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「うはーっ! 天ちゃんのお弁当美味しそうだね! 卵焼きちょうだい!」
「む。これは兄さんが詰めてくれたものです。無償ではあげませんよ」
「俺が詰めたってだけで価値が生まれんのかよ……作ったのは母さんだぞ」
「作るのと詰めるのは別って……色の家には分業制度でもあんのかよ」
「いやいやそんな制度ないよ。今日はたまたま、母さんが早出で弁当を詰める時間がなかったってだけだよ」
「――隙ありっ! 色兄の卵焼き頂きましたっ!」
「うおっ! いつの間にっ⁉ しかも代わりに大学いもが置かれてるっ⁉」
「ふっふっふ……忍者の末裔と呼ばれた私の早業を甘く見ないことだね」
「忍者の末裔ってことは、撫子さんは伊賀の里の出身なんですね」
「そうそう、私はいが……えっと、いがぐりの里の出身なんだ!」
「一歩歩くのも苦戦しそうな里だな……」
呆れたように呟いて大学いもを口に運ぶ。あ、これすごい美味しい。
――教室がわいわいがやがやと騒がしい昼休み。
いつもならそんな騒がしさをBGMに昼食を取っているけど、今日は珍しいことに俺もそんなBGMを創造する一人の要因になっていた。
というのも――
「ねーねー色兄。このピーマンの肉詰めとハンバーグを交換してくれないかな?」
撫子が騒がしくて、自然と会話が弾んでしまうからだ。
「悪い。俺、ピーマン苦手だからパスするわ」
「えー私もピーマン苦手なんだから交換してよ~。……色兄は男なんだから我慢して食べなきゃダメなんだぞっ!」
撫子が箸でビッと俺を指す。
「男も女も関係ないだろ……あと、箸で人を指すのは礼儀が悪いぞ」
「あっ……へへっ、ごめんなさいお兄ちゃんっ」
「そういう誤解されそうな発言は教室では控えていただけませんかね……」
周りからの視線が凍てつくように冷たく感じるのはきっと気のせいではないだろう。
きっと周りの生徒は、
『星海兄、同級生の女の子にお兄ちゃん呼びを強制するとかヤバい奴じゃん……』
とでも思って、俺に侮蔑の眼差しをぶつけているに違いない。
いや皆さん。俺のことをお兄ちゃん呼びし出したのは撫子の方ですよ。
「えーなんで? 色兄は私のお兄ちゃんだから別におかしくないでしょ?」
「頼むからこれ以上は喋らないでくれ……」
俺の立場がどんどん危うくなっていく。
このままだと『影が薄い』という称号に加えて、『奇人』という称号まで獲得してしまいそうだ。……どうせ二冠するのなら、もっといい意味で二冠したいんだけどな。
――とまあ、こんな感じで。
俺たちは楽しく会話をしながら昼食を取っていた。
――のだけど。実は内心はそんなに穏やかな状態ではない。
というのもいつ事態が動き出すのかわからないからだ。
『――ちなみに大和、蒼崎さんって柏田先輩と何時にどこで会う確率が高いんだ?』
『確率が高いというより、二人は決まって視聴覚室で、昼休みか放課後に落ち合っているそうです。とはいえ私も実際に見たのは数回なので、信憑性は欠けてしまいますが』
『いいやそれだけでも充分だよ。風紀委員の連絡網はさすがだな』
『当然です。ありとあらゆる情報を把握しなければ、校内を牛耳ることはできませんからね』
『風紀委員も闇が深いな……』
大和の情報を信じるのならば、蒼崎さんは昼休みか放課後に視聴覚室へと足を運ぶことになる。
今のところは教室にいるけど……まだ昼休みは二十分近くあるからわからない。
平静を装って弁当を食べながらも、正直な心は緊張に大きな脈を打っていた。
「色兄は、すごい真剣な表情でご飯食べるね」
「ん」
白米を頬張りながら横を向くと、撫子が目をまんまるにして俺を見ていた。
「……なんかおかしいか?」
咀嚼して口の中のものを飲み込んでから撫子に問う。
「いや、双子なのにご飯を食べるときはまったく違う表情をするんだなって思ってさ」
言いながら、撫子は視線をそっと天へと移す。
