【幕間】カット
セプテム城が魔王軍の攻囲を受けてから2ヶ月以上が過ぎた。すでに季節は秋へと移り変わっている。
団長室の机でエイルが考え事をしながらなんとなく前髪をいじっていると、隣で見ていたリフィアが声をかけてきた。
「だいぶ伸びてきたわね」
言われてみればエイルの薄桃色の髪はまつげにかかるくらいまで伸びてきている。戦場では髪を切る機会などないから仕方ない。騎士団員たちも大抵は自分で適当に切るか仲のいい子に頼んで散髪してもらってる――。
と、そこまで考えて、エイルはリフィアの髪型が常に整っていることに気づいた。見慣れていて疑問に思わなかったが、戦場ではありえないことだ。
「リフィアは髪型も完璧だよね。自分でやってるの?」
「まさか。いつもセレーナにお願いしているわ。彼女腕がいいのよ」
セレーナとはリフィアの筆頭従士だ。リフィアがパナケイア聖騎士団に入る前から使えている従者で、二人の間には言葉もいらないくらい強い信頼関係が築かれているという。エイルも、リフィアが何も言わなくてもセレーナが全てを整えていく様を何度も見たことがある。
従者ではあるがメイドと言うよりは執事のように仕えるセレーナの姿を思い出しながら、エイルは感心した。
「セレーナさん何でもできるんだね」
「ふふ、私の自慢の従者だから。なんだったらエイルも彼女にカットしてもらう? 私から頼んでおくわよ」
「へ? いやいや私はいいって。そんなセレーナさんに切ってもらうほど大した髪じゃないし」
「そんなことないわ」
すい、とリフィアが手を伸ばしてエイルの横髪に指を通す。
「まっすぐだけどやわらかくて、きれいな髪。エイルは素敵なものをたくさん持っているけど、この髪もそうね。それに戦場だから身なりを気にしちゃいけないなんてことはないと思うわよ」
「あ、わ」
リフィアのストレートな褒め言葉にはいつも驚かされる。彼女の白い指先に梳かれるのがくすぐったくて、エイルは声を上げそうになるのを我慢した。
唐突に背後から声をかけられる。
「よろしければ」
エイルとリフィアは椅子からひっくり返りそうになった。いつものように突然姿を表したラウラは、そんな二人の姿にも動揺した様子なく淡々と続ける。
「私がエイル様の髪をカットさせていただきますが。これでもそれなりに腕に覚えがございます。三百年生きているので」
「〜〜っ、びっくりした。ラウラさん急に現れないでよ」
まだ心臓がバクバクしているエイルに対して、リフィアはいち早く立ち直る。ずい、とラウラの方へ一歩詰め寄ると、にっこり貴族的な笑みを浮かべた。
「あらラウラ、突然出てきてどういうつもり? エイルの髪のことなら私がセレーナにお願いするから大丈夫よ」
「エイル様がそう望まれるのであれば。ですが拝聴するにそのような流れではありませんでしたので、差し出がましくもお声掛けさせていただきました」
「セレーナは帝都で美容室をやれるくらいの腕前なの。彼女に任せるのがエイルにとって一番いいわ」
「恐れながら、エイル様がまだ迷われているのであれば筆頭従士である私がカットするのが当然かと」
なぜだろう。二人共ニコニコと笑顔で話しているのに、エイルは冷や汗が止まらなかった。できるならばこの場からこっそり逃げ出したい思いに駆られる。
それがいい、そうしようとエイルが背を向けかけたとき、ガシッと両肩を二人の手で止められた。
「エイル、遠慮はいらないから|第二騎士隊〈うち〉の宿舎に来なさい。とびきり可愛くしてあげるわ」
「エイル様、エイル様には筆頭従士の私がおります。従者は一人で十分。そうですよね?」
「あ、あははは〜」
逃げられない! エイルはそう思った。
◆◆◆◆
「それは災難でしたね。でも私で本当に良かったんですか?」
エイルの首に白い布を巻き付けながらセレーナが言う。あはは、とエイルは乾いた笑いを漏らす。
結局エイルはリフィアを選んだ。ラウラは『エイル様がそう望まれるのでしたら』の一言で食い下がることもなく身を引いたが、微笑んだ瞳の奥になにか別の光があったような気がしてならない。
ちょっと、いやだいぶ今後が不安だがエイルは考えないことにする。
「最初に声をかけてくれたのはリフィアだし、熱心に勧めてくれたからね。それにラウラにはこれからも頼む機会があるだろうし」
鏡越しに視線を向けると、苦笑するセレーナの顔が映った。
「リフィア様はエイル様のことが大好きなんです。それでその、たまに思いがあふれしまうことがありますが、どうかお気を悪くされないでください」
「私こそ。リフィアにはずっと助けてもらってるし感謝してるよ。今回のことだって私のためを思って言ってくれてるってちゃんとわかってる」
鏡の中セレーナが、おだやかに微笑んだ。
「リフィア様は変わられました。エイル様に出会うまでのリフィア様は、従者の私から見ても完璧な公爵令嬢そのものでした。実家を出てパナケイア女子修道会に入会したあともです。あの方はずっと、誰より貴族らしくあろうとされていました。そんなリフィア様が最近は新しい表情をたくさん見せてくださっています。貴族として騎士らしくある以上に、エイル様にお仕えするのを楽しんでおられるようです。筆頭従士として私はその変化を喜ばしく思っています」
鏡越しに視線を合わせて、セレーナは言う。
「エイル様、どうかリフィア様のことをずっと信じていてください。あの方はいつまでもあなたの味方です。それはもう、そばに仕える私が嫉妬するくらいなのですから」
「うん、もちろん」
エイルがこっくりうなずくとセレーナはいたずらっぽく笑った。それから真面目な表情に戻って尋ねる。
「さて、なにか髪型のご希望はございますか?」
「え、え〜、わかんない。修道会に入ってからは院長先生がずっと切ってくれてて、これ以外の髪型にしたことないし」
「ふむ。せっかくですしなにかアレンジなど試されてみますか」
「う〜ん……」
しばらく考えて、エイルは首を横に振った。
「いい、このままきれいに形が整うようにして」
「よろしいのですか」
「いま考えてみて初めて気づいたんだけど、私、結構この髪型が気に入っていたみたい」
「それはよかったですね」
準備が整い、シャクン、と鋏の金属音が鳴る。エイルは目を閉じると、ゆったりとハサミの音に耳を傾けた。