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魔王軍参謀長シャルル

 5月半ば、魔王軍は攻勢の再開に向けて着々と準備を進めていた。目指すはソラン帝国の西都ミルヴァ。帝国西方領リバート州の州都であり、帝国に併合される前のリバート王国では王都とされていた場所だ。この百年、魔王軍の侵攻により帝国西方領がどれほど蹂躙されても、この西都だけは落ちなかったことから難攻不落の都市として知られている。


 ミルヴァ侵攻の足がかりとして南部諸都市の攻略を済ませた魔王軍は、いま軍の再編成と物資の集積に集中している。

 魔王軍本営には、今日も本国と支配地双方から送られてくる物資が大量に届いていた。その膨大な量には歴戦の魔王軍兵士たちも目を丸くする。

「食料の積み込みはこれで五割だな。まったくすげえ量だぜ」

「本国から追加の弓矢だ。全部で7万本、早く武器庫に運んじまおう」

 兵站を担当する魔物兵は大忙しだった。あちこちで掛け声があがり、荷馬車がひっきりなしに往復していく。魔王軍参謀長、シャルル・ファン・ホルストはそんな作業を横目で眺めつつ陣地内を歩んでいる。

『ヘルムート陛下は兵站をとりわけ重視しておられる。軍の補給についてこれほど心を砕かれた魔王は陛下が初めてではないだろうか』

 ヘルムート一世が玉座に座る前の魔王軍は、伝統的に兵站を軽視しがちだった。補給など考えず僅かな武器と食料だけで戦争を始め、足りなければ現地で略奪すればいいと言う考えが主流だったのだ。上位の魔物であればまず十日、長いと一月以上何も食べなくても楽に戦い続けることができる。これも補給を軽視する理由となった。魔王軍は魔物だけで構成されているがゆえに強力な攻撃力を持ったが、人類の軍と比べるとあまりにも貧弱な組織体系だった。大所帯になっただけの盗賊と変わらない有様だったのだ。

 そもそも魔王軍の人類侵攻の目的が略奪だった。人類大陸は腹が減った時襲いかかる場所で、その地の征服や支配といったことは誰も考えていなかった。ヘルムートが魔王として初めて人類大陸の制覇を掲げ、寄せ集めだった魔王軍を組織化し秩序を与え、兵站を整備したのだった。

『陛下の軍政改革は本当に素晴らしい。魔王軍は以前と比較にならないほど強力になった。しかしまだ道半ば。私ももっともっとがんばって、陛下をお助けしないと』

 シャルルは小さく拳を握り、胸の中で決意を新たにする。軍政改革は短期間で多くの成果を上げたものの、まだヘルムートやシャルルの理想とする軍隊像には届かないところも多くある。指揮官の不足もその一つだ。

 ヘルムートとシャルルは魔王軍をもっと小部隊が各自の判断で自由に行動できる組織に作り変えたかった。それには十分な知識と戦略を学び、実戦も経験した指揮官が大量に必要だが、魔王軍はそうした人材に徹底的に不足している。そもそもゴブリンやオークといった下級の魔物兵は、文字は愚か言葉も喋れないものが多数なのだ。これではせっかく大軍を擁する魔王軍も、ただただ数を頼みに単純な攻撃命令しか出すことしかできない。

 魔大陸で大軍の指揮ができるだけの能力を持つのは悪魔族だけだ。略して単純に魔族とも呼ばれる。人類に近い容姿を持ちながら莫大な魔力と高い身体能力を持つ種族である。魔王ヘルムートもシャルルもこの悪魔族であり、事実上魔王国の支配階級と言えた。実際貴族制度もあり、悪魔族はすべて爵位を持っている。

 曲がりなりにも魔王軍を軍隊組織として整えたヘルムートは、この悪魔族を大量に登用することで指揮官とする他なかった。軍隊内の地位もまたそのまま爵位を利用する。

 とはいえ魔族の指揮官たちも、お世辞にも良い将校とは言えない。戦闘力は高くとも、軍隊の指揮など経験したことないものがほとんどだったからだ。加えて自分より弱いものの命令を聞くのは死んでも嫌というプライドも持ち合わせており扱いづらいことこの上ない。魔王ヘルムートはその知性、指揮能力だけでなく、純粋な魔族としての実力もずば抜けているため魔王たり得ているのである。魔王国は力こそ正義な世界だった。

