14
その日の放課後は、四、五人の男女が天の占いを求めて部室にやってきたけど、部の勧誘を承諾する生徒はおらず。
部にそれほど大きな変化が訪れないまま、一週間の終わりを迎えた。
――そして土日を挟んで月曜日。
夏休みを四日後に控えたその日に、ようやく部に変化が起きようとしていた。
「星空観察部への入部を希望します! 光ヶ丘撫子です!」
俺たちがボードゲームに現を抜かしていると、そんな元気のいい声と共に部の扉が開かれた。扉の前にはちゃらけたように敬礼する撫子の姿。
「……え、どうして急に入部しようと思ったんですか?」
と、天は瞳に疑問を宿して撫子に問う。
「どうしてって……大和と仲直りできたからだよ。仲直りできたら、星空観察部に入部するって約束だったからね」
「あ、仲直りできたんですね。……でも、私たちはほとんどなにもしてませんよ」
そんな天の謙遜の言葉に、撫子はいやいやと首を振った。
「三人の協力があったから私は大和と仲直りできたんだよ。私が大和と本音をぶつけ合えたのだって、色兄が大和の本心を引っ張り出してくれてたおかげだしね」
撫子の淡々と紡いだ言葉に、空はこくりと首を傾げた。
「ん。いつ兄さんがそんなことをしたんですか?」
「先週の金曜日だよ。早朝のHRの一時間前だったかな」
撫子が指先を唇に当てながら思い出すようにいうと、
「へぇ~先週の金曜日の早朝にそんなことが」
ジトっとした天の瞳が俺に向けられた。
……そういえば金曜日のことをまだ二人には話してなかったな。
「兄さん。私、言いましたよね? 一人で行動しないでって」
と、天が不機嫌そうに椅子から立ち上がって俺に詰め寄ってくる。
……まずい。これは相当キレてるな。
俺が行動を起こす前に相談するって約束を破ったからか……。
「どうした天? 大好きなお兄ちゃんに隠し事をされて苛ついてんのか」
俺に迫る危険を察してだろうか、陽太はいつもの調子で天を囃し立てた。
「陽太は黙ってください」
「はい。すいませんでした」
しゅ、瞬殺……。恐ろしく平坦な声に圧倒されて、唯一の希望であった助け船は沈没してしまった。これでもう俺を守る盾はない。
「で、どうして兄さんは私と陽太になんの断りもなく行動を起こしたんですか? 撫子さんの件は『星空観察部で』解決するって言ったのは兄さんでしょう?」
「いや、それは……」
「金曜日の早朝は小テストの再試があるからっていうのは嘘だったんですか?」
「……あー天、これはその……」
最小限の役者で話を進めた方が効率的に解決できそうだったから。
なんて真っ当な理由を言ったところで、天は納得しないだろう。
きっと天は――『俺が相談しなかった』という事実に苛立ちを覚えている。
俺が続く言葉を口にできずに、視線をおろおろと泳がせていると、
「また、なんですね……」
寂しげな表情で、天は悄然と言葉をもらした。
「そうやって兄さんは、肝心な時に私たちに頼らずに一人で傷つく。……私と陽太が頼りないからですか」
「ち、違うっ! 俺はそんな理由で二人に話をしなかったわけじゃない! 俺は――」
「兄さん、知っていますか。兄さんが傷つくと私と陽太の心も傷つくんですよ?」
声を荒らげてそう言ってくれたのならどれだけよかっただろう。
そんな優しく微笑みながら諭すように言われてしまっては、嫌でも罪悪感がうずいてしまう。
ひしひしと感じる天の暖かさが心地良くて、気持ちよくて。
だから、俺の息吹はみるみる重たくなっていく。
「……ごめん。なんの相談もなしに独断で行動しちゃってごめんな」
そんな息苦しさから抜け出したくて、俺は天に許しを請う。
ばつが悪くて、天の顔を見ることができない。
「……次からは相談してくれますか?」
「ああ。次からは二人に相談してから行動を起こすって約束する」
俺が反射的に言葉を返すと、天ははあと息をもらした。
「わかりました。今回は許します。……これが最後のチャンスですからね」
「……もしまた俺が独断で行動したら?」
