一千VS三千
魔王軍の追撃部隊はセプテム城の城門から500メートルほどの距離をおいて前進を止めた。部隊長であるホブゴブリンが最前列まで進み、トロールに肩車させて敵城の視察を行う。
セプテム城はもはや外城壁も堀も持たない裸の城だが、それでもなお本城郭はかつて難攻不落を誇った城にふさわしい威容をたたえていた。
本城壁の高さは10メートル。分厚いレンガ造りでトロールの投石でも破壊は難しそうだった。中央に位置する城門は鉄製でこれまた堅牢に閉ざされている。
ホブゴブリンはセプテム城の様子を見てその胸壁にわずかばかりの弓兵しかいないことを確認した。
トロールから降りると、副官扱いであるゴブリンソーサラーと話し合う。
「ギギギギゴゴギャ、ギルギルゴロギャ。ゴゴッギギゴゴッギギギギ(やはり捨てられた城だ。見かけだけは立派だが守備兵はわずかしかいない。俺たちだけで落とせるぞ)」
「ギィギィググルーゴ、ギガ?(私達には弓兵が少ない。大丈夫か?)」
ゴブリンの言葉には敬語がない。さらには戦術的な話をできるのがこの場ではホブゴブリンとゴブリンソーサラーの二人しかいない。他の兵士は上からの命令どおりに戦うことしかできなかった。ゴブリンもオークもトロールも、何度も言い含め訓練を行えば兵士として動くことはできたが状況を判断し自主的に行動するのは不可能に近い。そのため兵数三千とはいっても小部隊に分かれて有機的に動くことはできず、一個の塊として戦うしかなかった。
『大丈夫だ。見ろ、胸壁にいる敵弓兵の数を。それこそ百名そこそこといったところだ。ならこちらの弓兵三百と同等のはずだ。最初は向こうから射られまくるだろうが大した損害じゃない。突撃して城門に取り付いてしまえばこっちのものだ』
『我々は追撃部隊だ。攻城兵器は何も持ってきてないが』
『トロールの腕力があれば鉄の門でも粉砕できる』
『たしかにな』
ゴブリンソーサラーはうなずき、敵の城門を見つめる。セプテム城の門は固く閉ざされていたが、トロールの象のごとき力があればきっと打ち敗れるはずだ。
ふと、城門の手前50メートルほどにある土塁が気にかかった。
『人間共もなにか用意しているな。見たところ一列だけだが、土塁のようだ』
『城壁がないからあんな土塁でせめて足止めをと思っているのだろう、哀れなことだ』
ホブゴブリンが嘲るような笑みを浮かべる。ゴブリンソーサラーも同じく大した脅威は感じなかった。土塁の高さはせいぜい1メートルほどであり、なんならゴブリンでも跳躍で飛び越えられそうだ。
作戦は正面からの突撃と決まった。ホブゴブリンが号令を放つ。
『隊形を変えるぞ! 縦列から横列へ。隊形変換が完了したらすぐ突撃だ。ほら急げ急げ!』
各所でホブゴブリンの命令を繰り返す声が響き、兵士たちが移動を始める。二列縦隊から二十名で一列の横隊へ。それ以上横幅を広げることは困難だった。切り立った山崖に囲まれるセプテム城正面の道はかなり狭い。
訓練を受けているとはいえ兵の動きは鈍重だった。やはり突撃で正解だな、と部隊長のホブゴブリンは思う。隊形変換ですらここまで手間取るのだから、より複雑な戦術など夢でしかない。
ようやく突撃隊形を取り終えた兵を眺め、その陣形に問題がないことを確認しホブゴブリンは号令する。
『よし、あの城を落とせば略奪し放題だ。人間どもの喉笛を食い破れ! 突撃開始!』
「きた、きた、きた!」
城門から50メートル前方、掩蔽壕の中に体を潜め、わずかに頭だけ出して敵勢を眺めていたエイルは小声でつぶやいた。
