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天の川は流れない。  作者: 風戸輝斗
噂は所詮、噂どまり
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「――あいつ……僕を填めやがったなっ!!」

「おっ……やっときましたか」


 放送が終わってすぐ。

 廊下の壁に背を預けて陽太と棒立ちしていると、視聴覚室の扉が勢いよく開かれた。

 出てきたのは勿論――目を血走らせた柏田先輩。


「はっ⁉ どうして君がここにいるんだよっ⁉」

「なんでって……先輩の絶望した顔を誰よりも早く見るためですよ」

「そうじゃなくて! ……あの放送を流したのは君じゃないのか?」


 身振り手振りを交えながら興奮した様子で柏田先輩はいう。

 ……そうだよな。普通は俺が先輩との会話を録音して放送したと思うよな。

 だって先輩は――俺と陽太以外に工作員がいるなんて知らないのだから。


「――残念でしたね柏田翼。初めからお前が戦ってたのは二人じゃない。五人だったのですよ」


「お前……絶対この絶好のタイミングを狙ってただろ」


 ぺたぺたと音を立てながら三人の女子生徒が俺と陽太の元へと歩いてくる。

 一人は――鋭い瞳をもったショートカットの気の強そうな女の子。

 一人は――サイドに三つ編みを結わえた人形のように端正な顔立ちの女の子。

 一人は――ぴょこぴょことツインテールを揺らす脆弱そうな女の子。

 つまり三人は――(若干一名を除いて)星空観察部の部員だ。

 ……この騒動が落ち着いたら大和も部員に勧誘してみようかな。


「光ヶ丘大和……どうして君がいるんだ?」

「どうしてって、友達の頼みだからに決まっているでしょう」


 淀むことなく言い切って、大和はもみあげを気取ったように払う。

 そして、すうぅと瞳を開くと――


「――で、最後に言い残すことはありますか?」


 瞬間――標高が一気に数千メートル上昇したかのように辺りの空気が薄くなった。


「い、言い残すことって……俺はなにも……」


 この期に及んでも言い訳をもらす柏田先輩だけど、その言葉はたどたどしく。


「……言い残すことは?」

「……なにもないよ」


 つっよ……。

 さすが氷結の女王。チェックメイト寸前とはいってもまだまだ抵抗しそうな雰囲気だった柏田先輩を僅か一言で沈めてしまった。

 実は大和一人ですべての問題を解決できた説がすごい濃厚なんだけど……。


「では風紀会室でこれまでのことを洗いざらい白状してもらいますね。お前の担任の教師は勿論のこと、先輩も呼びますから」


 その言葉を聞いた途端、柏田先輩の表情が一気に青ざめた。


「お、おい冗談だろ? 先輩ってまさか……」

「はい。佐倉真音先輩です」

「ひっ……⁉ ……嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。俺はまだ……死にたくない――っ!」


 頭を抱えてガクガクブルブル震えたかと思うと、柏田先輩は視聴覚室に逃げ込んだ。


 ――ガタガタガタッ! パリーンッ!


 ……視聴覚室に?