「そうですね。……金属製の首縄でもつけましょうか」
「社会的に死ぬじゃないか……」
しかも金属製っていうのが、足掻いても無駄だって遠回しに伝えていてエグい。
『特殊性癖の方の星海』なんて呼ばれないためにも、これからは二人に相談をしてから行動に移さなきゃな。もっとも、そんな事態は滅多に起こらないけど。
「色兄……大和と同じことをしておきながら大和を注意してたんだね……」
苦笑いしながら撫子がいう。
やめろ……そんな優しい目で俺を見るんじゃない……。
「いやいや撫子さん。そこが色の凄いとこなんだよ。自分はできてないのに相手に注意しようと思ったら普通は躊躇っちゃうだろ? でも色は躊躇わずに注意できるんだよ」
「それは……凄い度胸だね。私だったら自分を棚に上げて相手を注意するなんてこと、面子が立たなくてできないよ」
「まあそれが普通なんだけど。色がちょいと特殊なんだ」
「特殊ってなんだよ……」
別に炎を変幻自在に操れたり、超能力が使えたりするわけではないのだから、俺もみんなと平等に『常人』のカテゴリーに分類してほしい。
まあ、特殊っていうのもなんかカッコよくて悪くはないけど。
なんて浸っていると、天がパンと手を叩いた。
「はい。兄さんは少々異常者ってことでこの話は終わりにしましょう」
「異常者ってお前……」
それは完全にサイコパスとか狂人とか、悪い部類の方しか想像できないぞ。
……それにしても特殊と異常って似たような意味合いなのに、捉え方にこんなにも差が出るもんなんだな。日本語の神髄に一歩だけ近づいたような気がした。
「さて皆さん。これで星空観察部は四人になりました。つまり、あと一人入部したのなら星空観察部は正式な部となります。兄さんの楽園の完成です」
「色兄の……楽園?」
「そうです。この部はもともと兄さんのコミュニティの拡大を目的として設立したものなんです」
「コミュニティの拡大……あ、そういうことね」
と、趣旨を理解したのかどうかは不明だけど、一応は理解した様子の撫子は、優しい微笑みを浮かべながら、同情の眼差しを俺にぶつけてきた。
やめて。そんな目で見ないで……。
「そして残り一人の部員。誰をスカウトするのかは既に決まっています。――蒼崎月乃です」
「ですよね……」
蒼崎さんを部員にするっていうのは最初から言ってたもんな。
撫子の入部というイレギュラーな事態が介在したものの、当初の予定に変更はないようだ。
「ん。どうして月乃ちゃんにこだわるの?」
と、撫子がおぼつかない表情で首を傾げる。
これまでの話題に蒼崎さんの名前が上がるような布石は少しもない。かといって、天や陽太のように『星海色が蒼崎月乃を好いている』という前提条件を知るわけでもないのだから、撫子が天の言葉に疑問を覚えるのは当然のことだろう。
「それは俺が……蒼崎さんと仲良くなりたいからだよ」
本当は「好きだからだよ」とありのままの事実を告げたかったけど、なんだかそれを直接言うのは気恥ずかしくて。
鼓動の加速に焦りながら、妥協した言葉をもらすことしかできなかった。
「ふーん。仲良くなりたいから、ね」
と、撫子は不敵な笑みを浮かべながらいう。
「な、なんだよ。おかしいか?」
「いや~理由自体はおかしくないんだけどさ、さっきからどうして色兄は顔を真っ赤にしてるのかなと思って」
「え?」
俺が頓狂な声を上げると、陽太がぶはっと吹き出した。
「はははっ! 色、お前ってほんとバカ正直だよな!」
「それが兄さんの良さでもあるんですけどね」
二人の反応から推測するに、撫子の言葉は正しい。
つまり――無自覚だけど、俺は今、顔を真っ赤にしているのだろう。
……ということは、次に撫子が俺に言うであろう言葉は――
「色兄。……月乃ちゃんのことが好きなんだね?」
――どくん、と心臓が大きく脈を打った。
「っ~~! っ~~~!!」
き、緊急待避っ!
これ以上赤面した顔を見られるわけにはいかず、俺は勢いよく机に突っ伏そうとして、
――ドゴッ!
