第6話
男の手が私の胸元に迫る。
「女を襲うのは久々だからな、楽しませてもらうぜ」
『やめて!・・・やめろ!』
男は抵抗する私の手を払いのけ、私の着物に手を伸ばした。
ガシッ
私の胸に、強く握られる感覚が走った。
『・・・・・った!』
私は顔を歪めながら、胸を捉えている手を引き離そうとする。
しかし、私は魔術師だ。
魔法を使うために精神は強化していても、肉体は鍛えてなどいない。
彼と私の力の差はあまりにも大きく、私の胸を欲しいままにする彼の手をどうすることもできない。
「はぁ、はぁ! 見た目よりも触り心地いいじゃねえか。こりゃいいぞ」
男の顔は必死さをそこら中に滲ませて、息をあげて私に迫った。
男の顔が、私に近づいてくる。
『・・・!? このっ・・・・・!』
私は右腕に全力を込めて、迫り来る男の顔めがけて思いっきり手のひらをぶつけた。
バチンッ!!!
乾いた音が狭い路地裏に響き渡った。
私は男の右頬に平手打ちをお見舞いしてあげたのだ。
男は打たれた自分の頰に手をあてて、しばらくその場に佇んだ。
『この下種野郎め! 私は貴様なぞに体を奪われはしない!』
私は続けざまに叫んだ。
『貴様はしてはいけないことをしたのよ!』
男は黙って自分の頰に目を向けている。
『貴様は自分が手にかけようとしている相手が誰なのかを知らないのだ!』
男は頰にあてていた手を離したかと思うと、スッと立ち上がった。
『もし私の精神が平衡を取り戻した暁には、貴様など・・・貴様など小指ひとつで葬ることができるのよ! 身の程を知りなさい!!』
私は昂ぶってくる自分の感情を抑えつけることが出来なかった。
次から次へと、自分の口から目の前のケダモノを罵る言葉が溢れてくる。
このような屈辱を味わったのは生まれて初めてだった。
物心ついたときから、私には凡人より二段も三段も上の魔法の才が備わっていた。
私の家は決して裕福ではなかったが、両親はそんな私の才能を極限まで引き出すべく私を学校に通わせ、そして魔法大学を首席で卒業した私は魔術師界の最高権威、魔法省へと入庁することとなった。
生まれたから今日に至るまで、私は屈辱というものを知ることがなかった。
私の才を妬む者は過去に何人かいた。
彼ら、彼女らは私のことを影で色々と言っていたようだったけれど、私はそれに屈辱を感じることは一切なかった。
なぜなら、彼らがそうやって影で私のことを悪言するのは、私に面と向かって何かを言うだけの勇気がないからだと知っていたから。
目の前で何を言われようと、何をしてこようと、私には生まれ備わった巨大な魔法の力があった。
いざとなれば、彼らにそれを見せつけるだけでよかった。
それを向こうも知っていたから、彼らは私に直接何かをしてくることはなかった。
この天賦の魔力がある限り、私に屈辱という感覚も敗北という状況も訪れることはない。ずっとそう思っていた。
けれど、今の私は目の前の男に為す術がないままいいようにやられている。
見たところ魔法も使うことができないただの一般人に、私は自分の体を嬲られ、蹂躙されようとしている。
私は初めて感じるこの苦しい感覚・・・自分ではどうすることもできないもどかしさ、言いようのない悔しさ、吐き気がするほどの心の痛みに生まれて初めて接して、感情を爆発させるしかなかった。
これが、屈辱。
屈辱というのは、こんなにも苦しいものなの。
私は知らなかった。何も知らなかった。
今まで何でもできると思っていたのに。
私が負ける姿など想像することもなかったのに。
今、ここで、この男にどうすることもできずに涙を流している自分の姿を見て、私はただ悲痛な叫びを内から発するしかなかった。
『貴様なぞ・・・貴様なぞ・・・普段の私の力があれば、今すぐにでも・・・』
ガシッ
溢れ出る感情を叫び終わる前に、私の声は途切れた。
男がいつの間にか自分の目の前に立っていて、私の首を両手で締め始めた。
『ガッ! ぐうっ・・・ガハッ!? !!!』
私は悲痛とともに息を口から漏らした。
苦しい。息を吸うことができない。
このままじゃ・・・このままじゃ私は・・・・・!!
「よくも俺の顔にビンタくらわしてくれたなこのアマ。自分の状況わかってんのか!!!!!」
首を絞める男の力が一層強まった。
私は遠ざかる意識を引き離さないように、必死にもがいた。
足を全力で動かして、何とか男から離れようとした。
でも、離れられない。
男は私を離すまいと首に手を食い込ませ、苦痛に喘ぐ私の顔を上から見下ろしている。
「変な抵抗しなけりゃこんなことせず普通に犯すだけで済んだのによ、お前が悪いんだぞ!!」
男は何かを叫んでいた。
けど、私には彼が何を言っているのかを理解することができない。
「見たところお前は不法滞在者だな? 俺はそういう外人どもを裏の仕事に斡旋することとかもやってるからよぉ、そういうやつは外見を見ただけで分かるんだよ。この意味が分かるか?」
私には、彼が何を言っているのか分からなかった。
「お前が警察に駆け込むことはできないから、俺はお前を好きなだけ犯すことができるってことだよ!!!!」
男の手が首にさらに食い込む。
私の視界は段々と闇を帯びていった。
『はぁ・・・はぁ・・・私は・・・負けない』
「あん?」
『私は、今までずっと、誰にも負けることなく生きてきた・・・今までも、これからも』
「何言ってんだかわかんねえよ」
『あんたなんかに・・・ここで負けない・・・・私には、全うすべき使命があるの!!!!!』
微かに残る気力を使って、私は男に言葉を投げかけた。
たとえ私のこの身が汚されようとも、魂までは決して譲り渡さない。
私は毅然とした目を作り、眼前の男を見つめた。
「わかったよ、いったん眠らせてやるから黙れ」
男は最大の強さで首を締め始めた。
ここまま、私を気絶させるつもりだ。
もう、ダメみたい。
視界はすでに大部分が黒く染まっている。
私は・・・・私は!・・・・・・・・・・・・・
意識が今まさに途切れかけようとした
その瞬間
カシャッ!!!!
暗くなった視界を上塗りするかのような白い光が走ったと同時、「カシャ」という音が私の耳に入り込んできた。
この音は・・・・さっき繁華街で人に囲まれたとき、変な薄い板から光とともに出てきた、あの音。
私はぼんやりとした視界の中から、その音のした方を探し出す。
そこには、不明瞭に移る人影の姿があった。
あれは、いったい・・・・・
ドサッ
私は自分の体が落ちる感覚を味わった直後、地面に私が倒れていることに気づいた。
どうやら、男は私の首から手を離したらしい。
「・・・・なんだお前」
男は現れた人影の方へと体を向け、そっちにのっしりと近づいていった。
「全部、撮っていました」
聞き覚えのある声がした。
今の声は、確か・・・・・・・
私は視界を明瞭にしようと目に力を込めた。
現れた人影に焦点を合わせようと、目に力を込めた。
不明瞭に揺れていたその声の持ち主の姿が、段々とはっきりとしてくる。
そして視界がついに曇りを取り除いたとき、その声の正体がついに明らかになった。
私は目を丸くした。
「あんたがここでしていたこと、全部このスマホに撮っておきました」
彼は、私がこの世界で目覚めたときにあの部屋にいた、あの“彼”だった。