魔王着陣
ヘルムートが乗竜のエランとともに魔王第二軍本陣へ降下すると、早速天幕からシャルル、ガップ、その他第二軍幕僚が飛び出してきた。エランの翼による制動で周囲に風と砂埃が舞うが、誰ひとり顔を反らすことなく、魔王を迎え入れる。
颯爽たる姿勢で乗竜から飛び降りた魔王ヘルムートは、その場の誰もが驚くほど朗らかな笑顔を浮かべていた。
「はっは、やられたやられた。シャルル、ガップ、そなたらが苦戦するわけだ。とんでもない城だなあれは」
二ヶ月間の攻撃でも城を落とすことが出来ず、それどころか被害を増すばかりだった第二軍首脳部は魔王からの強い叱責を覚悟していたが、ヘルムートのこの一言によっていくらか肩の力を抜いた。
シャルルが進み出て魔王に深々と礼をする。
「着陣、お待ち申し上げておりました。陛下」
「うむ、この二ヶ月よくやってくれた。少しやつれたか? 苦労をかけるな」
「そんな……陛下のご期待に添えず恐懼の至です」
「気にするな、想定通りにいかぬのが戦の常だ。……ガップ将軍もご苦労だった」
ガップが一歩進み出るとシャルルと同じく一礼する。
「陛下より一軍とシャルル殿を預けられながら勝利の誉れを献上できませなんだこと、このガップ恥じ入るばかりです」
ヘルムートは内心おや、と思った。ガップのシャルルに対する態度が、以前と様変わりしている。失敗続きの戦ではあるが、得るものはあったかもしれないと思う。
他の第二軍幕僚もまた挨拶しようとするのをさっと手で制してヘルムートは言った。
「挨拶は抜きにして早速軍議といこう。全員天幕に入ってくれ、詳しい戦況を聞きたい。そうだ、ドラゴンたちには休息と食事を。特にエランには最上の肉を出してくれ。ねぎらってやってほしい」
「はっ」
魔王を迎え入れた第二軍首脳部は大天幕の中でこの二ヶ月の概況を説明した。セプテム城の脅威とそれを取り巻く魔王軍の状況を聞き終えたヘルムートは、深々と嘆息する。
「まったく聞けば聞くほど厄介な相手だな、セプテムの魔女たちは! たった千名で魔王軍五万を文字通り釘付けにしてしまった。信じられん強さだ」
「敵が粘り強い理由は様々ですが、まず何より遠隔攻撃力が脅威です」
この二ヶ月ですっかり素直な言葉遣いをするようになったガップが、率直にヘルムートへ進言する。
「儂も人間どもとの戦いに明け暮れて久しいですが、あれ程の投射兵器を集中した敵城を見るのは初めてですな。異常に強固な城壁といい、なにもかも未知の強さを持つ敵です」
「私も先程身を以て体験した。やはり報告を聞くのと実際に見るのとでは大違いだな、恐るべき射撃能力だった。先程の戦いだけでも敵の放った矢はおそらく万を越えるだろう」
戦況図の引かれた机の上を、ヘルムートは指先でコツコツと叩くと、シャルルへと顔を向けた。
「参謀長、まずは部隊の再配置だ。戦力の割り振りを練り直そう」
「はっ」
「歩兵部隊の突撃はすべて中止する。代わりに竜部隊をずらりと並べて敵の城壁を火力で叩く。合わせて投石攻撃も行い、遠隔攻撃を徹底するんだ。シャルル、投石用台座を築いてくれて礼を言う。あれは威力を発揮するぞ」
「もったいなきお言葉です、陛下。ただ……」
「うん?」
「恐れながら、正直まだ不安です。敵城壁の堅牢さは予想以上、たとえ300頭の竜の火力と投石攻撃でも、果たして陥とせるかどうか……第二軍の投石歩兵戦力は、大きく消耗したままなのです」
シャルルが敵城への恐れを口にしてもヘルムートは咎めなかった。それが悲観からくるものではなく、ただただ現実的な状況精査の結果としていっていることを理解しているからだ。