俺も撫子の後を追うように視線を天へと向けると、
「……すっげぇ幸せそうだな」
天は頬をたるんたるんに弛ませながら、もぐもぐとおかずを咀嚼していた。
「天ちゃんっていつもあんな顔してご飯食べるの?」
「家ではいつもあんな感じだな。けど、学校でっていうのは珍しいよ」
「へー好物でも入ってたのかな」
「どうだろ……卵焼きに、ハンバーグに、イワシの甘露煮に、ブロッコリー。……どれもそんな珍しいものじゃないと思うんだけど」
俺と撫子が頭を悩ませていると、天の隣に座る陽太が口を開いた。
「天、さっきからすっごいにこにこしてるけど、なにかいいことでもあったか?」
「す、ストレート……」
とりわけ緊張した様子もなく天に問いかける陽太の姿に、撫子は驚愕の声をもらす。
確かに、ああいう無防備な姿を直接指摘するのって結構勇気がいるよな。俺だったら、後々のカウンターの可能性が怖くて、あんな大々的に質問を投げることはできない。
「ん~? 別に笑ってなんかいませんよ~?」
どの口が言うんだその言葉を。
「いやいや現在進行形で笑ってるから。なにかいいことがあったんだろ」
「ん~? 別に兄さんが詰めてくれた卵焼きが美味しいとかいうわけじゃありませんよ~?」
と、言いながら天は口にひょいと卵焼きを運び、笑みを一層濃くする。
ああ、なんて幸せそうな笑顔。……よかったな母さん。
「だってさ、よかったね色兄!」
「なんも良くねぇよ……むしろ妹のブラコン化が進んでてこえぇよ……」
恐怖に打ち勝つように、粗雑に残りの弁当を口に放り込んでいると、
「――あ、私ちょっとトイレ行ってくるね」
――その時は唐突に訪れた。
蒼崎さんが席を立ち、いつもの三人がいってらっしゃいとかなんとかいう。
と、ここまでは別におかしなことはない。
けれど――問題はその先にあって。
蒼崎さんを見送った後、三人は揃っておぼつかない表情を浮かべていた。
顔を寄せ合ってひそひそとなにかを話し――表情は暗くなる一方だ。
「……間違いないな」
弁当箱をしまい、寄せ合っていた机を一八〇度回転させて、黒板のある方角へと向け直す。その際に机の脚がキイィと鈍い音を立ててしまい、クラスメイトの怪訝そうな眼差しが突き刺さったけど――不思議と今は、その視線をなんとも思わない。
すうと深呼吸をして、廊下に向けて一歩踏み出し――二歩目は踏み出さなかった。
代わりに身を翻すと――
「合格ですよ兄さん」
くすぐったそうに笑いながら天がいう。
そんな天と二人の姿を見て――これが正解なんだな、と自然に思ってしまう。
「よ~し! 私も色兄の力になれるように頑張るぞ~っ!」
「……って言っても、撫子の役割はそんなないんだけどな?」
「ちょっと陽太くん! やる気を削ぐようなこと言わないでよっ!」
昨日立てた計画を寸分の迷いもなく実行に移そうとする二人を見て。
――ああ。最初からこうすればよかったな、とつくづく思う。
あの時。高校一年生のあの時も、天や陽太と共に『あの問題』の解決に取り組んでいたのならば、俺は間違えずに正解を選べたのかも知れない。
「どうですか兄さん。誰かを頼るというのも悪くはないでしょう」
勝ち誇った表情で天はいう。
「……そうだな。いざとなったときに寄り掛かれる存在があるってだけで不思議と安心できるよ」
率直な感想をもらすと、天は得意げに鼻を鳴らした。
「ふふん。ならいいです。これからは困ったら私たちを頼ってくださいね」
「ああ。そうさせてもらうよ。これからは他力本願の精神で生きていきます」
「いや、それは少し違うのですが……」
苦笑しながら天はいう。
……確かに他力本願ってのは完全に人任せになっちゃうからよくないな。
自己の意思をもって且つ、他人に協力を求めるように天は言っているのだろう。
――でもその考えだと、俺が作戦を立てるっていう前提は変わらなくないか?
そう問うと、天は「兄さんは策を練るのに長けてますからね」と言った。
……なんか諸葛孔明みたいでちょっとカッコいいな。