敵が突撃を開始したのを見て身体を壕の中に戻し、魔法甲冑の通信機能をオンにする。
『騎士隊総員、魔法詠唱開始』
エイルの命令を受けて掩蔽壕の中に身を隠す騎士たちが一斉に腰の剣を引き抜いた。正面で剣を捧げ持った彼女たちは、中級魔法発動のための長い詠唱を開始する。ミスリルでできた騎士たちの長剣は上等な魔法杖と同じくらい魔法出力が高い。陽光をきらめかす白銀の長剣は次第にそれぞれの発動する魔法の色をうっすらまとい始める。
ホブゴブリンたちは城門前の防御陣地を高さ1メートルの土塁と見たが、実際はその裏をさらに50センチほど掘り下げられていた。合わせて1.5メートルの高さを持つ掩蔽壕となっている。これなら騎士たちがほんの少し身をかがめるだけでその姿を完全に隠すことができ、敵を見るには頭を出すだけでいい。その頭も、兜で守られている騎士たちならさらに安全だった。
エイルは続けて城壁上で準備しているラウラに向かい合図を送った。ラウラは魔法甲冑を身に着けていないので通信機能は使えない。エイルの立てた作戦はタイミングを合わせるのが大事だが、長く従士長を務めてきたラウラはエイルの期待に完璧に答えていた。城壁上に配置した弓を担当する従士たちは、敵兵の突撃にも動揺なくエイルの命令を守っている。
『ごめんなさい、みんな怖いよね。でもまだ、まだ待って。敵がもう少し近づいてくるまではまだ』
城門上にいる従士たちへ向かってエイルは念じた。敵兵の突撃は城への距離をあっという間に縮めつつある。一刻も早く矢を放ちたくてたまらないはずだ。それを彼女たちは作戦のため耐えていた。
もう一度エイルが掩蔽壕から顔を出す。敵はなんの躊躇もなく突撃を続けていた。ここまではエイルの作戦通りと言える。事前に標定しておいた攻撃開始線まであとわずかだ。
甲冑の視覚補助機能も使って正確に距離を測りながら、エイルは待つ。
『敵の位置200メートル……180メートル……170……160……いまだ!』
「射撃開始!」
魔王軍の兵が城門から150メートルの距離に達したとき、エイルは掩蔽壕から身を乗り出すと同時に正面へ剣を振り下ろした。
途端、城壁上へ一斉に弓兵が姿を表す。にわかに現れたように見える彼女たちは、合図があるまで胸壁の裏などに隠れていたのだった。彼女たちは一斉に弓を引き絞り、弓兵の攻勢は手薄と信じていた敵兵へ矢の雨を浴びせかけた。
魔王軍最前列でたちまち悲鳴が上がる。魔力によって強化された矢で次々と射抜かれ、魔物兵はたまらず地に倒れ伏した。パナケイア聖騎士団従士隊の弓矢の腕前は素晴らしく、兜のない頭や革鎧の隙間を狙って確実に仕留めていく。中には革鎧ごと相手を貫く威力で弓を放つものもいた。
魔力付与による強化と城壁の高さも利用して二百メートル先まで射通す従士隊の弓矢は、突撃した敵兵の中ほどまでを混乱に陥れた。部隊長のホブゴブリンですら突撃を続けるべきか一旦引くべきか判断がつかず動きが止まる。
敵の混乱している時間を逃さず、エイルは壕内の騎士隊に命令した。
「目標正面、第一騎士隊魔法攻撃開始!」
詠唱を終えた騎士たちが掩蔽壕から身を乗り出し一斉に魔法を発射する。火炎魔法、氷結魔法、雷撃魔法、風魔法、多彩な魔法は虹色の軌跡を描いて正面の敵兵へと殺到する。
頭上から矢の雨を浴びていた魔物たちは、正面からくる魔法攻撃をまともに浴びてしまった。
