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開戦前夜

「団長! ブリジッド団長、しっかりしてください!」


 エイルは必死になって叫んでいた。

 周囲にはまだ炎が消え残っている。地面は焦げ、くすぶり煙を吐き出している箇所もあった。

 黒煙たなびく戦場で、パナケイア聖騎士団騎士団長、ブリジッド・ヴィリエ・ド・リラダンの命が今尽きようとしている。 

「すまない……みんな。どうやら私はここまでのようだ」

 周囲を囲む騎士たちへ、ブリジッドが笑いかける。何かを諦めたような笑顔だった。晴れやかささえ感じられる。

 対して周りの騎士たちは真っ赤に泣きはらしていた。

「団長……団長!」

 ブリジッドの周りには聖女ヒュギエイアを始めとして幾人もの騎士たちが治癒魔法をかけ続けている。が、彼女がもはや助からないことは明白だった。右半身が焼け焦げ、一部は炭化している。生きているのが不思議なくらいだった。魔王軍が放った巨大な炎熱攻撃をその身一つで防ぎきったのだ。

 ブリジッドがその魔力をすべて注いで構築した魔法障壁は、騎士団員と避難民、合わせて四〇〇〇人以上の命を救った。代わりに彼女自身はもはや治癒魔法に回す魔力すら残っていない。パナケイア聖騎士団、その団長としての矜持に殉じきったのだった。

 ブリジッドはわずかに動く首を傾けて、隣のヒュギエイアに言う。

「ありがとう。もう十分だ。私のことはいいから、みんな早く逃げなさい。いや、逃げろ。命令だ」

「団長!」

 最もそばで体を支えていたエイルがさらに涙を溢れさす。魔王軍の炎が迫った時、ブリジッドが最初にかばったのが団長秘書のエイルだった。

「そんな顔をするな」

 引きつる顔で無理矢理に笑いかけると、ブリジッドは周囲を見渡した。

「リフィア、ハイジー、メングラッド、ラウラ。みんないるね」

「はい」

「今から言うことをよく聞いてくれ。そして、必ず守ってほしい。いいか、騎士団長職をエイルに引き継ぐ。これからは彼女がパナケイア聖騎士団騎士団長だ」

「団長!? なにを……」

 エイルが驚くのを目線だけで制して、ブリジッドが続ける。

「いいな。これは最後の団長命令だ。リフィア、ラウラ。どうかエイルを支えてやってくれ」

「はい」

「はい」

 リフィアとラウラが同時にうなずく。二人共、どこか覚悟していたような表情だった。ブリジッドがほっとしたように笑う。

「良かった、これで安心して逝ける」

「……いいのかよ、それで」

 メングラッドが進み出る。言葉はぶっきらぼうだが、声にいつもの覇気はない。普段他人に絶対弱みを見せない彼女が、目に透明なものを浮かべていた。

「ああメングラッド、君は反対するだろうな。だがどうかわかってほしい。ずっと決めていたんだ。私の次は、エイルを騎士団長にすると。まさかこんな形で継承することになるとは思わなかったが」

 続けて、エイルに顔を向けた。

「エイル、こんな形で君に譲ることになってすまない。本当は、もっともっと、たくさん教えたいことがあったんだ」

「団長、そんな、私は……」

 ブリジッドは緩慢な動作で左腕を持ち上げて、エイルの薄桃色の髪に触れた。

「君には騎士団の最も困難な時期を託すことになる。すまない。私がなんとかできればよかったんだが、どうにもできなかったんだ。でもエイル、君に出会えたことは私の救いだ。身勝手な願いだが、後は頼む」

