第三話 『とんとん拍子にことは進む』(Side A)
だいぶ開いてしまい、申し訳ありません。
※2022/04/10 誤字、脱字箇所がありましたので修正致しました。
※2022/04/13 重要な一文が抜けていたので、追記致しました。申し訳ありません。
――自殺を思いとどまった後、羅無多に連れられるがまま、俺はとある公園に来ていた。童卦市内でも比較的大きな公園だ。何でも、意中の奇術師が良く訪れていた隠れ名所らしい。
歩き疲れた俺とタキシードの男は、ベンチに座って一休みしている。マスクをしているせいか、俺は余計に体力を消耗してしまった。
社会人になってからと言うもの、忙しくてこんなにのんびりする時間を取ることができなかった。毎日上司に怒鳴られ、神経を擦り減らすばかりの日々だったと嫌な記憶を思い返す。
――いけない。何故こんな嫌なことを思い出してしまったのか。これでは、ただ気分が暗くなるだけではないか。
嫌な記憶から目を背けるため、俺はぼんやりと空を見上げた。
温かく柔らかい風が俺の頬を撫でる。空を漂っていた桜の花びらが力尽き、俺の肩を桃色に彩った。
公園の花壇に植えられた花々の匂いが鼻孔をくすぐる。耳を澄ませば、聞こえてくるのは虫達が奏で出す旋律だ。
日常で見かけるあらゆる出来事が、今の俺にはとても懐かしく感じる。自分が死んでしまっては、これらを懐かしく感じることもなかっただろう。
俺は瞼を閉じ、深呼吸をしてみる。ただただ空気を吸って吐き出す単純な動作。
そう。これは誰にでもできる至極簡単な作業である。しかしこの程度のことで、俺の心はいくらか落ち着きを取り戻したのだ。
「結構大きな公園なので人が集まっているかと思ったのですが、予想より人がいないですね。聞き込みをしようと思っていたのですが、これでは難しそうです」
難しそうと口では語りながらも、どこか嬉しそうに笑う道化師。とぼけた表情も相まって、こいつの腹の底が全く読めない。
「新型コロナウイルスのせいだろうな。人から人にウイルスが拡散していくから、人々が密集すると、あっと言う間に感染が広がる。だからできる限り家から出ないことが大事なんだよ。それくらい知ってるだろ?」
俺は心底呆れたような表情で、奇抜な恰好の男を見つめた。
新型コロナと言うものは、正直とても厄介だ。はっきり言ってしまうと、俺の会社が潰れた要因の一つである。
無論、会社自体が経営難だったことは疑いようのない事実だ。俺が上司にしつこく怒られたのも、人手が少なかったからに他ならない。しかしそれにとどめを刺したのは、間違いなくコロナウイルスだ。
「そうですね。確かに新型コロナウイルスは実に厄介です。旧型のコロナウイルスであれば、誰しもが一度は感染していると思われますが、重症化は稀と言われていましたしね。ただ、今回の新型コロナは、いたずらに変異を繰り返して、特性が不安定な存在です。だからこそ恐ろしいと言われていますね。ちなみに――貴方がマスクをしているのは、感染予防のためですか?」
穏やかな表情だが、羅無多の口調はどこか鋭い。
確かにエチケットとして、俺は今、白い不織布マスクを自分の口にかけている。俺が死ぬ分には大した問題ではないが、俺のせいで他の人に迷惑がかかる状況は、できれば避けたいと言う心遣いのつもりだ。
それに対して、奴はマスクの類を一切装着していない。自分の免疫力に相当な自信があるのかもしれないが、そう言う問題ではないはずだ。正直、社会人としての常識を疑わざるを得ない。
「ま……まぁそうだな。マスクによってある程度、感染症予防できることは確認されているし。個人的には、一体いつになったらこの感染症が終息するのか、それがちょっと不安だ。もう新型コロナが確認されてから、五年も経過しているんだからな」
「フフフ。おっしゃる通り、終わりが見えないのは不安ですね。しかし、良く考えてみてください。物事の終わりを考えるのは大事ですが、終わりは同時に始まりでもあるのですよ」
羅無多が歌うように、それでいて俺に語り掛けるように言葉を並べる。
「それはどう言うことだ?」
