第3話
ふぅー・・・・・・・やっといなくなった。
いったい、彼女は何者だったんだ?
なんで僕の部屋にいたんだ?
彼女のあの服装や、紅い目はなんだったんだ?
彼女が消えた今となっては、これらの謎はもう分からない。
というか、謎に謎が重なりすぎて、答えの一端すらも分かりようがない。
まあいいや。
とりあえず彼女は出ていったことだし、これでもう僕には関わり合いのないものになった。
僕は安堵のため息をこぼしながら、部屋に帰った。
部屋には、さっきまで彼女が寝ていた僕の布団があった。
・・・・今日僕はこの布団で寝ることになるのか。
彼女がその体を横たえていた、この布団の上で。
思わず、僕の顔は赤くなった。
いや、これは仕方ない。
僕だって年頃の男なんだ。
ついさっき女の子が寝ていた布団がそこにあるってなって、意識するなっていう方が無理だ。
ゴクリ
僕はいつの間にか口にたまっていた生唾を飲み込んだ
彼女が寝ていた布団・・・・僕は無意識のうちに顔をそこに近づけていた。
ハッ!?
敷き布団を30センチ目の前に認めたとき、僕は意識を取り戻した。
僕は慌てて顔をそこから引き離した。
何をしてるんだ、僕は! これじゃ、まるで変態のすることじゃないか!
彼女がそこで寝ていたのを意識するだけならまだセーフだけど、いざ実際に匂いを嗅ごうとするのはアウトだろ!
危ない危ない、僕もついに一線を超えてしまうところだった。
ひとまず落ち着こう。
僕は洗面台に向かい、冷水で顔を思いっきり洗った。
少々蒸発していた頭が、冷水をかけられてスッキリしたようだ。意識がだいぶクリアになった。
僕は再度部屋に戻る。
床に敷かれている布団を見ても、もはや何も感じない。
もう、大丈夫だ。彼女のことは忘れよう。
よくよく考えてみれば、彼女が不法入国者だなんてのも、僕の勝手な想像に過ぎない。
きっと今頃は、家族が彼女のことを見つけて、元の場所に帰っていることだろう。
そう、きっとそうだ。
だから何も問題はない。
・・・疲れたな、一息つこう。
僕はテーブルのそばに腰を下ろし、リモコンを手にとってテレビをつけた。
テレビの画面は、ちょうどニュース番組を映し出していた。
「特集です。本日お送りするのは、不法入国者の検挙の最前線を取材した様子です。」
ガタッ! 僕は思わず立ち上がった。
一息つこうとテレビをつけたら、最初に出てきたのがよりによって、不法滞在者の特集? 検挙の最前線!??
その時、脳裏によぎったのは、もちろん先ほど部屋を出ていった彼女の姿だ。
まったく、勘弁してくれよ。
せっかく忘れようと思っていたのに、こんな形で彼女のことをフラッシュバックさせられるなんて。
僕はチャンネルを変えようとリモコンを手にとったが、しばらく考えてみて、そのままボタンを押さずにこのニュースを見続けることにした。
「今回取材をしたのは、警視庁所属の巡査部長。勤務歴20年に及ぶベテランの彼は・・・」
ニュースは、いかにも熟練者感を漂わせる中年の警官が、街をパトロールして次々と不法滞在者を逮捕していく場面を流している。
パトカーの中からチラッと街行く人々を流し見ているだけなのに、なぜかその警官は不法に日本に滞在している外国人を次々と見抜き、続々と彼らに手錠をかけていく。
なぜ一目見ただけで不法滞在者ってことがわかるんだろう?
