初勝利
戦闘は終わった。
エイルが魔力を込めた指で兜の右頬を軽く叩く。甲冑は自動で兜を展開し背部に収容して、内部の顔を久しぶりに外気に触れさせた。
戦場では残敵の掃討が行われている。まだ息のある魔物たちに、騎士団員がとどめを刺していた。残酷なようだがこれをやらないと魔物はすぐに復活する。
低級の魔物は体が有機物ではなく瘴気で構成されている。いまも首を切られたゴブリンが、体をサラサラと黒い灰のようなものに変え虚空に消えていった。あとには小石大の小さな魔石が残るだけだ。この魔石はとても有用なので、騎士団員は丁寧に探しては回収した。
魔物を倒すことは殺すというより浄化に近い。魔大陸の大地もしくは人類大陸にあるダンジョンで生まれる魔物たちは、魔石を核とし瘴気をまとって次々と作られる。だからこそ普通の生物ではありえないほど早く増殖する。たとえゴブリンやオークの一匹一匹が弱くても、その数は人類軍と比べ物にならない。
兜を開けたエイルはゆっくりと深呼吸した。火炎魔法や雷撃魔法による焼け焦げた匂いがすこし鼻を突くものの、戦場独特の異臭はほとんどしない。魔物たちはそのほとんどが死体を残さず消えてしまうためだ。
――勝った。
中天に傾いた日を見上げながら、エイルは思う。
勝てた。自分が初めて指揮した戦いで、完勝に近い勝利を収めた。死者も重傷者もおらず、ほとんどの団員は怪我もしていない。対して敵の損害は三千。魔物戦では瞠目すべき戦果だ。
知らずエイルの口元が緩む。良かった、誰も死ななくて。良かった、誰も深く傷つかなくて。自分の立てた作戦に論理的な確信はあったが、それがいま結果という裏付けを伴って手応えのある自信へとつながる。
「エイルーーー!」
そこへ唐突に飛びついてきた者がいた。副団長のリフィアがまるで少女の時に戻ったような無邪気さでエイルに抱きついてくる。
「わ、ちょっと、リフィア危ない」
「すごい、すごいわ。あの数の魔物相手に損害無しで勝っちゃった! エイル、あなたの作戦のおかげよ。やっぱり前騎士団長の見立ては間違っていなかった!」
リフィアは笑顔のまま抱き上げたエイルをぶんぶん振り回す。よほど嬉しいのだろう。こんな風にはしゃぐリフィアを見るのは初めてだった。
「あはは、ありがとうリフィア。でも私の作戦がうまくいったのも損害がなかったのも、みんなが私を認めてがんばってくれたからだよ」
そう、今回の勝利は騎士団みんなのおかげだ。異常な昇任であったにもかかわらずエイルのことを騎士団長として認め、その作戦に従ってくれた。騎士団全員の協力がなければ作戦の成功はなかった。
そしてそのきっかけを作ってくれたのは――。
再び地面に降りたエイルは、リフィアを抱きしめ返す。
「リフィア、ありがとうね。まっさきに私を騎士団長として認めてくれて。リフィアが、副団長が認めたから他のみんなも従ってくれたんだと思うんだ。内心ではまだまだ戸惑っている人も多いかもしれないけど……リフィアが支えてくれるなら、騎士団長としてがんばれる気がする」
「あなたに才能があることは騎士学校時代から知っていたもの。本当の実力をようやくみんなの前で見せただけよ。私には思いもよらない作戦で、押し寄せる魔物兵を撃退し城を守った。本当に立派だわ。あなたは私の自慢の生徒で、尊敬すべき騎士団長よ。これからも当然、そばで一番に支えるからね」
そこで、リフィアはちょっと表情を変えて、
「ああでも、エイルの才能を一番評価していたのはブリジッド前団長かもしれないわね。まさかいきなり騎士団長に抜擢するとは私も考えなかったし……う〜ん、エイルに最初に出会ったのは私なのに、なんだかくやしい」
と悩み始めたので、エイルは思わず笑ってしまった。
そんな二人の元へ、続々と他の騎士団員が集まってくる。
「エイル騎士団長! 勝ちました! 勝ちましたよ! おめでとうございます!」
「そうだ。魔王軍の襲来からずっと負け続けだったから、ひょっとしてこれが人類側の初勝利じゃない?」
「わー! 初勝利!」
「すっごいですね! さっそくソラン帝国軍にも連絡して悔しがらせてやりましょう!」
それぞれが勝利を喜び合う。衒いのない祝福を受けてエイルもまた胸をあたたかくした。同時に、『そっか初勝利。たしかにこの勝利は交渉材料に使えるかもしれない』と頭の中で計算を始めている。
ふと、視界に第四騎士隊長のメングラッドが映った。
「…………」
他の騎士団員と違い一人だけ仏頂面のままエイルを見ている。
