低融解性、高強度、高靭性を持つ。魔王軍重歩兵の投石だって防ぐことは実験済みだ。幸いこの城は水が豊富にある。パイクリートの素材は私が作るから、氷結属性を使える騎士団員を集めていっしょに氷壁を作ってくれないか?」
「さすがですニコさん! これなら今夜中に壁を補強できます!」
「はっはっはっは、もっと褒めてくれていいんだよ!」
「すごいです! よっ天才錬金術師! 世界一!」
「はーっはっはっはっは! 気分がイイねえ!」
ニコ発案のパイクリート氷壁はすぐ実行に移された。投石によって表面の一部が破壊され崩れた第一城壁は、氷壁によって傷を覆われ堅牢さを取り戻した。
「氷材には私の錬金薬を混ぜてより強固に、溶けにくくしてある。私の計算では2日は何もしなくても持つはずだ。ま、戦闘が始まったら遥かに短くなるだろうが……」
「十分です。ありがとうございます」
エイルはニコに感謝する。これならまだ戦える。そう思った。