その上でヘルムートは、にやりと笑いかける。
「参謀長、早合点してもらっては困るな。私がドラゴン300頭だけを増援に遣わしたとでも?」
「え?」
「私とドラゴンは先遣隊だ。一足先に飛んできただけさ。本命は陸の街道をこのセプテム城目指して進んでいる。本陣地の予備兵力すべてを投入した。ここにいる第二軍本隊と合わせれば、総兵力は10万だ」
「10、万……」
途方も無い援軍にシャルルはくらくらした。それはもはや、魔王本軍と遜色ない数だ。
「もちろんそこには陸上を歩く亜竜種や長距離を飛べないワイバーンも含めている。増援と合わせれば第二軍の竜戦力は五〇〇頭。この大火力にあの城がどこまで耐えられるか、見ものだな」
落とせないはずがない。魔王はもはや確信していた。それは驕りではなく、現実的な戦力分析からの判断だった。
軍議を終えると、ヘルムートは第二軍陣地内を視察した。そばにはシャルルが付きしたがい、各陣地を案内する。
「それにしても驚きました。このセプテム城攻略に10万などと……こちらに戦力を集中させて、本軍の西都攻略は大丈夫なのですか?」
「問題ない。すでにミルヴァ攻略の目処は付けてある。ただ人類側もなかなか手強くてな。敵の魔法障壁が強力すぎて我が軍の最大火力でもなかなか抜けない。そこで一旦早期陥落は諦め、包囲して持久戦に切り替えたんだ」
「なるほど」
「そして本軍がミルヴァを包囲した結果、セプテム城の重要性がにわかに跳ね上がったのだ。仮に人類側がセプテム城を起点として大兵力をベルタ街道から進発させた場合、我々の後方が遮断される恐れがある」
「は……!」
シャルルはすぐに頭の中に地図を描いて戦慄した。魔王の言うとおりになれば、最悪魔王本軍が敵中に取り残されることになる。魔王軍にとって弱点となる冬はもう間近なのだ。
(※実際のところこれは二人の杞憂だった。ソラン帝国側は防衛戦に手一杯であり、派遣できる予備兵力はもっていなかった)
「そんなわけで私は、魔王本軍と本陣地から割ける戦力をかき集めて慌ててこっちに来たわけさ。第二軍の救援だけが目的ではない。安心してくれ」
「はい……」
シャルルが頬を赤く染めて縮こまる。ヘルムートが軍の采配を誤るはずがない。凡庸な質問をしてしまった自分自身に恥じ入っていた。
魔王とシャルルは陣内の視察を続ける。ふと、魔王が一点に目を向けた。シャルルがその視線を追うと、川岸にゴブリンやオークと言った下級歩兵が集まってなにか騒いでいた。
トラブルではない。魔物たちは川に向かって手頃な小石を拾い上げ、投げて遊んでいるのだった。シャルルは小さくため息を吐いた。
「お目汚しを。歩兵部隊はほとんどが待機となっていますから、暇を持て余しているようです」
詫びるような口調でシャルルが言う。
「彼らにやめるよう注意しましょうか?」
ヘルムートは苦笑して首を振った。
「兵たちの息抜きにまで口を出すことはない。士気にも影響するだろう。好きにさせておけ」
水切り遊びにを懐かしそうに見つめながら魔王は言う。
「私も子供の頃遊んだ記憶があるな。仲のいい従者とどっちが跳ねさせられるか競って……」
そこでヘルムートは言葉を切った。急に目を凝らして兵たちの水切り遊びに見入っている。突然の変化にシャルルは戸惑った。
「あの、陛下?」
「シャルル」
振り返ったヘルムートは、いたずらを思いついた少年のような顔をしていた。
「一つ試してみたいことがある。」