聖女の役目
魔王軍の総攻撃は日が沈んで夜が訪れてもまるで衰えを見せなかった。いやむしろ、夜間になってその勢いを増していった。
魔物にとっては夜のほうが本来の活動時間だ。闇の中でも自由に動けるモンスターに対して、騎士団側は魔法甲冑の暗視能力と索敵魔法に頼るしか無い。
しかも、騎士団側は全員が昼間からぶっ続けで戦闘しているのに対し、魔王軍はその数に物を言わせて予備部隊と交代させて戦うことができた。
魔王軍の総攻撃によってかき乱されたのは前線ばかりではない。セプテム城内病棟もまた目の回るような忙しさだった。ある意味、ここが最も過酷な戦場であったかもしれない。
パナケイア聖騎士団医療部門の責任者、聖女ヒュギエイアもまた止めどなく運び込まれる負傷者への対応に忙殺されていた。
「21歳従士1名! 魔物の角による右大腿部貫通杙創、大腿動脈離断、5分前に止血しています」
「撓骨動脈は」
「触れますが微弱です」
「上級ポーション輸液準備、回復魔法で血管蘇生を行います」
「投石による頭部外傷です。対光反射微弱、意識レベル100に落ちてます」
「第三法術室へ! 挿管用意。それから頭部に解析魔法を使って」
「聖女! ワーウルフによる腹腔咬創です! 聖布による圧迫止血しています」
「清浄魔法と解毒ポーションをかけ続けて。すぐに腹部蘇生行います」
「20歳騎士一名。胸部外傷、呼吸不全です」
「フレイルチェストね。肺挫傷の可能性もある。呼吸魔法で陽圧換気」
「23歳騎士1名。敵重歩兵による胸部外傷!」
「まずい、心タンポナーデを起こしてる。ここで心嚢穿刺します」
「従士3名救急搬送! 翼竜の火球による爆傷です! 右側腹部裂傷、脳震盪、左上肢のⅢ度熱傷!」
「第一法術室から緊急要請! 新鮮血A型3000cc! 腹部癒合中に出血とのことです。補充行きます」
受傷した騎士団員は途切れず運び込まれてくる。すでに10時間を超えて休む間など無い。ついに修道女の一人が倒れ、ヒュギエイアはやむなく救護所へと送った。
敵の攻撃が止まらない限り、病棟もまた稼働し続けねばならない。
「次のひ……っ」
ヒュギエイアが新しい怪我人を呼びかけて、黙る。そこにはつい10分前、片腕を治療して送り出した従士がいた。
従士の娘は苦笑いしようとして失敗した表情で言う。
「ごめんなさいヒュギエイアさん……。今度は右腕です」
「……、そこの椅子に座ってください。すぐ治療します」
吐き気をこらえてヒュギエイアは従士を座らせる。血や怪我を見て気分を害したのではない。治療して、再び戦場にこの子を送り込まねばならない自身のおぞましさをいまさら思い知ったのだ。
それは一つの地獄の情景だった。腕がもげても足を失くしても、治癒魔法がある限り治ってしまう。兵士は戦い続けてしまう。治癒魔法があるから、兵士は無限に戦場へ赴き続けてしまう。敵の攻撃によって一撃で即死する、その瞬間まで。
ヒュギエイアが聖句を唱えて祈る。従士の右肩が光りに包まれ、そこから彼女の腕が再生される。
従士は再生した右手を、一度握って、開いた。なにかを確かめるように。
ニッコリと笑って言う。
「ありがとうございますヒュギエイアさん。また行ってきます」
ヒュギエイアは怪我をした従士よりもずっとひどい顔をしていた。行かないで、もう休んで。そんな言葉が口をついて出そうになるのを、必死に飲み込む。
「……どうか、ご無事で」
「はいっ!」
従士は笑顔で病室を出ていった。それを見送りながらヒュギエイアは思わず自身の聖杖を握りしめる。
――治して、
治して、治して、治して、治して、治して、治して、治して、治して、治して――。
それで一体何が救えるのだろう。自分は一体何をしているのだろう。
力を込めすぎて指が白くなっているのにも気づかず、ヒュギエイアは懊悩した。
私達は治療者だ、人を治すためにここにいる。騎士ではなく修道女になることを選んだときなんの迷いもなかった。戦うよりも癒やすことをしたいとヒュギエイアは本気で思っていたのだ。
こんな気持になるなんて思わなかった。戦えないことがこんなに悔しいなんて思わなかった。戦場に戦士を見送るのがこんなに惨めだなんて思わなかった。
ヒュギエイアは生まれて始めて、自分も戦場に行きたいと思った。皆と同じように戦いたいと思った。
『パナケイア、様。どうか、どうか……』