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投石攻撃

 頭上で何かがぶつかる轟音、砕ける音、あるいはズンという腹の底に響く震えが続いた。この音を戦場で何度も経験しているリフィアは見なくても何が起きているかわかる。トロール兵による投石が始まったのだ。

 経験しているからこそ、投石の脅威は身にしみてわかっている。他の騎士たちと同じようにリフィアは壕内で身体を縮こまらせた。

 エイルはどうしてるかしら――と右隣に視線を向けて、リフィアは目を丸くした。壕内で二百名の騎士が投石に震える中、エイルだけが悠然としている。兜まで開き革袋から水で喉を潤していた。

 リフィアの視線に気づいたエイルがちょっと革袋を持ち上げて言う。

「リフィアも飲む? 投石が収まるまでは他の攻撃はないから休憩していていいよ」

「いや……、あの、そのね。あなたどうしてそんなに平然としていられるの?」

「別にまったく怖くないわけじゃないけど」

 エイルは困ったように苦笑する。

「この掩蔽壕は少なくともトロールの投石じゃ崩せない。そのくらい丈夫に作った。だからわずかでも身を晒して攻撃するよりは、安心できるってだけだよ」

 リフィアも、エイルの声が届く範囲にいた騎士たちも、皆あっけにとられて自分たちの団長を見た。

 エイルは一週間前に突然騎士団長に任命された。騎士団員の多くにとって、期待より不安のほうが勝っていたのも仕方ない。それが、少なくともこの場においては、騎士たちの心に変化が起こった。

 自分を見る騎士たちの目が、驚嘆から尊敬と信頼に変わりつつあることにもエイルは気づかず言葉を続ける。

「まずは投石をやり過ごそう。どのみち長くは続かないはずだし――」

 エイルが言いかけたとき、明らかに直撃したと思われる音と振動が壕を襲った。短い悲鳴が上がる中、十八歳の騎士団長だけが変わらず落ち着いている。

 そして彼女の言う通り、投石の直撃を受けても掩蔽壕はびくともしていなかった。

 かすかに笑みさえ見せて、エイルは言う。

「ね、頑丈に作っておいてよかったでしょ」


◆◆◆◆


 二日前、ソラン帝国軍幹部に向かってエイルが啖呵を切った直後のこと。

「なにこれぇ……」

 セプテム城の城門前で、エイルはいきなり心が挫けそうになっていた。城を守るものが貧弱な土盛りしかないとわかったからだ。

「これって土塁なの? ただの土盛りじゃなくて?」

 高さ1メートルにも満たない土の山を指してエイルが言う。もちろん、土塁の裏には空堀もない。

「予想以上の惨状ね。たしかにこれでは魔王軍を迎え撃つなんてできないわ」

 リフィアも顔をしかめている。ラウラだけが従者らしい落ち着いた態度のまま記録帳を手にしていた。

「どうされます。土塁を強固にしますか? それとも城壁の修復を?」

「城壁の修復はできない。明後日には敵が来る以上間に合わないから」

 せめて、魔王軍の追撃部隊に見つかっていなければ、エイルはそう考えずにはいられなかった。それなら数ヶ月は籠城の準備ができただろうにと。

 現実へと頭を切り替えて、エイルはラウラに指示する。

「土塁を強固に、というよりほとんど作り直しだけど、掩蔽壕化する。このままじゃ投石はもちろん弓矢や基礎魔術も防げないよ」

 基礎魔術というのは最も下級の魔術のことだ。魔術は基礎魔術、下級魔術、中級魔術、上級魔術の順で位が上がっていく。例えば火炎系統の魔術なら、基礎魔術はファイアボール、下級魔術がフレイムランス、中級魔術がエクスプロード、上級魔術がメガフレイムとなる。習得難度と詠唱時間、消費魔力も相応に上がる。

 ラウラが帳面に書き込みながら尋ねる。

「えんぺいごう、ですか? 具体的にはどのように作りましょう」

「掩蔽壕っていうのは兵士が身を隠したたまま戦えるようにする陣地のこと。基本的には遮蔽物と壕を組み合わせて作るんだけど……」

 エイルはラウラから紙を一枚借りて、簡単に図面を書いてみる。

「城内の補修資材に木材が大量にあったよね。まずは丸太を芯材にして縦に並べたあと、砕石さいせきを50センチ積んで。その上からさらに土砂で覆うの。全部で1メートルの高さになるまで積み上げて。これでただの土塁よりはずっと強固になるから。投石にもびくともしないし、中級魔術の直撃にも耐えられるはず、丸太は最低太さ30センチ以上、長さは1メートル以上のものを選んで」

