魔王軍VSソラン帝国軍
ソラン帝国西南部、そこにある平原では帝国軍と魔王軍が戦っていた。
否、実のところそれは戦いにすらならなかった。結果だけで見れば、一方的な蹂躙に終始した。
「退くなー! ここで退けばカロガンツの街が奪われる。リバート州南部が魔族の手に落ちてしまうぞ!」
人類側を率いるのは帝国第八騎士団の騎士団長グランプ。ヘンドリックスの会戦で壊滅した帝国西方守備軍を必死にまとめ上げ、どうにか八千の兵力を率いている。ソラン帝国では歴戦の名将として知られた人物だった。
実際、会戦での敗北後算を乱して逃走した帝国軍を曲がりなりにも立て直し、殿軍として組織し直したのは名将の名に恥じない手腕だった。
対する魔王軍は一万、数の上では若干人類軍を上回っているが、魔王軍と帝国騎士団の戦力比は2倍すると言われているから実際は帝国軍のほうが優勢だった。魔王軍側の数が少ないのは、ヘンドリックスの会戦で勝利したあと追撃戦のため軍を複数の部隊に分けて運用したためである。先にグランプ率いる帝国軍残存部隊に捕捉されたため他部隊と合流する時間がなかったのだった。
それでも、魔王軍を率いるヘルムート一世に焦りはなかった。
両陣営が戦闘体形を整える。帝国軍、魔王軍とも横列に布陣した。戦闘を開始したのは先に布陣が終わった帝国軍だった。
「騎士隊突撃! 帝国騎士の意地を魔物共に見せつけてやれ!」
グランプ将軍の号令一下、二千の騎士たちは全力で突撃を開始した。騎士たちの装備は薄汚れてはいるもののそのきらめきを失ってはおらず、馬蹄の響きは大地を揺るがさんばかりだ。精強で鳴らした西方軍だけあり、敗残兵の寄せ集めとは思えないほど圧迫感のある突進だった。ここで負ければあとがないという逆境が、帝国軍兵士に裂帛の気合を与えていた。
帝国騎士の突撃は魔物の襲来をこれまで何度も打ち払ってきた。ゴブリンやオークなど下級の魔物兵は騎士の突撃を見ただけで逃げ出すほどだった。現に今も、正面の魔物兵たちはまだ千歩近い距離があるというのにもう退き気味になっている。
いける、とグランプはそれを見て思った。敵はまだ布陣を完了していない。今ならば準備の整っていない敵に攻撃を仕掛け戦闘開始から混乱させることができる、そう考える。
しかしグランプがわずかに感じた自軍の優位は、あっという間に崩れ去る。
突撃する敵国騎士隊の前に、突然火竜が現れた。空から襲来した三頭のレッドドラゴンと十数頭のワイバーンが、一斉に火球とブレスを吐きかける。
騎士隊の正面からたちまち悲鳴が上がった。
「ぎゃああああっ」
「なんでドラゴンがこんな時に!?」
「助けてくれ! たすけてくれえっ!」
人と馬との混成した奇怪な悲鳴は上がるそばから消えていく。重厚な鎧をまとう騎馬武者が次々火に包まれ、燃え上がり、地に倒れていく。
グランプもまた驚愕したが、決断は素早かった。
「騎士隊は左右に散開せよ! ドラゴンのブレスから逃げるんだ! 歩兵隊、直ちに前進! ドラゴンを押し包め!」
グランプの指示で混乱しかけた帝国軍は立て直す。ドラゴンは非常に強力な魔物だが歩兵戦力が十分にあれば倒せる。その巨体が良い的となって一斉攻撃を受けやすいのだった。そのためこれまでの魔王軍はドラゴンを最後の決戦戦力、あるいは不利な戦況を覆す切り札として使用することが多かった。戦闘の頭からドラゴンを投入されたためグランプも一瞬混乱したが、ここで先に倒してしまえば流れは一気に帝国軍側に傾く。
炎の地獄から必死に逃げ出した帝国騎士隊。かわって歩兵隊が後ろから戦場に現れる。
「弓兵部隊、一斉に矢を射かけよ! 魔術師部隊は大魔術の詠唱開始! 遠距離からの攻撃で一気にドラゴンを倒すぞ! 槍部隊は後衛の盾となれ!」
ドラゴンは、飛行に特化した種類以外長く飛べないという弱点がある。また一度着地すると次の飛翔に時間がかかる。レッドドラゴンもワイバーンもすでに疲労が見られており、着地は時間の問題だった。