紅蓮の豪火は敵兵を骨まで焼き尽くした。蒼白の氷柱は敵の胴体を鎧ごと貫き、そのまま凍結した。雷光が敵を灼き、真空波は鎌のごとく敵を両断した。最前列にいた敵兵はあっという間に焼かれ、凍らされ、焦がされ、切り刻まれ大地に倒れてゆく。
一個騎士隊五十名による中級魔法攻撃の威力は絶大で、敵兵の第一列は完全に粉砕された。
「第一騎士隊は下がって下級魔法の詠唱開始、続けて第二騎士隊魔法攻撃始め!」
魔法を撃ち終わった第一騎士隊はすぐさま壕の中へと飛び込んだ。間髪入れず第二騎士隊が準備していた魔法を敵兵に浴びせかける。攻撃を終えた第二騎士隊はすぐさま第三騎士隊へと交代し再び魔法詠唱を始める。
連続して放たれる魔法攻撃にゴブリン、オーク兵たちは次々と打ち倒されていく。それでも魔物たちは突撃をやめない。指揮官から撤退の号令が出されない限り、最初に与えられた命令を忠実に守るよう訓練されていた。圧倒的に魔法攻撃を浴びても、退くことを知らない。
革鎧などなんの役にも立たなかった。ゴブリン、オーク兵の横列はただただ正面から突撃を続け、新たな屍を増やしていく。
前衛が魔法攻撃に蹂躙されているのを見てホブゴブリンが絶叫した。
『何だこの魔法攻撃は! なんでこれほど強力な攻撃呪文が連続して襲ってくる!?』
『敵はよほど強力な魔術師部隊、もしくは魔法兵を持っているようです。ですがこれは中級魔法。連続しては打てません。まもなく詠唱に隙きが生じるはずです。魔法攻撃が少しでもやんだらあの土塁に突撃を……』
その時ゴブリンソーサラーの言葉通り魔法攻撃がやんだ。戦場に一拍の静寂が訪れる。
『しめたっ! 全隊突撃! この機を逃すな!』
ホブゴブリンの命令に魔物たちは雄叫びを上げて突撃した。もはや密集隊形は意味をなしておらず、横列も櫛の歯が欠けるように不揃いだがかまっていられない。再びあの地獄のような魔法攻撃で叩かれる前に、土塁まで到達しなければならない。
だが土塁まであと50メートルというところで、再び魔法光をまとった剣先が一斉に並び立てられた。最前列にいたゴブリン兵は死までの数秒の間に、魔法攻撃の間に生じた隙きすら罠だったことを悟る。
放たれた下級魔法が、殺到する魔物兵へ次々と襲いかかる。突撃で深く入り込んだために撤退もまままならなくなった魔物兵は、連続する魔法攻撃を一方的に浴びることになった。
「すごい……」
魔法を撃ち終えたあと、戦場全体を眺めたリフィアは感嘆した。
新団長エイルの立てた作戦は見事に敵をはめている。城からの弓矢によって敵の頭上を抑えたあと、詠唱時間の長い中級魔法の連続攻撃で最前列を壊乱させる。その後は詠唱時間の短い下級魔法を繰り返すことで間断ない攻撃を行い突撃してきた敵を叩き続ける。
リフィアはエイルより七歳上の二十五歳で、戦歴もずっと長い。しかし魔法でこのような攻撃を行うのも見るのも初めてだった。リフィアの常識では、魔法攻撃は前衛の剣士や盾役が敵を足止めしている間に呪文を詠唱し強力な一撃を放つものだ。それはダンジョンを攻略する五人程度の班編成でも何千という兵士による大規模な戦でも変わらない。騎士や剣士は前衛、魔法使いや回復術士は後衛という思い込みがあった。
だがエイルは魔法攻撃役を今回最前線に出した。もちろんパナケイア聖騎士団の騎士たちは剣で戦うのが本職のため前線で戦うことは恐れないが、魔法だけで攻撃するという作戦には戸惑った。事前に作戦を聞いて理屈では理解したものの、リフィアもまたそんなにうまくいくのかという不安は消えなかった。それが実際見てみればその威力に舌を巻いた。