「例えばです。貴方は企業の人間だと思うので、分かると思いますが、進めている企画が全て順調に進むとは限らないですよね? 大抵は企画完了前に中断、もしくは保留になると思います。そしてその企画を元にして、新しい企画を立ち上げていくのではないでしょうか? 従って、何かが終わると言うのは、何かの始まりを意味するのです」
「……なるほどな。覚えておく」
道化師の戯言を聞き終えると、俺は視線を真正面に向けた。
広場の中央にある噴水が沸き出し、公園と言う空間に潤いがもたらされた。キラキラと煌めきながら、湧き出た水が儚く散っていく。俺の命もあんな風に粉々に散ってしまうところだったのかと、ふとそんなことを思ってしまった。
「ちなみに――貴方が自殺なさるおつもりだったのは、もしや失業されたためでしょうか?」
「ああ、そうだ。失業した俺を雇ってくれるところなんて、今のご時世どこにもなかったからな。普通のやつなら、両親や兄弟を頼るんだろうが、俺は孤児院育ちだしな」
「そうでしたか。これは失礼致しました。ところで話は変わりますが、私、喉が渇きましたので、向こうにあるコンビニに行きたいと思っております。よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
公園の脇に設置されているコンビニを指差しながら、羅無多は俺をデートに誘った。
はっきり言って、この不気味な男と仲良くデートをする行為に対しては、少なからず抵抗がある。しかし、実のところ俺も用を足したかったので、提案を断る気になれないのもまた事実だ。
「――分かった。俺も行くよ」
生理現象を優先し、俺は意を決して羅無多に返答する。
奴は俺の回答を聞くなり、ニヤリと意味ありげな笑みを作る。その表情を見て、俺は背筋を指でなぞられるような嫌な気分になった――。
「いらっしゃいませ! こんにちは!」
コンビニ店員が、万人に提供してきたであろう抜群の営業スマイルで俺達を出迎えてくれた。黒いマスク越しではあるが、その表情が手に取るように分かる。アルバイトとしては満点の対応だろう。
だがお生憎様。俺はトイレに行きたいのだ。別に何かを買いにここに来たわけじゃない。
雑誌売り場、丁寧に並べられた洗顔商品を横目に、奥に設置されている公衆トイレに駆け込む。
トイレの個室に入るなり、俺はこれまでの鬱憤を排出するように、深いため息を吐いた。
用を済ませるため、トイレの便器に座る。そのまま前を向くと、扉に貼り紙が貼られていることに気づいた。紙には、便器の蓋は閉めて流し、手洗い後にエアータオルを使用しないことを徹底して欲しいと言う内容が記載されている。
「……ったく。どこへ行ってもコロナかよ」
コロナ。本当に忌々しい存在だ。リモートワークが当たり前になってしまったせいか、人との繋がりが明らかに希薄化してしまった。俺がメンタルに不調をきたしたのも、少なからずこの悪魔が関係している。
それに加え、毎日毎日書類の提出が遅いだの、お前は生きている価値がないだのと怒られ続けた。会社の人間から人として見られていなかったのだろう。所詮、会社を回すための歯車の一部に過ぎなかったのだ。
そんなことを思い出したためか、突如ぐるりと回転するような眩暈と強烈な吐き気に襲われた。自分が想像しているより、精神的にだいぶきているようだ。一旦外へ出て、ベンチに戻り、気を落ち着かせた方が良いかもしれない。
素早く用を足して立ち上がると、俺はそのままトイレの個室を後にする。歩行に伴い、多少足がもつれてしまうが、何とか歩くことができるようだ。
俺は嘔吐しそうになるのを必死に抑え、ふらつきながらも洗面台へ向かう。
そして、洗面台に設置されていた鏡に映る自分を見て――驚愕した。
そこに俺の顔が無かった。まるで何かに切り取られたかのように、俺の首から上が完全に消失していたのだ。
俺は現状を理解することができず、そこにあるはずの頬と鼻、額の位置を両手を使って確かめる。顔の骨格、肌からの温もり、マスクに使用されている生地の感触が俺の指に伝わってきた。確かに触れることができているのに、視覚では認知することができないと言う事態に、言葉にできない恐怖が沸き起こる。
突如として俺の前に姿を現した非現実的な現象を目の当たりにし、俺は声が枯れるほどに絶叫した。
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