エイルはメングラッドに心から感謝していた。彼女は自分の気持ちを押し殺してエイルの作戦に従ってくれたし、敵陣へ突撃した時は誰より勇敢に戦ってくれた。不満があっても誠実に騎士の務めを果たしてくれたのだ。エイルはリフィアと同じくらい、メングラッドにも感謝していた。
とはいえ、どう声をかけたらいいかためらっていると。
「…………」
「あ……」
メングラッドは視線を切って立ち去ってしまった。声をかけるタイミングを失ってしまい、エイルの声が宙に浮く。
遠目に、メングラッドが部下の第四騎士隊の隊員から小突かれてるのが見えた。
「隊長ー、なんで声掛けないんすか」
「早く仲直りしましょうよ」
「うるせー、オレはまだあいつを認めていねえんだよ」
「そんなことばっか言って。団長の立てた作戦すごかったじゃないですか
。もう全部ハマりまくりで」
「団長すごいですよね。あれなら納得です」
やいのやいの。
周りからの言葉にメングラッドが苛立ったように声を上げた
「てめーらなにほだされてるんだ。一回だけで実力がわかるわけねーだろ」
「いやでも、まじで今日はすごかったですから」
「私こんな戦術初めてですよ」
「とにかく、オレはあいつをまだ団長とは認めねえ」
「じゃあいつになったら認めるんですか。先延ばしにしてたらかえって言いづらくなりますよ」
「うるせーぞお前ら! ていうか戦いに勝った途端手のひら返しやがっていったいどういうつもりだ!」
「そりゃあ、あたしたちは勝って生き残らしてくれる人が団長なら年齢とか格式なんかどうでもいいですからね」
その言葉でエイルは、第四騎士隊には冒険者出身の騎士が多いことを思い出した。
パナケイア聖騎士団はほとんどが母体であるパナケイア女子修道会の出身者を団員にしているが、第四騎士隊だけは例外的に外部の、元冒険者を中心として構成されている。隊長のメングラッド自身が凄腕の冒険者だったところを前騎士団長に直接スカウトされて入団したのだ。いわば王国正規軍と傭兵のような関係だが、魔物との戦いに慣れた腕の良い冒険者は騎士団にとって貴重な戦力だ。それに冒険者出身と言っても全員が俗世を捨ててパナケイア女子修道会に入信しているから、身分的には何の違いもない。
といって、生え抜きの騎士団員との間に溝がまったくないわけではない。おいおいそのへんのことも考えなきゃな、とエイルは頭の片隅にとどめた。
ともかく、元冒険者としてより勝利と生き残りに敏感な第4騎士隊の面々は、今日の戦いでエイルの指揮能力を認めてくれたらしい。
「メングラッド隊長、さっさと謝っちゃったほうが大人ですよ」
「そーそー、今日の作戦なんて冒険者でも誰もやってないような戦術でしたもん。エイル団長は天才ですって。早く認めてあげてくださいよ」
「はあああ!? オレはエイルのこと天才だなんてひとっ言も言ってねえぞ! 認めるも認めないもオレの勝手だからな! とにかくまだ団長とは呼ばねえ!」
エイルはメングラッドのことを詳しく知らないが、冒険者時代にダンジョンでモンスターに襲われ危機的状況に陥っていたところをブリジッド前騎士団長に救われ、そのままスカウトされたと聞いている。前騎士団長への恩義と忠誠の思いから、エイルのことをすぐに認める気に慣れないのかも知れない。エイルとしては、指揮に従ってくれるなら万々歳なので団長と呼ばれることにこだわりはなかった。
が、隣で黙ってメングラッドの言動を聞いていたリフィアが、静かな怒りを眼に宿らせていた。
「エイルになんて口の利き方……。メングラッドとは、一度じっくり話し合ったほうが良さそうね」
「リフィア落ち着いて!」
二人の騎士隊長が戦ったら本人のみならず周辺の被害が甚大になる。魔族と戦う前に騎士団員同士で潰れるわけにはいかないとエイルは慌てた。
エイルは思い出した。エイルとだけでなくメングラッドとリフィアは壊滅的に仲が悪いのだった。帝都の大貴族出身のリフィアと、西部辺境にある村の平民だったメングラッドはとにかくあらゆる面で相性が悪い。メングラッドがエイルを団長に認めなかったのも、まっさきにリフィアが支持したからではという噂もあった。
まだまだ問題は山積みだ。初勝利の余韻に浸るまもなく、エイルはリフィアをなだめるのに大忙しとなった。
ハイジー
・姓名:ハイジー・デ・アウストリア
・第三騎士隊騎士隊長
・24歳
・髪:金と黒の虎縞
・身長190cm
・ソラン帝国南方領出身
・帝国でも辺境の領主貴族出身(長女)
メングラッド
・姓名:メングラッド・ギネス
・第四騎士隊騎士隊長
・21歳
・髪:金色
・身長168cm
・ソラン帝国西方領、リバート州出身
・元冒険者、平民
・騎士団の中では一番荒々しい性格