錬金術師ニコ 1
「なるほどこれは変わってるね……」
地下牢の前にやってきたエイル達は、中の様子になんとも言えない表情になる。
中は「牢」という状態ではなかった。地下牢に捕らえられたままの人がいると聞いてまずエイルが思い浮かべたのは、水も食糧もなく飢えて衰弱しきった人の姿だ。だが地下牢に住人はエイル達の予測を、あらゆる意味で裏切っていた。
鉄格子の中にはところ狭しと実験器具が並んでいる。エイルには用途がさっぱりわからないものばかりだが、はた目には帝国研究院の研究室のようだった。実験器具のない机の上にはなにか書きつけた書類が散乱しており、片側の壁には本棚まであった。代わりに牢屋でも最低限あるはずのベッドが見当たらない。
そこに捕らえられている人物は、当然のように手錠も鎖もつけられていなかった。あちこちに飛び散った薬品によると思われる変色した白衣をまとって忙しく動き回っている。今は背中しか見えないがその動作はどこか楽しげだった。腰まで届く美しい金髪は暗い地下牢の中でも輝きをうしなっていない。『女の人?』エイルが内心疑問に思う。
牢でノックをすることに意味があるかはさておき、エイルは手の甲で軽く鉄格子を叩いてから声をかけた。
「あの、こんにちはー!」
「うん?」
そこでようやくエイル達の存在に気づいてくれたらしい。金髪の女性が正面へと振り返る。
わあ、思ったとおりすっごい美人さん……とエイルが考えたのもつかの間、
「ちょっとお聞き、したい、ことがあああああああ!!?」
彼女のぶっ飛んだ格好に思い切り声を上げてしまった。目の覚めるような美形の囚人は、しかし白衣の下に何もつけていなかった。つまり素っ裸の上に白衣を着ていた。一応下の方の下着は履いていてくれたが、上はそのまま。ボタンもつけてないから谷間が丸見えになっている。隣ではリフィアが顔を真っ赤にして口元を覆い、ラウラが冷静に随伴の騎士に指示を出していた。
「すみません、衛兵隊を呼んできてもらえますか。城の中に痴女がいます」
「は、はい! ですが、すでに犯人は地下牢にいるのでは」
「たしかに、手間が省けましたね」
「そういう問題では……」
てんやわんや。
大騒ぎになる地下室の中で、なぜか当の本人が一番落ち着いていた。
「えっと、どちら様かな? リバート王国の兵士さんじゃなさそうだけど」
「いやいやいやその前に! どーゆう格好してるんですか!!? せめて前! 前は閉じてください」
「おおっと失礼。ここにお客さんが来るなんて数年ぶりでね」
常に痴女る意思はなかったのか、金髪の不審者は素直に白衣のボタンを止めてくれた。しまった、これならちゃんと服を着ることから要求すればよかったかもしれないとエイルは後悔する。
「さ、これで大丈夫かな?」
「うう、はい、さっきよりはだいぶマシです……」
白衣の上までボタンが止められて、視界の肌面積はだいぶ少なくなっていた。まだ下はズボンも履いていないけれど、白衣の丈が長いのでそういうコートに、見えないこともない。
囚人は見た目は20代なかばというところ。とても美人だが笑顔に愛嬌があって親しみやすい。スタイルがすさまじく良く、身長は180センチ程もありそうな上、止められた白衣の胸元は窮屈そうだった。
手足もスラッとしててかっこいいなあ……とエイルが四肢に注目したとき、目をみはる。
「あれ、手足、が。黄金……?」
「うん、本物さ」
「それ鎧とかじゃないですよね? 色を塗っているわけでも」
「もっちろん本物の金だよ。むかーし錬成の実験で変えてみたんだけどね。便利だからそのまま使っているんだ」
裸白衣のインパクトに負けて見過ごしていたが、女性の両手足は金色に輝いていた。両腕はちょうど肘のあたりまで、足は太ももの真ん中あたりまでが黄金になっている。たしかにその造形は見事でまるで本物の手足が金に変わっているように見える。
『いやいや、そんなまさか。人体を金に錬成? 卑金属素材ですら難しいのに? そんなの人間業じゃない』
「自分の身体を金に変えたって、冗談ですよね? そんなの帝国研究院の錬金術師でも不可能じゃ……」
「あれ、私のこと全然知らないで来たの? いいねえ新鮮! どうも外の状況はだいぶ変わっているみたいだ」
愉快そうに笑ったお姉さんは鉄格子に近づき、格子越しに右手を差し出してくる。鉄格子の間隔はかなり狭かったが、一瞬ニュルンと形を変化した黄金の腕はたやすくすり抜けた。
嘘でしょ、自由に形も変えられるの? とエイルは再び唖然とする。
「錬金術師のニコだよ。どうぞよろしく」
「ああ、どうもこちらこそ」
エイルも素直に握手する。ニコの手は黄金とは思えない繊細さで握りかえしてきた。すべすべと気持ちの良い肌触りでほんのり冷たい。
「……ってちょっと待って。錬金術師ニコってまさかあのニコラス・フラメル!? 大陸一の錬金術師の!? え、本物ですか?」
「ああ、そんな名前もあったね。私としてはニコって呼んでくれるとうれしいな」
ニコはそう言って人なつっこい笑顔を向けてくるが、エイルだけでなくリフィアもラウラも言葉を失っていた。今度は裸白衣のときとはまったく別の衝撃だ。
「黄金の四肢を持つ錬金術師、そういえば書物で読んだ覚えがあるわ」
「賢者の石の錬成に成功したなかで、現代まで生存している唯一の錬金術師……幻の存在だと思っていました」
「うっそ私ってそんな伝説化しているの。ちょっと待って今何年?」
「人類の星暦では1022年です」
「わーお引きこもってから百年も経っている。そりゃあ私のことも忘れられちゃうはずか」
たはは、と頭の後ろをかいてニコさんは笑っている。なんだか大偉人の割に色々ゆるい人だなあとエイルは思った。
「とりあえず、ここから出て色々話を聞かせてもらえるかな? ああ、この地下牢の鍵は持っているから大丈夫。私はべつに捕まっていたんじゃなくて、ここの地下牢で錬金術の研究をさせてもらってたんだ」