「なぜ一瞬見ただけで不法滞在者かどうかがわかるのですか?」
ちょうどテレビの取材班も、僕と同じ疑問を警官に尋ねてくれた。ナイス
「もちろん、ただ当てずっぽうに外国人を職質している訳ではありません。不法滞在者は、自分が不法にこの国に居座っていることを、よく自覚しています。そういった人々がパトカーを目にすると、大半が似通ったある反応を示すのです。私は長年の経験を重ねたことで、その決まった反応を見抜くことができるようになったのです。みんな怪しい動きや表情をするんですよ(笑)」
怪しい動きねぇ〜・・・・・・ 僕は彼女がこの部屋でした行動を思い返して見た。
・知らない人の部屋に侵入して寝ている
・謎の言語を喋りだす
・何の変哲もない部屋をもの珍しそうに見渡す
・ただの夕焼けの景色を神秘的な光景を見る目眺める
・家主が帰ってきたにもかかわらず、二度寝を始める
うん、数え役満といったところだな。むしろ怪しくない部分を探す方が大変なレベルだ。
それに、彼女が怪しかったのは行動だけじゃない。まるでファンタジーの世界から出てきたような彼女の服装、そして見たことない紅い目。
そう、彼女は何もしなくても、ただそこにいるだけでも怪しさ満点の奇怪な存在なのだ。
・・・・彼女は大丈夫だろうか。今頃、もしかしたら既に警察に見つかっているかもしれない。
・・・・・・・僕には関係のないことだ。余計なことに首を突っ込んでも、いいことなんて一つもない。
ニュースは続く。
「警察はこうした不法入国者・滞在者の取り締まりを強化しているが、こういった不法滞在者は、依然として毎年大勢現れている。彼らは通常、出入国在留管理庁の収容施設に移された後、本国へと強制送還されることとなる。中には本国の財産を全て処分して日本に来た外国人もいる。そういった者たちが本国へと送還されたときに直面するのは、財産が何もない状態で新たな生活を送らねばならない、そういう現実だ」
社会性のあるメッセージを残して、特集は終わった。
もしも彼女が自分の国に送還されたとしたら、彼女は向こうで無事に生活を送れるのだろうか?
彼女はまだそんなに歳もいっていない、見た目的には僕と同じくらいだ。
もしも彼女が送還された場合、彼女の家族も一緒に送還されることになるだろう。
そうなったら、一家全員が無一文の状況で国に返されることになるわけだ。
当然、家族はそのままでは生活できない。
そうなれば・・・・彼女は身売りに出されるかもしれない。最低なことを言うようだけど、あの年齢で、あの容姿なら、買い手はいくらでもいるだろう。
日本では考えられないことだけど、途上国の中には、未だに平然と人身売買が罷り通っているところもある。
もし彼女が警察に捕まったら・・・・・僕は、彼女の人生の破滅に手を貸したことになるのか?
いや、それは違うだろう。勝手に自分の部屋に侵入している人がいたら、そいつを追い出すのは当然の行動だ。
僕のとった行動に言えるとしたら、それは、ただ彼女を助けなかったってことだ。
人を積極的に破滅に追い込むのはクズのやることだけど、ただ手を貸さないってだけならクズにはならないだろ。
手を貸す奴は偉いってだけの話で、貸さなかったやつが非難される謂れはない。
もちろん、手を貸さなかった相手が親とか自分の子供とかなら、非難されても仕方ない。
けど、今回の場合、僕と彼女にはなんの関係性もないのだ。家族どころか、友達ですらない。知り合いでもない。
帰ってみたら、なぜか自分の部屋にいた人だ。
だから、僕が彼女を追い出したことで彼女がどうなろうが、僕が非難される理由は何もない。
何もないはずだ。
はずだけど・・・・・・
でも、どうしてか、さっきから彼女の姿が頭から離れない。
くそっ、どう考えてもさっきのニュースのせいだ。
あのニュースのせいで、強制送還された後の彼女の悲惨な境遇が、頭にまとわりついて離れない。
そもそも、彼女が不法入国者だってことも別に確実な話ではないのに。なんでこうも最悪な想像ばかり、思い浮かんでくるんだ。
・・・・・確かに、今考えると、何もあんなすぐに彼女を追い出す必要はなかったかもしれない。
彼女のことをもっと知ってから、それから何か対応策を考えればよかったのかもしれない。
でも、そんなことをやってやろうなんて考え、あの時の僕には思い浮かばなかったんだ。
人に接して、人の気持ちに寄り添って、何かを解決する?