だが弓部隊が矢を射掛け始めた時、思っても見なかった敵が乱入してくる。
「グランプ騎士団長、敵の魔獣部隊がこちらに突撃してきます!」
「なにいっ!?」
ブラッドベア、ワーウルフ、キラーバイソンといった魔獣たちが、空を飛ぶドラゴンの下を通り一斉に帝国歩兵部隊へと突進してきた。最前面にはキメラとマンティコアという上級魔獣がいる。
「ぎゃああああああああああっ!」
帝国軍から再び悲鳴が上がった。今度の生贄は歩兵部隊だった。キメラの火炎、マンティコアの爪と牙によって槍部隊はまたたくまに食い破られた。崩壊した前衛から次々と魔獣がなだれ込み、後衛で戦闘していた弓兵部隊、魔術師部隊に襲いかかっていく。
魔王軍後方では飛行限界に達したドラゴンたちが悠々と着陸しているが、誰もそちらへ攻撃などできない。
魔獣たちの爪が、牙が、角が、強靭な前足が、帝国歩兵部隊を切り裂き、齧り、突き、粉砕していく。
正面の槍部隊はもはや魔獣の突進を支えられず、油紙に火をつけられたがごとく崩れていった。
「あ、ああ……」
「グランプ騎士団長、いったいど、どうすれば!?」
「騎士隊を呼び戻せ。魔獣の背後から逆襲させる! 騎士隊がふたたび戻るまでなんとか持ちこたえるんだ」
「り、了解!」
帝国軍指揮団からあわてて騎士隊を呼び戻す笛が鳴らされた。すでに左右に展開している騎士隊が急いで向きを変えるが、魔獣に蹂躙される歩兵部隊までたどりつくには距離が遠い。
その時、グランプの頭は絶体絶命の瞬間にあって鋭いひらめきを発揮した。
「魔術師部隊はまだ生き残っているな?」
「はい、最後衛ですから」
「すでに大魔術の詠唱を開始していたはずだ、終わった者から直ちに攻撃開始しろ。目標は魔獣の層が最も厚い中央だ」
「味方が巻き込まれる恐れがあり、危険です」
「わかっているがこのままでは全滅する。やむを得ん、やってくれ。だがなるべく味方から離れた場所を選べ」
「はっ!」
指揮団の命令はすぐに伝達され、魔術師部隊が魔獣部隊の中央に向けて大魔術を発動する。
「雷轟!」
「石槍刺突!」
「大渦潮!」
「灼熱奔流!」
戦場の真ん中で大魔術が発動した。雷、土、水、火属性の魔法が魔獣部隊へと襲いかかり、その巨体を次々と吹き飛ばす。
それはその日唯一の人類がもたらした反撃だった。雷は俊敏に動くワーウルフの身体を灼き、石の槍はキラーバイソンの部隊を多数串刺しにし、渦潮は洪水のごとくブラッドベアを飲み込んだ。大魔術を受けて無事でいられたのは上級魔獣のキメラとマンティコアだけだった。
「魔術師部隊が最後の頼みの綱だ。魔力切れを起こしても構わん、続けて呪文を発動させてたたみかけろ」
グランプの指示によって魔術師部隊がさらに詠唱を開始し、追加の魔術を発動させる。大魔術の反撃はそれだけで戦場に変化をもたらした。魔獣に攻め込まれるばかりだった歩兵部隊が持ち直し、踏みとどまって魔術師部隊を守り始める。
『よし、よし、ここで崩れなければ、敗走は避けられる……』
グランプがそう考えたときだった。何度目かわからない副官の悲鳴が横から上がった。
「グランプ団長! 敵の歩兵部隊です!」
これまで沈黙していた魔物歩兵部隊が、ここに来て動いたのだった。数として最も多い人型の魔物が、隊列を組み槍の穂先を連ねて前進してくる。
そのほとんどはゴブリンやオークだ。最初の騎士突撃が成功していれば、用意に蹴散らしていただろう相手。しかし乱戦状態の今となっては最も恐ろしい相手。
魔獣部隊の後ろから、ゴブリンやオークが攻撃してきた。特にゴブリンはその小柄さを活かし、魔獣の合間を器用に縫って次々と帝国歩兵部隊に襲いかかる。
ゴブリンがまっさきに狙ったのは魔術師部隊だった。
「ひぃいいいっ!」
「ぐあああっ、くそっ、ゴブリンなんて下級の魔物なんかに……」