 木材、砕石、土砂の積み方をそれぞれ書き込むと、ラウラに手渡す。エイルが顔を上げると、ラウラとリフィアが目を丸くしていた。

「エイル様ずいぶんとお詳しいですね。こんな知識を一体どこで?」

「騎士学校にいた頃から野戦築城に興味があって……ってまあまあ、こんなことはどうでもいいじゃない。時間ないんだし早く作業開始しよう。第三騎士隊はどこかな?」

「はい、すでに資材を持って外壁の補修をさせています」

「さっすがラウラ! じゃあさっそくハイジーに作業頼みに行こうか」



「ハイジー、いる? あ、いたいた」

「あれ、団長?」

 城の前に戻れば、ハイジーの背の高い姿はすぐ見つかった。

 190cmの長身、ひと目で南部出身とわかる日に焼けた肌。金と黒が虎縞のように混じり合った独特の髪色。ハイジーは騎士団内でもひときわ目立つ容姿をした、第三騎士隊の隊長だ。

 背が高いだけじゃなく、鍛え抜かれた筋肉質な体格をしている。なのにまったく怖いと感じさせないのは、いつも人なつっこい笑顔を浮かべているからだ。

 猫のように大きな目を更にまんまるにさせて、ハイジーはエイルへ挨拶する。

「おはよう団長。どうしたの〜、なにか新しい仕事?」

「うん。それと様子を見に来たの。外壁の補修はどう?」

「いや〜、全然終わんないね。本格的に直すとしたら一月はかかるんじゃないかなあ」

 ハイジーは本城郭の巨大な壁を見上げて言った。言葉にそれほど悲壮感はない。絶望的な状況でも明るさを失わず、事実を事実としてありのまま伝えてくるハイジーの気質をエイルは好ましく思っていた。

 高さ10メートルある外壁はあちこちに欠落やひび割れがあり、この城のくぐり抜けた戦闘の激しさを物語っている。壁には第三騎士隊の騎士団員が上から吊るされた長板に座り壁の補修作業を進めていた。

 平時のパナケイア聖騎士団では各騎士隊にそれぞれ担当する役割が決められており、騎士隊長がそのリーダーを務めることが慣例になっていた。例えば第二騎士隊は通常、騎士団本部に併設されている大病院の運営をしており、リフィアが病院長を兼ねている。メングラッドが隊長を務める第四騎士隊は元冒険者が多いこともあって、世界各地のダンジョン攻略を主に担当していた。騎士団の遠征部隊のような役割だ。

 そして第三騎士隊は騎士団本部の城全体の補修管理を仕事としていた。そのため第三騎士隊には土木を得意とするものが多く配属され、騎士団内の工兵的な役割を担っていた。

 ちなみにエイルの指揮する第一騎士隊は、騎士団の財産管理や人事、所有する各領地の運営といったいわば騎士団全体の調整役という仕事になる。あまり人気はない。

 エイルはあらためて本城郭の外壁を見た。城壁はたしかに傷だらけであるもののその堅固さは失われていない。かつて難攻不落の名城とうたわれただけあってその造りはしっかりしたものだった。これならば一回くらいの戦闘なら耐えられるはず。

「ハイジー、すまないけど外壁の補修は一旦後回しにして、掩蔽壕づくりに回ってくれる? いま作り方や必要な資材を指示するから」

「えんぺいごう? よくわからないけどわかったー!」

 ハイジーは快活に笑った。彼女の口には笑うと普通の人よりやや尖った犬歯が見える。薄くだが獣人の血が入っているためらしい。ともすれば牙のように見えるそれがあってもまるで怖くないのはハイジーの人徳だなとエイルは思った。大きな猫がにっこり笑っているように見える。

 ハイジーが壁で作業をしている第三騎士隊員に声をかけた。

「みんなー! ちょっと作業を止めて降りてきて! 別の仕事だって!」

 エイルは第三騎士隊の面々に作業の説明をした。さすが普段から土木に携わっているだけあって飲み込みが良く、すぐに仕事を開始してくれる。

 特にハイジーは、その怪力を遺憾なく発揮して尋常ではない速度で工事を進めていった。

「ふんふんふふ〜ん♪」

 鼻歌を口ずさみながらスコップで猛烈に土を掘り進めていくハイジー。ただの土盛りにしか見えなかった最初の土塁が、またたく間に壕としての形を整えていく。最初の壕を掘るだけで何時間もかかるだろうと考えていたエイルは唖然とするしか無い。

「すっご……さすがだねハイジー」

「へへ〜、こういう工事は得意だから任せてよ。団長の考えた掩蔽壕、完璧に作ってあげるからさ」

「うん、任せた! 期待してるね」

「マスハール!」

 ハイジーの力強い返答が頼もしかった。


◆◆◆◆


『なぜだ!なぜあんな土盛りが投石で崩せん!?』

 ホブゴブリンは頭を掻きむしって絶叫した。先ほどから彼の予想を裏切ることばかりが起きている。戦闘を始めた時はこれほど容易い相手もあるまいと思っていたのに。

 隣でゴブリンソーサラーが唸り声を上げる。

『まずいぞ、城の弓兵からの攻撃が始まった』

『だからどうした!? 鎖帷子を着たトロールなら矢など通さん。構うものか』

『そうじゃない』

 焦った表情でゴブリンソーサラーは言う。

『奴ら、狙っているのはトロールじゃない。脇で石を補給しているゴブリンの部隊だ。奴らもトロールは矢を通さないことを知っているから、補給兵を射撃してきた。このままではすぐに石を投げ尽くしてしまうぞ』

