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聖女ヒュギエイア

 食事の後、エイルは病棟を見に行った。


 パナケイア聖騎士団は別名「病院騎士団(オスピタリエレ)」とも呼ばれているくらい医療と関係が深い。元々パナケイア聖騎士団の母体となったパナケイア女子修道会が、癒しの女神パナケイアを信奉し戦傷者や貧しい病人を治療看護する目的で設立されたからだ。しかし設立当初の千年前はまだ大陸中に魔物がはびこっており、戦場で落ち着いて治療することなど出来なかった。パナケイア女子修道会が、身を護る手段として作ったのがパナケイア聖騎士団なのだ。

 帝都近郊にある騎士団本部クラック・ド・シュヴァリエには帝国最大と言われる病院が併設されているし、世界各地にある修道院も全て病院・診療所としての機能が備わっている。パナケイア聖騎士団がとりわけ傷ついた人々への救済に積極的なのも、傷病者への治癒、奉仕こそパナケイア女神を信仰するものの信義であるためだった。

 戦場においてもパナケイア聖騎士団の信義は変わらない。城内の一部を病棟として使うことを決めた騎士団は、避難四日目にして既に本物の病院と変わらないくらいの充実ぶりを見せていた。

 セプテム城は大きく7つの城塔に分かれている。そのうちの一つがまるごと病棟として使用され、一階の大広間が軽傷者、2階が重傷者と手術室、3階より上が重病者の部屋とされた。既に二階より上は大量のベッドが運び込まれ、清潔なリネン、包帯、ポーションなどの薬品も揃いつつあった。

 病棟全体には清浄の魔法がかけられている。軽傷者の詰める大広間はスペースの関係からベッドはないものの、治癒術を使えば軽傷はまたたく間に治るので問題はなかった。大広間は次々やってくる避難民の軽傷者で常に満員状態なためでもある。

 治療するのはパナケイア聖騎士団に所属する二百名の修道女(※非戦闘員)たちだ。パナケイア女子修道会では入会した全員に治癒術の教育、習得が図られる。彼女たちは中でもさらに高い治癒能力を身に着けており、医療は迅速的確に行われた。医療の最高責任者は修道女を統括する聖女ヒュギエイアだった。

 看護は騎士団員も行う。元々騎士団員には週に一度の病院勤務が義務付けられていた。エイルは防衛準備や訓練に必要な時間も見つつ、ヒュギエイアと話し合って可能な限りそれが維持されるよう交代シフトを作った。当然エイル自身も、週に一度は団長職を離れて一看護師として傷病者の看護に当たる。

 パナケイア聖騎士団では戦闘員の騎士団員でも必ず治癒術を取得することになっており、たとえば修道会出身ではないメングラッドなども治癒術は習得している。そのためパナケイア聖騎士団の生存率は帝国騎士に比べて非常に高い。

 パナケイア女神を信奉すれば治癒術の加護が受けられるので、習得自体はそれほど難しくない。ただその後の能力の伸びには向き不向きがある。戦闘魔法に長けていても治癒術は苦手、という者も少なくない。その逆に戦闘力は皆無でも、奇跡のような治癒術を扱えるものもいる。

 エイルが病棟の視察を行っていると、まさにその見本が声をかけてきた。

「エイルさん。こちらに来てたんですね」

「ヒュギエイアさん」

 医療部門のトップ、聖女ヒュギエイアが柔和な笑みを浮かべて立っている。白地に金の縫い取りがされた聖女服に身を包み、右手には錫杖を捧げている。彼女はエイルを見てしとやかに微笑んだ。

「ちょうどよかった、私もエイルさんにお会いしたかったんです。今お時間ありますか?」

「あ、はい。私もヒュギエイアさんと話したかったんです。病棟の運営で困っていることとか、足りない医薬品とか確認したいなって」

「まあ、それは良かった。でしたら私の部屋にいらしてください。ようやく片付け終わって落ち着けるようになりましたから」

 ヒュギエイアのおだやかで優しい物腰はまさに聖女にふさわしかったが、エイルはほんのちょっぴり彼女のことが苦手だった。怪我人や病人を前にしたとき、静かな、しかしどこか有無を言わさない「圧」で治療しようとするからだ。今もヒュギエイアの言葉にその圧を感じたエイルは、ぎこちなくうなずく。

「は、はい」

「よかった! さあ、こちらですよ。遠慮さなさらないで」

「ヒュ、ヒュギエイアさん、一人でも歩けますから〜」

 ぱあっ、と輝くような笑顔を浮かべたヒュギエイアに手を取られて、エイルは引っ張られるようについていった。



 元は高位の騎士の居住用として作られたと思われる部屋は、ヒュギエイアの私室として模様替えされていた。それは私室というより診察室のような趣きで、壁も床も真っ白で、作り付けの棚には薬品が並んでいる。家具のほとんどないシンプルな内装で、カーテンを引かれた奥には明らかに患者用と思われるベッドが二台置かれている。

「さあさあエイルさん、上着を脱いでそのソファに横になってください。診察台に使えそうなのはそれしかなかったんです」

 半ば予想はしていたものの、いきなりソファに誘導されてエイルは困惑した。

「あの、ヒュギエイアさん、私今日は診察じゃなくて騎士団の今後について話に来たんだけど……」

「だめですよ、エイルさん」

 今までずっとやわらかな笑みを浮かべていたヒュギエイアが、はじめて子供を叱るようなたしなめ顔になる。

「私いつも言ってましたよね。エイルさんの身体は特別なんだから、必ず戦闘後は()せに来てくださいって。どうして昨日すぐ来てくれなかったんですか」

「いやー、あはは〜。怪我らしい怪我もしなかったし別にいいかな〜って」

「いけません! 表面ではどんなに元気に見えても、エイルさんの身体の中では何が起こっているかわからないんですからちゃんと見せてください」

 真剣な表情でヒュギエイアに言われて、エイルは困ったように笑った。

 5歳の時から6年間、魔力奴隷となっていたエイルは度重なる酷使と投薬によって肉体の魔力構造が常人とかけ離れていた。保護された当時はあと数年の寿命と言われるほどぼろぼろだったのだ。幸いパナケイア女子修道会の治癒術と看護で劇的に回復したものの、削られた寿命を完全に取り戻すには至っていない。

 エイルが騎士団に入ったときから身体を診てくれているヒュギエイアは、そんな常人と違う肉体を隅々まで観察し把握し、針の穴を通す様な細かさで調整された治癒と薬の調合を行っていた。正直、私より身体のことを知っているんじゃないかとエイルは思っている。

「とにかく、これから昨日できなかった分の診察をしますから早く横になってください」

「はーい」

 素直に返事をしてエイルは診察台へうつ伏せに寝そべる。

 「聖光庇護(ホーリーヴェール)

 ヒュギエイアが呪文を唱えると、わずかに緑がかった光がエイルの身体を包んだ。光の中は温かく、筋肉のこわばりが解けていく。

「あー……きもちいい……」

「リラックスしてくださいね」

 自身の両手にも光を宿したヒュギエイアは触診を始めた。

「やっぱり無茶をして……全身の経脈が傷んでますよ」

「あはは……。そうだヒュギエイアさん、昨日は賛成してくれてありがとうね」

 エイルが言うのは昨晩行われた会議上でのことだ。

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