夜襲2
アラクネ兵の夜間浸透突破は迅速かつ滑らかだった。深さ一〇メートルある堀の上に糸を張り、宙を歩くがごとく進んでいく。堀前と中に設置された魔物用の罠も、空中を進まれては意味をなさない。アラクネ兵の第一陣はまたたく間に幅四〇メートルの距離を渡りきり、外壁へと取り付いた。外壁内に詰めているはずのパナケイア聖騎士団員が、気づいた様子はない。
アラクネ兵はそのまま外壁内を襲いはしなかった。作戦の目的は敵城深くへ浸透し混乱を起こすことである。ここで騒ぎを起こせば奇襲の意味がなくなる。アラクネ兵は外壁の裏に回ると、奥の第一城壁に向かい糸を発射した。
五〇メートルを超える距離をあっという間に糸で繋いだアラクネ兵は、次々と闇の中へ飛び出す。第一城壁側にも気づかれた様子はない。黒いアラクネの身体は闇の中に完全に溶け込んでいるし、この夜襲中かすかな物音も立てていなかった。仮に敵に気づかれたとしても、闇の中で蜘蛛の糸を切ることなどできるはずもない。
かくしてアラクネたちは優雅に空中を舞って第一城壁へと向かった。急勾配の城壁も、蜘蛛の足なら僅かな隙間や凹凸、破損箇所を伝って歩くことができる。障害はないも同然だった。
アラクネ兵たちが夜襲の成功を確信したその時だ。第一城壁で強大な魔力の波が起きた。
明らかな魔法攻撃の前兆。
さては気づかれたか? とアラクネ兵が緊張したとき。
突如目も眩むような閃光がほとばしった。闇に慣れたアラクネ兵たちが目を焼かれると同時、身体に強い衝撃としびれを受ける。半人半蜘蛛の魔物たちは何が起きたかもわからずただ肌身を焼かれる苦痛に悶え、あるいは昏倒した。
アラクネ兵が闇夜の道として渡した糸を伝って、強力な雷撃魔法が放たれたことに気付いたものはいなかった。
◆◆◆◆
エイルはハイジーとともに第一城壁内指揮所にいた。ハイジーは目の前にある紫色の魔道具に両手をつけて、雷撃魔法を放っている。
『アラクネの魔力反応、消失していきます。五〇〇……四〇〇……三〇〇……』
「了解。さっすがハイジーの上級雷撃魔法、強力だね〜。もう一発くらい放てる?」
「全然余裕だよ! 詠唱するね」
ハイジーが精神を集中し、二撃目の詠唱を開始する。上級魔法だけに長時間の詠唱が必要となるが、最初に受けた閃光と雷撃の衝撃から立ち直れていないアラクネ兵たちは逃げることもままならない。
「いっくよー! 『轟閃・天網雷雷』!」
詠唱を終えたハイジーは両手から上級雷撃魔法を発動させた。紫の魔道具が淡い光を帯びる。ハイジーの手から放たれた雷光、電撃を内部へと吸い込んでいった。
紫の魔道具は魔法を遠くへと伝え送り出すものだ。雷撃は魔道具から城壁内に埋め込まれた導管を伝って第一城壁の外壁へと届き、表面の鉄板へ白い稲妻をほとばしらせた。
閃光。大気を切り裂くような轟音。肉の焦げた香りが辺りに匂い立つ。雷撃をまともに浴びたアラクネ兵が、羽虫のように次々と堀内へ落ちていく。
アラクネの出す糸が電気を通すのもまずかった。外壁に触れずまだ空中にいたアラクネ兵たちも、糸を伝って感電し同じように黒焦げになる。もちろん偶然ではない。アラクネ兵の糸が電気を通すことは事前にエイルが実験で確かめている。
闇夜の暗殺者、夜襲の達人たちはいともたやすく迎撃された。もはや夜襲どころではない。何が起きたのかもわからないまま、残ったアラクネ兵が必死に仲間たちを救出し、撤退を開始する。
『アラクネ、撤退を開始しました。追撃しますか?』
「いや、いいよ。撤退中でも夜のアラクネとまともに戦うのは厳しい。放っておこう。ハイジー、アラクネが完全に撤退するまで、何回か雷撃を流し続けてくれる? 下級魔法でいいから。できたら音と光が派手なやつで、こっちが警戒してるって伝わるようなやつで」
「オッケー!」
ハイジーが下級魔法の詠唱を開始する。それを横で眺めながら、うまくいってよかったとエイルはほっと息をついた。
うまく撃退できたけど、やはりアラクネの能力は厄介だ。どこにも糸を渡して通ってしまうなんて……それに移動速度も早い。あれを私達も何か参考にできないかな。
雑然と思考を弄んでいたエイルは、そこであることを思いついた。
部屋へ唐突にノックの音が響く。
返事をも聞かずに入ってきたのは錬金術師ニコだった。夜中だと言うのに元気いっぱいで、好奇心に顔を輝かせている。
「アラクネが来たって聞いたよ! この城初めての夜間戦闘だね、私にも見せてくれ!」
「あ、ニコさん。残念ですがもう敵は撤退を始めていて、今は警戒監視中です。」
「なーんだ、もう終わっちゃったのかい? 初めての夜襲が見れると思ってあわてて飛び起きたのにー」
つまらなそうに唇を尖らすニコに、この人は相変わらずだなとエイルは苦笑する。
そこでふと、ニコの姿を見たことで先程の思いつきが頭の中で形を伴った。
「ねえニコさん、戦いは終わっちゃいましたけど、ちょっと思いついたことがあるんでこの後手伝ってもらってもいいですか?」
「なんだいなんだい? エイルの思いつきなら大歓迎だよ」
「えっとですねー、ごにょごにょごにょ」
ニコの耳に口元を寄せてエイルはひそひそ話する。
すべて聞き終えたニコは、ニンマリと口元を緩ませる。
「君は、ほんっっと〜に私を楽しませるのがうまいねえ。任せたまえ、一晩で作ってあげるよ」