22
「――誰かと手を繋ぐのなんて初めてだなあ……」
視聴覚室を出てしばらく経った三棟の一階。
蒼崎さんが遠くを見据えてぽつりともらす。
「……ごめん。蒼崎さんの初めてが俺なんかで」
「へへっ。まるで私の初体験をかっさらったかのような物言いだね」
変わらず視線を遠くに向けたまま蒼崎さんは声を弾ませていう。
「……色くんはさ、どうして私を助けにきてくれたの?」
不意に蒼崎さんが俺を向いた。
至極真面目な表情。翡翠色の瞳が俺を捉えて逃がさない。
「星空観察部の部員になってほしかったからだよ」
蒼崎さんの瞳を見据えてはっきりという。
「……私を部員にしたかったから私を助けたの?」
「そうだよ」
即答すると――蒼崎さんは強ばった表情を破顔させた。
「色くんってやっぱおかしいね」
「よく言われます」
いい意味か悪い意味かは知らないけど。
「……私さ、一時期無断でアルバイトをしてたんだ」
唐突に、蒼崎さんはゆったりとした口調で語り出した。
「……アルバイト?」
「うん。そうだよ」
平然と蒼崎さんはいう。
「で、その無断アルバイトっていうのが柏田先輩に握られた私の弱みだったんだ」
まるで種明かしでもするかのように蒼崎さんはいう。
……けど。
「どうしてアルバイトをしてたの?」
自利私欲のために蒼崎さんが校則を破ったとは思えない。
なにかしらの理由があっての行動のはずだ。
そんな憶測を立てながら問うと――
「……おばあちゃんの入院費の足しにしたかったんだ」
物憂げな表情で蒼崎さんは言った。
「五月の上旬……だったかな。おばあちゃんが突然倒れて入院しちゃったんだ。今はもう退院して元気なんだけどね。……でね、その時に莫大な入院費がかかって家計が混迷しちゃったんだ。お父さんは夜間に副業をして、お母さんは最低限のお金で家系が回るよう毎日頭を悩ませて……だから、私もアルバイトをして二人の力になりたいなって思ったんだ」
家系が混迷……そんな状況下にあったら学問に集中しろだなんて無理な話だ。
蒼崎さんの行動は倫理上は正しい。けど――社会的には間違いだった。
そんな歪みが『援助交際』という噂を引き起こしたのだろう。
「……じゃああの噂は……」
蒼崎さんはこくりと頷いた。
「うん。あの噂は全部嘘。私は柏田先輩と援助交際なんてしてないよ。柏田先輩とホテルに行ったっていうのも勘違いで、私がホテルでのアルバイト終わりにエントランスで柏田先輩と鉢合わせたってだけだよ。まあ、偶然なんかじゃなくて柏田先輩はその瞬間を狙ってたんだろうけどね」
その言葉を蒼崎さん本人から聞いて――胸がふわっと軽くなった。
蒼崎さんを疑うつもりはなかったけど、それでも一抹の不安は心のどこかに影を潜めていて。けど、そんな不安がこうして綺麗さっぱり払拭されたわけで。
この事件はようやく完全に解決したんだなと実感できた。
……いや、そういえばまだ一つ、やり残したことがある。
「というわけで蒼崎さん」
「ん?」
きょとんと子リスみたいに首を傾げて蒼崎さんは俺を向く。
「星空観察部に入部してくれないかな?」
足を止めて。翡翠色の瞳を見据えて。
けれども手は繋いだまま、俺は優しく問うた。
蒼崎さんは雪が解けるかのように徐々に表情を和らげていくと――
「勿論入部させてもらうよ。これからよろしくね色くんっ!」
――ああ、この笑顔を忘れることは生涯ないんだろうなと思わずにはいられない。
そう思ってしまうほどに蒼崎さんの笑顔は美しく――そして温かかった。