 ヘルムートとしてはゆくゆくは戦闘指揮官を育てる教育機関のようなものを作り、そこで何年も駆けて軍の指揮とはなんたるかを学ばせた上で、各級指揮官に据えることをしたいと考えている。だがそれは、まだまだずっと先の話だ。

 とはいえ、それまでの盗賊か獣の群れといったレベルの魔王軍に比べれば格段に進歩したのだ。さらにヘルムートは指揮官の不足を補うため参謀部という部署も作った。それまでの魔王軍にはなかった、常に戦略・戦術の研究を行い作戦を立案する組織である。戦場では指揮官に作戦の提案、助言もする。魔王の考える戦略を全軍に波及するための組織だ。

 その魔王軍参謀部の初代参謀長に抜擢されたのがシャルルだった。類まれな思考力と戦場での観察力を持ちながら、実際の戦闘力が低いため悪魔族では冷遇されていたところをヘルムートによって見出された。軍内での発言力を高めるためヘルムートによって侯爵の地位も授けられている。幼少期より実の家族からも嘲られ馬鹿にされ続けていたシャルルは、自分を重用してくれたヘルムートに心からの忠誠を誓っていた。

 ヘルムートもまた、自身の軍政改革や戦略案を完璧に理解しただけでなく新たな提案までできる彼女を心から信頼し、魔王軍内で最も大切にしている。自身の軍才を存分に発揮できる場を得られたシャルルは、以前より遥かに生き生きと輝いていた。その表情に現れる感情は、乏しいままではあったが。

 今日もシャルルは魔王のいる本陣天幕へ、表面はクールに、内心はウキウキと弾んだ気持ちで入っていった。

「魔王ヘルムート陛下、シャルル・ファン・ホルスト参りました」

 魔王は天幕内に置かれた机で書類仕事をしていた。無駄を排した素朴ないかにもヘルムートらしい室内だった。

「待っていた。さっそくだが相談がある。椅子にかけて楽にしてくれ」

 書類から顔を上げた魔王は、にこやかにシャルルを迎え入れた。他の魔王軍将校には絶対見せない表情だった。魔王には魔物を統べるものとしての威厳が常に求められる。

「は」

 天幕内に入ったシャルルは勧められるまま椅子に腰掛ける。ヘルムートの言う相談とは何か、頭の中でいくつも思考を巡らす。

「最初にだが、君の立案した西都攻略案を見せてもらった。実にすばらしい作戦案だ。完璧と言っていい。細かい点までよく配慮が行き届いていて、入念だ。あれに比べたら私の作戦案など叩き台もいいところだな」

「は、お褒めに預かり光栄です」

 当代一の軍略家であるヘルムートに褒められて嬉しくないはずがない。シャルルの胸にあたたかな喜びが広がった。もちろん表情には出さない。

 ヘルムートはそんなシャルルを数秒見つめたあと、足を組み直した。

「さて参謀長、君に頼みたいことがある。ひとまず命令とは受け取らないでほしい。君の気持ちを聞いてから判断したいからだ」

「は、なんなりと」

 答えつつも、シャルルは何嫌な予感を肌で感じる。

「来たる再攻勢で、君は魔王本軍ではなく第2軍団の方に参謀長としてついてほしいんだ」

「は……?」

 シャルルもさすがにいつもの冷静さを保つことはできなかった。中央を攻略していく魔王本軍ではなくリバート州北部を制圧するための第二軍団。ということはシャルルは自分の立案した西都攻略戦に関われないばかりか、魔王とも遠く離れた場所で働くことになる。

 ヘルムートもまた、眉を寄せて続ける。

「勘違いしないでくれ。別に参謀長を疎んじてこんな事を言うのではない。本心では私も君にこのまま本軍で働いてもらいたい。君の提案と助言がどれほど助けになるか、私が一番良く知っている。だが、君を第二軍団へ派遣したい理由が2つある」