『〜〜〜〜ッ』

 ホブゴブリンは言葉もなく地団駄を踏んだ。まるでこちらのやられて嫌なことをすべて読まれているようだった。

 トロールの投石はまさに投石機と遜色なく、重量4〜50キロの岩を投げつける。石ならばともかく、手ごろな岩がそのへんに転がっているはずもない。トロールの投げる石弾は他の魔物兵が周辺から探してきては補充していた。城壁上のラウラたち従士隊はその岩を運ぶゴブリンたちを狙い撃ちしたのだ。

『どうする? どうすればいい』

 ゴブリンソーサラーが尋ねるが、もはやホブゴブリンにもどうしたらいいかわからなかった。



 ついにトロールの投石が止まる。見ればトロールたちは猛然と矢を射掛けられ、もはや投石どころではなく悲鳴を上げて頭を覆っていた。皮膚が頑丈なトロールとはいえ目や口の中を狙われればひとたまりもない。

 ここだ。

『総員、突撃開始!』

 エイルは叫ぶと同時、真っ先に壕内を駆け上がる。壕の頂点で跳躍して地面に降り立つと、混乱する敵の姿が見えた。彼我の距離は200メートル。甲冑の身体強化による全力疾走なら20秒とかからない。

 エイルに続いて銀色に輝く騎士たちが一斉に掩蔽壕の外へと出る。鹿のような軽やかさで壕を飛び出した騎士たちは、着地と同時に駆け出した。一歩、大地を蹴るたびにその速度が増していく。200名の騎士たちが出す馬蹄のような轟が地面を揺るがした。

 奇怪な高音の蛮声が敵軍から上がった。トロール、ゴブリン、オークたちもまた手に武器を構え、こちらへ突撃を開始する。一方的に蹂躙されても逃げ出さないのは見事だが、戦意が低いのは明らかだった。

 莫大な魔力で身体強化したエイルは他の騎士よりさらに素早く動ける。後続を置き去りにするスピードで走り続けたエイルは、まっさきに最前のトロールとぶつかった。

 鎖帷子ごとトロールが両断される。光の刀身を現出させたライトサーベルは、岩も鉄の鎧も紙のように切り裂く。二つになったトロールの死体は切断面が焼かれるため血を流すことなく、そのまま大地へと転がった。

 速度を全く落とさないままエイルは右に、左にと迫りくる敵を斬り伏せていく。ことここに至ると指揮官はただ全兵の先頭で走り続ければいい。そのことをエイルはよくわかっていた。だから止まらない。敵部隊の中央を突破するまで走り続ける。

 十体目の敵兵を斬り伏せたところで、エイルはチラと後方を確認した。状況に満足して小さく微笑む。

 パナケイア聖騎士団騎士二百名による突撃は、圧倒的な突破力を発揮していた。光剣による斬撃は正面に立つあらゆる敵を切り裂き、粉砕し、陣形を総崩れにさせる。

 味方の損害も心配ない。 敵兵が持つ剣も槍も棍棒も、何ひとつ魔法甲冑を傷つけることはできなかった。魔法障壁を貼る必要すらない。ミスリル銀製の装甲は敵歩兵の貧弱な武器など問題にもしなかった。

「エイル」

 いつの間にか隣にはメングラッドがやってきていた。彼女の後ろには何体ものトロールの死体があるというのに、息ひとつ見出していない。両手には赤く輝くライトサーベルを二本携えている。戦闘前とは打って変わって楽しげな表情をしている。

 右手のライトサーベルをスイと伸ばすと敵陣を指した。

「あそこにホブゴブリンとゴブリンソーサラーがいる。多分敵の指揮官だ。ついでに一緒に潰さねーか」

「いいね」

 エイルはすぐうなずいた。さっと手近な騎士へ呼集をかける。十四、五人集まったところで、メングラッドが示した敵指揮本部と思われる場所を指す。

「敵指揮団へ突撃、粉砕する。私とメングラッドに続いて。突撃!」

 魔法甲冑のブーストを最大にしてエイルたちは突っ込む。たちまち敵集団で悲鳴が上がった。ゴブリンたちは皆鎧ごと切り裂かれ、焼き切られ、大地に倒れ伏していく。

『撤退しろ――っ! 撤退だ、撤退! こんなところで全滅できるか!』

 指揮官らしいホブゴブリンが叫び声を上げるが、騎士団にその言葉を聞けるものはない。ただ一人エイルを除いて。エイルだけはある事情から、魔物たちの言葉が理解できた。

「ごめんね、逃がすわけにはいかないんだ」

 無慈悲にエイルは魔物の指揮官へとライトサーベルの斬撃を放つ。哀れなホブゴブリンは断末魔を上げる暇もなく左肩から斬割された。

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