「ぎゃっ!」
「ちくしょう、歩兵部隊の前面がしっかりしていれば!」
白兵戦の苦手な魔術師たちが、三匹や五匹と言った数で攻めてくるゴブリンに翻弄される。魔術攻撃が止まったことで魔獣部隊もふたたび歩兵部隊に襲いかかっていた。後ろには中級魔物歩兵であるトロールが従っている。
魔獣とトロールの巨体を生かした圧迫に、前衛の槍部隊が再び崩壊し始める。
「ぐああああああっ!」
「くそっ、俺達のほうが優勢だったはずなのになんで勝てないんだ」
「あああっ、キメラが! キメラが!」
「ぎゃあっ!」
想定外の連続に指揮団も浮足立ち始めた。
「グランプ団長、このままでは保ちません、撤退の指示を!」
「まだだ、まだ騎士隊が戻ってくれば……」
「だめです、分厚い敵の歩兵部隊に阻まれて、後方からの突撃ができなくなっています」
「ぐうううううっ!」
騎士隊は魔物歩兵部隊に本体への合流を邪魔されていた。突撃でオークやゴブリンを討ちとっているが、数の差から魔獣部隊のところまでたどり着けない。
グランプ騎士団長は数秒間その光景を睨みつけていた。歯を食いしばりすぎて唇の端から血がこぼれている。
「グランプ騎士団長! ご決断を! このままでは全滅します」
「………………やむを得ん、撤退だ! 西都ミルヴァまで退却する!」
「はっ!」
帝国軍は退却を始めた。それはすぐに悲惨な敗走へと転ずる。最後に投入されたためまだまだ力のある魔物歩兵部隊が、帝国軍を追撃したのだった。
魔王軍指揮所では、参謀長が惜しみない賞賛を挙げていた。
「敵が撤退を始めています。陛下、我が方の勝利です! 戦力差を覆す、ヘンドリックスの会戦に続いて二度目の逆転劇。陛下の軍才はまさに天下に比類ありません」
柄にもなく興奮した様子の少女へ、魔王ヘルムート一世は静かに微笑みかける。
「ありがとう、シャルル。追撃戦の指揮は君に任せてもいいかな?」
「はい。魔獣部隊は下がらせ治療と休息、歩兵部隊により追撃を行います。敵の位置は上空からワイバーンの監視によって捕捉し続けます」
シャルルの回答に満足したようにうなずき、ヘルムートは魔王軍の指揮官席に腰を下ろす。戦闘指揮の間、ずっと立ちっぱなしだったのだ。
気遣うようにシャルルが言う。
「陛下はお休みください。あとは麦穂を狩るがごとき追撃戦、陛下のお手を煩わすこともありません」
「いや、それがそう疲れているわけでもないんだ。敵将には悪いが、正直簡単な戦だった」
「陛下の軍才あればこそにございます」
「イカサマカード」
「はい?」
ヘルムートの唐突なつぶやきに、シャルルが戸惑ったように首を傾げる。魔王は小さく笑って付け加えた。
「イカサマカードゲームをしているようだったと、そう思ったんだ。こちらは全部後出しで勝っているようなものだ。相手の手札を見てから、それに最も強い兵種をぶつければいい。戦とはこんなに簡単でいいのかと思ったよ」
「陛下の発明した三魔戦術はまことに奇跡の戦略です。また、机上の戦略を実戦でこれほど見事に運用できるのも、陛下の指揮能力あればこそです」
「ありがとう、シャルル」
ヘルムートは礼を言った。心からの感謝だった。実際ヘルムートが三魔戦術を考案した時、魔王軍でその有効性を理解できたのはシャルルただ一人だけだった。彼女がいたからこそ実戦で運用できうるレベルに磨き上げられたとヘルムートは考えている。
歩、獣、竜を組み合わせて運用する三魔戦術。それぞれの長所を活かし、弱点を補い合うことであらゆる戦況に対応できる最強の戦闘隊形となる。ヘンドリックスの会戦も、魔王軍はこの戦術によって人類に大きな勝利を得た。
その有効性があらためてこの戦場でも発揮されたわけだが……椅子に座りながらヘルムートは指揮官としてやや不謹慎なことを考える。
ここまで強いのも考えものだな。戦がまるでつまらなく感じる、と。