「……まさかっ!」


 柏田先輩が逃げ込んだ際に勢いよく閉じた扉を開く。

 視界の先には――


「し、色くん……」

「う、動くな。動いたら月乃が傷つくことになるぞ」


 ――一歩遅かったか……。

 柏田先輩の明らかな動揺。――理性の崩れた瞬間。

 それを目撃していながら、この可能性を瞬時に想定できなかったのはあまりに現実味のない可能性だったからだろう。

 倒された無数の机に椅子。そして――窓際に飛散したガラス片。

 ――柏田先輩は一方の手を蒼崎さんの首に、もう一方の手にはガラス片を握り締め、蒼崎さんの頬に突きつけていた。


「くそっ! アンタは女の子相手だろうが手を出すのかよ……」


 ――人質。それは現状で柏田先輩が逃げ切れる可能性の最も高い手段だった。


「柏田先輩、そんなことをしたところで貴方に罰が下ることは確実です。諦めてガラス片を捨ててください」


 冷静な口調で天はいう。

 が、怒りを覚えているからかその口調にはいつもより熱が籠もっていた。


「確実、か。……はっ! それは違うね。月乃が傷つくかも知れないってなったら風紀委員も教師たちも下手に手出しはできないだろうさ」


 言いながら、ガラス片をより深く蒼崎さんの頬に突きつける。


「い、いや……やめ……」


 蒼崎さんの小さな悲鳴がやけに大きく脳内で響く。

 ――冷静さを保つのはもう限界だった。


「……やめろよ」

「ん?」

「やめろって言ってるんだ。蒼崎さんが嫌がってるだろ」


 強気に言いながら――二人の元へと足を進める。

 事態を穏便に解決しようなんて淡い期待は――もう捨てた。


「く、くるなっ‼ ほ、ほんとに月乃を傷つけるぞっ‼」


 そんなにも腕を震わせながらどの口が言うんだ。

 間違いなく柏田先輩は――蒼崎さんを傷つけられない。

 あんなのはただの脅しだ。柏田先輩には誰かを傷つける覚悟がない。


「なんで蒼崎さんに限定するんだ。人質にするんなら別に俺でもいいだろ」

「――っ⁉ ……じゃ、じゃあ君が俺に抵抗しないって証拠はあるのか⁉」

「証拠なんかなくたっていいだろ。アンタはガラス片をもってて、俺は素手。そんな状態で俺に勝機があると思うのか?」


 皮肉な笑顔を浮かべながらいうと――柏田先輩は緊迫した表情を緩ませた。


「……確かにそれもそうだね。正直、女の子相手に手を出すってのは気が引けるし……わかった。君の話、承諾するよ」


 柏田先輩がそういうと同時に、俺は二人の眼前に辿り着いた。


「なにしてるんですか兄さん‼ また……また一人で傷ついて解決しようとするんですか⁉」


 天の荒らげた声が耳に届く。

 ――また、か……。


『あのさ色。もう私に関わらないでくれるかな?』


 いつかよもぎに言われたそんな言葉。

 あれは拒絶を示す言葉なんだとずっと思っていた。

 闇雲に動いて事態を解決するどころか混乱させるだけだった俺に対する侮蔑の証なんだと思っていた。

 けど――


「……ごめん天。もう誰にも傷ついてほしくないんだ」


 今思えば、あれはよもぎの優しさだったんだと思う。

 いつか真実に到達してしまった時、俺が傷ついてしまうかも知れないからそれを避けるための拒絶。

 陽太と別れたのだって、陽太が傷つかないようにと思ってのことだったのだろう。

 ――つまり。

 あの一連の騒動で傷ついたのは俺なんかじゃない。――よもぎだったんだ。

 なのに俺は、よもぎの思いを勘違いして……それを友達を作らない言い訳にして……。

 けど――そんな後悔をしたところで未来は変わらない。

 よもぎが傷つき、学校を退学してしまった。

 その事実はどう足掻こうが変わらない。

 ――しかし未来は。未来なら俺の行動で変革することができるかも知れない。


「だから――傷つくのは俺だけでいい」


 蒼崎さんが傷つくという可能性を消去すること。

 それさえできるのなら、俺はどうなっても構わない。

 これ以上誰も傷つかないというのなら。

 俺はどんな痛みにも耐えられるような気がした。


「よし。じゃあそのい――」


 柏田先輩が言い切る前に――俺は渾身の右ストレートを放った。

 殴る必要はなかった。殴らなければ全ては穏便に解決したと思う。

 けど……よもぎを、陽太を、そして蒼崎さんを傷つけたこの先輩を前にして、怒りを抑えることなんてできなかった。