「どのようなことでしょう」

「一つは参謀長の作戦案が実に入念で完璧だったこと。あの作戦案があれば私だけでも攻略戦が進められる程の出来栄えだった。そしてもう一つは、というよりこれが最も大きい理由なのだが……第二軍団の指揮を執るガップ侯爵に不安があるからだ」

「ガップ侯爵、ですか。なるほど」

 シャルルが口の中でうめいた。ガップ侯爵は古くからの貴族将軍で、伝統的な戦い方を墨守することで有名だった。今年三〇〇歳となり、悪魔族としてもかなりの高齢である。無能、というわけではない。性格は勇猛果敢であり、魔大陸での戦いでは何度も武功を上げ、この人類大陸での戦争でもすでに三つの都市を落としている。ただ新しい戦術や武器といったものに疎いところがある。

 シャルルの参謀としての仕事は作戦や戦術面が主であり、軍隊の人務面はヘルムートの管轄となっている。そのためガップ侯爵が第二軍団の将軍に就任することを知らなかった。そして魔王でさえも、自分の思うままに人事の采配を振るえるわけではない。魔王軍内の大貴族による門閥や利害関係、政治的圧力によって人事が決まることはよくあった。シャルルが参謀長として侯爵に叙せられたときも守旧貴族から相当の反発があったのだ。その時はヘルムートが全力でかばったため事なきを得たが、逆に言えば魔王ですらシャルルを参謀長にするのが精一杯だったということである。

 ガップ侯爵もまた魔大陸に広大な領地を持つ大貴族であり、その力を背景として今の地位についている。指揮経験があるだけ他の大貴族よりマシとさえ言えた。

「しかし陛下、第二軍団の任務はベルタ街道からの侵攻とそれに伴う各地方制圧のはず。ガップ侯爵でも十分な戦力があれば負けることはないかと存じますが……」

「そこだ。ベルタ街道攻略に関して大きな問題が発生した。あのセプテム城を覚えているか? 我が軍の追撃部隊を難なく屠ってみせたあの古城だ。そこにどんな戦力が籠もっているのかようやく判明した。いくら調べてもわからないはずだ。ソラン帝国の正規軍ではなかった。あそこにいるのはあの『パナケイア聖騎士団』だ」

「っ! パナケイア聖騎士団とは厄介ですね」

 パナケイア聖騎士団の名は魔王軍でも広く知れ渡っている。わずか一千にほどの騎士団ながら、その装備の充実と高い魔法力から魔王軍を苦しめてきた騎士団。過去の上陸作戦でも聖騎士団の活躍で魔王軍の優位がひっくり返ったことが何度もあった。普段は人類軍の協力者のような形で現れるため、騎士団単体と正面切って戦ったことはないが、油断のできる相手ではない。

「セプテム城にはパナケイア聖騎士団一千と、逃げ遅れた避難民が三千人籠もっているらしい。避難民の方は戦力として数えなくてよいが」

「そのようなことが……。相手がパナケイア聖騎士団となると、たしかにガップ侯爵でも苦戦するかもしれません」

「ああ、第二軍団の将軍にはより攻城戦に適したものをつけたかったが、どうにもならなかった」

 ヘルムートが魔王に似合わぬため息をつく。最高指揮官の口には出せない苦労を察して、シャルルは気持ちを固める。

「魔王陛下、そのような事情でしたら第二軍団の参謀の任謹んでお受けいたします」

「まことか。すまない、正直助かる。君がついているとなればまだしも安心して第二軍団を派遣できる。もちろんできる限りの支援はする。君を第二軍団の参謀長に任ずる。地位だけならば将軍相当官だ。立場を気にせず存分に働いてほしい。肝心の第二軍団は編成中だから完了次第速やかに進発してくれ。兵数は五万。増強軍団規模だ」

 五万という数にシャルルは驚く。現在人間大陸に渡った魔王軍は総勢十五万。全軍の三割を与えられたことになる。西都の攻略戦に関われないとはいえ、参謀長として腕を振るうに十分な戦力だ。

 魔王の期待に応えたいと、シャルルは強く思った。

「シャルル参謀長、どうか頼んだぞ」

「は、非才の身なれど全霊を尽くします」

 シャルルは深く腰を折って敬礼した。


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