学校で普段から人を避けている僕にそんなこと、できるわけないじゃないか。
そうだ、僕は怖かったんだ。人と接するのを恐れていたんだ。
彼女のあの紅い目を見て、僕はとても綺麗と思うと同時に、心の何処かで言いようのない恐怖を感じてもいたんだ。
だから、僕は彼女を追い出した。
理由はもう一つある。
この部屋は、教室で人の視線に精神を削られている僕が、心置き無く休むことのできる、唯一の場所なんだ。
その部屋に僕以外の人間がいることが、僕には受け入れられなかったのだ。
だから、僕は彼女を追い出した。
そう、彼女を追い出したのは、僕の弱さのせいなのだ。
不法侵入が法律的にどうだとかは、追い出した事実を後付けで説明するものでしかない。
本心は、さっき言ったのがそうだよ。僕は、彼女のことが怖かったんだ。
だから、彼女の人生が破滅することになったら、それは僕の弱さが理由ってことになる。
少なくとも理由の一つにはなる。
だから、逆に言えば、もし彼女を受け入れることができたのなら、それは自分の弱さを変えることにつながったのかもしれない。
今となってはもう、考え直しても仕方のないことだけど。
彼女はもう、遠くへ行ってしまっただろう。
今頃は家族の元に帰っているか、さもなければ捕まっているかもしれない。
どっちにしろ、僕にはもうどうすることもできないことだ。
もはや考えても意味のない問題を忘れるべく、僕はただ黙ってそこに座っていた。
部屋の中を、テレビの音だけが駆け巡る。
ニュースが終わって別の番組が始まっていたようだけど、こんな心境だとどんなバラエティ番組を見ても、クスリともきやしない。
僕はテレビを消すべく、机の上に置いといたリモコンへと手を伸ばした。
カラン
その途中、僕は何か固いものが手に当たる感覚がした。
僕は机の上に目を向ける。すると、そこには、白色をたたえた結晶のようなものが、机を転がるのが見えた。
「なんだこれ?」
僕は手にとってそれを見つめた。
結晶は不思議なことに、内部から光を放っているかのように、うっすらと白く輝いている。
間違いなく僕のものではない。これは、
「彼女の忘れものか」
・・・・・僕は黙ってそれを見つめた後、そっと机の上に結晶を戻した。
さっき僕は、彼女を部屋から追い出してしまったけど。
彼女のことが怖くてそうしてしまったけど。
もう、そのことを考えるのは止めようと思っていたけど。
けど!
僕は再び結晶を手にとった。結晶を力強く握った。
彼女のことを考えるのは止めようとした。
けど、彼女が忘れ物をしたのなら、届けに行かなくてはならない。
行くって、でもどこへ? 彼女が部屋を出てから、もうだいぶ経っている。
僕は立ち上がって、窓の方へ駆け寄った。
窓の外を見ると、もう夕日もビルの下に埋れて、空は半分暗い色に染まっている。
向かいのマンションも、もう大部分の部屋が電気をつけている。
彼女はどこへ行ったのか。
僕は彼女のラインを持ってはいないし、電話番号も知らない。そもそも彼女はおそらく携帯を持っていない。
だから自分の足で探すしかない。
そのためには、彼女が行きそうなところを見つけ出す必要がある。
だけど、僕は彼女のことを何も知らない。彼女が行きたい場所なんて、僕に分かりっこない。
チッ、どうしたらいいんだ・・・・・
僕は歯がゆい焦燥感を感じながら、窓の外の景色に目を走らせた。
どこか彼女が行きそうな場所はないか、どこか彼女が行きそうな・・・・・
すると、僕の目がある一点を捉えた。
このアパートから、ずっと向こう側に歩いて行った場所。だいぶ遠い駅の、その手前。繁華街の入り口に見える、無数の電球の灯り。
この窓から見える景色の中で、その場所が特に光が集まる場所だった。
僕の目はその光の群れを捉えて、そのまま静止する。
確か、彼女はこの窓の向こうの景色を食い入るように見てたよな。
もしも彼女が、電気もろくに使えない貧しい国から来たのなら、彼女は電球の光が織りなす夜景を新鮮な気持ちで眺めるだろう。
そうだとすると、特に彼女の目を惹く場所は、きっとあの繁華街に違いない。
この街の街灯の半分があそこに集まっている、と言ってもいいほど、あそこは光に溢れている場所だからな。
彼女は、おそらくあの繁華街に向かっていった。
確信が持てたわけではなかった。あくまでも僕の推論に過ぎない。
でも、それでも今はあそこに行くしかない。それ以外、僕には何をすべきかわからないからだ。
僕は体を後ろに向けて、玄関へと向かった。
靴を履いて、かかとをトントンと鳴らして、「よし」とだけ言うとドアを開けた。
彼女を見つけるべく、僕は暗みを帯びた空の下を一人、駆け出した。
手に握りしめられた白い結晶が、薄暗い夜の道をほのかに照らした。