 ……間違いだってわかってたけど、肥大しすぎた感情を抑えることはできなかった。


「し、色くん……なにして……」

「逃げて」

「え?」

「いいから逃げて蒼崎さん!」

「う、うんっ」


 俺が殴ったことで柏田先輩が逆上したのなら、蒼崎さんを絶対に傷つけないという保障はなくなってしまう。人間、逆上したらなにを仕出かすかわからないのだ。

 だから蒼崎さんを逃がしたわけだけど――


「逃がすかよっ‼」


 ――遅かった。

 怒りの炎を宿した瞳がギラッと蒼崎さんを向く。右手には――ガラス片。

 柏田先輩は左手で蒼崎さんの華奢な腕を横暴に掴み――


「――っ‼」


 ――不思議と身体は考えるよりも先に動いていた。

 ぽたぽたと赤い液体が頬を滴り落ちていく。肌が焼けつくように痛い。


「に……兄さんっ‼」

「し、……色っ‼ ……あいつ、俺の友達を二人も傷つけやがって!」

「落ち着いてください陽太。貴方が殴りかかれば、あの男は逆上してさらに多くの人を傷つけるかも知れない。苛立ちが抑えきれないのは重々承知しますが、どうか拳を下ろしてください」

「ち、血が……そんな本当に傷つけるなんて」


 だから――ガラス片が頬を切り裂いたのだと瞬時に理解できた。


「そ、そんな……色くん、どうして……」


 蒼崎さんが青ざめた顔でわなわなと震えながら言葉をもらす。


「いっつ……ははっ、こんくらいなんでもないよ」

「でも……血がすごい出て……」


 ああ……やっぱり結構深いのか。大量に出血すると意識が朦朧とするって聞いたことがあるけど、あの話は本当だったんだな。でもまあ目を傷つけられなかっただけ幸運だ。


「まあ男は傷があった方がカッコいいでしょ。……それより蒼崎さん、早く天たちの方に行ってくれないかな? じゃないと俺が傷ついたのが無意味になっちゃうんだ」


 虚勢を張りながらいうと、蒼崎さんは覚悟を決めたように拳を握り締めて頷いた。


「……うん。わかった」

「ありがとう蒼崎さん」

「ありがとうを言うのはこっちの方だよ色くん」


 感慨深い表情を浮かべながら、蒼崎さんは身を翻して入り口へと駆け出す。僅か数メートルの距離。実際の距離の数倍以上に感じる数メートルを駆け抜けて――ようやく作戦遂行だ。まあ俺のせいで当初の作戦とはだいぶ違う形になっちゃったんだけど。


「――で、アンタはどうして固まってんだ」


 首を捻って柏田先輩を向く。

 柏田先輩は、赤いガラス片に視線を落としたまま、凍結したかのように硬直していた。


「……まさか本気で誰かを傷つけるつもりはなかった、とか言うんじゃないだろうな」


 問うと、柏田先輩はぶるっと身体を震わせて俺を向いた。


「……違う。違う! 違う! 違う‼ 僕は誰も……誰も傷つけてない‼」


 唇を震わせながら逼迫した表情で柏田先輩はいう。


「……はあ。覚悟がないのなら端からガラス片なんてもたないでくださいよ」


 呆れ混じりにいうと、柏田先輩はしゅんと肩を竦めた。


「違う……僕は意図的に傷つけた訳じゃない。これは事故。そう事故だ。だから僕は悪くない……悪くないんだ」


 頭を抱えながら念仏でも唱えるかのように言葉を零す柏田先輩。

 自分が怒りに身を任せたがあまりに誰かを傷つけてしまったという事実。

 その事実によって生み出された罪悪感は大きく、柏田先輩は重圧に圧迫されてしまったようだ。

 けどそれは同時に、柏田先輩の中にまだ良心が残留しているということの表れでもある。


「よもぎや蒼崎さんの心の傷は目には見えません。けど彼女たちの傷は、俺が先輩につけられた傷よりもすっと深く、そしてずっと痛いはずです。……だから先輩、もう二度とこんな真似をしないでください。俺を傷つけてしまったという罪悪感に駆られるほどの良心が残っているのなら、まだやり直せるはずです」


 そう言い残して身を翻すと、


「……今まですまなかったね」


 ぼそっと謝罪の声が耳に届いた。小さく、けれども意思の籠もった言葉。

 だから許してしまいそうになったけど、俺は心を鬼にして言った。


「許しませんよ。その重圧を背負ってこれからの人生を歩んでください」


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