シャルル本格始動
ガップ将軍の一騎討ち敗北以来、魔王第二軍司令部は重苦しい空気に包まれていた。兵士たちの士気は最底辺。脱走兵が相次ぎ、指揮官たちは隷下部隊の規律維持にも苦労する有様だった(なお、魔王軍の脱走兵はそのままはぐれモンスターとなって周辺の村や人家を襲うため、人類の脅威度は変わらない。戦場から遠く離れた土地にも魔物が現れるため、一般的な民衆にとってはより危険とも言える)。
これでは大規模な攻勢など無理な相談だ。第二軍はセプテム城の攻囲は続けたまま、ときおり散発的に投石や弓矢で攻撃を仕掛けるという消極的な戦いを行っていた。軍全体の戦意が大幅に低下している。
第二軍幕僚でもはやセプテム城の陥落を目指しているものはほとんどいなかった。このままセプテム城の攻囲を続け、じわじわと敵が消耗するのを待つ。あるいは魔王本軍からの増援が到着してから攻勢をかけるといった考えが主流となっている。いっそ攻囲を解いて、別地域の制圧を目指したほうがいいのではと主張するものまでいた。
今もセプテム城を陥落させるため働いているのはシャルルたった一人だけだ。
シャルルはまったく諦めていなかった。魔王から直接第二軍の参謀長に任じられたこともあり、ここで局面を打開することこそ自分の使命だと考えている。他の幕僚の協力を得られずとも一人作戦を立案し、諸部隊へ方針を説明し、兵站を整え、実行に移している。一人で幕僚何人分もの働きをこなしていた。
シャルルも、増援が来なければ攻勢を駆けられないという点では一致している。それほどに第二軍の現状は悲惨なことになっていた。しかし増援到着までの間にできることはある。ガップ将軍とは違う、三魔戦術を十分に駆使した総攻撃。それを行うためシャルルは様々な準備を始めていた。
シャルルがまず手を付けたのは、投石兵を配置するための台座の建設だった。
竜がほとんどいない今の第二軍にとって、主力となる遠隔攻撃は投石だ。しかしその投石もセプテム城には思ったような効果を挙げられないでいた。射程がまるで違うためだ。
魔王軍のトロールなど重歩兵による投石は150メートル前後、サイクロプスのような超重歩兵による投石でも、300メートル前後が一般的な射程とされている。
対してセプテム城側は弩砲で300メートル、大型弩で400メートル、投石機は恐るべきことに600メートルもの射程を持っていた。
また敵城との高低差も問題だった。
セプテム城の城壁は低く掘るように築かれているため、従来のそびえ立つような城壁のようには高さを感じない。魔王軍の目線では堀を挟んでほとんど同じ高さで対峙しているようにすら見える。しかし実際は、従来の城壁よりは低いと言うだけで高低差は存在する。ためにセプテム城からの攻撃はより飛距離を伸ばし、逆に魔王軍の投石は想定よりさらに短くなった。
城壁の形も問題だった。セプテム城の城壁は、下に行くに従ってゆるい傾斜をなしている。これが魔王軍の投石の威力を大幅に減じさせていた。
魔王軍の投石は、大きな丸い石が放物線を描いて飛んでいく。これは従来の垂直な城壁には大きな効果を上げた。真っ直ぐに高く建てられた城壁は、投石の打撃をまともに受けてしまうためだ。さらには的となる面積が広くなるため、距離さえうまくつかめばどこかに当てて破壊することができた。
しかし相手が低く傾斜の付けられたセプテム城の城壁では、投石の攻撃力は落下時の衝撃だけになる。さらに傾斜によってその落下ダメージも威力を減殺されてしまう。セプテム城の城壁は魔王軍の投石に対し、非常に頑強な構造となっていた。
これらの問題を解決するため、シャルルはひとまず投石兵のための台座を建設することにした。地表では高さが足りないなら、投石兵をより高いところに配置してしまえばいい。そう考えたのだ。
もちろんバカ正直に城壁前で台座建設をしたらたちまち城から攻撃されてしまう。シャルルは城からは射程外の平地で、移動できる巨大な台車を工兵に組み立てさせた。
ただ投石兵を台車に乗せてもそれでいきなり射程が百メートルも伸びるわけではない。また投石台車は可能な限り頑丈に作らせるが、必ず敵によって破壊されるに決まっている。シャルルにとって投石は、あくまで攻撃手段の一つだ。
シャルルは今、セプテム城を多方面からの同時攻撃する作戦を計画している。すなわち、魔王軍全兵種を使っての総攻撃。
空からはドラゴンが、地上は投石と魔獣の突撃が、地中からも坑道を掘ることで攻撃する。空、陸、地下全てでセプテム城に襲いかかる。シャルルは今、その総攻撃のための準備をひたすらに進めているのだった。魔王軍参謀長らしい壮大さと緻密さで作戦は進められている。
「――よし、と。これで坑道戦の準備も大丈夫」
シャルルはペンを置いて新たな作戦案をまとめた書類を手に取った。ざっと見直し瑕疵がないことを確認すると、脇に抱えて席を立つ。
向かった先は第二軍本陣大天幕にいるガップ将軍の下だ。
「将軍閣下、新たな作戦案を作成しました。ご確認をお願いいたします」
「――――――ああ」
シャルルが差し出す作戦書類を、ぼんやりとした表情でガップは受け取った。
あの一騎討ち以来ガップは目に見えて覇気を失っていた。
魔王第二軍を取り仕切るシャルルに対し、将軍は何も口を出していない。本来の主であったガップは、まるで気の抜けたたようになってしまった。怪我の療養に努めていることもあるが、かつての傲岸不遜な態度は見る影もなくなっている。あまり多くを語らず、シャルルの持ってきた作戦案にただ認可を下している。
今日もまた、シャルルの作戦案をろくに確認もせず裁可を下すサインをした。
シャルルとしては仕事がやりやすいことこの上なかったが、覇気のないガップの姿には少々心配な気持ちになるのだった。
「ありがとうございます。――あの、おそれながら将軍閣下、ちゃんと寝ておられますか? 本日の作戦行動はもうありませんし、早めに休まれては?」
シャルルが話しかけてもすぐに返事をしない。大義そうに首をもたげ、ややして頭に言葉が届いたように反応する。
「――ああ、そうだな。今日はもう休むとしよう。後は任せたぞ、シャルル」
「はっ」
踵を合わせて拝礼し、シャルルはガップを見送る。老将軍はのっそりとした動きで、痛む片腕をかばいながら大天幕を出ていった。
『大丈夫なのか、このままで』
床を見つめたまま、シャルルは漠然とした不安を抱えるのだった。