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放課後。俺たちは地学実験室に隣接する空き教室にいた。
「まだ正式な部でもないのに、この教室を借りれたのか?」
「はい。星空観察に重きを置いた部を設立したいと伝えたら、この部屋をいつでも好きなときに使って構わないと言われました」
「じゃあここは実質俺たちのプライベートスペースだな」
埃一つなくとはいかないけど、それでも充分に綺麗な教室を見渡しながら陽太はいう。
一棟の三階にあるこの教室には、椅子が数脚と黒板があるだけで、他に目立ったものはない。クーラーが整備されていないのを見るに、以前までは授業で使用していたけど、現在は使用されていない教室といったところだろう。余計な道具が一切なく、どこか殺風景なこの教室は、他の教室よりも数倍広く感じられた。
「で、天。今日はなにをするんだ?」
問いかけながら、積み上げられた椅子の一つを引っ張り出して跨がる。
脚が不安定なのか、椅子はがたがたと不安定に揺れた。これ不良品だな。
「得にこれといったアクションは起こしませんよ。星空観察部募集のポスターは校内すべての掲示板に貼っておいたので、とりあえずは誰かが来るのを待ちましょうか」
言いながら天も椅子に跨がる。天の椅子はしっかりとバランスを保っていて、鈍い音を立てることもなかった。なっ、あたりが存在したのか……。
と思ったけど、陽太の跨がった椅子も普通だったから、ただ単に俺がはずれの椅子を引いただけであったようだ。昔から貧乏くじを引くのは得意なんだよな俺。
「……って、募集のポスターは貼ったって言ったか」
あまりにも自然に言うものだから疑問に思わなかったけど、それっておかしくないか。部の設立が確定したのはつい数時間前の出来事だぞ。部員募集のポスターを作るなんて余裕なんて……。
「どうせ天のことだから、先読みしてポスターを作成してたんだろ」
「さすが陽太。私のことがよくわかっていますね。付き合いますか?」
なんてその気のない言葉。けど『付き合いますか?』なんて冗談でも言われたら普通ドキッとしちゃうよな。俺は妹の言葉だからなんとも思わないけど。
「それはご免だ。天みたいな超人と付き合ったら苦労しそうだからな」
陽太は苦笑しながら視線を外して、遠い目を窓の外へと向けた。
その目に映るのはきっと一人の少女なんだろう。恐らく陽太は今も……。
なんて思いながらもその話題を口にするのは気が引けたから、俺は脱線しかけた話題を元に戻す。
「でもさ、部員募集の紙を貼ったところで新入部員なんてくるのか」
季節は七月中旬。この時期にもなって部活動選びに迷ってます、なんて生徒は恐らくいないだろう。だから、新入部員がやって来る可能性は限りなく低いと思う。
「――兄さん。私がいつ来訪者が新入部員だけだと言いましたか?」
なにか裏がありますと暗に伝えるかのような声音。
「え、違うのか?」
「確かに来訪者が必ずしも入部希望者でないとは言い切れません。けれど、仮に来訪者がいるのならば、その方はきっと『占い好きな方』だと思いますよ」
占い好き? この部と占いになんの関係が……あっ、
「『星占い』って言葉で、人を釣るのか?」
「さすが。ご名答ですよ兄さん」
なるほど。それなら部の入部以外の目的で人がやってくる可能性が大いにある。
去年の文化祭で俺と天のクラスはアニマル喫茶なるものをやっていたんだけど、それが予想以上に繁盛して、客が退屈をしてしまう時間というのが発生した。
その際に、天が待ち時間も客が退屈しないようにと占いを行ったんだけど――後にそれがめちゃくちゃ的中したのだ。天に金運の向上を予測された男子生徒は、たまたま道端に落ちてた宝くじを拾ったら十万円当選したというし、一ヶ月後に運命の人と出会うと予測された女子生徒は、文化祭の約一ヶ月後に彼氏ができたという。
今挙げたのはほんの一例で、他にも命を救われたとか、逃げた飼い猫が奇跡的に戻ってきたとか、そんな事例が無数にある。
そんなことがあって、天は校内で一部の生徒に〝未来視の巫女〟と呼ばれていたりする。いつから俺の妹は、神の遣いになったんだって話だけど。
天の占いはあの文化祭から一年が経とうとした今でも、根強い人気を博している。だから、天の占いを目的としてこの教室にやってくる生徒がいてもおかしくない。
「中高生って、都市伝説とか占いとか大好物だもんな」
「お、色。都市伝説に興味があるのか?」
「ん。逆に都市伝説とか心霊現象に興味を持たない中高生とかいるのか」
「兄さん……未だに陰謀論とか信じてますもんね」
「陰謀論なんて信じて当然だろ。なあ陽太」
「おうとも。陰謀論をホラ話と思うなんて天はロマンがないな」
「それ遠回しに夢物語だって言ってるじゃないですか……」
わかってないな天。都市伝説の醍醐味は真偽の判別がつけられないところにあるんだ。
茫然とする天を気に留めず、俺と陽太は都市伝説についてマシンガントークを始めた。
俺と陽太が熱く語らって十分くらい経過した頃だと思う。
「――でさ。……なあ陽太。なんか足音しないか?」
「ん。足音?」
会話を中止して、俺たちは廊下に耳を澄ました。
――タッタッタッタッ!