額と机の表面をこれまた勢いよく衝突させてしまった。おでこいたいよぉ~……。
「だ、大丈夫?」
耳元から撫子の声がした。
「……大丈夫じゃない」
「え?」
「俺、恋愛免疫ゼロだから、改めて蒼崎さんのことが好きだって指摘されると、致命傷を負っちゃうんだ」
「あ、やっぱり月乃ちゃんのことが好きだったんだね」
「うぎゅうううう~~っ!!」
「ほんとに致命傷なんだっ⁉」
ノーガードで狙い撃つなんて鬼すぎますよ撫子さん。
俺が鼓動の高鳴りに悶え苦しんでいると――突然、ふうと耳に息を吹きかけられた。
「ひゃっ!」
変な声を上げながら顔を上げると――
「……天?」
目をとろんと弛ませ、小悪魔のような笑みを浮かべる天がいた。
……なんだろう。嫌な予感しかしない。
「ど、どうしたんだ?」
「どうしたって……兄さんが苦しそうだったから助けようとしていたんですよ」
少しだけ不満を表情に浮かべながら、天は子リスのように首を傾げる。
「助けるって具体的にはどうする気だったんだよ」
「ふふっ。それはですね――兄さんの苦しみの根源である蒼崎月乃への思いを撤廃しようとしていたんです」
なんで蒼崎さんのことへの思いが〝悪の根源〟みたいになってるんだよ。
「いや、それは撤廃しちゃダメなんじゃないのか? ほら、蒼崎さんを五人目の部員に誘う動機もなくなっちゃうわけだし」
「いえ別に蒼崎月乃が五人目の部員じゃなくてもいいんです。兄さんが幸せなら」
「ちょっと待った」
待て待て。なんで急に天はヤンデレ化してるんだ?
これ「兄さんのためなら誰だって殺しますよ?」とか言いかねない雰囲気だぞ。
ヤンデレ妹って兄の障害をことごとく抹消しておきながら、最終的には兄を殺すのが定番だから、よく考えたら本末転倒だよな。……え、俺死ぬの?
「ん。どうかしましたか?」
庇護欲をそそる可愛らしい表情で天はいう。
その笑顔が悲劇の前兆を物語っているかのようで、ものすごく怖い。
「い、言ってることが矛盾してないか? ……蒼崎さんと仲良くなれなきゃ俺は幸せを感じないぞ?」
指摘すると、天はくすくすとおかしそうに笑った。いや、お前ほんと誰だよ。
「なにを言ってるんですか? 蒼崎月乃への思いを撤廃すれば、兄さんは私と相思相愛になれてより幸せを感じられるんですよ? コスパですよ?」
「コスパってなんだよ……あと、兄妹間で恋愛とか日本じゃ認められてないからな」
「大丈夫です。実は兄さんと私は血が繋がってませんから」
「取って付けたような嘘を……じゃあ天の親は誰なんだ?」
「昭明太子です」
「まさかの中国人とな」
驚いた。まさか天が実の妹じゃなくて、中国の戸籍だったとは……。
「ってなるか」
「あうっ」
旋毛に軽くチョップをかますと、天は両手ですりすりと旋毛をさすった。
「痛いですよ兄さん……」
「天が嘘をつくからだ。あんな堂々と嘘をついたら友達がいなくなっちゃうぞ」
「……既に友達の少ない兄さんには言われたくないです」
「すいません。黙ります」
そんなに睨んで言わなくてもいいじゃないか。
友達が少ないって指摘されただけでも結構なダメージなんだぞ。
背けていた事実を改めて突きつけられるのって、実は一番つらいんだよな。
「それで、兄さんは蒼崎月乃か私、どちらが好きなんですか?」
「妹に恋愛感情を抱いたりはしないよ。俺は蒼崎さんが好きだ」
俺が自然にそうもらすと、天はにっと口角を釣り上げた。
「今、なんの抵抗もなく蒼崎月乃への好意を告白できましたね?」
「あっ……。まさかこれが狙いだったのか?」
「当然です。私は兄さんに恋をしたりなんかしませんから」
天がえっへんと小さな胸を張ると、陽太が目を細めながら、
「まったく……中学生の頃、自由研究で『(兄の)心理行動観察日記)』とか書いてた奴がよく言ったもんだ」
「……陽太。放課後、校舎裏で待ってますね」
「お、ついに愛の告白か?」
「なにバカなことを言ってるんですか。私は昔から兄さん一筋ですよ」
「さも当然のように言うなよ……。いい加減兄離れしてくれ」
その後、元から蒼崎さんと親密な関係にある陽太に部への勧誘を任せるということで話はまとまり、星空観察部は活動を終了した。
夏休みまで残り三日。
夏休み前に星空観察部は正式な部となるのかも知れない。
この子たちの話は楽しいなあ。
眠いけどあと半分、投稿頑張るぞ!