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「少女たちの戦争」1

 ――きた。


 セプテム城でもっとも高い塔の上からは、城へと通じる山間の街道を一望のもと見下ろせる。ゆるやかにうねるその狭隘(きょうあい)な道の先、城から5キロほどの距離をおいて森へと吸い込まれていく場所から土埃が上がった。

 続いて朝日を照り返し白銀に輝く槍の穂先が見える。あとからあとから続く槍列の下に、革鎧を身に着けたゴブリン兵が姿を表した。

 懐から遠眼鏡を取り出したエイルは、敵の最前列に照準を合わせてレンズを除く。先頭から順番にゴブリン兵とオーク兵。ゴブリン兵は長槍を持った槍兵と弓兵が半々で、オーク兵はほとんどが棍棒と革鎧で武装した軽装歩兵だった。戦った人間から奪ったと思しき剣や槍で武装している者もいる。もっとも、オークの膂力で振るわれれば棍棒でもおそるべき攻撃となる。そんな魔物の軍団が、あらかじめ行われた偵察報告によれば総勢三千はいるはずだ。

 エイルは遠眼鏡から目を離して懐中魔法時計を開き、次いで空を見上げた。時刻は午前七時を少し回ったところ。晩春の太陽はとうに上り、空は青く晴れ渡って視界は良好そのもの。爽やかな風が塔の上を吹き抜けて、エイルの薄桃色の髪を弄ぶと後方へと去っていった。 

 まもなくここは戦場になる。城壁もない貧弱な古城めがけて三千の魔物兵が殺到する。肌が粟立つようだった。エイルが緊張に乾いた喉を鳴らすと、背後からカチャカチャと金属を鳴らす足音がした。振り返れば塔上へつながる階段から兜だけ外した甲冑姿のリフィアが姿を表す。

「エイル、来たわよ! 見張り組が敵を見つけたわ」

「私もいま確認したとこ」

 リフィアはエイルの返事にひとつうなずき、隣へとやってくる。エイルが遠眼鏡を渡すと彼女も敵を確認した。

「思ったより装備が整っているわね……、それに二列縦隊(じゅうたい)での行軍もゴブリンとオークにしてはずいぶん整然としているわ」

「ヘンドリックスの会戦でも感じたけど、今の魔王軍はかなり訓練されてるね」

「ええ、私達が戦ってきたダンジョンから湧いてくる魔物とは大違い。ゴブリンもオークも立派な兵士と見たほうが良さそう……あっ!」

 リフィアが何を見て息を呑んだのかはすぐに分かった。敵軍の戦列が半ばほどまで来たとき、森から巨大な影が姿を表したのだ。

「トロール……」

「トロール兵もいるんだ、厄介だね」

 身長は3メートルほど。ずんぐりとした巨体は全身が筋肉の塊だ。上体には鎖帷子を着込んでいるが、むき出しの分厚い灰色の皮膚だけでも普通の弓矢では弾かれそうだった。数こそ十体ほどとゴブリンやオークに比べてずいぶん少ないがまったく油断はできない。戦象が人の形になったようなものだ。

 それにトロールで怖いのは近接戦だけではない。

「まずいわ。トロール兵の投石の威力は凄まじいわよ」

「生きてる投石機みたいなものだからね。あの感じだとしっかり投石の訓練もされてるだろうし」

「それにしてもトロール兵なんて、偵察の子たちが見逃すとは思えないのだけど……」

「たぶん、ゴブリンやオークが先行して索敵(さくてき)をしつつ安全を確保して、鈍重(どんじゅう)なトロール兵の合流を待ちながら行軍してたんだよ。いまだってゴブリンとオークでトロールを挟んで、縦列(じゅうれつ)がばらばらにならないよう伸びすぎないよう歩みを合わせて行軍してる。ゴブリンやオークがこんなに統率の取れた行動するなんて、やっぱり相当訓練されてるね」

 ゴブリン兵やオーク兵は今までの戦争では良くて雑兵(ぞうひょう)、悪くすれば乱戦での捨て駒か支配地を荒らし回る略奪者としての働きがせいぜいだった。数だけはいるが大した脅威ではないというのが人間側の評価だったのだ。それがこれほど統率の取れた動きをするとなると認識を改めないといけない。

 そう、エイル達はこれから、あの敵と戦わなければならないのだ。

 ゴブリン兵、オーク兵、それにトロール兵が合わせて三千。対してこのセプテム城に籠もる騎士団は従士(じゅうし)も合わせてようやく一千しかいない。主戦力である騎士の数ならたったの二百人だ。その全員の生命を預かってエイルはこれから防戦指揮をする。

 唐突に、今自分のいる場所が城壁ではなく崖の上であるような気がした。一歩踏み出せばどこまでも奈落へと落ちていくような錯覚。エイルも、リフィアも、この城にいる騎士団の誰もが。