「なんだか騒がしい足取りですね」
俺たちに倣って耳を澄ませていた天がいう。
言われてみれば、足取りはどこか騒がしい。まるでなにかから逃げているかのような、鬼気迫る足取りだ。そしてその足音は――徐々にこの教室へと迫ってくる。
ここは一棟の三階。この教室の奥には地学実験室しかない。
「天の占いが大盛況してると思って急いでんのかな」
「地学実験室に忘れ物でもしたんじゃないですか」
陽太と陽斗がそんな憶測を立てていると――
「――セーフティエリア突入成功っ‼」
「……」
「……」
「……」
……なんか、ツインテールの女子生徒がすごいハイテンションで教室に入ってきた。
「ふう。危ない危ない…………ん?」
ようやく女子生徒は俺たちの存在に気づいたらしい。
俺たちを順に見据えて、大きな瞳をぱちくりすると、
「よ、よよっ、妖怪だあぁあぁあっ!!」
「見つけたぞ光ヶ(が)丘っ!! 今日こそ補習を受けてもらうからな!」
「ひぇっ先生⁉ い、いてて……なんだか十二指腸が捻れて――」
「アホなこと言っても逃げられんからなっ! とっととこいっ!」
「は、はい……」
男性教師の圧に負けて、女子生徒は抵抗することを諦めたらしい。
しょんぼりと肩を下げて、男性教師のあとを沈んだ足取りでつけていった。
さっきまで逆巻いていたツインテールの先端が、感情に比例するかのように重力に無抵抗を示していて、なんかちょっと面白い。
「なんだったんだ今の……」
正気になった陽太が、目を点にしながらいう。
そんな陽太に触発されるように、天がおもむろに口を開いた。
「なんだか台風みたいに騒がしい人でしたね……」
「だな。名字しかわかんないし」
けどあの男性教師。定かではないけど、二年生のどこかのクラスの担任教師であったような気がしなくもない。だとするならばあの女子生徒は二年生。つまり俺たちと同学年ということになる。光ヶ丘、光ヶ丘……うん。当然だけど知らないな。
「――で続きなんだけど、東京タワーの地下四百メートル下には今の人類の技術を超越した技術を駆使して世界征服を目論む組織があって――」
そして再び俺と陽太は都市伝説を語らい始める。
もはや完全にオカルト研究部と化していた。星空観察のほの字もないな。
――そして一時間後。
ついに部室に誰かがやってくるということはなかった。
季節は七月。されど七月。
多くの生徒は既に部活を選択していて、放課後は部活で忙しいのだろう。
「わ、私の占いがこんなにも廃れて……」
だから占いの人気が冷めたんじゃなくて、単にみんな来れないだけだと思うよ!
うん。きっとそうだ。だって天は休み時間によく誰かを占ってるもんな。
……でも、天の占いで誰一人して釣れないとなると、部員集めっていうのは難しいのかも知れない。
活動初日。部には早くも暗雲が差しかかっていた。