上からは弓矢で、正面からは魔法攻撃で襲われている敵兵はなすすべなく屍を積み重ねている。
リフィアが特に感心したのは下級魔法による連続攻撃だった。魔法には大きく分けて四段階があり、基礎魔法、下級魔法、中級魔法、上級魔法と分けられている。魔法の威力も射程も詠唱時間も、基礎魔法から上級魔法へと上がっていくにつれて大きく長くなっていく。これまでリフィアは魔法の段階を単純な上下関係で捉えており、前衛が許すなら詠唱に時間がかかってもより上位の魔法を放つほうがいいと思っていた。基礎魔法や下級魔法は、あくまで魔法にまだ習熟してない者が使う呪文だと思っていたのだ。
それをエイルは詠唱時間が短いという利点に目をつけ戦術に組み込んだ。正直どうしてこんな発想が出てきたのかリフィアはただ驚くしかない。
エイルが次の騎士団長に指名されたとき、騎士団内に疑問視するものをは多かった。リフィアはエイルの能力を信頼していた数少ない一人だが、それでもまだまだ彼女を甘く見ていたと思い知る。リフィアはこのとき初めて、エイルを指名したブリジット前団長の采配は間違っていなかったと確信する。
身体を壕内へと収めたリフィアが再び魔法詠唱を唱え始めたとき、魔法甲冑の通信から声が届いた。
『よし、そろそろいいかな。次の第四騎士隊を最後に魔法攻撃は一度中断。全員壕内に退避』
エイルの指示通り詠唱を中断したリフィアは指揮する第二騎士隊とともに壕内にうずくまる。右に五メートルほどの距離を挟んで全隊の指揮をしているエイルへ視線を向けた。リフィアは第二騎士隊の隊長だが副団長でもあるため、エイルのすぐ側で指揮をとっていた。
この距離なら魔法甲冑の通信を使わなくても声が届く。リフィアはエイルに向かって尋ねた。
「なんで攻撃を中止したの。少なくともうちの隊はまだ十分魔力が残っているけど」
「敵が後退を開始している。最初の混乱が収まり始めてるんだよ。あとね、そろそろあれが来ると思うから」
「あれ?」
エイルは答える代わりに空に向けて一本指を立てた。続けて全体に向けて通信する。
『壕内には全員戻った? 直上に魔法障壁を展開したあと、できるだけ身体を低くしてうずくまっていて』
圧倒的な魔法攻撃の奔流からようやくのことで逃げ出したホブゴブリンの部隊長は、ただちにゴブリンソーサラーへと命じた。
『兵たちを下がらせろ。それからトロール兵を出せ、投石開始だ!』
『投石を当てるには最低200メートルの距離まで近づかないとできん。敵の弓の射程範囲に入るぞ。攻城用の切り札だがいいのか?』
『かまわん。全員投入しろ。あのふざけた土塁を一刻も早く崩すんだ!』
『了解した』
ホブゴブリンによる命令一下、それまで後方に控えていたトロールがゴブリン、オーク兵に代わって横列の中をゆっくりと歩む。後ろには投石用の石を運ぶオーク兵が続いた。
エイルたちの潜む掩蔽壕まで二百メートル以内についたとき、トロールは投石を開始した。一メートルはありそうな巨石を軽い動作で掴むと、丸太のような腕を大きくしならせ放り投げる。
放物線を描いて飛んでいく巨大な石を眺めながら、ホブゴブリンは叫んでいた。
『やれ! やっちまえ! 奴らを虫けらみたいに轢き潰してやれ!』
リフィア
・姓名:リフィア・フランソワ・ド・スタンヴィル
・パナケイア聖騎士団副団長、第二騎士隊騎士隊長
・25歳
・身長172cm
・髪:銀色
・ソラン帝国中央領、帝都出身
・元公爵家の令嬢(三女)