 胸壁(きょうへき)を掴む手が小刻みに震える。エイルはあわてて手に力を込めて震えを消すが、いつの間に遠眼鏡から目を外していたのだろう、リフィアにはしっかりと見られていた。

「エイル、恐い?」

 そう問いかけられてエイルは、思わず顔をうつむける。

 怖かった。魔物と戦うというだけじゃない。自分に従ってくれる人々の命を預かり、指揮をするという重圧があらためてのしかかってきたのだった。叶うならば膝を抱えてうずくまりたかった。しかもエイルにとってこれが騎士団長としての初陣なのだ。

 下を向くエイルの顔を、リフィアが両手でぐいっと引っ張り上げた。

 目を白黒させるエイルにリフィアが力強く言う。

「大丈夫よ。エイル、あなたはひとりじゃない。私達がいるわ。ひとりだけで戦おうなんてしなくていい。騎士団の全員を頼って。たしかにあなたはパナケイア聖騎士団の騎士団長だけど、まだ十八歳なんだから」

 リフィアに顔を挟まれて、エイルは正面から彼女の顔を見つめた。美の女神に愛されてるとしか思えない整った美貌は、目前の戦いも一瞬忘れさせる。

 月光を糸にしたような長い銀髪も、冬の湖のような青い瞳も、優美な睫毛に縁取られた切れ長の目もすべて神話のような美しさだ。その彼女が、エイルのことを見つめて優雅にほほえんだ。未だ少女の騎士団長を勇気づけるように。安心させてくれるように。

 この人の無私の信頼を、エイルはどうやっても裏切ることはできないだろう。

 エイルはまだ十八歳で、騎士団に入ったのさえ二年前で、なのに一週間前特例で騎士団長に任命されてしまった。まだ一度も戦の指揮をしたことのないエイルを、リフィアは副団長というだけで信頼し、忠誠を誓い、従ってくれている。何もかも未熟な団長のことを一生懸命支えて助けてくれる。本当なら彼女のほうがずっとずっと、騎士団長としてふさわしいはずなのに。

「リフィアは本当に私が騎士団長にふさわしいと思う? だって本来なら、あなたが団長になるはずだった」

 エイルがまだ十八歳なのに対して、リフィアは二十五歳。しかも2年前から副団長職を務めている。前騎士団長が敵の攻撃に倒れたとき、経歴からいってあとを継ぐのに最もふさわしいのはリフィアだった。エイルが騎士団長になったのは、前騎士団長から直接指名を受けたからに過ぎない。

 しかしリフィアはその決定に一言も文句を言わないばかりか、まっさきにエイルを支持して戸惑う騎士団員を説得して回った。

 リフィアはエイルの顔から手を離すと、今度は両腕を広げやさしく抱擁してきた。美しい額を寄せ何かを思い出すように目を閉じる。

「ねえ、エイルはあのときのことを覚えている? 三年前、あなたはまだ騎士学校の新入生だった。私はあなたのクラスの野戦演習を担任する騎士教官で、なのに最初の演習でとんでもない失敗をした。演習用ダンジョンの一層に潜ったとき、本来ありえない中級モンスターの襲撃を受けた。混乱しているうちに私達は大群に囲まれてしまったわ」

 リフィアの思い出話につられてエイルもまたその時の記憶を蘇らす。

「もちろん、覚えているよリフィア先生(・・)。あれが私の、騎士としての初陣だったから」

「ええ、突然の事態に動転して指揮の取れなくなった私の代わりにあなたがクラスをまとめ上げて、小班ごとの突破を図った。まだ入学して一ヶ月の新入生がよ。あなたがいなければ、私も、他の生徒達もみんな死んでいたかもしれない。あなたは私の命の恩人」

 そう言ってリフィアは温かく包み込むような微笑を向ける。

「あの時から、私はあなたの能力を疑ったことはないわ。大丈夫、エイルならできる。エイルなら勝てる。私はそれを信じてる。だからあなたも私達を信じて。みんなで、あの敵をやっつけましょう」

 ――私はこの信頼に応えられるだろうか。

 ――応えられるだけのものを持っているだろうか。なぜ前騎士団長が私を後継に指名したのか私自身わかっていないのに。

 エイルはいまだ、騎士団のことさえすべてを把握してはいなかった。なによりエイルは自分自身のことさえあやふやなのだ。なにもかもわからないことだらけだった。

 だけど、それでも。リフィアが向けてくれる信頼は、それだけは確かなものだと思える。

 応えなくちゃいけない。

 もう力を込めなくても手は震えなかった。その自分の手でリフィアの手をとって、ぐっと力強く握り返す。

「うん、ありがとうリフィア。もう大丈夫。――始めようか、私達の戦争を」


 誰も死なせない――そう誓ったエイルの戦争が、始まる。

新連載開始しました。女性だけの騎士団が魔王軍と戦っていくお話です。

6月末までの完結を考えています。よろしくお願いいたします。

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