「できませんよ。ブリジッド団長よりすごいことなんて、私」

「大丈夫……。エイル、君ならやれる。だって君は――」

 そこで、ブリジッドは事切れる。顔には安らかな笑みが浮かんでいる。

 騎士団員たちは声もなく慟哭した。それをあざ笑うかのように東の空から、魔王軍の凱歌が風にのって戦野に響いていた。



 ◆◆◆◆



「――っ」

 寝台でエイルは目を覚ます。びっしょりと汗をかいている。夏の蒸し暑さのせいではない。夜着が吸い取った冷たい汗は、骨まで凍えそうだった。

 あの戦場以来、何度も同じ夢を見る。ブリジッド前団長の最期の顔が目に焼き付いて離れなかった。

 どうして、私だったんだろう。同じ疑問をエイルは何度も煩悶する。

 早く休まなければならないのに眠れない。エイルはベッド脇の銀の水差しから冷たい水を飲むと、団長室の窓を開けて夜風を入れた。

 小さく深呼吸をする。夏草の匂いがした。どこかでフクロウの鳴く声がする。

 セプテム城は暗い闇の中に沈んでいる。その先には狭い山道、高原、そして鬱蒼と茂る森へと続いていた。

 眼下の光景は明日には一変するはずだった。魔物の大軍によって景色全てが埋め尽くされるのだ。

 索敵室の報告によれば明日の早朝には魔王軍がやってくる。規模は5万。予想を遥かに超える大軍だった。パナケイア聖騎士団が単独でこれほどの敵と退治するのは初めてだ。もちろんエイルもこんな戦いは経験したことがない。

 それでも心は思ったより落ち着いていた。エイルは夜闇の中のセプテム城を見る。やるだけのことはやったかな、と思う。


 第一城壁もその前の堀も、予定通り完成していた。本郭の城塔から見ると、第一城壁は本当に低く、大地にどっしりとへばりついているように見える。

 ほぼ直線にセプテム山道を塞ぐよう作られた第一城壁は、全長600メートルある。城壁の厚みは10メートルを越え、頂部の胸壁もずっと大刻みで作られているため投石や竜の火球攻撃でも簡単には破壊されない。胸壁の外面にはニコが錬成した鉄板が貼られており、さらに防御力を増していた。

 さらに第一城壁は6つの半六角形型小砦、稜堡(バスティヨン)が張り出すように設置されており、互いの死角をカバーする形で迎撃力を強化されている。稜堡内は二階作りとなっており、中に騎士団員が詰めて壁に空いている射眼から矢や魔法で堀に入ってきた敵を討ち取ることができた。6つの稜堡が発揮する射撃能力は小さな砦といって差し支えない規模となるはずだ。

 第一城壁の前には幅100メートルの堀がある。深さも10メートルあり、幅、深さ共に異次元の大きさだ。これならば人海戦術(魔海戦術?)を使ってくるに違いない魔王軍でも容易に埋めることはできない。人類側の城では幅はあっても深さが1メートルほどしかなかったために、魔王軍に簡単に埋められてしまった堀もあった。

 さらに堀の中ほどには分厚い外壁が築かれており、二重の守りとなっている。外壁の役目は防御だけではない。100メートルの幅の堀は防御力は高いがそれでは敵に対してあまりにも遠くなってしまう。そこで最初は外壁にも騎士団員が詰めて敵を攻撃し、敵の攻撃が激しくなれば第一城壁に戻りそこで立て直すという戦い方ができるのだった。外壁には最寄りの第3、第4、第5稜堡から連絡路が渡され、迅速に増援や撤退ができるようになっている。外壁には堀の向こうへと渡す跳ね橋も備え付けられており、必要があれば堀の外に兵力を展開することも可能だった。

 外壁も稜堡と同じく中に射眼を備えた歩廊が作られており、第3、第4、第5稜堡と連携して堀内に侵入した敵を殲滅できるようになっている。外壁と稜堡でいわば挟み撃ちにするのだ。逃げ場のない堀の中で弓矢や魔法を浴びせられては敵はひとたまりもない。

 当初、エイルの頭の中にしかなかった新城壁は、天才錬金術師ニコの協力もあってほぼ完璧に建築された。人類世界に類を見ない城壁が今、セプテム城に現出している。これが果たしてエイルの構想通り真価を発揮するか、明日決まる。

「明日……」

 エイルは窓枠を握りしめた。そこに今はない敵の姿を見出すように、闇の中の高原を見据える。

 頭の中にブリジッドの最期の言葉が響いた。


『大丈夫……。エイル、君ならやれる。だって君は――』


「ブリジッド団長、どうか見ていてください。私達は戦います」

 夜の静寂へ抗うように、エイルはひとり呟いた。

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